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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第二章 多忙な一日
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優里の記憶 ⑦

 新造皇居へと潜んだ優里は智明の言うがままに応じることを強いられた。

 その代わりというわけではないだろうが、智明はどこかへと飛び去り食べ物や生活雑貨を引っさげて帰ってくると、能力で家具や道具を転送(アポート)させ、建造中の皇居の一室を自分達の居場所にしてしまった。

 そうして最低限の身支度が整ってしまえば、智明の興味は優里そのものへと向き、どこかでそうなることを覚悟していた優里も智明の強引な欲求には抗わず、されるがままに全てを捧げた。


 だがそれさえも優里は許している。


 倒壊した家屋の瓦礫から救い出されたこともあったが、覆い被さってきた智明に男性を感じたし、自分の中の女性にも気付いた瞬間でもあったからだ。

 今、こうしてやり直しのようなもう一つの世界で二人が順調な恋愛関係であることに影響するのかもしれないが、記憶の中の智明との交わりは嫌悪よりもまだ好意が勝っていたとも思う。


 それさえも許せないほど抵抗感があるのならば、優里は妊娠についてもっとマイナスな気持ちになっただろう。


《……リリー》

《謝らんでええで。てゆうか、謝ったらあかんで。そんなん、一番失礼やねんから》

《お、うん……》


 記憶の中で重なり合う自分たちの姿を映像で見ながら優里は先制し、智明もそれに従う返事を寄越した。

 もう一つの記憶の中のことを謝られても返事のしようがないのだから、これでいいと切り分けた気持ちを混ぜ返されたくはない。


《あっ!》

《…………っ!》


 場面が変わり翌朝と思しき場面。

 声を荒げて踏み入った工事業者と対峙する記憶の中の智明の姿に、現実の智明が声を上げ、優里はこの先に起こったことを思い出して目を背ける。


 身振り手振りで智明が挑発しているのは明らかで、そこには智明の驕りと自惚れが透けて見える。

 果たして智明の望んだ通りになり、売り言葉に買い言葉という調子で工事業者の男達は激高し、引き込むように智明が両手を振るう。

 まず先頭の男の頭が破裂して赤黒い飛沫が盛大に飛び散り、続く男の胴体が切断され氷が滑っていくように足の上から床に落ちた。

 その様を見て怯んだ後続が足を止めたが、智明が両手を振るう度に一人の手がもがれ、別の男の下半身が吹き飛び、また別の男が消し炭が吹き散らされるように崩れて山になった。

 記憶の中の優里はそこで見ていられなくなり目を閉じたが、当時耳にした破裂する音や飛沫の飛ぶ音や、人々の悲鳴は『忘れてくれるな』と訴えるように脳内で再生されていた。


 人の痛みが分からぬ優里ではないから、この時の智明の凶行に恐怖し激しい怖れを抱いた。制止する隙きもなく暇もなく全てを目にし、悲鳴を押し殺した頃には事は全て終わっていた。


 最悪の場合、明日は我が身という恐怖を抱いたのもこの時だった。


 静かになった室内で恐る恐る優里が目を開けると、片手をもがれた男が走り去る後ろ姿が見え、また智明が両手を操って殺戮を重ねるのかと思ったがそうはならなかった。

 五人以上の遺骸が散乱した室内に手をかざし、それらの肉塊を一つにまとめて黒ぐろとした粘土のようなものに作り変え、屋根や天井の材料にして貼り付けてしまう。

 そしてツルリとした笑顔で、わざと一人逃がした事を告げ、優里に食事の支度を言い付けたのだ。

 優里は畏まって返事を返し、急いでその場を離れて智明から見えない所まで走り出て、嘔吐しそのうちに声を押し殺して号泣した。


『モアは狂ってしまった』


 そう思えば思うほど優里自身の立場が分からなくなり、誰にも言えないことが怖くなってただ泣くしか仕方がなかった。

 そうして吐くものもなくなり喉が枯れ涙も出し尽くした頃、『自分が生き延びる方法』を考え始め、優里は智明への好意は残しつつも感情を殺して奴隷のように従うしかないと自明する。


 それからの優里は何事が起こっても恐怖を感じず、悲しくなることもなく、他者への哀れみすら感じないロボットのような立ち振る舞いをするようになった。

 智明もまた優里を侍女か側女のように扱い、ハイかイイエしか言わない優里に不満を向けることはなかった。


 その直後に現れた警官たちがどうなったか。

 更に詰めかけた機動隊がどうなったか。

 優里は見届けたし忘れてはならないと心に刻んだし逃げもしなかった。ただ不必要に心を動かすこともなく、ふと思い出して虚空を見上げ悲しくなる瞬間があって、それに流されない努力はしなければならなかった。


 そうしているうちに智明が施した工事はある程度の完成を見て、荘厳であるはずの皇居はおどろおどろしい不細工な牙城へと変貌した頃、激しい騒音とともに自衛隊の攻撃が行われた。

 優里にとっては寝耳に水で、何事が起こったのか分からぬうちに智明に抱えられて空中を漂っていた。

 その足元では戦車から発射された砲弾が黒ぐろとした無骨な城を破壊し、また淡路島の外から海から飛び込んできたミサイルが諭鶴羽山を破壊し、その破壊跡を吹き散らすように戦闘機が幾つも舞い飛んで爆弾を落としていった。


 地上の砂埃が落ち着いた頃に智明が口にした言葉こそ、『アンゴル・モア』だった。


 この時の智明がどういうつもりだったかは今の優里には分からないが、自衛隊――ひいては日本政府に向けた冗談交じりの宣戦布告だったのではないかと想像する。

 智明は不特定多数の大勢に届くように伝心(テレパシー)を使って名乗ったことからの想像だが、果たして本当にその通りに伝わったかは定かではない。

 ただ優里には伝わったことは確かで、このことが後に能力の発現に繋がったと想像できるからそう思うのだ。


 事実、智明はこの事があってから優里に能力を行使する手ほどきをし始めたし、智明の期待通りに優里も能力を開花させていったのだから、何らかのきっかけや理由になったのだろう。

 見ているうちに攻撃の仕方や防御の仕方も身についていたが、それだけは使うまいとも思っていた。


 なぜなら工事業者や警官だけでなく、智明は皇居を包囲した自衛隊統合軍を一掃するために、淡路島の南半分を消失させてしまったからだ。

 範囲でいえば洲本市と南あわじ市がごっそりと円形にくり抜かれたほどの広さになる。

 犠牲になった人数は数万では収まらないだろう。

 またこれによる地震などが関西一円に影響を及ぼしたであろうから、数十万から数百万人が被害を被ったに違いない。

 優里にそこまでの力は備わっていないとしても、攻撃的な能力は使うまいと誓うのは当然だ。


《……惨いな》


 高空へと飛び去る優里の視点で映像を見つつ、現実の智明がそうこぼすのだから、尋常ではない。


 その後も智明は優里を抱いたまま飛行を続け、追ってきた航空自衛隊を撃退し、地上や海からの砲撃を防いで反撃を行いつつ、その根拠地である東京を目指した。


 日毎に寝起きの場所は変わったが、智明は優里を連れて飛ぶことだけは拘った。

 優里も逆らうことの危険性を知っていたし、智明への好意で気持ちを誤魔化す部分もあって付き従うことに依存はなかった。


 そしてついに智明は東京へと攻め上がり、また伝心を使って『アンゴル・モア』を名乗り大勢へと勧告を行って、集結する自衛隊をあしらい、逃げ惑う都民を嘲って東京大破壊を予告した。


 この日の夜。智明と並んで眠っていた優里は違和感を感じて目を覚まし、気分の悪さから嘔吐し、それが収まらぬうちに吐血し、意識を失った。

 朦朧とする意識の中で、優里は自分自身の体の細部を見て回るような感覚に襲われ、そのうちに自分の腹の中に新しい命の宿りを知った。


《それが、ミライか?》

《そうやで。ほんまに不思議な感じやった。目で見たわけやないのに、予感とか直感みたいな感じで『そうなんやな』って》


 智明には伝わらないだろうとは思ったが、痛みともざわめきとも違う違和感は言葉にすればそういう表現しかできなかった。

 そうして体が『開いた』あと、優里が起こったままを智明に伝えると、智明は珍しく神妙な面持ちで優里に告げた。


『赤ちゃんにはミライと名付けてくれ。もうすぐ東京には国連軍が核兵器を携えてやってくる。そんな集中砲火の中で二人を守れるかは分からない。今のうちならリリーだけは逃げ出せる』


 最後の最後に小学生時代の智明に戻ったような口ぶりに優里は嬉しくなったが、それは同時に二人の逃避行の最終局面だとも教えていた。

 優里は『二人で協力すれば逃げ切れないか』と問うてみたが、智明はその提案を拒んだ。


『この騒動は俺が起こしたものだから』と。


 そうして笑った智明の顔は優里の愛したモアの顔で、二人で交わした初めての愛しい口付けだったかもしれない。


 その後、智明を包んだ核の爆光に向かって、優里は三つの願い事をしたのだ。

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