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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第十章 独立戦線/防衛派遣
293/485

戦闘態勢/包囲網 ③

   ※


 大阪市中央区大手前。

 旧大阪府庁舎や大阪府警本部の向こうに大阪城を眺められる高層階の一室で、高田雄馬は景色を眺める余裕がないほど情報処理に追われていた。

 ここは最近設置された雑誌社『テイクアウト』の大阪支部のオフィスの一室で、普段は小規模なミーティングや取材や接客に使用されている。

 オフィスが入居しているビル自体はそれなりの年数が経っているが、雄馬の居る室内はリフォームも終わっていて、壁紙の白さだけでなくテーブルやチェアーからも新品の匂いがしそうなくらいだ。


 本来、雄馬は黒田刑事や占い師集団らととっくに大阪を離れていて、高橋智明を封じ込めようとする彼らとも別れて伊丹ないし神戸近辺に向かうつもりでいた。

 しかし出発直前に東京支部より御手洗首相の動向が掴めないとの一報が入り、公式に明かされていた御手洗首相の恩師山路(やまじ)元首相の見舞いの予定も変更される可能性も出てきた。

 こうなってしまうと伊丹や神戸で待ち受けることは不利で、交通の便がよくまた移動の選択肢も多くて情報源の豊富な大阪が有利だと思え、雄馬一人だけは大阪に居残った。


「――ありがとうございます。お手間をおかけしますが、引き続き霞ヶ関で情報を取ってください」


 H・Bでの通話ではなく固定電話の受話器に愛想を吹き込んで通話を終え、受話器を置き様にすぐ脇のコピー用紙に伝え聞いた情報をメモする。


「お疲れ様です。コーヒー、置きますね?」


 情報収集とメモと整理に必死になっていたためか、いつの間にかそばに立っていた女性に声をかけられ、立ったままテーブルでメモ取りしていた雄馬は少し驚いて女性を見る。

 オフィスに据え置かれている自動販売機のドリップコーヒーを差し入れてくれた女性は、雄馬が東京で記者修行をしていた頃の同期入社の女性で、名前を小滝梓(おだきあずさ)

 同い年の同期で部署が違ったことからネタ被りがなく、たまに食事に行くくらいの関係のあった女性だ。


「ありがとう。久し振りだな。小滝も関西に来てるとは思わなかったよ」


 オフィスの一室を使わせてもらう折りに支部長とその周囲の記者らをそれとなく目に止めていたが、その中に梓が紛れていたことは気付かなかった。


「雄馬君を追いかけて来たって言ったら、少しは気にしてくれるのかな?」


 先程の杓子定規な声掛けから一変し、梓の口調は普段の思わせぶりな言い回しになって可愛く笑う。

 肩までの茶髪を巻髪にセットし流行りの目元を強調したメイクは、梓の『童顔の可愛い女』を全面に押し出した立ち振る舞いで、それだけではない事を白のノースリーブのハイネックニットと黒のストレートワイドパンツ越しのボリュウムで教えてくる。


 姉舞彩のやり手美人記者スタイルとは真逆の梓のビジュアルは、甘えて頼って取り入ろうとする作戦で当時から年上の男に効果覿面だった。


「そういうのはいいよ。友達なんだから」


 東京にいた頃と変わらない梓の男への取り入り方は、顔と声と視覚的に訴えてくるボディーラインと相まって大抵の男が勘違いをする。

 もちろん、こうした武器の使い方を嫌う男からは邪険に扱われ、同性からも妬みや嫉みの対象になるのだが、それを胃にも介さない梓の強さは舞彩以上かもしれない。


「ふふ、変わってないなぁ。同期とか同僚じゃなくて『友達』って言ってくれるの、好きよ」

「調子にのるなよ。俺はうっかり酒に酔って抱いたりしない。知ってるだろ」


 強めの言葉ではっきりと拒絶したが、雄馬にそれほどの嫌悪はない。

 好みのタイプや交際したい女性のリストに梓の名前はないが、雄馬が肩肘張らずに荒い口調で本音を出せるのは梓くらいのもので、だから『友達』として一緒に食事や買い物にも出掛けていたのだ。


「もう! 『またお酒飲みに行きたいね』までが私の挨拶のセットなの! 勝手に端折らないでよね!」


 雄馬の言葉遣いに合わせて怒ったように声のボリュウムを上げた梓だが、腕組みをして豊かな乳房を持ち上げていてもやはり怒ってはいない。

 その証拠に、立ち仕事をやめてチェアーに腰掛けコーヒーを飲む雄馬の隣の席に座り、肩を当てるようにして全く別の話をし始める。


「ねぇ。淡路島、そんなにヤバイの?」


 こういう仕事の話への切り替えの早さは梓の得意とするところで、甘えたり色仕掛けをしたりなどは彼女にとって挨拶同然なのだとよく分かる。


「情報の通りだ。御手洗首相もブラフで記者会見なんかしないだろ」

「分かってる。でもそれだけじゃないでしょう? 例の速報、雄馬がやったって言うじゃない。どういうつもり?」


 雄馬の右腕に乳房を押し当て耳を舐めるようにして問うてくる梓の声音は、公で演じている甘ったるいものではなく、雄馬と真剣な話をする時の低く絡みつくような大人の声だ。


「意図なんか隠してない。勝負するべき時に相手の急所を狙った。それだけだ」


 本当はそうではない。

 諭鶴羽山で黒田刑事と張り込む前日には幾つもネタにすべき情報があった。

 ただそれらは調査と推測を必要とし、証拠や証言などを集めて裏の裏まで見通してからでなければ公にできないネタだった。

 ましてや『高橋智明』という一番最初に射るべき矢は放つことを許されず、『自衛隊演習』という別の矢がつがえられた。

 雄馬はそれをそのまま射るしかなかっただけだ。


「……ならいいけど。危ないことしちゃダメよ? まだお姉さんの事を気にしてるんでしょう?」


 今度こそ本当に雄馬の耳を舐めた梓にカッとなり、瞬間的に顔を背けた雄馬はチェアーがズレ動くほど梓から体を離す。

 だがすぐに梓に向き直り、体を寄せて右腕を梓の首へと回して左手で梓の右の乳房を鷲掴みにする。


「っぐ!」

「梓、そんなんじゃないって言ってるだろ。そろそろ面倒くさいぞ」


 唇同士が触れ合う距離で低く恫喝し、雄馬の右腕に力が入る。


「ご、ごめ――」


 息苦しそうに弱々しい謝罪をする梓をしかし許さず、雄馬は強く梓の唇に吸い付いて強引に貪り、梓のニットがめくれ上がるほどめちゃめちゃに乳房をまさぐった。


「今度言ったら終わりだ。いいな?」

「五年待ってるんですよ。まだダメなんですか?」

「まだだ。お前と付き合ってやる準備が整ってない」

「……分かりました。もう二度とお姉さんのことは言いません」


 かすれるほど細い声で誓いを立てた梓を数秒見つめ、「よし」と答えてから雄馬は梓を解放した。

 途端に詰まっていた呼吸が蘇り、梓は咳き込んで頬を伝う涙を床に落とす。

 雄馬はワイシャツの胸ポケットからハンカチを取り出し、梓の顎を左手で優しく持ち上げて流れる涙と滲んだ口紅を拭いてやる。


「……仕事の後始末もあるし、さっきの埋め合わせもしたい。小滝に俺の助手をやってもらうとか出来るかな? 上司に掛け合ってみてくれないか」


 涙やキスの後始末が終わると、いつもの馴れた口調で誘いつつ梓の服を整えてやる。


「部署が違うから嫌な顔はされるかもしれないけど、雄馬君の頼みならもちろんやるわよ」


 雄馬の態度の変化に合わせて梓も口調や表情が普段のものへと戻り、また甘ったるい声を出して雄馬の右腕に寄り添う。


「助かるよ。持つべきものはやっぱり友達だな」

「その代わり、今夜は時間を作ってね? 再会のお祝いをしないとね?」


 一旦肩にのせた頭を持ち上げ、梓は雄馬に分かりやすくキスをねだる。


「今晩な」


 躊躇いなく雄馬が梓の唇に触れると、笑顔一つを投げかけて梓は席を立ち振り返らずに部屋から出ていった。

 雄馬も立ち去る梓には目もくれず、ハンカチをしまってコーヒーを飲み、大きく深呼吸をした。


「ふうぅ……。よし、やるか!」

 チェアーから立ち上がってテーブルに広げたメモを見渡し、雄馬の仕事が再開された。

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