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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第二章 明里新宮
33/485

初動 ④

   ※


 淡路島の南東部から南部一帯にそびえる諭鶴羽山地は、古くは枕草子の一節にも読まれるほど歴史と由緒のある名所である。

 中腹から上層にアカガシやタブノキの群生地を擁し、南部に広がるスイセンの群生地は観光地としても有名をはせている。

 もっとも近年では今上(きんじょう)天皇居所が築かれるために諭鶴羽山一帯は特別保護区となり、山頂付近の諭鶴羽神社参拝と灘黒岩水仙郷・淡路島モンキーセンターなどへの観光、諭鶴羽ダム・牛内ダム・大日川ダムなどの管理以外での入山は制限されている。


「近付いてみるとホンマに広いね」

 午後から降り始めた雨はすっかりと上がり、今は薄っすらと指す西日に照らされ、新しい皇居は神々しさを感じさせる。

 大日川ダムと牛内ダムの中間あたりをやや上ったあたりを切り開かれた山肌に、階段状に整えられた敷地は高い塀で囲われ、周囲の山林とは別世界と言わんばかりの堅牢で厳かな建物が並んでいる。

 高空から見下ろすと三つの区画に分かれているようで、手前の巨大な正門を通ると立派な造園と広場が設けられて中門でまた区切られ、中門から本殿へと大路が伸びその大路の左右にオフィスビルやマンションのような建物がいくつか建てられている。恐らく宮内庁関係者の執務室や詰め所、式典などを行う会場、他国からの国賓や政府関係者を迎える迎賓館、警備や車列を担う関係部署の建物なのだろう。

 本殿の直前には再び中門が設けられ、敷地の最奥に三階建ての広大な本殿が築かれている。


「誰もいないと助かるんだけど」

「壊したり怖いことしたらアカンよ」

「……もちろんだ」

 ゆっくりと降下していきながら、智明は優里の注意を噛みしめるようにうなずいた。

 一瞬だけ中島(ちゅうとう)病院での脱出劇やリニア線高架下の一件を思い出したが、どちらも智明が望んで引き起こした事件ではない。理性がない状態で生き延びようと足掻いた結果だ、と智明は自身に言い聞かせた。

 本殿の正面玄関の前にふわりと着地した二人は、まずその巨大な扉に驚いた。

 大人五人が横並びで通れるほどの二枚扉で、高さも自分達の背の倍ほどはある。

「すげーな」

「ホンマにここに入るん? 開かへんのちゃう?」

 扉の大きさ同様に取っ手付近も大仰な作りで、智明も優里も圧倒されてしまった。

「……本来は電動で開閉するみたいだな」

 扉のアチコチを見回してから智明は断じた。

 取っ手付近の施錠装置らしきものの重厚さや、扉脇のスライドレールでそう判断したようだ。

「電気は、まだ通ってないみたいだな」

「そんなことも分かるん?」

「俺、飛べるんだぜ? 透視も出来ると思わないか?」

「ウソ!? へ、変なとこ見んといてな!」

 優里は胸元と下腹部を押さえて智明から二歩ほど後ずさる。

「今更そんなゲスなことしないって。それに透視で通電してるかどうかは分からないよ。電線が来てないからそう思っただけだから」

「ああ、そうなんや」

 笑いながら真相を話した智明に、優里は警戒を解いて胸をなでおろす。

「リリーが白の上下で揃えてるのは部屋に行く前に知ってたしな」

「モアのアホ! エッチ!」

 恥ずかしさのあまり優里は全力で智明の頭をしばいておく。

「いてて。冗談だってば。とりあえず、これ開けるよ」

「今度いらんこと言うたら、私帰るからな!」

 智明が優里の下着の色を覗き見たのが冗談でないことは、優里が一番よく分かっていたので、智明に本気の注意をしておく。

「分かったよ。……んっ! っしょ!」

 それでも優里がすぐに立ち去らないことに安堵しながら、智明は巨大な扉の取っ手に手を掛け、体重をかけてスライドさせていく。

 能力を使わなかったことを不思議に思いながら、優里は人が通れるほどに開いた扉の中を覗き込む。

「……こんにちは。ごめんください」

「律儀だな。この辺は誰も居ないよ」

 ささやき声ながら誰ともなしに侵入を詫びた優里に苦笑しながら、今度こそ透視の力で人が居ないことを確かめて智明は優里を中へ押しやった。

「だってぇ」

「まあ、リリーのそういうとこが好きなんだけどな」

「もう」

 抗弁しかけた優里は、急な智明のラブコメにはにかみながら智明の胸を押した。

 智明は優里に微笑みかけ、外の様子を警戒しながら大扉を閉じ、玄関ホールへ目を移す。

「なんか、スゴイな」

「お金持ちの豪邸みたいやね」


 広く取られた玄関ホールは吹き抜けで三階の高さに天井があり、左右の壁には等間隔に同じ数だけ扉が並び、壁面には額に入れられた巨大な絵画がいくつも掛けられている。

 ホール奥の中央には天井から床までを貫く太い柱がそそり立ち、その柱を中心に湾曲した階段が左右に設けられてい、階段を上がった先はバルコニー様に通路が渡されている。

 外観が屋根瓦の和風な趣きなのに対し、内装はシンメトリーを模した西洋風の様式であったため、二人は圧倒されてしまった。


「これは……国生み神話からとってるのかな?」

「ああ、そういうこと? じゃあ、壁にかかってる絵もそういうことやんね」

 玄関ホール中央の柱に浮き彫りにされている矛を見て、智明はイザナギ・イザナミによって日本列島が産み落とされたという国生み神話を想起した。

 よく見れば柱の台座が一段高くしつらえられていて、複雑に型どられた台座は淡路島と沼島(ぬしま)が彫刻されている。

つまりは天井から床までを貫いている柱を『(あめ)御柱(みはしら)』に見立て、その台座を『オノコロ島』、柱に浮き彫りにされている矛を『(あめ)沼矛(ぬぼこ)』に見立てているというわけだ。

 その想起を受けて優里が示した絵画は、古事記に記された国生み神話と神生み神話だと理解できた。


 現在でも淡路島の各所には国生み神話を語り継ぐ名所や旧跡は数多く存在し、学校の社会の時間に教師がそれらに触れることも少なくない。

 ことに、淡路島に遷都が決定し、南あわじ市と洲本市を合併して国生市こくしょうしと改めてからは、教師達も国生み神話に積極的に触れるようになった。

 そもそもの『国生(こくしょう)』が国生み神話から取ったものであるし、新都として住民に愛着や尊厳を持ってもらうためにはこうした意識付けから行わなければ『みやこ』というものは定着しないという考えもあった。

 そういった背景があったため、義務教育を終えていない智明と優里でも、国生み神話の一節、特に冒頭のイザナギ・イザナミが下界に下り立ち結ばれて国を生む流れは知識として知っている。


 音一つない広大な空間で周囲を見回したあと、智明と優里は目を合わせ、どちらからともなく手を繋ぎ合って天の御柱まで歩んでいく。

「……ちょっと、悪趣味やね」

下賤(げせん)というと下衆の勘ぐりだし、高尚(こうしょう)というと貴族になるのかな? でも右が男用で、左が女用ってことだよな」

 柱の左右に設けられた階段の一段目は広めに作られてい、右の階段には男根が浮き彫りにされ、左の階段には女陰が浮き彫りにされている。ご丁寧に周辺は白大理石と黒御影石で色分けもされている。

「そうなん?」

「うん。確か、イザナギとイザナミが国生みで結ばれる時に、天の御柱をイザナギは左回りに回ってイザナミは右回りに回って、出会った所で愛の言葉を口にして結ばれたはずだよ。ほら、階段を上がった所にそれぞれの絵が掛けてある」

 智明が促すと優里が目線を上げる。

 そこには一際大きな絵が一組掛けられてい、右にヒゲを蓄えた男神(おがみ)が、左に長い髪を結った女神(めがみ)が描かれた絵画が掛けられていた。

「結構、大掛かりな内装やね。天皇さんってそんなに国生み神話に関わりあったっけ」

「えっとね、一応『古事記』とかではイザナギ・イザナミの神生みから生まれたアマテラスさんが、天皇家の祖先ってことになってるらしいからね。あとはもう淡路島で国生市だからって意味が強いんじゃないかな」

「ふうん。国生みの一節は言い回しがオシャレだから好きやったけど、その後ってどこかおどろおどろしくて好きじゃないんよなぁ」

「まあ、基本古語だからな」

 そういう智明もスサノオがヤマタノオロチを討伐する辺りまでは物語を追ったことがあるが、その後は有名なエピソードをいくつか読んだだけで、他は読み飛ばしたクチだ。

「ぷっ。成り成りてなり余るところあり、か」

「もう! 笑いながら言ったらただのスケベやんか。雰囲気が大事なんは『古事記』に書いてあったやろ」

「そうだった。んじゃ、こっちから上がって行って俺から声をかけるからな?」

「えへへ。でもその後でベッド探さなきゃやんね」

「お、おお。そうだな」

 照れ隠しで笑う優里の方が積極的な気がして一瞬智明は動揺したが、手を離してそれぞれの階段の一段目に立ち、うなずきかけて同じリズムで階段を上がって行く。


 互いに目線を合わせながら手摺りを頼りに階段を上りきり、どこかで見た結婚式の要領で一歩ずつ歩調を合わせながら厳かに近寄る。

 手を伸ばせば届く近さになって智明は歩みを止め、優里に右手を差し伸べて口を開く。

「優里。ずっと好きでした。これからずっと側にいて欲しい」

 智明の手に自らの手を重ねて優里が返す。

「ありがとう。私も智明が好きでした。こんな私やけど側にいさせてね」

 優里の返事を待ってから、智明は優里を抱き寄せて口付けを交わす。

 唇を離すとどちらからともなく照れ笑いを浮かべ、手を繋いで奥に伸びる通路へ向く。

「この奥から三階に上がったら寝室があると思う」

「うん」

 敷かれたばかりの絨毯の感触がそのまま優里の気分を表しているように、少し弾むような足取りで奥の部屋へ進む。


 智明の予想通り、通路を抜けてすぐは待ち合いロビーのような広間になっていて、奇麗な装飾が施された柱の周りに車座のソファーが設えられていたり、壁際にはベンチや花台や飾り棚も設けられ、何より正面に広く取られた窓からは諭鶴羽山の自然が目一杯に見ることが出来た。

「スゴイなぁ。三ツ星のスイートルームもこんなんなんかな」

「これを日常的に見る生活って、スゴイとしか言えないな」

 まだまだ経験不足の十代でも壮大で贅沢な景色を目の当たりにしたことだけは分かった。

 いくつか部屋を回っているうちに、日が落ちてきたのか暗くなり始めたので試しに電灯を点けてみると、すんなりと明かりが灯った。

「電気来てるね」

「……なるほど。どうやらここだけ独立した発電機から電気引いてるみたいだな」

「そうなん? あ、そっか。テロとか防犯てことか」

「そういうことみたいだな」

 一般家庭のように電線伝いに電力会社から供給される電力を得ていては、居所の防犯や管理を阻害されたりテロの標的になった際の危険度が考慮され、近隣のダムと山頂の風力などから独自の送電を得ているようだった。

 地上に電線が見当たらなかったのは、こういった対策のためということも智明の透視で予想できた。

 予想外のラッキーは続けて起こり、階段を上った三階にはあらかたの家具が揃っており、その全ての触り心地や感触が優里を有頂天にしていった。

 一部の家具はビニールが被ったままだったり、傷防止のナイロンが貼られていたが、造り付けと思われる主寝室のベッドのマットレスの包装は解かれていた。

「おいおい。あんまりはしゃぐと落ちちゃうぞ」

「だーいじょーぶー! キャッ!」

「おっとととっと! いわんこっちゃない」

「へへへ」

 ベッド上で飛び跳ねていた優里が、目測を誤って智明の方へ飛び込む格好で跳ねてきたので、智明は慌てて優里を抱きとめた。

「そんなにはしゃいでるの、久しぶりに見たな」

「だって、彼氏ができたんやもん」

「なるほど。俺と一緒だな」

「うん? モア、なんもはしゃいでないやん」

 ソファーやベッドで飛び跳ねていた優里に対し、智明は部屋の真ん中でその優里の姿を見ているだけに見えた。

「そんなことはないよ。……ちょっとドキドキソワソワしてる」

 そう言いながら股間のあたりをモゾモゾとまさぐる。

「! ……待ちきれへんの?」

 お腹に当たった感触で全てを察した優里は、上目遣いに智明を見た。

「いや、リリーの準備ができてからでいいよ。ほら、初めては痛いとか聞くし」

「ああ、うん。……じゃあ、ご飯食べてからにしようか。実はお腹ペコペコやねん」

「あっはっはっ! 実は俺もだ」

 ひとしきり二人で笑ってから、一度キッチンへ戻って食べ物を物色したが何も見つからず、仕方なく智明は自宅からインスタントラーメンを転送で取り寄せて、大豪邸で質素な夜食を摂った。


「このへんは全く考えてなかったな」

「そらそうや。私らまだ中三やもん。ツメは甘いんが当たり前やん」

 それでも笑って話してくれる優里に和みつつ、智明は優里を連れて主寝室へ戻る。

 六月という気候が二人に味方したのか、邸内の明かりを消しても窓から入る外界の明かりで互いの顔はなんとか分かるし、ベッドシーツがなくとも一夜を過ごせそうだった。

「リリー」

「うん」

 ベッドに横たわった二人にそれ以上の言葉は不要で、絶えず口付けを交わしながら服を脱ぎ、互いの体を確かめ合うように愛撫し、体の隅々まで口付けた。

「ああ……うん……。モア、好き」

「リリー。大好きだよ。ヤベ、気持ちよすぎ」

「うん。気持ちいい」

 初体験同士の小さなハプニングはありつつも、二人を邪魔するものもなく望んだ通りに行為を進め、どこで何をしているかといった観念は忘れ去られ、若い二人の営みは時間も忘れて続けられた。

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