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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第九章 光のレイライン
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ノムラマサオ ④

「こちらこそよろしくです。

 ……じゃあちょっと本題に戻って。

 ……朝早くからの生放送のお仕事をされていて、様々なイベントにも参加されていて、多趣味でいらっしゃる。 何かこう、お体のケアや健康法のようなものはありますか? 日課のようなものでも構わないんですが」


 バイクや淡路島の話題からナノマシンの話題へと切り込んだが、強引過ぎて野元の声に少し緊張が混ざった。

 それを察した、というわけではないだろうが、ノムラマサオがまた体を椅子にもたれさせる。


「う〜〜ん。……まだまだ体の衰えは感じてませんし、仕事が趣味のような部分もあるんでストレスも感じてませんからねぇ。 一応、事務所の方針でメディカルチェックは年に一度受けてますけど、それくらいですね」

「お仕事と趣味が近くにあるわけですね。ストレスがないのは羨ましいですね……」


 ノムラマサオの言葉を繰り返しただけの野元の返事に、ノムラマサオも愛想笑いをしただけで会話が止まってしまった。


 あっとなって次の話題を探すのだが、言葉を継げなくなってしまった野元は視線が泳いでしまい、慌てれば慌てるほど頭が真っ白になっていく。


「……失礼ですが、所属されている事務所様でのメディカルチェックはナノマシンを用いたものですか? それとも旧来の人間ドックのように一日がかりのアナログ検査でしょうか?」


 口をつぐんでしまった野元のフォローで河野が控えめながら切り込んだ。


「まあ、ナノマシンですが。……なんか急に堅い質問やね。なんかあるんかな?」

「失礼しました。『いたみのそら』の協賛にナノマシン医療の推進団体様がいらっしゃるので、何か関連付けられるワードが拾えないものかと思いまして」

「そうなんですね。……さすがにちょっとそういうネタは避けてほしいかな。事前に言ってもらえてたら対応するんやけど、ステマを勘繰られたり協賛によった記事は後々面倒なんで。ギャラの面でも変わってきますから」


 ナノマシン医療自体はH・Bよりも前から世間に普及しており研究が進むにつれてその範囲は広がっているのだが、より多分野に拡大させたい推進派と限定した分野に留めたい限定派との対立がある。

 河野の切り込み方は無遠慮で礼を欠いているのは間違いない。メディア露出を生業とするDJならば、ステルスマーケティングや企業案件を気にかけるのも道理だ。

 しかし野元には好機だと思えた。


「失礼しました。先程の質問の部分はカットさせていただきます」

「いやいや。まあね、そこは業界のルールやから」

「申し訳ありません。……ただ、失礼を重ねるのは承知しているのですが、取材とは別にナノマシン医療の印象や個人のお考えなどを伺ってもよろしいでしょうか?」

「目的や意図は何ですか?」

「今後の私共の活動方針を定めるためと思っていただいて結構です。限定された地域に配布するフリーペーパーですが、生き残り方というか舵取りは常に考えなければなりませんから」


 恐縮し頭を下げる野元に対しノムラマサオは腕組みをしてしばらく思案してから答えた。


「……僕は取材を受けて記事にしてもらう側やから方針や活動に口を出せる立場やないですけど、協賛企業やスポンサーさんのご機嫌伺いをしなければならないのなら、やはり最初に申し合わせが欲しいですね」 「ごもっともです」

「……まあ、いいでしょう。雑談の範囲で済ましてもらえるなら、僕はナノマシン医療は推進してると言ってもいい。そうした討論会や推進イベントに呼んでもらったこともありますからね。

 ナノマシンによって病気や老化を回避して明るい未来が来るというのなら拒む理由すらないと思ってますよ。 脳ミソを機械にしたくらいですから、そのうち体を機械化したりアンドロイドのような器に魂を移し替える未来もあるかもしれない。

 それが当たり前になるのならナノマシン医療が進歩することは喜ばしいことだと思いますよ」


 真面目なトーンで語るノムラマサオを見て野元は『来た』と喜ぶと同時に、今日一番の緊張で体が力むのを感じる。

 ノムラマサオの表情は眉根を寄せ怒気すら感じるし、神妙とも取れ、野元の追求いかんではこの取材の席が成り立たなくなる可能性もある。

 それでも今は亡き娘の顔が脳裏によぎり待ちに待った一手を打つ。


「トランスヒューマニズム、というやつですね」

「……ですね」

「体をH・Bのように機械化するというのは大変な技術だと思うし、成功すれば人類の進歩――いや進化と呼べるものなのかもしれない。

 ですが、そうしたものが出来上がる過程には、理論や期待だけではどうにもならない壁が存在すると思われます」

「……何を仰っしゃりたいのか――」

「例えば新薬や最新技術を『効果あり』と示そうとするとき、どのような手段が効果的で理想的なんでしょうか」


 背筋を伸ばしひたと視線を外さない野元に対し、ノムラマサオは腕組みを強くし口元を隠すように右手をあてがう。

 数秒ほど押し黙っていたノムラマサオが、野元の視線を跳ね返すほど強く睨みながら問い返した。


「……人体実験の可否を僕に聞いてるんですか? なぜ?」


 今度は野元がたっぷり五秒間黙ってから切り返す。


「あなたがトランスヒューマニズムにお詳しいからです」


 野元が断定的に言い放つと、ノムラマサオからの返事が途絶えて室内を沈黙が支配した。

 目線も、腕組みも、微動だにしないノムラマサオを野元もまた視線を外さずに凝視する。


「……ふふ。……ははは」


 少し経って小さな含み笑いが起こり始めたかと思うと、ノムラマサオは堪えきれないとばかりに目を細めて笑い出した。

 口元にあてがっていた手を離しのけぞるようにして大笑する。


「――はははっ!

 はぁ、はぁ。……いや、失礼!

 そりゃあ少しは知識はありますけどね。

 僕は専門家ちゃいますから!

 人体実験の可否なんて当然ノー!です。

 ましてやね、ナノマシンで体を機械化する技術が完成したとして、人体実験を推進派が敢行するなんてことも有り得ないでしょう。

 そんなのは子供の書いた三文小説ですよ」


 ノムラマサオは断言してハッキリとした笑顔を野元に向けてきた。

 しかしその目は今まで見せてきた笑顔や考え込むものとは違い、野元を射抜くような鋭さと圧力を感じる。

 また山野がワンショット押さえる。


「……私は、ナノマシン医療の推進や躍進には賛成しています。だが人類の発展のために犠牲を強いるやり方は否定している。人の命を……未来を繋ぐために人の体で試すということは許容できない。そんな組織や団体が存在しているのなら、許せるものではない!」


 決してノムラマサオの圧に負けたり挑発に乗ったというわけではない。が、野元が何年もの間封じ込めていた娘への思いや後悔、更にはHDの問題で思い起こされた怪しげな誘いへの怒りや拒絶が言葉となって溢れ出てしまった。


「申し訳ありません。今日はここまでにしておきましょう」

「そうですね。そうしましょう」


 野元の様子に異変を感じたのであろう河野が申し出て、ノムラマサオも取材の中断に同意した。

 山野は河野の提案を拒むことなくそそくさと帰り支度を始め、河野も野元の背中に手を触れさせて偽取材の終了を促した。

 しかし野元が口を開くよりも先にノムラマサオが場を締める。


「……では僕は失礼しますよ。原稿のチェックはさせてもらいますんで、また事務所に連絡をください。それじゃあ」

「分かりました。本日はありがとうございました」


 野元の感情的な発言を蔑むように言い放ち、ノムラマサオが立ち上がって足早に会議室から立ち去った。

 河野と山野はゆっくりと閉じていくドアに頭を下げた。


「……すまん。撤収しよう」


 ノムラマサオが立ち去ってしばらくしてから野元が小声で任務の終了を告げた。

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