拘束 ⑤
眉間から鼻筋を伝う汗の気持ち悪さを我慢し、野元は城ヶ崎少年の返事を待った。
少年もまた耳の後ろから首を伝う汗に耐えるように、じっと野元を見返してくる。
「……協力なんて、何をしろっていうんスカ。俺なんかよりテツオさんや瀬名さんから聞いてるんでしょう?」
「聞いてはいる。だがそういうことじゃない」
長い沈黙の後に絞り出された少年の拒否の言葉を、野元はすぐさま否定した。
確かに本田鉄郎と瀬名隼人から取り引きを持ちかけられた際、HDが彼らの手元へと渡っただいたいのあらましは聞いていた。が、それと同時に一民間企業や一部の狂った研究者らの企てや謀ではないこともほのめかされており、事実野元はフランソワーズ・モリシャンと思しき人物の元へと赴いて聞き取りを行い、想像以上の闇が存在するのだと感じ取ってもいる。
ただ、城ヶ崎少年がそうした真相や情報を掴んでいるとは思ってはおらず、野元の口にした『協力』とはそうした意味ではない。
顎から首筋を伝い胸元とシャツの合間に流れていく汗を我慢しながら言葉を足す。
「HDを使用している君を自由気ままな元の生活へと戻してやることはできない。それは分かるな?
もし君を元の学生へと戻してやれる条件があるとするなら、君がその人間離れした力を悪事に使わないと誓い、このような企みを思い付いた者達を突き止めることに協力することだと思うのだ」
「なんで、そんな――」
「いいか、よく聞け」
言い逃れようとする少年を遮って野元は語気を強めて続ける。
「HDとは身体の強化だ。ということはそうした技術が必要なところで使われるという目的がある技術だ。
高橋智明は『トランスヒューマニズム』の話題を持ち出して、人間の寿命や病気や義手や義足を発展させた善行のように捉えていたが、それだけじゃない。
本田鉄郎が戦いの武器として我々自衛隊の目の前に差し出したということは、これは近未来的な戦闘や戦争や犯罪に使われることを連想させる。
もっと言えば、この技術はすでにフランソワーズ・モリシャンやその背後にいる組織によって日本中か、最悪世界中にばら撒かれた可能性もある。
この意味を、君は想像できるか?」
一気にまくし立てた野元に問われて少年は小さく首を振り、「わからない」と声を漏らす。
当たり前か、と力が抜ける気がしたが視線は少年を見据えたまま、野元は握り込んだ拳を少年の方に向けて答えを与えてやる。
「機械化された兵士や軍隊が組織され、戦争はより悲惨な形態に成り変わるんだ。いや戦争だけじゃない。犯罪やテロというものが凶悪化し、その被害は生身の人間が行うよりも凄惨で陰鬱なものになる」
「まさか」
城ヶ崎少年は野元の顔と拳を交互に見比べるようにして否定の言葉を呟いたが、野元はそれを許さなかった。
すでに二度、この少年はHDの力を使って戦いの場に立っているのだ。
「そんな否定はできないはずだ。君はもう、HDを使って戦っただろう。前科とは言わないが、前例を作ったじゃないか。
HDがH・Bくらい誰しもが手に入れられる状態になったならどうなる? そんな想像もできないわけじゃないだろう?」
「それは……まあ……」
野元の勢いに押される形で想像力を働かせたのか、少年は視線を落として答え小さく身震いした。
「しかしそれもHDが一般に普及すればの話だ。文化や文明というものが根付く過程には、それらが特異な環境で専門的な活用や利用が想定されて取り入れられ、その特性が一般向けに薄められてから世間へと出回るのが世の常だ。
無線機も、ロケットも、人工衛星も、ドローンも、元は軍事兵器からの転用なのだ。
H・Bもある種そうした一面を持つし、そうなればHDだってどういう過程を経て一般用になるか想像できるはずだ」
二〇六〇年代に起こったVICE事件は野元の記憶に鮮烈に残っており、孤児を集めH・B化の人体実験が行われたとされるこの事件では防衛大学校に所属していた野元も駆り出されたほどの大事件だった。
ただ明確な幕引きを見ないまま有耶無耶になったこの事件は年月が経った今でも野元の警戒心を刺激するもので、難病を患っていた娘の治療法にと勧められたナノマシン医療とも相まって、野元がHDに過敏になっているなど目の前の少年には想像もできないだろう。
だから、飛躍した野元の危険視に「まさか」と笑う少年は捨て置けなくなる。
「無人で攻撃が行える兵器が開発される目的や意図は中学生ならば分かるだろ? それと同じ理屈だよ。一人の人間が何人分もの働きが出来るのならば、その開発に時間や費用や命までかけるのが、経済や産業というものだ。
実際に君は戦場に立ったではないか」
「そんな! アレは!」
顔を上げ否定しようとした城ヶ崎真は、しかし野元の服装を見て絶句し、目を見開いたまま動きを止めた。
野元の理屈を覆せない事実に思い至ったのだろう。
一度目こそ暴走族たちの諍いだったとしても、二度目は自衛隊の先鋒として彼らは諭鶴羽山へ向かったのだ。承知の上でのバイクの大行列は今更否定できるはずはない。
野元はそんな少年に向かって背筋を正して座り直し告げる。
「あれすらも実験や試験だったとなれば、君は何を考えどんな行動をすべきだろうな?」
驚いた顔から悔しがるように歯を食いしばりギュッと表情をしかめた少年に続ける。
「そうした軍事利用や実験そのものをやめさせるべきではないか? それはつまり自衛隊に協力してHD開発の大元を暴くことではないか? 君が協力してくれるならとても助かるのだ」
野元の申し出に、少年は更に顔を歪めて視線をそらした。
大人気ない回り道だったが、少年に逃げ道や憂慮を与えてやることはできず、かつ断れない言い回しをしなければならなかったことは野元の失敗なのだが、それほどに野元の中にHDへの怒りと憎しみがあると言い換えられる。
むしろ自分の責任において以前のノムラマサオへの聞き取りよりも強く深い追求が必要と考えているくらいだ。
城ヶ崎真の存在がその一助になるならば、今この時に繋ぎ止めておかねばと思う。
「……分かりました」
「そうか。助かる」
少ない選択肢から了承を選んだ少年の答えに、野元は短く満足した。
「でも、バイクを家に持って帰る時間は下さい」
「……考慮しよう」
逸らしていた視線を野元に向けはっきりと嘆願した少年に、一拍おいて受け、野元は腕時計に視線を落とした。
時刻は正午より少し前。
「そろそろ昼になる。食事にしよう」
言い放って席から腰を浮かし、野元は少年の返事も聞かずに兵員輸送車の荷台から降りた。




