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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第十章 独立戦線/防衛派遣
291/485

戦闘態勢/包囲網 ①

 御手洗(みたらい)総理大臣の緊急記者会見が行われてすぐ、黒田幸喜(くろだこうき)高田舞彩(たかたまあや)高田雄馬(たかたゆうま)姉弟を伴って再び大阪市中央区本町のファミリーレストランに出向き、占い相談専門店『AD(アド)VICE(バイス)』の相談員の面々と打ち合わせを行った。


 なぜ打ち合わせが必要になったかというと、早々に淡路島へと向かい避難区域ギリギリの場所に陣取って事が起きてすぐ対応したい雄馬と、事が起こるのは避難が完了してからだからすぐに行動することで仕事を何日も休まなくてはならない占い師集団とで、淡路島へ向かうタイミングが合わなかったからだ。


 雄馬の支持には舞彩と近々の予定がないオカルト研究家北野良和(きたのよしかず)とその担当編集者板井正勝(いたいまさかつ)、あと修験者(しゅげんしゃ)の立場から藤島法章(ふじしまほうしょう)とその姪貴美(きみ)がついた。

 記者としての信念や研究者の興味や修験者の使命感に対して、人気と実力を兼ね揃えた占い師集団の樹里愛(じゅりあ)とクララ=クレアとチョウは明確な収入減を問題視していた。


 黒田は折衷案として、『記者組は先発し避難状況に合わせて占い師組が後発するのはどうか』と提案したが、御手洗総理大臣が示した近隣の道路封鎖が影響して『予想外の渋滞が起こっては取り返しがつかない』と意外なことに占い師集団側が拒否した。


 そこでピンときた黒田は、雄馬と板井に宿泊などの費用と占い師たちの給与補償を提案した。

 雄馬は新興の有名出版社の心意気を見せて首を縦に振ったが、今度は板井が多額の出費をしぶり始めた。

 そもそも紙媒体自体は二十一世紀初頭から売上縮小傾向にあって電子書籍化やデータ売買化が進んでなんとか出版業界も食いつないでいるが、板井の所属する竹内書房は専門書や研究書を扱う小規模な出版社のために、容易く費用の捻出が難しいらしい。

 そこをなんとか『未来のベストセラーを生むためだから』と説得し、ようやく板井も渋々了承した。


 そうやって無事に淡路島へと赴いた黒田ら一行は、避難地域に指定された旧南あわじ市北阿万の西にある福良(ふくら)港近くの民宿に拠点を定めた。


 一夜明けた二〇九九年七月十日。


 民宿で用意された朝食を平らげると、黒田は舞彩と一緒に車に乗り込んだ。

 これは黒田ら取材組と占い師ら高橋智明封じ組が、当日に自衛隊の道路封鎖をかわして所定の位置に付くための下見を兼ねていて、76号灘黒岩水仙郷ラインが封鎖されたり検問を通過できなかった際のエクスキューズとして、福良から阿那賀(あなが)へ抜けてうずしおラインないし神戸淡路鳴門高速道を使って洲本側に出られるかを確かめるものだ。

 事前に地図アプリで計画を立てることはできても、当日に地図とのズレが見付かっては間に合うものも間に合わなくなってしまう。案の定、神戸淡路鳴門高速道の淡路島南IC付近には『政府支持により通行規制がかかる場合がある』との断りが掲げられていた。

 避難区域を横断している国道28号線さえも封鎖されることを思うと、『やはり』と思わざるを得ない。

 25号うずしおラインから477号うずしおラインへの合流を経て西淡志知(せいだんしち)まで下見を終えた黒田と舞彩は、南下して国道28号線に入って賀集へと差し掛かりひっきりなしに行き交う緊急車両と広報車に注視した。


「……自衛隊はまだ動いてないみたいやな」

「うん。警察と消防と自治体の車ばかりね」


 ラジオで拾っている公共放送の避難指示に被さる形で、車列に紛れた緊急車両から地区ごとの避難先を知らせる音声が耳に響く。

 歩道には、職場や学校が休みになったために出歩いている若者らの姿が多いが、避難区域内の商店や商業施設は軒並み閉店しているので、一様に区域外に向いて歩いていたり自転車を漕いでいた。

 一方で車道は平時と変わらぬような安定した車の流れに感じるが、屋根上にルーフキャリアやルーフカーゴを設けて荷物を積んでいる車が多く、車内も人で満員だった。


「こりゃ、奥の手やな」


 勿体つけた言葉を吐いて黒田は早速脳内からメールを一通送っておく。


「仮設署に寄るのね?」

「ああ」


 黒田の行動を予測した舞彩は数日前と同じように国生(こくしょう)警察仮設署へとハンドルを切る。


「あん? マーヤ、署に寄らんとそのままリニアのあっこ行ってくれ」

「この前の高架下ね?」

「うん。なんや現場の刑事まで避難誘導に駆り出されとるらしいわ」


 黒田の指示を受け舞彩は28号線から左折し北進させたばかりの車を右折させ、頃合いまで進ませてからもう一度右折して国道を渡ってリニア中央線高架橋を目指す。


 側道から侵入防止フェンスの切れ目にある間道へと入り、高架橋を潜りきらずに車は停車した。

 日陰の暗さは仕方ないとしても、相変わらず人気がなくどこかしらから漏れ落ちる雫が不気味に響いている。これで橋脚のコンクリートが薄汚れていたりゴミゴミしていれば、B級映画に出てくる大都市のスラム街だ。


「まだ来てないみたいね」

「アイツにしては珍しいな。真面目で堅い男やのに。お、来たな」


 ただでさえセンター分けに眼鏡という平凡な印象なのに、紺スーツに紺のネクタイと服装にも味のない相棒を思い浮かべていると、一台のパトカーが舞彩の車の後ろに停まった。

 すぐさま助手席からセンター分け紺スーツの男が飛び出して舞彩の車の後部座席に乗り込んでくる。


「遅かったな」

「職務中です。当たり前じゃないですか」


 さすがにムッとしながら答えた増井の言い分に『それはそうか』と納得しつつ、増井の視線が運転席の人物の身元を尋ねていたので答える。


「すまんな、こっちも切羽詰まっとるんや。こちらは今俺の相棒やってくれとる高田舞彩さんや。いや? 俺がマーヤの相棒いう方が正確か」

「どうも高田です」


 黒田の曖昧な関係性の説明は無視して舞彩が軽く頭を下げると、増井も舞彩の身なりを一瞥してから会釈を返した。


「国生警察の増井です。お仕事は記者さん?」

「ええ、まあ――」

「今は俺の嫁でええよ。後ろの巡査に説明しにくいやろ」

「そうですね、そうしておきましょう」


 鋭い観察眼で舞彩の本職を見破った増井だったが、職務中の刑事が雑誌記者と密会する不都合を隠す黒田の提案を受け入れ苦笑を浮かべる。


「で、だ。刑事まで避難誘導に狩り出すとはなかなかのことやな」

「基本的には緊急会見に則った対処ですが、警視庁からの指示通達自体は字面通りのものです。ただ、警察と消防と自治体のトップらで協議がありましてね。トラブルを最小限に抑えて犯罪発生率も下げて欲しいと欲張りな決定がされたんです。

 だから出せるだけ人員を割いてるんです」


 警察のみならず消防の内幕までぶっちゃける増井が心配になって振り向くと、「当然、フォローで洲本署と淡路署も巻き込んでやってますよ」と微笑み、どこからともなく缶コーヒーを取り出して黒田に差し出した。

 黒田が缶を受け取ると、黒田の次の行動を察した舞彩が肘掛けのパネルを操作し助手席側の窓を下ろす。


「……二人ともええ女房だよ」


 人生の伴侶と職場の相棒に皮肉な笑いを返して黒田は懐から煙草を取り出して火を着けた。


「そのお話、公には出てませんよね? 自治体の意向ですか? それとも自衛隊の?」

「まさか。今の柳本(やなもと)市長にそんな余裕はありませんよ。ただでさえ防衛派遣を要請した件で越権だって議会で叩かれてます。自衛隊が自治体や所轄とそういう連携を話し合ったというのも聞きませんね」


 黒田が口を開けぬうちに舞彩がツナギで問うたが、増井はまたあっさりと内状をぶちまける。


「……市長も苦しいわな。高橋智明に報道規制をかけた逆の手で防衛派遣を要請せにゃならんかった。会見でも声明のないテロの扱いやから、勝手な事をしゃべれん。

 いっそ黙り込んで、政府や総理大臣に全部引き取ってもらう算段なんやろ」


 本来は県知事レベルの判断を市長が行ったのだから、マスコミやメディアの餌食になることや責任を追求されることも勘弁してほしいと思っても仕方がないだろう。

 機動隊突入の効果が得られず三署の警察署長から防衛派遣の要請を嘆願した場面に居合わせた黒田は、柳本市長のしぶり方を思い出して同情の念が少し湧いた。


「それよりは自衛隊や」


 黒田が後部座席に顔を向けて切り出すと舞彩も体を捻るようにして増井に正対する。

 二人から厳しい視線を向けられた増井は襟元を正して真面目くさった表情を崩さずに答える。


「……自衛隊の道路封鎖は、避難率が九割を超えれば始まるはずです。警察と消防では今日にも街宣告知から訪問による避難誘導に切り替わる予定です」


 パトカーや消防車により録音した文言をスピーカーで叩き付ける行動から、各家庭を回って直接避難を促す行動へと切り替わることが明かされ、黒田と舞彩の緊張が高まる。


「近々やな」

「恐らくは、明日」


 珍しく声を強張らせた増井の返答に、これも珍しく黒田の鼓動が大きく一回跳ねた。

 それは舞彩も同じだったようで、戸惑った目で黒田を見つめて来た。


「……増井、すまんかったな。助かるわ」 「何をいまさら。何番目の弟子かは分かりませんが、僕なりに師匠の真似をしてるだけですよ」

「あん? はは、じゃあついでに後ろの巡査にもよろしく言うといてくれ」


 増井の言い様に引っかかりを覚えて振り返ると、そこにはからかうように微笑む増井の顔があり、彼なりの冗談なのだと分かる。


「ええ。有給休暇中に嫁自慢をしに来ただけだと伝えておきます」

「お前だけは絶対に式に呼ばん」


 ジョークで返した黒田にもっと質の悪い冗談を被せてきた増井に対し、黒田は強く断じて車から増井を追い出した。

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