タイガーリリー ①
「嫌な雨…………」
校舎を出ようとしていた鬼頭優里は、パラつき始めた六月の雨に思わず顔をしかめた。
低空飛行でいまいち気分が優れないところに、どんよりとした雨雲から雨が滴っているのだ。通学鞄から折りたたみ傘を取り出すのも億劫になる。
「あれ? 鬼頭さん、帰っちゃうの?」
「うん。ちょっと体調が悪いねん」
「そう。また明日ね!」
「……バイバイ」
部活動に向かう隣のクラスの女子を見送って、憂鬱な気持ちが晴れないまま優里は帰路につく。
昨日は智明と久しぶりに通学路を歩いたが、今日は一人で傘を指して歩いている。
「モアのアホ」
ファーストキスを捧げた幼馴染みと、どんな顔をして会おうかとかどんな会話をするだろうかとか、ハシャいだり恥ずかしくなったりときめいたりしていた自分が愚かしく思え、気持ちのぶつけどころがないためにとりあえず罵ってみた。
智明が学校を休むことは珍しいことではない。年に一度か二度は風邪をひいて休むことがあり、最近は真と夜遊びをしたために睡眠欲に負けてズル休みをすることもあった。
しかし今までならばちゃんと学校に連絡があったのに、今日は学校にも教師にも連絡はなく、心配した優里が送ったメールにも返信がない。
智明だけではなく、今日は真も学校を休んでいる。
真の場合は、ズル休みで学校に来ないことが多いのだが、それでも担任のメールには何かしらの返事をするのだが、今日は智明と同様に何の連絡もなく休んでいるようだった。
やはり優里のメールにも返信はなく、優里の気分は一日ずっと低空飛行のままだった。
優里の憂鬱のタネは智明や真の無断欠席だけてはない。
進路を巡って両親と意見が合わないのだ。
優里の父親は大阪で市議会議員に就いていたが、淡路島への遷都が本格的に始まった際に在籍する政党から指示を受け、将来的に発足するであろう都議会議員ないし区議会議員になるための地盤作りとして、現在は首都の区割りがなされる前の暫定的自治体となっている旧南あわじ市の市議会議員に就いている。
鬼頭の家柄は代々関西を中心に政治との関わりを持っていて、さすがに優里を代議士にするつもりはないようだが、有能な婿を迎えて地盤を継がせようという魂胆があり、そのためにはと優里の進路も決めてしまっている。
これは父親だけの企てではなく、料理研究家として名を売っている母親も似た考えのようで、優里の望む進路とは異なった進学先を示してくるのだ。
「……帰りたくないなぁ……」
バスに揺られながら窓の外に向かって本音を漏らした優里だったが、その言葉を拾ってくれるものは周囲には居ない。
学校に居残って部活なり宿題なりで時間を潰してもいいのだが、最近はそんな気分にもなれず、かといって早く帰宅して両親と顔を合わせたらまた平行線の会話をするはめになる。
そういったモヤモヤが昨日の自分の行動に繋がったのかもしれないが、鬱憤晴らしで智明とキスをしたわけでもない。
優里の心情はどうあれバスはいつものバス停に到着し、仕方なくバスを下りた優里は、自宅とは別の方角へ歩を進め一人で喫茶店に入った。
アイスレモンティーを注文してスマートフォンを確認してみたが、智明からも真からも連絡は来ていない。
「なんかあったんかな……」
午後四時を過ぎた店内に客の姿はまばらで、優里が考え事と時間潰しをするにはうってつけだったが、いかんせん一人ぼっちという寂しさは拭えない。
学校で智明と真のどちらともと顔を合わせないのが相当に堪えている。
思い返せば、小学校の六年間はほとんど毎日彼らと顔を合わせ、放課後に待ち合わせて遊び回り、週末も誰かの家に集まっては遊んだり勉強したりという日々だった。
中学に入って一年生と二年生はクラスが離れてしまったために疎遠になったが、三年生からは同じクラスになり、一日に一度は必ず言葉を交わしている。
いや、むしろ一言でもいいから二人と話したくて仕方がなかったので、用事や話題が無い時でも優里は話しかけるようにしていた。
幼馴染みの気安さとか、男女の境を越えた友情とか、心を開いて話せるとか、そんな感情ではない。
いつから芽生えたのかは自覚していないが、二年の空白のうちに二人との思い出は好意へと育ってしまっていた。
「……コトのバカ」
優里が智明と真への好意を自覚した時、まるで優里の心の中をのぞき見たように真からアプローチを仕掛けてきた。まだ告白したり付き合ったりという考えに至っていなかっただけに、真と二人きりで会うことにひどく緊張した記憶がある。
真の部屋で話をするうちに、ドラマで見るようなよそよそしくてモジモジする雰囲気が訪れたのだが、真が安易な下ネタで気持ちをはぐらかしてしまったので、優里はホッとしたような不満が残るような曖昧な気分で家に帰ったのを覚えている。
それでも真からの好意を感じ取れたし、優里自身が真をどう思っているかの確認もできた出来事だった。
「なんでモアやったんやろう……」
智明と真に対する優里の好意に、差などなかったと思っていた。
同じ時期に出会い、ほとんど同じ時間を共有し、同じ様に接してきて同じ近さで過ごしていた。
明るくてヤンチャで積極的で先頭に立って遊ぶ真は、アイデアマンでムードメーカーと捉えていた。
対して、消極的で大人しくて物静かだけど優しい智明は、その場の隠し味的な立ち位置ながら優里や真のフォローをしてくれていた。
そんな二人の間で、優里は真を嗜めたりお説教したりしつつ囃し立て、智明に頼ったり発言の機会を与えたり甘えさせてもらっていた。
「……あ、そっか」
小学生時代の自分達を思い返していて、ようやく二人の違いに気付いて優里は帰り支度を始める。