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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第二章 明里新宮
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国立遺伝子科学解析室 ③


「まるで学校やな」

 車を下りた黒田はグルリを見回して率直な感想をもらした。おぼろげな記憶では、スーパーコンピューターの導入とその他の研究機材や研究スペースなどで、建設に数千億円かけられたはずだが、目に映る建物や植え込みは地方都市の寂れた学校にしか見えない。

『可』の字のように配置された建物は整然としすぎるうえに、敷地内の通路は赤いタイルが敷かれ、外壁の傍には等間隔に庭木と植え込みが並んでいる。建物の窓という窓に白いカーテンが引かれているのも学校を想起させる要因かもしれない。


「こっちだ」

 ついアチコチを観察してしまう黒田に、少し離れた所から鯨井の声が飛んだ。

 歩いている方向からすると敷地の真ん中にある建物ではなく、外壁に沿って建てられている『L』字型の建物へ向かうようだ。

 玲美に寄り添われながら松葉杖をついて歩く鯨井を見つめ、黒田は自分と鯨井の違いはなんだろうと考えていた。

 先程と同様につまらないことを考えてしまっていると気付いていたが、何かを考えていないともっと下衆なことを考えてしまいそうなので、あえてそうした。


 一行は松葉杖の鯨井に合わせて歩いたので少し時間がかかったが、これまた学校か公民館のようなこじんまりとした正面入口にたどり着き、鯨井が警備員室か受け付けのような小窓に声をかけた。

「朝早くから申し訳ない。アポは無いんだが、柏木先生は出勤されているかな」

「……ああ、誰かと思ったら鯨井先生じゃないですか。お久しぶりですね」

 小窓に顔を出した初老の男は、一行を値踏みするように睨め回したが、鯨井の顔を見つけて一気に相好を崩した。

「やあ、本当に久しぶりだ。よく覚えてましたな」

「なに、柏木先生から強く言われていてね。鯨井先生が来たらすぐに通せと、あの人嫌いに言われたら覚えてなくちゃいかんでしょう。……先生は相変わらずいつもの研究室ですわ。十五年前と変わっとりませんよ」

 黒田には色々と引っかかる単語が出たが、今は黙っておくことにした。鯨井と柏木先生とやらの関係性よりも大事なことがあるからだ。

「ま、そこは俺もだからな。あんがとさん」

 黒田の腹のウチを気にする風もなく、鯨井は礼を言って奥のエレベーターへ一行を導く。

 全員が乗り込んでエレベーターの扉は閉じられたのだが、動き出す気配がない。と、鯨井がこめかみに指先を当てながらつぶやく。

「申し訳ないが、皆、目を閉じてくれないか。部外秘なんだわ」

「なんだと? エレベーターに乗るのに部外秘があるなんて聞いたことない。ちゃんと説明しいや」

 黒田が怒気をはらんだ声で詰め寄ろうとするが、鯨井は落ち着いた声で制する。

「刑事さん。ここは国立の研究施設なんだわ。誰でも彼でも見学に来れる場所じゃない。察してくれ」

「あん? 意味がわからんぞ」

「察してくれと言ったろ。()()()()()()()だ。昨日の話を思い出してくれ。思い出したら黙って目を閉じてくれ」

 鯨井の一方的で不親切な説明に黒田のイライラはうなぎのぼりだが、隣に目を向けると玲美はとっくに目を閉じて立っている。

 増井を見やると、黒田と目が合うと一つうなずきかけて目を閉じた。

 置いてけぼりにされた黒田だが、『昨日の話』を思い出すことで少しだけ手がかりを得た気がした。


 昨日、黒田と鯨井が話した内容は、中島病院で暴れた高橋少年の細胞を精密に解析しようとすると、警察権力よりも高位の存在にその真実を秘匿されかねない。それならば個人で独自に調査や解析をして真実に近付きたい、といった内容だったはずだ。

 そして今、鯨井と黒田は国立の研究施設に居る。

 ――警察に圧力をかけて真実を秘匿するのはおそらく国、いや現行の政府だ。警察が解析を依頼するのは民間よりも公設の機関になる。特にその最先端となると国立の大学か、国立の専門的な研究所になる。つまりここは世に出ないどころか世に出せない情報の巣窟ということか?――

「……くそ! これでいいか?」

 鯨井が察して欲しかった理由は他にもたくさんあるのだが、黒田が部外秘の漏洩防止に従ってくれたので、鯨井は一安心した。

「結構だ」

 全員が瞑目したことを確かめてから、鯨井はエレベーターの操作パネルの下部のカバーを開き、長々とボタン操作してカバーを閉じた。

 直後、小さく揺れたのを合図にエレベーターは下降を始める。

「もういいぞ。ご協力に感謝する」

 鯨井の合図で全員が目を開けると、鯨井は冗談ぽく敬礼をして黒田たち警察官を皮肉った謝辞を言った。

 カッと頭に血が上りかけた黒田だが、やたらと長い時間降り続けるエレベーターの方が気になった。


「……ずいぶんかかるな……」

「ああ。発注者の趣味が悪いからな」

 黒田のつぶやきに答えつつも、鯨井は階数表示がなく『▽』だけが点滅している電光板を見上げている。

 まるでホラー映画のような不気味な雰囲気が漂い始め、全員が沈黙してしまってからしばらくしてエレベーターが停止し、黒田は無意識に詰めていた息を吐いた。

「何やここは?」

「地上の雰囲気とずいぶん違いますね」

 エレベーターから下りた空間は広く取られていて、通路の横っちょから乗り込んだ地上階とは対象的に学校の教室ほどの広さがあった。

また内装も大きく異なっていて、公民館のような白塗りのコンクリートではなく、鋼材を貼り付けた無機質で金属様の壁が高い天井まで続いている。

「本当に同じ建物なの?」

「基地みたいで面白いやろ? 全部、発注者の趣味だからな」

 黒田と増井に続き、玲美までが趣の異なる内装に舌を巻いた。

 呆気に取られている三人に冗談めかしながら歩みを進めた鯨井は、エレベーターを下りて正面にある扉へと近付き、壁に設けられたコンソールを操作した。

「目を瞑らなくていいんか?」

 先程のエレベーターでの一件を蒸し返した黒田に、鯨井はウインクしながら答える。

「ここは秘密のパスワードはいらないんだ。いわばインターホン鳴らしたようなもんだからな」

「なんやと?」

「中に居る人間に開けてもらわんと入れないんだよ。悪趣味だろ」

 鯨井に同意を求められたが、黒田は面倒な手順がバカバカしくなりそっぽを向いて舌打ちをした。

「さあ、行こう」

 自動でスライドして開いていく二枚扉に躊躇なく進んでいく鯨井はどこか楽しげだ。

 自動扉の先にはまただだっ広い通路が伸びていたが、両側の壁にノブの付いたドアが等間隔で並び、突き当りには先程と同じ自動ドアがあった。


 おもむろに鯨井が振り返り、全員と目を合わせていく。

「この先に俺の知り合いの柏木センセが居る。メチャメチャ気難しい人だから、機嫌を損ねないようにな」

 黒田と増井はハテナ顔で一応うなずいたが、玲美だけは苦笑を浮かべている。

 正面の二枚扉に近付いていくと、今度は通常の自動ドアの様にセンサーが人の接近を感知してゆっくりと開いた。

 扉の奥はこれまただだっ広い空間で、ホテルのパーティー会場のような広さと天井の高さがある。

 正面の壁には巨大なモニターが二つ横並びに据え付けられてい、その下には飛行場の管制室かアニメの司令室のようにモニターと操作版とキーボードが並んだテーブル席がある。

 他にも会議で使うような長テーブルとチェアが『口』の字で並べられていたり、オフィスで見かけるデスクもいくつか並んでいる。

「いらっしゃい。久し振りに来たと思ったら、知らない人間ばかり連れて来たねぇ?」

 入り口を通り抜けると右側から女性の声がかけられた。

 歳の頃なら五十代から六十代。白髪混じりの頭髪を伸ばし、眼鏡を額に乗せ、白衣を身に着けている。

「ご無沙汰してます。なかなか忙しくての。……紹介するわ。こちらは今同じ職場で働いている播磨玲美さん」

 鯨井の紹介に軽く頭を下げる玲美。

「で、こっちは俺の知り合いの黒田君と増井君」

 鯨井の紹介にムッとした黒田は、軽く頭を下げたが自分の職業を付け足す。

「刑事をやっている黒田です」

「刑事?」

「ああ、ちょっと今、俺の身辺警護をやってもらってるんだわ。センセの仕事の邪魔をしに来たわけやないから、気にせんでくれ」

 一気に表情を厳しくした女性に鯨井は咄嗟に取り繕い、黒田の腕を軽く小突き挑発的な態度を視線で咎めてきたが、黒田はそれにもムッとした顔を向ける。


「まあ、孝一郎の身辺警護なら仕方がないね。あんたの顔に免じて、この場に居ることは許してやろう。ただし! 私の研究やこの施設のアレコレに口出しすることは許さないから、そのつもりでね。気に食わなかったら即放り出すよ!」

「ああ、ちゃんと紹介しなきゃだわ。こちらは柏木珠江先生といって、日本の遺伝子研究の第一人者で、この施設の顧問もされている方だ。……ついでに言えば俺の恩師の一人だ」

 鯨井が柏木女史を持ち上げて紹介するも、彼女の不機嫌な表情は変わらない。

 勝手に身辺警護の係にされたり放り出すと宣言されたりと、黒田は扱いの悪さに嫌気がさしてきたが、とりあえず本懐が果たせればいいやと色々諦めることにした。


「それで、何の用なんだい? あんたもそれなりの地位に就いてるんたから、今更後押しや金の無心でもないんだろう?」

 珠江の発言に苦笑しつつ、鯨井は促されるままに本題を切り出す。

「センセはニュースは見られますかな?」

「見ないね。ただでさえ隠居同然でこんなとこに趣味で篭もってるんだ。世俗の揉め事に興味なんか湧かないね。下手に知ってしまうと仕事にも影響があるからね」

 玲美は珠江の生活スタイルが鯨井から聞いていた通りだったので驚いた。

 この遺伝子科学解析室の施設から一歩たりとも出ることはなく、新聞もテレビも見ないと聞いていたが、職場に住み込み寝食まで済ませてしまうというのは徹底的にも程がある。

「じゃあ、調べて欲しいモノがあるんだが、可能かの」

「忙しい訳じゃないから構わないよ。今は頼まれごともないし、アレは私のライフワークにして人生最大の遊びだからね」

「……あんがとさん」

 珠江の返事に微妙な表情になった鯨井を玲美は見逃さなかったが、今この場で聞けるものではないので黙っておく。そもそも鯨井がこの施設の部外秘に関わっていることも気になっているのだ。

「増井君。それをセンセに渡してくれないかな」

「……了解です」

「ああ、そっちのデスクに置いとくれ」

 増井刑事が肩から下げたクーラーボックスを珠江に手渡そうとすると、珠江は傍らにあるデスクを指して移動した。

 増井は珠江の指示通りの場所にクーラーボックスを置く。

「では、ここに」

「ありがとう。……孝子(たかこ)一美(かずみ)、こっちへおいで」

 増井に礼を言ったあと、珠江が奥のデスクで作業していた女性二人を呼びつけた。

 一人は二十歳くらい、もう一人は二十歳になるかならないかの女性で、どこか顔や背格好や雰囲気が似ている二人なので、玲美は姉妹かな?と感じた。

「……大きくなったな」

 珠江の傍に並んだ二人の女性に、鯨井が親しげに声をかけた。

 驚いた玲美が思わず鯨井に問う。

「お知り合い、ですか?」

「まあ、な」

 鯨井は説明しにくそうにはぐらかすが、珠江は容赦なく話をすすめる。

「久しぶりの親子の対面だ。ちゃんと挨拶なさい」

「お久しぶりです。お父さん」

 珠江に促される形で年長の女性が微笑を浮かべて頭を下げ、年少の女性もそれに倣う。

 黒田と増井は話の流れが分からず、ポカンと鯨井を眺めるだけだが、玲美は明らかな動揺を隠せないでいる。

「お父さん!? お父さんってなんですか? 初耳なんですが?」

 玲美が狼狽と感情を押し込めて精一杯抑えた声音で追求するが、鯨井は説明を避けるように苦い顔のまま黙ってしまう。

「騒がしい女は嫌いだよ! まあ、そもそも私は女が嫌いだけどねぇ。孝一郎、構わないから言っておやり。この子達は全て理解してくれている」

 珠江の一喝に全員の視線が珠江に集まったあと、珠江の横の女性二人を経て鯨井に視線が集まる。

 仕方なさそうに頭をかきながら、あさっての方を向いて鯨井は真相を明かした。

「……彼女らは、俺の精子と柏木センセの卵子から生まれた、俺とセンセの子供たちだ。そして、センセの研究課題である、生殖による遺伝の解析と、遺伝子操作における遺伝への影響を解析するための協力者だ」

 鯨井の言葉に玲美は言葉にならない驚きから二人の女性を注視し、黒田と増井は刑事としての厳しい目を柏木珠江に向ける。

 しかし珠江と、珠江の横に並ぶ女性二人も穏やかな微笑をたたえて玲美たちを見返している。

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