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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第九章 光のレイライン
259/485

絡み始めた意図 ②

   ※


 不意に目が覚めた舞彩は、喉の渇きを覚えてゆっくりと体を起こしベッドサイドに足を下ろした。


 旧洲本市と淡路市の境にあるラブホテルは、シンプルでいやらしさのない内装で不用な設備が廃されていて、入り口の常夜灯とソファー横のルームライトの灯りで淫靡な雰囲気を作り出している。

 もっとも舞彩の隣りで盛大にいびきをかいている黒田を見てしまうとやや興醒めの感はある。


「こっちが許しててもこれなんだから」


 信念が強く堅い性格の男も気苦労をさせると思ってしまう。


 はだけたバスローブを正し、スリッパを引っ掛けて冷蔵庫へ向かう道すがら、ずり落ちた下着を持ち上げる。

 昔から軽い男や信念のない男に体を許すことはなかったが、この人とならば!と認めた男達も舞彩を結婚にまで踏み切らせるには至らなかった。

 彼らとの交際に不満や後悔はないのだが、舞彩の思い描く結婚や将来には何かが届いていない気がして、そのうちに三十を越えてしまった。


 年齢を重ねることへの恐怖や焦りがないとは言えないが、雄馬がいて、仕事があって結果を出せていれば不安も不満も横に置くことが出来ていた。


「やっぱりブラコンなのかなぁ」


 ペットボトルの水を飲み干してベッドを振り返ると、短く唸って頬をかいている黒田が目に入る。


 自分よりも年上のはずの黒田が終始可愛らしく見えてしまうことに戸惑ったし、その割りに欲に対して我慢していることを隠さないばかりかタガが外れそうになって慌てる様が面白い。

 久しぶりに『この人となら結婚生活も夢見ていいだろう』と思えた。

 その比較対象が雄馬であることは黒田にも雄馬にも見つかってはいけないな、とも思う。


「ダーリンなんて言って甘えてるとか、恥ずかしいもんね」


 ベッドへと戻ってきた舞彩は黒田の寝顔を眺めながら弟に詫びる。


 思えば大学を卒業して就職が決まり舞彩が実家を出るまで雄馬とはべったりだった。

 在学中は互いに部活動やサークルでスポーツなども嗜んだが、夜食の後に舞彩の部屋で一緒にゲームをしたり休日には雄馬を連れ回す形でほとんど一緒にでかけていた。それこそ舞彩が一人暮らしをするまで風呂も一緒だったし、思春期を迎えた雄馬に男が取るべき女への接し方を躾けたりもした。

 互いの恋愛事情を話したこともあるし、雄馬からアドバイスを求められれば時間を割いて相談にもよくのっていた。舞彩からは事後報告が多かったが、それもまた雄馬への授業だった。


「この人なら大丈夫だよね」


 黒田の寝顔を覗き込みながら思わず雄馬の許しを乞うてしまう。


 きっかけは本当の偶然で、捜査に行き詰まりを感じた黒田が雄馬に連絡を取ったことで共同戦線が始まり、雄馬が拾い上げたネタが思わぬ広がりを見せ舞彩が手伝うことになり舞彩と黒田の出会いに繋がった。


 雄馬と黒田は五年来の腐れ縁だと聞いている。互いの仕事のやり方や姿勢を熟知しているはずで、会って数日だが舞彩も黒田の人となりは見抜いているつもりだ。


 身じろぎをした黒田の額に前髪が一筋かかり、それをそっと払って静かに顔を寄せる。


「……ん、うん? マーヤ?」

「あは、起こしちゃった?」

「んー、いや。……なんかしたんか? なんやめっちゃええ夢みとっとら」


 寝ぼけ眼を擦りながら夢の話を口にする黒田を眺めながら、舞彩は期待半分で意地悪をしかける。


「私の夢でも見てた?」

「おお? うん。マーヤとピクニック行っとったわ」

「ほんとに? 山かな? 公園かな?」


 近くに投げ出されていた黒田の手を取り弄びながら問い詰める。


「……山やな。学生時代に長野とか岐阜の山でよー遊んびょったんよ。ゴンドラで天辺まで登りよったさかい、白馬やな」

「じゃあ、落ち着いたら連れてってね」

「ああ。落ち着いたらな」


 面倒そうな色もなく弛緩した顔で微笑んだ黒田は合格だと感じ、舞彩は黒田に覆いかぶさるようにして重なった。

 黒田の空いている手が背中に乗せられ、ぼんやりと温もりが伝わってくる。


 ――いつ落ち着けるか分かんないけどね――


 こんなにも雄馬の事を考えたり黒田に甘えたりするのは、きっと舞彩の本能が危険を察知しているからなのだろうと分析する。

 脳内に届いたメールでは、雄馬が真相究明のヒントになる推測を得られたとあり、加えて協力者も現れたような内容が綴られていた。


 しかし、当初想定していた黒幕よりも巨大で闇深い相手が潜んでいそうだともあった。

 直接的な命の危険も考えられる、とも。


「しばらくこのままでいていい?」

「かまんけど。どないした?」

「ただの気分」

「……そうか」


 黒田は何か言いたげに身じろぎしたが、問い詰めずにそのまま舞彩の体を受け止めてくれた。

 甘えられるところと頼れるところがすぐそばにある事を幸せに思い、舞彩はもう少しだけ眠ろうと思った。

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