拘束 ⑥
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明里新宮中央区画で幹部たちとの申し合わせを終えた智明は、その他の部署を回って三日間の無人化の段取りを確かめて回り、正午前には本宮に戻ってTシャツとジーンズに着替えてようやくソファーで寛げる状態になった。
本宮三階のリビングダイニングは締め切られていてエアコンの涼風で満たされているが、バイクの排気音が壁や窓を通って智明の耳に届き始めると、一気に二百台を超える騒音に膨れ上がりメンバーらの一時帰宅が始まったことを教えた。
「……もうそんな時間? ちょっと早いな」
リビングの壁に掛けられた大判の掛け時計を眺めて自問自答し、「まあいいか」と横に流した。
昨日吸収合併されることになったWSSと洲本走連は一晩だけのことだったろうが、淡路暴走団と空留橘頭は二週間近く新宮に泊まり込んでくれていたのだ。数分の勇み足くらい咎める方が野暮というものだ。
「帰ってたんや。何か飲む? もうお昼にする?」
「うん、昼ご飯にしよう。俺らもここを離れなきゃだし」
リビングダイニングへ入ってきた優里に問われて即答し、優里に手間を掛けさせまいと立ち上がって智明もキッチンへ向かう。
「ほな簡単なもので済ましてしまうね」
「ああ」
智明に腰を抱かれるようにしてキッチンへ促された優里は、くすぐったがりながらも微笑ってダイニングチェアーに掛けていたエプロンを引き寄せた。
智明は昼食の支度を手伝うつもりだったが、「サンドイッチだけだから」と優里に断られ、仕方なくグラスにお茶を注いでダイニングテーブルで待つことにする。
程なく、運ばれてきたサンドイッチを食べ終え食器を片付けると、ソファーへ移った智明の隣りに優里が腰掛けた。
「……すぐに行くん?」
アイスカフェオレを一口啜ってから尋ねた優里に答える。
「そうだな。服とか荷物が準備できてたらいつでもいいよ」
「……そう」
「心配なの?」
いまいち声のトーンが低い優里に思わず問うた。
すぐに優里は手を振って否定し、作り笑いで智明の問いを打ち消してくる。
「そんなことない。ただちょっと、そこまでせなあかんのかなって」
「まあね。俺も大袈裟なことしてると思うけど、せっかく『ユズリハの会』の皆が帰っちゃうんだし、昨夜のこともあるし。俺らがゆっくりするにも安心するためにも、一時的にここを離れるのは意味があると思うよ」
なるべく優里の不安を取り除こうと軽い調子で言葉を放ち、智明もアイスカフェオレを一口飲み下してから「今朝言ったまんまだよ」と付け足した。
川崎ら幹部に話す前に優里に説明し、優里も同意してくれていたはずのことを念押しした形になる。
「そうやけど……。でもモアの家、すっからかんやったんやで?」
「――らしいね」
一週間前に真が新宮に現れた際、空中で力を使い果たした優里が真に連れ去られ、その折に優里が智明の実家を透視したらしい。
その時の様子は智明も聞かされていて、優里の不安よりも大きな疑問や疑惑を抱いていた。
それは智明が山場俊一を情報部の筆頭にして使って秘密裏に両親の行方を調べてもらっているくらい気にかかっていることなのだが、まだ山場からは両親の行方や実家の不可解な点について納得の行く情報は得られていない。
「うちの両親がどうなったかも気になってるし、俺の部屋以外すっからかんなのも気になってるけど、それはそれで身を隠すには良い場所かなとも思うしね。あまり気にしないほうがいいよ」
智明は努めて笑顔を作り、グラスを置いてソファーの上を滑って優里の隣りに腰掛け、背中へ手を回した。
普段はシャンと伸びている優里の背中が丸まっていて、本当に不安を感じているのだなと強く思う。
「それにさ、昨日みたいな侵入とか暗殺みたいなことがあった時に、リリーを守れなかったり庇えない時もあるかもしれない。今はそれが一番怖いことだよ。ミライのこともあるし」
「ふふん。まだそんな時期やないよ」
調子に乗って優里のお腹にあてがった手を握り返し、優里はくすぐったがるように肩で智明を押し返してきた。
あれから優里も妊娠の勉強をしているのか、智明が何を心配しているのかを見透かしたようで、自分でもお腹をさするようにして安定していることを示してくる。
その様に安心して智明は優里の耳と頬の間に唇を寄せ、「守らなきゃだもん」と囁いて唇を押し当てた。
「ふふ、分かった。とりあえず三日間だけ新婚さんごっこしたらええんやろ?」
「そういうこと」
今度こそ照れて声を出して笑った優里は智明から体を離し、智明の提案を受け入れる返事をして目を閉じた。
改めて唇同士を重ねて愛情確認をし、ようやくいつもの背筋の伸びた優里に戻ったことを確かめて、智明は緩く彼女を抱きしめた。
「コーヒー飲んだら準備をしよう」
「うん」
こうして元気な笑顔を見せた優里の行動は早く、身の回りの物と三日分の着替えを鞄に詰めてしまえば早速静まり返った新宮を離れた。
瞬間移動で一瞬のうちに移動してしまうことも考えたが、「気分の問題」という優里の提案に従って七月の青空の中を飛行して西淡方面へと手を繋ぎ合って遊泳して帰る。
障壁で囲われた二人は風を切って夏空を飛んだが、智明の眼下に見え始めた瓦屋根の集落に旅行気分は芽生えず、それよりは『後回し』にしていた優里の記憶が不安となって心に影を落としていく。
――リリーのお陰で、俺は真を殺さずに済んだ。でも、もう一個の世界では俺は真を殺した――
この世界でも智明は何人かの命を奪っている。
しかしそれは見知らぬ他人で、なおかつ智明の明確な意思の元にそうなったわけではない。
力の暴走のせいと言ってしまうと巻き込んだ人々には申し訳ない気持ちが大きいが、真ほどの親しい人物を傷付けるということとは大きく異なる問題だ。
この三日間でこの件を優里と話し合わねばならないというのは、智明にとっては必要なことだが憂鬱なことでもある。
恐らく優里も同じ気持ちなのかもしれない。
そう思って繋いでいた手に力を込めると、優里も同じくらい強く握り返してきた。
ゆっくり、ゆっくりと眼下に迫るマンションの屋上へと降下していく。




