協力者 ③
「さて、まずは現在の状態を明らかにしよう。貴美よ、お役目の最中に惑ったな?」
「……はい。自覚しております」
「それは原因のあるものであるのか、それともお役目からは予想できなかったものであるのか」
幾分厳しさを増した法章の問いに雄馬は容赦の無さを感じて生唾を飲んだ。
伯父と姪の関係であることは先程聞いたが、それにしては少女への強い追求で、貴美がそれほどに大きな過ちを犯したと断定して見える。
「……お役目からは外れたところで弱さが生じ、貫かねばならない信念を通せませなんだ。はっきりと怖じ気付き、心を乱し申した」
貴美は腿の上に揃えた手指を見つめ、小さかったがしっかりとした声で伯父の問いに答えた。
「やはり、か」
呟いた法章の声と表情は落胆よりも哀れみの方が強いが、それは過去よりも今後に向けられて見える。
――お役目とはそういう事か――
すっかり修験道の能力者としての立場のことだと思い込んでいた雄馬は、法章と貴美に課されている『仕事』は『引くに引けない事情がある』のだと気付く。
少女を怖じ気付かせ心を乱す仕事。そんなものはこの世の中にいくつもないだろう。
「……恋を、したのです」
貴美から漏れた意外な言葉に雄馬は少女を振り返った。
雄馬が少女に同情し後ろ暗い仕事への怒りを持ち始めた途端に『恋』という甘酸っぱい単語が出て驚いた。
法章は姪が語るに任せるつもりなのか黙ったままで、貴美は耳まで真っ赤にしながら続ける。
「ひょんなことから対象の幼馴染みと知り合いました。その人は私のお役目を肩代わりしてくれると申し出てくれました。
もちろんそれに甘えるつもりはありませんでしたが、私を庇い守ってくれる気持ちが嬉しくて、私も頼ってすがってしまいました。
恐怖や不安から逃げたのかもしれません。
その後、対象の恋人であり、マコトにとっても幼馴染みだという女の子に対峙しました。
マコトは彼女に好意を抱いており、彼女はそれを跳ね除けた。
その時に私はとても薄汚い気持ちになり、気付いた時には怒りに任せた一撃を見舞っておりました。
しかし彼女は狂暴で、恐らく対象と同じ力を有していたのでしょう。私は反撃を受けて生死の境を彷徨いました。
気が付くと、私の側にはトモアキが居て、私を癒やし私の心を平常へと導いてくれました。
ようやくそこで私は恋によって我を失い、恋に我を忘れた者の怖さを知りました。
そして対象であるタカハシトモアキに同調する気持ちも持ちました」
「なんだって!?」
貴美の告白の途中から――いや、貴美と出会った頃からどことなく感じていた『お役目』の正体がハッキリとした名詞で出てきたので、思わず声を上げてしまった。
反射的に法章と貴美からの視線を受け『しまった』と思ったがもう遅い。
乗り出した体を引いて顔を背けても貴美の告白を中断させた事実は消えない。
「ごめんなさい。薄々は感じてたんですが、貴美さんが高橋智明とそこまで関わりがあるとは思わなくて、つい……。話の腰を折ってしまいました。僕の事は無視して下さい」
雄馬は少し椅子を引いて親類同士の話を優先するように手を振ったが、決して二人のためを思って譲ったわけではない。
今語られているのは雄馬が報じた自衛隊の攻撃行動の裏側であり、雄馬の知らなかった組織や団体がいくつも関わっている本当の『闇』であり『真相』なのだ。
ある意味、新皇居で起こった事変の真相が語られていると言っていい。これを聞きたくない記者はいないはずだ。
「……貴美が何をしたかは少し横に置いておこう。お役目について余計な詮索をされては記者さんに余分な負担をかけてしまう。
申し訳ないが、それでよろしいですかな?」
「……結構です」
前半は貴美へ、後半は雄馬への確認だったので潔く了承したが、雄馬は内心では舌打ちせずにいられなかった。姉舞彩や黒田刑事や鯨井医師も巻き込んだ取材とは別の『闇』に近付くチャンスを逃したからだが、全ては貴美の告白を遮ってしまった雄馬のミスであり、そうしたイレギュラーを想定して身構えていなかった甘さのせいだと戒める。
しかしこれから彼らが何を話すのかは重要であろうとも思う。
――何しろ高橋智明と対決した当事者の一人なんだからな。これで諦めるという話じゃないはずだ――
また雄馬は縮こまって存在を消し、二人の会話に意識を集中する。
「さて、貴美は何を見、何を感じたか。今後はどうするつもりか。
それ次第で私の助言や助力が必要かどうかも変わってくる。
そもそも私は事態の収拾をつけるためにお前を呼び寄せたのだが、お前のやろうとする事と私の考えている事が相反していては意味がない。
どうするつもりであるかな?」
法章の主題をはぐらかした問い掛けに雄馬は疑問を感じたが、それよりもサングラスで目元を隠した中年の男が現場に居たであろう少女よりも本質を把握した発言をすることに違和感を感じた。
貴美にすがるように見せた雄馬であっても、加持祈祷や降霊のような不可思議なものは信奉してはいないし、そうした力は存在するのかと思えてくる。
「……私が目にしたものは少年少女三人の心の行き違いであるように思えました。
しかし、トモアキとユリは明らかに人の範疇を超えた力を有しており、またマコトも科学の力によって人の域を超えております。
私や法章様とは別種の力が彼らに宿り、それぞれ別の方向を向いておるように思えました。
しかし――」
一旦言葉を切った貴美は、俯き加減の視線を上げてぴたりと法章へ合わせ、続ける。
「マコトの力は彼を補助するチームにも備えられ、またトモアキの組織する集団にも備えられているのだそう。
そこに自衛隊の介入がありました。
トモアキと自衛隊とで話し合いのようなものが行われたらしいですが、内容までは知るに至りません。しかし、その後には『トモアキらが独立国家樹立を目指している』と聞きました。
そして、トモアキは当初のマコトとの確執を一時の惑いと思い直したようで、関係の修復を視野に入れつつ、独立に絞って活動しようとしているようでした」
話し終えた貴美はただジッと法章を見ているが、法章は表情を大きく動かすことなく貴美の話を理解しようとしているように見える。
それは雄馬も同じで、これまで目的や動機などが明らかにならなかった高橋智明の意志が少なからず示され、それに呼応したバイクチームの行動や自衛隊と政府の意向を想像して、雄馬自身が今何に立ち会っているかに思いを巡らせた。
「過分に厄介だな」
そう呟いた法章に思わず雄馬が重ねてしまう。
「これは人間を超越した超能力者の独立戦争だ」
「はは。大きくはそうだが、少し早計ですな」
即座に窘められて反発心が湧いたが、ぐっと堪えて雄馬は法章の次の言葉を待つ。
「記者さんはご存知ないかもしれないが、貴美がお役目を賜った折にはまだ対象者は独立など考えてはいなかったはずだ。しかしそんなにも早い段階でお役目が発されたということは、これは想定の埒外の出来事であるか、あるいは想定された暴走である可能性も考えられる」
やはり、という確信が雄馬の思惑と合致したが、同時に噛み合わないピースも浮かび上がった。
「それは自衛隊の防衛派遣も含んだ見解ですか?」
もしそうであれば雄馬の行った報道はとんでもない陰謀の断片であり、下手をすれば片棒を担いだことにもなり得る。
だが法章は薄く笑いながら「さすがにそれはないでしょう」と否定したが、その笑いが苦笑であるか困惑の笑いであるかは判断がつかない。
「では政府の管理下で起こった混乱だ、と?」
ならばと切り返した雄馬の質問は表情を消した法章にあっさりと断ち切られた。
「それは我々には分かりかねますな。宗教と政治は接点がないのが建て前ですからな」
またムッとした表情を晒す雄馬に「自衛隊もしかり」と法章の追い打ちが飛んできた。
雄馬にすれば『権力者の闇』を匂わせておいて無関係を装う法章の姿勢に腹が立つが、そうした『裏側』や『闇』の存在はこれまでにも問いただされてきたし、完全に否定されたり潔癖が証明されたこともない。
ならば今度こそ雄馬や舞彩のようなノーマークの記者が切り込んでやろうという気になる。
そうして瞬間的に彼らを断じてしまえば、法章と貴美の態度も違って見えた。
――しかしそういう防御法もあるのは仕方ないか――
古典的な下っ端の扱われ方ではあるが、『知らないことで身を守る』というのは末端で使役される者たちの生き残り方としてよくあるものだ。
知っていることで無用の追求を受けるくらいならば、知らないことを証明することで最小限の被害に留められる場合がある。
そうした生き方や生き残り方を『悪』とは断ぜられないのは、歴史や文献でも語られているところだ。逆説では末端を切り捨てる方法でもあるが今はそれを考える意味はない。
「――法章様。どうにかこの一件をまとめるすべはありませんでしょうか? このままでは人外の力が衝突し、混乱は収まらず、拡大して日本はおろか世界にまで波及しかねません」
法章と雄馬のやり取りが落ち着いたのを見計らい、貴美が切り出すと法章は顎に手をやって思い悩みながら問い返した。
「憂いなき事が最も望ましいが、事はかなり多くを巻き込んでいるぞ」
「私は、マコトとトモアキとユリのすれ違いを収めたい。一見小さな揉め事に思えるこの関係のこじれが、ほんの少し理解しあえるだけで混乱は収まるのではと思うのです」
「自衛隊や独立まで終息すると?」
「そこまでは……」
一度ピンと伸びた姿勢が緩んでしまったが、一度反らした視線を法章に向け直した貴美の姿は、少女のか弱さはなく聖職者然とした凛々しさをまとって見えた。
「しかし暴走や混乱の根は束ねられると思うのです」
「……貴美がその調停を担えるならば、やりようはある。出来るか?」
「はい。彼らを少しでも知る者として、私がやらねばと思います」
「よかろう」
どうやら法章と貴美は抽象的な話し方ながら一連の騒動の解決に乗り出そうとしているのが読み取れたが、雄馬の欲しているネタからはわずかに逸れた感がある。
ただし、彼らに関わることで何らかの実りがあることは肌で感じられる。
――とはいえ、陰陽師や修験道は僕の専門じゃないんだよな――
このまま二人に付き合うべきか、元の取材に戻るべきかを考え始めた雄馬の脳裏に、一つのアイデアが浮かんだ。
「お話の途中で申し訳ない。ちょっと電話をしてきますね」
気がどうの方角がどうのと話し込んでんでいる二人に断りを入れ、雄馬は席を立って会議室を退室しエレベーターホールの隅っこで電話をかけた。




