初動 ①
「黒田さん! どこ行くんですか!」
「ションベンくらいかまへんやろが! どのみち電話回線はパンクしとるし、電話つながらへんかったらメールが溢れてサーバーダウンするだっきゃろが」
黙って退室しようとした黒田を呼び止めた増井の表情も切迫していたが、増井を怒鳴り返した黒田もギリギリの表情だった。
国生警察仮設署は既存の空きビルを買い取った間に合わせなので、防音設備も大味で隣室との壁も薄い。110番は別の拠点で統括されて各地域所轄に連絡が下るようになっているが、110番で受け付けられない場合は署内に複数ある一般回線にも通報が集中してしまう。
今朝の中島病院の騒動は病院関係者からの通報だけだったが、直後から奇々怪々な通報が相次ぎ、あっという間に110番は不通となって、昼を待たずに仮設署の全回線もストップしてしまった。
やれ化物が通り過ぎただの、突風で窓ガラスが割れただの、奇妙な咆哮がして気持ち悪いだの、工事中の現場が原因不明の倒壊にあっただの、とりとめのない通報が間を開けずに山ほど寄せられたからだ。
関連があるかどうかハッキリしていないが、リニア線の高架下で変死体を発見したという通報を確認に行った巡査二人が、その死体に圧殺されたという再通報もあり、事態の収集に駐在から交通課や公安まで動員してなんとか対処にあたってきた。
そのかいあってか、午後三時を過ぎて署内の回線も復旧し、110番も通常運転に戻った。
やれやれと遅い昼食や休憩に取り掛かった午後四時過ぎ。
今度は原因不明の閃光が瞬き半径五キロ圏内から爆発音が聞こえたという通報で再び回線がパンクした。雨中にも関わらず数キロ離れていても目を焼くような強い光だったことと、石油備蓄基地が爆発したか火山の噴火かというほどの爆音が数キロに渡って轟いたために、交通事故が各所で発生したり家屋の損壊も多く、何より光と音という誰でもが体感できる異常は人々の不安を煽り、遭遇した人数が膨大であるために通報が集中してしまった。
電話回線がダメならとメールも山ほど送りつけられ、淡路島に割り当てられていたサーバーは秒でダウンしてしまっていた。
そうなると今度は直接進言に向かってしまうのが人の心理で、仮設署の正面玄関は警官と住民との押し合いの真っ最中だ。
「ったく! 忙しい時に余計な手を煩わせているとか考えんのか!」
黒田は小便器にツバを吐きつつ鬱憤を晴らし、手を洗ってから最上階の奥の喫煙室へ逃げ込む。
当初は建物の裏口に設けられていた喫煙所だったが、年々高まる嫌煙運動の賜物で、公務員の喫煙が人目に触れると激しく批判される時代なのを考慮し、四階の奥の物置を整理してそちらへと移された。
とはいえ、黒田もヘビースモーカーというほどの愛煙家ではなく、捜査中や職務中に喫煙室に滞在することは少ない。
よほど集中したい時かリラックスしたい時にしか利用しない。
「件数が多くてまとめきらんが、午前中の奇っ怪な突風やら遠吠えみたいなもんは、中島病院から一直線にリニアの高架下まで線を引けるな。
病院の破壊跡を見たら、高架下で巡査二人が柱にめり込むほどの衝撃で殺されとったんも、おんなじ奴の仕業やと考えてもええやろ」
先程まで自分のデスクでまとめていたデータを検分しながら、二本目のタバコを取り出す。
「気になるんは、病院関係者が目にしたマル疑と高架下のマル疑の証言が合わんこっちゃな。どっちも身長は一六〇センチから一六五センチやけど、病院の方は骨とか内蔵とかが露出しとって全身が血で濡れとるのに、高架下の方は人形か宇宙人みたいに真っ白けの肌やっちゅうねやからなぁ……。二時間か三時間で素肌とか皮膚を着たみたいに印象がちゃうなぁ」
タバコに火を着け一息つく。
「素っ裸で暴れ回るんやさかい、ええ趣味とは言えんしな」
黒田は煙を吐きながら、午前中の一件のデータを横に流して、今度は夕方の一件を呼び出す。
「……キーポイントはここやな」
まずは脳内に旧南あわじ市西淡地区の地図二枚を据え置き、左側に閃光に関する通報者の目撃箇所を赤い点でポイントし、右側に爆音に関する通報者の目撃箇所を青い点でポイントする。
二つの地図に描き出されたのはとても相似していて、西淡地区から三原地区、さらには五色地区と南淡地区の一部にまで同心円状に点描されている。
黒田は国生警察仮設署の刑事なので、本来ならば仮設署の担当区域から寄せられた通報のデータしか閲覧できないし、情報として持つことはできない。夕方の閃光と爆音に関係する通報の大部分は南あわじ署の管轄になる。
しかし、三原地区神代に置かれた仮設署でも閃光と爆音を感知した者はたくさん居て、黒田は即座に緊急通報統括センターに連絡をとって、回線がパンクする前に光と音に関する通報のデータをすべて仮設署にも同期してもらえるように要請していた。
結果黒田の予想以上の通報が集まってしまって、統括センターが通常より早く電話回線とサーバーが落ちてしまったのだが、捜査の的を絞る検分には充分すぎるデータが集まっていた。
「ホンマは広域の案件やよってん、合同捜査の手続きせなあかんとこやけど、そこが仮設の脇の甘さじょの」
とても現役刑事のセリフとは思えない独り言を言いながらタバコを消し、二つの地図に描かれた赤と青のドーナツの中心をメモリーしておく。
「確か、高橋智明の付き添いで、西淡湊に住んでる男と西路に住んでる女がおったはずや」
脳内の地図をまた横に流して、ここから先は増井が持っているデータに頼らなければならないので、黒田は立ち上がって喫煙所を出る。
「ちょっとめんどくさなってきたな」
ズボンのポケットに両手を突っ込みながら黒田は階段を駆け下り、H・Bで車の手配を行った。