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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第九章 光のレイライン
273/485

協力者 ①

 FM556が入居しているテナントビルのエレベーターホール脇の喫煙所。

 トシカズの『ノムラマサオと二人で話したい』という希望で会議室から退室した黒田と舞彩は、当初の予定から外れてしまった展開に戸惑っていた。


「なんか、変な事んなったな」

「うん」


 タバコを吸い紫煙を吐き出す黒田の隣りで、グァバティーの缶を両手で包んで膝の上で弄んでいる舞彩が短く答えた。

 舞彩が整然とノムラマサオを論旨で囲って逃げ道を封じ、攻め入ると見せかけて黒田が横から寄り切る戦略は、予定していた成果を得るところまで達したので反省点はほぼない。

 あのままノムラマサオが感情的になって怒り出したり退室したりしても、黒田と舞彩の欲していた情報は手に入っていた。


「アイツ、何なんやろな」

「分からない。でも私達より深いところに切り込んでいたような気がする」


 抽象的な表現だったが、黒田には舞彩の言わんとすることは理解できた。

 トシカズが目元にかかるような前髪を上げた時、ノムラマサオは思いのほか過剰な反応を示していた。彼が空留橘頭(クールキッズ)の元メンバーであることは明かされていたが、ノムラマサオの反応を見る限りはそれなりのポジションで面識がある事が伺い知れる。

 となると、ノムラマサオがフランソワーズ=モリシャンと同一人物であることが分かれば良いと思っていた黒田たちより、トシカズは『どぶろくH・B』や『HD』について踏み込むつもりでいたのではないか?と思えてくる。


「俺らがヌルかったんかな。泳がせるとか、様子を見るって判断が間違いやったんかもしれん」


 これには前提としてフランソワーズ=モリシャンが組織や団体の末端でしかないという読みがあり、本当に追求すべき組織そのものに迫るための前哨戦との捉え方があった。

『どぶろくH・B』が淡路島だけでばら撒かれているわけではないし、黒田らの知らぬところで『HD』の人体実験も進行しているかもしれない。

 そうした懸念を見極める小手調べが今回の取材であったとも言える。

 灰皿でタバコをもみ消しながら悔いる黒田の視界に、うつむき加減だった舞彩が背筋を伸ばす様が映る。


「どないした?」

「それくらい危険が迫ってるの、思い出した」

「なんやと」


 灰皿に手を伸ばしていて前屈みになったままの黒田が舞彩に振り向くと、辺りに防犯カメラや人影がないことを確かめた舞彩が体を寄せてくる。


「今朝の話だけど、会社から報道規制の連絡が回ってきたの」

「中身は?」

「明日の午前中に政府から緊急の発表があるらしい。混乱を避けるために例の新皇居の攻撃行動と、御手洗(みたらい)首相の釈明などに関する報道を制限しろって」


 肩を当て黒田の頬に息をかける近さで声を潜めて話した舞彩は、顔だけ離してまた辺りの様子を伺った。

 誰の目にも『怪しい内緒話』の最中に映るだろうが、黒田にはそれほど用心深くなる危険度がひしひしと伝わってきた。


「明日の朝になんか起こるんやな」

「うん」

「どっちも首相の延命策か違法な圧力に見えるが、そう見られてでもやらなあかん発表があるっちゅーことか」

「かなり強く言われたみたい」


 舞彩の言い様で政府の強い姿勢が感じられて黒田は言葉を継げなくなる。


 ここで語られる強弱は言葉や言い方の強さではなく、要請を反故にした際の罰則やその後の圧力の厳しさを指す。恐らくは高額な罰金や経営の縮小、下手をすると会社を畳むまで追い込むほどの圧力。

 舞彩も雄馬も語りたがらないだろうが、政治家や財界の名手・政治団体・経済団体・宗教団体らは時折そうした圧力や宣告によって情報や印象を操作するとよく耳にする。

 黒田も世に出せない事情や事件の真相をめぐり、上司や先輩と揉めたことがあるし、上役から一方的な通達でいくつかの重大事件が『無かったこと』になったことがある。


 今回の高橋智明に関連する事案も『無かったこと』になる可能性があったため、鯨井医師や雄馬や舞彩と関わることになった。


「ということは、明日か明後日には何かが起こる。そういうことやな」

「うん」


 舞彩の膝に手を置くと、舞彩は寄り添う形からもたれかかるようにして黒田に密着した。

「だから、このあと雄馬と合流しようかと思う」

「そうか? そうだな」


 舞彩がどんな気持ちで次の行動を提案したのかは分からなかったが、通常なら一人で突っ走ってしまおうとする黒田にも事態の深刻さは感じているので素直に受け入れた。

 雄馬も大阪にいて別件の調査にあたっているから、大事の前に進展を確かめることはおかしなことではない。

 と、喫煙所の仕切りのガラス扉がノックされる。


「ウッス。お待たせっス」

「おお。済んだんか?」

「ええ、一応は。とりあえずここを出ませんか?」


 いつの間にか主導権がトシカズに奪われてしまっている事に疑問を感じたが、確かにいつまでもFM556の入居しているテナントビルに居座っている場合ではない。

 舞彩と視線でやり取りし、二人は席を立つ。


 喫煙所を出てエレベーターで一階まで降りると、舞彩の車を停めた有料駐車場へと戻る途中の喫茶店へと入る。


 トシカズを先頭に店内へと入ったが、黒田も舞彩もトシカズさえもざっと店内を見回し、客入りもまばらな昼前の喫茶店にそぐわない警戒をして奥の角の席に着いた。


「――さて、どうなったんや?」


 それぞれの飲み物が届いてから黒田が切り出すと、アイスコーヒーをブラックのまま飲んでからトシカズが答える。


「アイツはモリシャンやと認めましたよ」

「ほう?」

「ずいぶんあっさりね」


 黒田も舞彩も集めた情報から導き出した予想が正しかったという喜びよりも、ほんの十五分ほどのやり取りでノムラマサオが落ちた事を疑った。


「所詮、偽名は偽名でしかなかったってことでしょ。俺が知ってたアイツの名前も偽名だったし、本名も違うらしいっスヨ」


 またアイスコーヒーを一口飲んでから「そこまで行くと名前なんてどうでもよくなりますけどね」と付け足した。

 大事なのは『ノムラマサオ』という人物に裏の顔があり、どこで何をし何者と繋がっているか、だ。


「まあな。それだけか?」

「それだけといえばそうですね。アイツも俺も、あなた方も所詮は末端でしかない。アイツ一人をどうにかしても全体が揺らぐわけじゃない」


 当然のことを意味有りげに言ったトシカズに黒田はむっとしたが、同時に違和感も感じる。

 トシカズの一人称が『僕』から『俺』に変わっていることと、トシカズも何かしらの集団の『末端である』という括り方は、彼が何らかの意図を持って黒田らに接近したと想像させる。

 そう前提すると『全体が揺らがない』という言葉にも意味があるように思えてしまう。


「あなたはそれを聞けたというの? それとも、私達は関わらない方がいいと言うの?」

「さあ、どうやろ。それは僕にも分からないっスヨ」


 固い表情を崩して笑ったトシカズに、黒田は――逃げたな――と思った。

 まだトシカズはフランソワーズ=モリシャンの後ろに居る組織には手が届いていないのだろうが、先程の短い時間のうちに取引や交渉をしたのだろう。トシカズの後ろにある組織が望んだのか、接触するためにトシカズが黒田らを利用した。

 黒田や舞彩がこれ以上関わることが諸々の障害になり得るから、はぐらかして逃げた、黒田にはそう思える。


「じゃあなんでこんな時間を作った? 『何も分からなかった』っちゅーごまかし方もできたやろ」

「そうですよ。でもそんなことしたら次に会った時がしんどいやないですか。それはそれで困るんですよ」

「……敵よりは味方にしておきたい。そういうことね?」


 舞彩の言葉にトシカズはニンマリと微笑む。

 言葉にはしないがその表情からはニュートラルなスタンスを肯定していて、黒田の期待や意欲を奪う。


「ほなもうここまでやん。アホらしい」

「そお? 敵ではないんだから私は有り難いんだけど。ねえ?」

「ええ。じゃなきゃこんな時間作ってる暇ないっスもん」


 トシカズが完全な味方ではないことにふてくされた黒田だが、それよりも舞彩とトシカズの価値観が近いことに小さな嫉妬が生まれた。

 ならばトシカズのスタンスを試してやろうと思う。


「……ほな情報を一つバラすさかい、何かと交換してくれや」

「ダーリン、それは強引よ」

「いや、いいッスよ。今後の関係のためッスから」


 躊躇いのないトシカズの返事に黒田は数秒だけ考えてから口を開く。


「……明日か明後日、アワジで大きな動きがある」


 それを受け今度はトシカズが微笑みを消して黙る。


「……じゃあ、こんなもんかな? フランソワーズ=モリシャンは実在する」

「はあ? ノムラマサオの偽名なんやろ?」

「そうですよ。アイツが面白がって名乗ったんやそうです」

「ということは女性なの?」

「それは、調べて下さい」


 肝心なところをぼやかされて肩透かしを食ったが、黒田の明かした情報も似たようなものなのだから仕方ない。

 しかし舞彩が性別を限定しようとした事に彼女が核心に近いものを持っていると分かったのでここまでにしておく。


「……そうか。分かった」

「いや、こっちこそ助かりました」


 黒田が話題に区切りを付けたのを察したのか、トシカズは礼を言って腰を浮かし伝票に手を伸ばした。が、黒田はそれを制して「奢りにしとくからまた情報くれや」と恩に着せておく。


「コーヒー一杯じゃ大したことないっスヨ?」

「次も奢るよ」


 トシカズなりにふっかけてきたのだろうが、黒田の返しには「じゃあ、また」とだけ答えて店を出ていった。


 一応は舞彩の希望している『敵よりは味方』のスタンスではいてくれるようだ。


「……どっちが得したのか分からないわね」 「いや、クルキっぽい収め方なんちゃうかな。あの一言であれだけの情報が返ってきたんや。アイツには言葉以上の情報やったんやろ」

「なるほどねー」


 舞彩の元に届いた報道制限の情報をネタにした手前、それなりの成果がなければ申し訳が立たなかったところだが、『フランソワーズ=モリシャンが実在する』という情報はかなり重要度が高いと感じる。

 鯨井からの『HD』や『ヴァイス』の続報が追加されないところで、ヒントになるに違いない。


「なんにせよ雄馬君と合流しよう。鯨井のオッサンとも連絡取らにゃならん」

「そうね」


 ルイボスティーを飲み下してから舞彩は電話をかける仕草をした。

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