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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第十章 独立戦線/防衛派遣
297/485

覚悟の夜/決意の夜 ②

   ※


 とっくに日付けが変わり、本来ならばリーダーであるテツオの言いつけどおりに寝ていなければならない時間だが、星明りに薄っすら波飛沫が打ち寄せる砂浜に田尻は一人で座り込んでタバコをふかしていた。

 西を向いた慶野の砂浜からはそれなりにたくさんの星が見えたが、星座や宇宙に詳しくない田尻には単純に星空があるだけに等しい。

 むしろ頭の中が空っぽで波の音と少し肌に優しい風の通り過ぎる感触を感じているだけの時間だ。


「……誰か居るのか?」

「紀夫か」

「なんだ田尻か」


 砂を踏む足音の後に聞こえた声に答えるとガッカリしたようなことを言われ、思わず「お互い様だ」と返す。

 紀夫は星明りと田尻のタバコの火種で目算をつけたようで、田尻の手が届くか届かないかの間隔を開けて腰を下ろしたようだ。


「こんな時間に何しに来たんだよ?」

「お前こそ何してたんだよ?」

「……眠れなかっただけだよ」


 質問に質問で返されて素直に答えたのに紀夫からのリアクションがない。

 面倒だが友達のよしみで聞いてやるしかない。


「お前は?」

「眠れなかったんだよ。言わせんな」


 ようやく応えた紀夫はポケットをまさぐってタバコを取り出したようで、安物のライターの点火音がした。

 それを合図に、というわけではないが田尻はタバコをもみ消して吸い殻を携帯灰皿にしまう。


「……残念だったな」


 何度目かの波が打ち寄せた後に唐突に紀夫が口を開いたが、何について残念がったのか話が見えない。


「何が?」

「親衛隊。なくなっちまったろ」


 そのことか、と理解しつつも紀夫が思うほどに田尻は落胆していないので返事に困る。


 厳密に言えば田尻が鈴木紗耶香への恋心で加入しようとしていた洲本走連クイーン親衛隊『6’s sense(シックスセンス)』は、そのままサヤカと同じ組分けがなされ付かず離れずなのは変わらない。

 むしろ前回の攻撃に参加したテツオ・瀬名・真・田尻・紀夫をサポートする形でサヤカと『6's sense』は同じ組に分けられていて、紀夫が慰めるほど田尻にショックはない。


「んなもん、落ち着いてからの話だろ。ウエッサイとスモソーが合体したんだから、この先再編なんか何度もあるだろ」

「そんなもんかね」

「そんなもんだろ」


 慰めの言葉を呟いた時よりも軽く返され、田尻も軽く応じた。が、内心は少し違う。


 数日前、琵琶湖畔の貸別荘でサヤカとやり取りをした直後の浮かれた気持ちで思わず『親衛隊に入る』などと宣言したが、日が経ち冷静になってみると大変に困難なことに気付かされ恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。


 田尻にとってしっかりとした恋が初めてであるから、親衛隊になるなり洲本走連に加入するなりでサヤカに近付けるだけで満足しておくつもりもあった。

 だが現実を見ればサヤカのそばには親衛隊が付き従い、テツオが居ればサヤカの方からピッタリとくっつきに行く。

 田尻が思っていたよりも近寄れる理由やチャンスはないと思い知らされ、紀夫への宣言が尚更に恥ずかしい。そしてそんな失意や気恥ずかしさを悟られることも対処できなさそうで困る。


 だからこともなげに流して話を変える。


「……そっちは? 順調か?」

「どーなんだろーなー」


 紀夫の投げやりというか覇気のない返事に田尻はおや?となる。


「らしくないな。またケンカしたのか?」


 恐らく喧嘩ではないと思いながらも話を振る。

 紀夫の傾向として女性関係で図星を突くと怒って誤魔化すことが多い。


「ケンカ、とは言えないのがなんともな。

 ほら、避難のニュースがあったろ? あんなの見たら声掛けるのが普通じゃん。アイツ、八木の病院で働いてるんだからしばらく仕事が休みになるんだしさ。なのに何て言ったと思う? 『しばらく神戸に居るから』だぜ? 意味わかんねーよ」

「連絡は取れてんだな。……アレだ、せっかくのタイミングだから実家に戻るとか、友達に会いに行くとかじゃないのか?」


 紀夫の交際相手赤坂恭子の情報がないため、ありきたりな想像を振り向けるしかない。

 のだが、どうやら的はずれだったようで、紀夫がタバコを砂に押し付けて消す素振りをしてから否定した。


「実家は確か愛媛だもん。性格的にも友達と遊ぶんなら『神戸に遊びに行く』って言うからな」

「ふーん。なんか言いにくいことでもあんのかね」


 答えようがなくなってしまったので田尻からは無愛想な言葉しか出てこない。


「男でもねーと思うんだよ。初っ端に付き合ってる相手はいないって言ってたし」

「バイトとかは? 看護師ってどこも人手不足なんだろ?」

「ならバイトって言うだろ」

「じゃあ、何しに行くか聞きゃあいいじゃないか」


 要領を得ないやり取りに苛立ち始め、田尻はぞんざいに切り捨ててまたタバコを咥える。


「聞いて答えがなかったからウダウダ言ってんだよ。分かってねーな」


 いつもなら田尻のイライラに噛みつき返し、真っ向から対抗する紀夫が呆れたように言い放って声を小さくしていった。

 どうやら砂浜に寝転がったようだ。


「女と付き合ったことない俺に聞くのが悪い」


 半ば独り言のように毒吐いてタバコを吸い、田尻は唾を吐いた。


「女と付き合ったらこんなことで悩むんだよ。『俺と会ってない時に何をしてんのかな』とかな、考えちまうんだよ」

「そんなもんかねぇ」


 もう紀夫の話に真剣に向き合うことをやめていた田尻はテキトーな返事を返す。


「『今頃クイーンは寝てるかな? それともリーダーとベッドで……』とか想像するだろ」

「お前なぁっ!」


 話を終わらせるか変えてしまおうとしていたタイミングで叶わぬ恋慕と晴れぬ欲求をつつかれ、田尻は思わず声を荒げて紀夫を振り向いたが、同時にそういうことかと理解もした。

 紀夫にも紀夫なりにスッキリとしない恋愛へのモヤモヤと、望んでも得られない欲求が募っているのだろう。

 だから田尻の心の内を想像してしまう。


「……それを俺に言ってどうなるってんだよ。お前が女と上手くいってないからって、俺の片思いをからかっても解決しねーだろ」


 殴り飛ばしてやろうかというテンションからかなりトーンを落とし、もうこの話題をしないでくれと願いながら諭すように投げかけた。

 経験者にからかわれる未経験者の辛さを伝えたかった。


「ちげーよ。何人もと付き合ったって、おんなじ事でイライラしたりモヤモヤするんだぞって話だよ。クイーンと付き合えることになっても、クイーンよりイイ女と付き合うことになっても、男は女の事でイライラしたりモヤモヤしたりするんだよ」

「……どこの専門家だよ」


 紀夫がこんな話をした理由は分からない。でも田尻のための助言めいたものだろうとは思ったので、怒ったり呆れたりするのは違うと思い茶化してみた。

 けれどその後で、片思いだから辛いのではなく恋愛そのものが辛いのだというまとめ方に疑問も湧いた。


「その割にはとっかえひっかえしてきてるじゃないか」


 紀夫と付き合ってきた女達の代弁者のつもりはないが、嫌味の一つくらいは言ってやってもいいだろう。

 と、胡座のままだった足を伸ばして紀夫が答える。


「ほら、何気に星が奇麗だぞ」

「あ? ああ、そうだな」

「これだ!と思った物が間違いだったり、自分が相手に相応しくない奴だったら、次こそは!って次の恋愛しちゃうだろ。あれだけたくさん選択肢があるんだから、次へ次へって探してたらいつか一番に出会えそうじゃん。それだけのことだよ」


 紀夫に言われて星空を見上げていた田尻だが、思っていたよりもロマンがなく、決め台詞でもない微妙な事を言われ、複雑な気持ちで傍らに寝そべっているであろう親友を見下ろした。


「ほんとに、何の専門家だよ。ますます俺にする話じゃねーぞ」

「んなことねーよ。お前とはこんな話をもっとしてかなきゃなんだよ」


 穏やかに打ち寄せる波間に砂を掘るような音がして紀夫の影が起き上がってくる。


「明日、どうなるか分かんねーんだ。お前がヤケになったりクイーンの身代わりになるとかは困るんだよ。お前は一本気なぶん周りを見てなくて危なっかしいからな」


 ようやく紀夫の本当の用事が分かり、田尻のザラザラしていたわだかまりが整理された気がした。


 思い返せば真夜中の砂浜にタバコを吸いに来た田尻の気分は、明日の戦いに対する緊張や高揚よりも、漠然と膨らんできた敗北や死という真っ暗な結末に支配され始めたからだ。

 だから紀夫の恋愛談義にイライラしたり、サヤカとの秘密の接触を思い出したりした後に、紀夫も自分と同じなのだと知れて安心できた。


「そういうお前はいっつもキョロキョロして一番大事なことを見逃すからな。そんでギリギリになって危ない事に気付いて逃げ出すんだよ。ケツ拭く身にもなって欲しいぜ」

「んだとコラ」

「なんだよ」


 剣呑な声とともに田尻の左腕を紀夫の当てずっぽうの拳がかすめ、田尻も反射的に紀夫の拳を払うように左腕を振ると指先が辛うじて紀夫の脇腹をかすめた。

 星明りに慣れてきた目には互いのシルエットしか見えていないが、それぞれ攻撃を外した態勢で固まり無言になる。

 波の音だけが聞こえるまま数秒。

 どちらからともなく笑い声が漏れ始め、固めていた体を脱力させる。


「――ちょっとバイクで飛ばしてきてーな!」

「今からじゃダメだろ」

「やっぱそうか。んじゃあ――」

「明日勝ったらアワイチでもやろう」

「それでいいや」


 いつの間にか消えてしまっていたタバコを携帯灰皿に捨て、新しいタバコを咥えると紀夫もタバコに火を着けた。


「真も連れてくか?」

「ついてこれるかな」


 タバコを吸い切るまで普段通りの雑談が続いた。

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