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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第十章 独立戦線/防衛派遣
299/485

覚悟の夜/決意の夜 ④

   ※


「何か飲む?」

「酒、ある?」

「そうね……。ビールにワイン。焼酎に、日本酒に、ジンとウィスキーがあったかな」

「じゃあウィスキー」

「……はい」


 梓はベッドから起き上がるとベッドサイドに落としたままにしていたバスタオルを拾い上げ、豊かな胸とお尻を辛うじて包み込んでキッチンへ向かう。

 普段の雄馬なら梓と二人きりの時にアルコールを飲むことはない。それが今夜はウィスキーを希望したことに驚きつつ、グラスを二つ用意して冷凍庫から取り出したロックアイスを転がす。


 大学卒業後に入社した雑誌社で雄馬と出会い、年に数回程度は大勢で飲んだりこうした密会を重ねてきたが、あまり酒に強くない雄馬が梓の前で酒を飲むということは密会の終了を告げたようなものだからだ。


『女性の前で酒に酔ってはいけない』との姉からの躾のせいだそうだが、梓の流儀を邪魔しているのは雄馬の姉高田舞彩そのものであることが歯がゆい。


 男好きする幼い顔と甘く絡みつくような声音、男の目を引くグラマラスなスタイルときめ細かく触り心地の良い肌は、男に酒を飲ませることですぐに虜にする自信がある。

 この天から与えられた容姿に積み重ねて鍛えぬいたテクニックで落ちなかった男はおらず、梓の思い通りの人生を送って来ることができた。


 ただ一つ、高田雄馬だけが手に入らない。


 今夜も雄馬に『抱かれている』が、梓の流儀からすれば『抱きたい女だから抱いた』とならなければならないので完全な負けなのだ。

『抱きたい女だと思わせる』ことで『抱かせる』のは気分がいい。しかし今夜もやはり雄馬は『抱くだけ』なのだ。


「ベッドで飲む? こっちで飲む?」

「いや、そっちに行く」


 乱れた髪型もそのままに、体を起こした雄馬はベッドサイドのバスタオルの下から下着を引っ張り出して足を通し、重い足取りでダイニングテーブルまで歩み寄り腰掛けた。


「今日は、タンパクね。まだ時間はあるでしょう?」

「……飲みたくなっただけだ」


 ツーフィンガーを舌先を濡らす程度に含んで苦々しく応えた雄馬に梓は少しホッとする。

 普段の雄馬なら()()()がなくなっていれば友達同士の馴れあった口調に変わるはずで、ぞんざいな口調のうちは()()()()()()()()()と思える。

 仕事中や姉の居る場では大人しく丁寧で几帳面な雄馬は、親しい友人や仲間の前ではそうした堅さが緩んでなあなあになり、梓と二人きりになると野生的でぞんざいになる。

 これが梓だけに見せる雄馬の本性であるならば、梓としては『勝ち』なのだが、どうもそうではないから『負け』ていると感じる。

 こんな主従関係のようなセックスを重ねてはや五年。

 雄馬の口から好意やそれに類する言葉が出ないことも梓の不満なところだ。


「私にいけないところがあったのかな」

「それならその場で叱ってる。つまらないことを気にするな」

「私だけにそうしてくれるなら、それでいいけど……」

「当たり前だろ。俺はお前にとって最高の男にならなきゃいけない。だから、お前を最高の女にしていかなきゃいけない。俺は他の女を抱かないし、お前が誰かに抱かれてるのも干渉しない。何度も話し合ってきたことだ」

「……そうでした。ごめんなさい」


 これは雄馬の性癖かトラウマであろうと梓は分析しているから、理屈の通らない理論でも雄馬が梓を求める限りはすぐに謝ってしまえる。

 正直、雄馬が梓との関係について何かしらのゴールを目指していることは分かるが、例えばそれが結婚であったとして、その過程に梓が他所の男を弄ぶ行程が含まれている意味は分からない。

 雄馬の言う『話し合い』も雄馬の決めた一方的なルールでしかない。

 梓はセックスに対して神聖視はなく貞操が強いわけではない。波長があったり目的や手段のために多くの男達とベッドに入ってきた。

 しかしその最中の心情は雄馬への恋慕に置き換える作業しかなかった。

 その雄馬は『他の女は抱かない』と宣言してくれるが、他の男に抱かれながら信じ通すには梓には燃料が足りない。


「ベッドへ行こう。やっぱりまだ足りない」

「はい」


 我知らず沈んだ表情をしてしまっていたのか、雄馬の指示が出て梓は席を立ち、バスタオルを床に落としてベッドに横になる。

 雄馬はグラスに残ったウィスキーを二息で飲み干し、胸を焼く痛みに耐え飲み下せなかったアルコールの熱を吐き出すように唸ってからベッドに戻ってくる。


「ングッ」


 雄馬は立ち止まらずに歩いてきた勢いのまま梓に覆い被さり、前触れなく舌を差し込んで吸い付きながら下着をベッドサイドに落とした。


「……ユウマ」

「もうすぐ俺は姉さんの呪縛から抜け出せる。そしたらこんな酷いこともしなくてよくなる。もう少しの我慢だから、付き合ってくれな」


 少しだけ。ほんの少しだけ友達のように話した雄馬の本音に驚いて答えられないうちに、また雄馬は梓の唇を塞いで梓の体をめちゃめちゃに貪り始める。


 二人で居る時は仕事の話も姉の話も嫌がる雄馬が、梓と体を重ねている最中に舞彩の事を口にするのは初めてのことだった。

 何が雄馬を縛り付け、どんな呪縛が雄馬をこんな状態にしてしまったのかはやはり梓には分からない。

 しかし今回の雄馬の仕事が雄馬の人格に影響し、梓と雄馬の将来について関わりがあるのならば、雄馬の好きにさせてやらねばと思える。

 梓が雄馬の変化を欲するように、雄馬もまた自分を変化させようとしているのではと期待できるからだ。


 それが実現できた時こそこの恋愛レースは梓の勝ちとなり、五年も拘った男を『落とした』と自負出来る。

 ならば気遣いなく突き込まれる欲望も快楽として吸い取ってやろうと思えてくる。

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