フライデーナイト ①
旧南あわじ市三原地区神代に置かれた国生警察仮設署では、三つの意見で睨み合いが続いていた。
夕刻、西淡地区湊里の貯水池に仮設署捜査一課の黒田と増井が到着した際、その場には七人の男女が居合わせた。
そのうちの六名が早朝に起こった中島病院の事件の被害者として聴取を受けた人物で、残る一人は再聴取しようとしていた医師の婚約者だった。
そもそも黒田たち仮設署の刑事が湊里の貯水池に赴いたのは、中島病院強盗事件の関連事案であろう、謎の閃光と爆発音の被害を追った結果だった。
「あそこで何をしてたんや?」
そう問うた黒田に対し、少年三人と看護師はこう答えた。
「真があそこで釣りをしてたら、足を滑らせてケガしたって言うから、助けに行っただけです」
確かにその言葉通りに、城ヶ崎真は顔や手に擦り傷や打撲が認められた。
もう一方の医師二人と関係者はこう答えた。
「神戸の知り合いの所へ向かうついでに、うちの看護師を送っていたら、彼氏から手助けが欲しいと連絡が来たのであそこに寄った」
確かに看護師・赤坂恭子と金髪のバイク少年・紀夫は交際していることを認めている。
だが、これらに続く言葉が黒田の気に食わない。
「真を医者に見せたいから早く帰らせてくれ」
「神戸の知り合いとの約束に遅れるから早く解放してくれ」
と、こんな調子で二時間近く睨み合っているのだ。
「もうちょっと建設的な話をできまへんかね。こっちは別にあんたらを疑っとるわけでも、捕まえようっちゅうわけでもないんやわ。ただ七人中六人が朝の事件にも夕方の事案にも関わっとるのが不思議でしゃあない。それだけなんやわ」
最初は高圧的に問いただしていた黒田も、時間が経つにつれ彼らは何の犯罪も犯していないことが分かってきたので、後は自分の中で曇っている疑問を晴らすことだけに固執していた。
「そら偶然としか言えんわ。俺らだって赤坂ちゃんがまさか年下のバイカーと付き合ってるなんて、今日初めて知ったんやもん」
左足にギブスを巻いた鯨井医師が肩をすくめながら言った。
それに合わせるようにスキンヘッドのバイク少年・田尻が口を開く。
「そうそう。偶然偶然。俺らはなんもやましいことないのに、一日に二回も警察と関わってうんざりしてんだわ。医者も行かなきゃだし、ついでにお祓いも行くから、早く帰らせてくれよ」
斜に構え腰に手を当てて悪ぶる田尻に、黒田はむしろ怪しさを感じるのだが、強く攻めるためのパーツが無いためにイライラが募る。
「……黒田さん、さすがにそろそろ……」
貧乏ゆすりを始めた黒田に、増井は口添えをして時計を示す。
彼らを仮設署まで引き込めたのはあくまで『任意』の範囲だ。明らかな容疑や痕跡もなく長々と拘束することは出来ない。加えて、真・紀夫・田尻の三人は未成年者だ。これ以上拘束してしまうと深夜徘徊にかかる時間になってしまう。
「…………はあ。分かった。とりあえず時間も遅いことだし、少年三人と看護師さんは帰ってもらって結構です。ただし! 今朝の事件も夕方の事案も、捜査中のものなので他言無用に願いたい。それと、どこで何がどう繋がるか分からないので、後日改めてお話を伺う場合もあります。その際は協力的な対応をお願いしたい。よろしいかな?」
「……分かりました。皆も大丈夫よね?」
「うーっす」
少年たちが口をつぐんだままなので赤坂恭子が代表して了解の旨を示し、追従する形で少年たちも一応の返事はした。
そこまで確かめてから増井がドアを開け、恭子が紀夫を引っ張るように連れ出し、真がそれに続いた。
「ん? どうした?」
「今度会ったら、ゆっくり話そうや」
「ああ、分かった」
最後に出口に向かった田尻は、鯨井医師に一瞥を向けてから退室した。
「彼と何かあったの?」
「いや別に」
播磨玲美の問いを濁して、鯨井は黒田を見やる。
「俺らはまだ居なきゃいけないんか?」
「ああ。あんたらには別の事を聞きたいんだ」
高圧的な態度に戻った黒田に、鯨井は『そら来た!』と身構えた。
「ほう。なんでっしゃろな」
「鯨井孝一郎先生と、播磨玲美先生に間違いありませんな?」
パイプ椅子に大股開きで座りヤクザが凄むような格好で問いかけてくる黒田に、鯨井と玲美は顔を見合わせてからうなずく。
「いかにも。それで?」
「今朝の事件の折りに、MRIの検査用ベッドから肉片や血液を採取されたとか?」
「朝の聴取でお話したとおりです。それが何か?」
鯨井は手術を受け眠っていたので、玲美が代わって答えた。
「なぜ、そんなことを?」
まるで刑事ドラマの台本のような黒田の物言いに、鯨井は軽く笑ってから答える。
「必要だと思ったからだ。おかしいですかな?」
「おかしいな。かなりおかしい。お互い子供じゃないから推理小説や刑事ドラマくらい見たことがあるでしょう? 事件現場を荒らしてはいけない。身内が被害にあって取り乱したとか、探偵気取りで警察の捜査に口を挟もうというのなら分からなくもない。だが、あの部屋に入って何かを採取する動機は全く別物だ。違うか?」
「警察の方でも採取はされたんでしょう?」
「もちろん。だからといって現場に居た医者も採取していいという話にはならない」
玲美の問いを一蹴して黒田は立ち上がった。
「なぜ、そうしようと思ったか。あんたらが犯人だとか、関わりがあると言ってるんじゃない。理由が知りたいだけだ」
厳しい目で鯨井と玲美を見つめる黒田に、玲美は激しく戸惑い鯨井を見た。
全ては鯨井の指示であったし、その後の鯨井の考察は正しいと信じている。だがこの局面で玲美が余計な口出しをしていいのかの判断は出来ないでいるからだ。
「……刑事さん。あんた、分かってるんやないか? ただ、真実を信じたくないから自分の口で言わなくていいようにしたいだけやろ」
腕組みをして足も組んで言ってやりたかったが、ギブスで足が組めないので、鯨井は腕組みだけで我慢して言ってやった。
「そう、思うか?」
「ああ。俺も言いたくないからな」
鯨井の返答に黒田はあからさまに顔をしかめさせた。
「……アレは何なんだ? とても人と思えない。怪物か? バケモンか?」
しばらくの沈黙のあとひどく動揺した様子で、黒田は数時間の間わだかまっていた疑念を吐露した。
今度は鯨井が沈黙しどう答えるかを迷った挙げ句、率直な考えを示すことにした。
「……俺にも分からん。だから調べるための材料を採取した。それ以上の理由は、ない」
鯨井の返事に、黒田は一瞬カッ!と表情を強張らせたが、心を落ち着けて問い直す。
「調べる、と言ったか? 警察でも調査は出来る。なんで一個人の医者が調べる必要がある? そんなことはこっちの領分だろ」
「んな馬鹿な。警察にレントゲンがあるか? MRIがあるか? ゲノム解析ができるか? せいぜいが指紋や掌紋の照合とか、顕微鏡のぞくくらいやろ。医学や科学に関わる専門的な調査や検証は、そういうとこに出してるはずや」
「レントゲンはあるぞ。その他は、まあ、そのとおりだが……。それでも警察に関係する検査は警察の領分だ。それは変わらん」
「…………本気で言うてるんか?」
互いにヒートアップしてきた論議を、鯨井が長く間を取ることで落ち着かせて聞く。
真っ直ぐに射抜く鯨井の視線に、黒田はわずかな逡巡を見せたあとに、うなだれて答える。
「……なるほど。確かに上層部や外の機関から秘匿された事例は、ある」
また間を開け、鯨井に背を向けて黒田は弱々しい声で問う。
「あんた、今回のアレがそういうレベルやと思っとるんか?」
さすがに話についていけなくなった美保が、鯨井の表情を覗き込むようにした。
「国が発表できないような異常事態か、国が公表したくない事実があるのか。……どちらにせよ、そうなったら真実は二度と明るみに出ないし、掘り出したところで意味をなさない」
鯨井の言葉で美保は夕方の研究室での話を思い出していた。
「無論、俺が勝手に調べて何かを解き明かしたところで、それも意味は無いんだけどな」
「それはこっちも同じやな」
鯨井に向き直った黒田は、力なくパイプ椅子に座り直して続ける。
「……あんたと俺の予想通りやったら、恐らく今日の何件かの事件は迷宮入りか捜査中止で終わる。下手をすると警察では手に負えない事態に発展して、真相なんかどうでもよくなってしまうかもしれん」
黒田の打ちひしがれた言葉に、遠くで小さく増井が黒田の名をつぶやいた。
「それでも、あんたは調べるんやな?」
「ああ。俺が立ち会った限りは俺がやらないかんと思ってる」
鯨井の明確な返答に、黒田は貧乏ゆすりを始め膝をトントンと叩く。
「……で、次の行き先が神戸なんか?」
「神戸に遺伝子解析を専門にやってる知り合いがおる。脳や体の変化は充分に調べた。次は遺伝子や」
鯨井の正直な回答に玲美は慌てたが、鯨井を信じて口はつぐんだ。
「よし、分かった。神戸まで同道させてもらう。増井、車の用意と手続きを頼む」
「神戸ですか? いいんですか?」
増井は管轄を複数跨いでしまうことを懸念した。
「犯人検挙で神戸まで行くんやない。専門家に意見を聞きに行くだけや。俺とお前が車乗って一時的に担当部署を離れる。それだけや」
黒田の思い切りの良さに鯨井はニヤリと笑った。
「これで飯代とホテル代も出たら、もっと仲良くできるんやがな」
「アホ言うな」
黒田は鯨井に思いっきり苦々しい顔を見せて付け加える。
「神戸までのガソリン代は実費なんやぞ。庶民が思うより警察は貧乏なんだよ」