光のレイライン ③
北野のオフィスにある応接セットに座した雄馬と貴美の向かいに板井と北野が座り、冷えたお茶が配られたあとに北野が口を開いた。
「じゃあ、まずはさっきの会社から行こうか」
「これですよね。有名な会社なんですか? 情報元からは『ゲーム関連の会社かも』と聞いてはいるんですが……」
再度可視化させた『有限会社ヴァイス』のホームページのトップ画像を示しながら、雄馬は鯨井医師から提供された不確かな情報を付け足した。
北野は背中を丸めながら顎にそえた右手人差し指で肌をかきながら答える。
「うんと、そうやね。ゲームの開発会社ではあったね。ただちょっと、ここでもうすでにいわく付きなんだけども……。
イタちゃん。あれいつ頃の話やったっけ?」
「ええっとね、設立は五〇年頃やなかったかな。事件があったんが五三年やから」
「そうかそうか。H・B導入が審議される前だからその頃か」
北野と板井の間で交わされる言葉のことごとくが耳慣れないため、雄馬は手を上げて二人のやり取りを遮った。
「ちょっとすみません。それ、関係あるんですか?」
「ごめんなさい、えっとね、あります。
『ヴァイス』というのは二〇四〇年代のVRゲームブームの尻馬に乗っかったゲームハードの会社でね。五〇年頃に次世代ハードを開発しようとして設立された小さい会社なんですよ。
ただ、彼らが公式発表したゲームハードのデバイスは、それまでのVRゴーグルやウェアラブルタイプのコントローラーとは違ったアプローチで、当時まだ実験段階だった|脳波位相型潜行拡張機器《ニューロンVRマシン》と呼称される物だったんですよ」
「これがね、まあ大嘘も大嘘で、世界中のどこの研究室でも成功してない技術でゲーム機作る!言うとったわけやね。
結果、世紀の大事件が勃発したわけや」
「要はね、脳波を遮断して意識とか感覚をインターネット世界に放り込んで、まるで現実世界のように体感出来るゲームとそのゲームハードの開発のふりをして、人でなしの人体実験をしてたことが脱走者の証言で明るみに出たんです」
「で、経営者から出資者から取引先から、あっちもこっちも全部逮捕されたはずなんやけど、そこから情報はぷっつり途切れてしもた」
雄馬の知識や理解など置き去りにして北野と板井の解説が続く。
「それでここからが世間に出てない裏の話になるんだけれども。
言ってしまえばその時の人体実験がですよ、何者がナニを研究しようとして人体実験していたのかってことなんですよ。
だっておかしいですよね?
人間の意識や感覚をデジタルの世界に落とし込むという考察や理論は大昔から研究されてきたけれども、成功例や実験はおろかそんなものが成り立つ見解や論文すらない状態で開発や実験とか、かなりいっちゃってるわけで」
「これは何かを隠すためのブラフなんちゃうかとなるわけですわ」
北野の調子に合わせた板井の学者ぶった口調に、とりあえず雄馬は「はあ」と相槌を返す。
まだ核心には至っていないようだ。
「何を隠さなあかんかったんか!」
「それはね、脳に関係する本当の最新技術の実験やないか、となるわけです。
ここからは推測ですよ?
あくまで想像でしかないんだけれども、聞いた話では孤児を集めて改造手術みたいな行為があったらしくてですね、研究開発っていう密室でどえらいことをやったんじゃないかという話です」
「な、なるほど」
『想像を語っている』という前置きがあっても、雄馬にとっては胸糞の悪くなる話をされて言わずもがなの返事しか出来なかった。彼らが干された原因も少し分かった気はするが。
今のところ雄馬の求めている答えには到達しそうにない。
「それでその、どうなるんです?」
話の着地点がどうなるのか急かした雄馬に対し、北野はお茶を一口含んでから答えた。
「ここで注目して欲しいのは年代と末路なんですよ」
「五〇年代の事件で、捕まったかどうかあやふやで、その後の処分も分からん。絶対なんかある」
「考えてみたらね、この頃の医学とか科学の注目していた分野は何なのか?って話で言うと、脳とかVRとか意識とかね、そんなものを実験せなあかん話題って一つしかないわけですよ」
「H・B!!」
「そう! それっ!」
板井と北野に導かれるように答えた雄馬に、板井は手を打って叫び雄馬に右手の人差し指を突き付けた。
確か鯨井医師からの情報では、日本は諸外国に遅れる形で二〇六〇年頃にH・B導入に関する審議会が持たれたとあった。
それは即ち、その会議までに日本でもある程度のH・Bの研究開発が秘密裏に行われていた事を示していて、『ヴァイス』が隠れ蓑であったとすれば一応話は繋がりはする。
当時の日本の医学界と科学界が海外諸国に遅れを取っているという焦りがあり、政府や政治団体や財界がバックについていたなら有り得ない話とは言い切れない。
「これは僕らの想像ですよ?
要はね、小さな有限会社を一つ仕立てて、政府とか政治団体がバックにつくかなんかしてですね、人体実験が出来る環境を作ったと。
で、何かトラブルがあって実験を受けてた孤児が逃げ出して大騒ぎになったけれども、それを有耶無耶にする別の騒ぎを起こして『無かったこと』にしたんじゃないかと」
雄馬の心の内を読んだような北野の予測に、逆に雄馬は少し冷静になって薄く笑った。
いくらなんでも子供じみた短絡的なはめ込み方じゃないか、と。
しかしその自制を板井がひっくり返すように北野に促した。
「北野さん、あの話もせなあかんのちゃう?」
「そうだね。高田さんはHDって知ってます?」
「っ!?」
北野の問い掛けに雄馬は思わず息を飲み、顔を引きつらせて絶句した。
雄馬から存在を示唆することはあるかもしれないと思っていた情報が、北野と板井から先に出されてしまった事に驚いたのに加え、彼らの持っている『情報』とそこから類推した『想像』の確信性に怯んでしまう。
「これは噂なんで僕らもちょっと全部を信じてる訳ではないんですけどね」
「まあでもH・Bと同時期に論文で提唱されてるモンやし、一部の金持ちやお医者はんがHDのことを口にしてるから、間違いないやろ思うんやけどね」
「日本には、というかもうこれは世界規模でこっそり進んでる話だろうから、僕に言わせれば隠せてない事実なんですよ。
そもそも大昔から権力持った人間は不老不死というものを求めてきた訳で、煩悩の最たるものはそうした権力や富を永遠に持ち続けて、俺だけは死にたくないという欲に行き着いてしまいますからね」
「『業』というやつですわな」
雄馬がリアクションを返していないにも関わらず、妄想トークが加速し始めた二人はまるでかつてのメディアでの掛け合いを復活させた勢いで、『想像』という枠を超えた断定と私見を並べ立てていく。
北野良和と板井正勝の暴走を耳にしながら、雄馬は自分の頭にある情報とのすり合わせをどのように行うかを考えていた。
二人の持つ情報があとどれくらい貯蔵されていて、どこまで深く雄馬の手元に引き出せるか、その見込みと見切りをつける時にいると強く感じる。
「……ここまでをまとめてみますと、この『ヴァイス』はH・BやHDの導入を推し進めるための仮面会社で、そこでは実際に人体実験が行われて、現在はその実態はもみ消されている……。
そういう事で間違いないですか?」
「そうそうそうそう」
「さすが週刊誌の記者さん。まとめるのがうまいね。付け加えるとするなら、仮面会社というよりは被験者を集めるための入り口にしてたという感じかな。実験のために誘拐は出来ないわけだから」
「おっさん! 言い過ぎや!」
「いやいや人道的知見だから」
北野と板井はあくまで『想像』を語っているせいか、それとも関西のノリで冗談めかしているのか、かなり非道な単語が乱れ飛び始め雄馬にまた頭痛が襲ってくる。
しかし、淡路島のバイクチームに『どぶろくH・B』や『HDの実用試験』をばら撒いているのは二人の言う人体実験に他ならず、過去の騒動との類似性や共通部分が多分に感じられるのは確かだ。
ならば、雄馬は二人が望む通りに何もかもを打ち明けて地獄の淵まで連れ立つ覚悟をしなければならないと思えてくる。
「ではこの地図は何なのだろう。この会社の場所ということか?」
不意に起こった問い掛けに声の主を振り返ると、雄馬の隣に座っていた藤島貴美が、センターテーブルに可視化させている日本地図を指差していた。
「そ、そうですね。この地図のお陰で北野先生の事を思い出したんです。確か、この前にお会いした時にレイラインを研究した本の事を打ち合わせてらっしゃいましたよね? これは簡略化された物ですけど、そうなんじゃないかと閃いたんです。いかがですか?」
貴美の冷静な声に記者の本分を思い出した雄馬は、揺らいでしまった気持ちを取り戻すように一気に言葉を継いで北野に意見を求める。
『ヴァイス』の顛末よりもこちらの方が重要であるはずだ。
「そういえばあの時期はレイラインの研究に没頭してました。確かに確かに。そんな話もしてました、はい」
雄馬の記憶をなぞるように肯定し、北野は当時の事を振り返って恥ずかしがるようにはにかみ、右頬を撫で回して笑ったあと、可視化された地図に描かれた『米』の字状の白線を指す。
「ええっとね、お嬢さんの疑問は残念ながらハズレてましてね。『ヴァイス』は長野県なんで。あぁの、長野あたりだと聞いてますんで、線が交差している点が淡路島ですから、会社の所在地というのは違うんですよ」
「まあ都市伝説とか噂っていい加減やから、もしかしたら会社の建物すらないかもやけどね」
北野の淡々とした解答を和らげるためか、板井が貴美を気遣うように笑顔で付け足した。
雄馬はその板井の何気ない言葉に閃くものがあったが、彼の表情が嘘臭くもありヒントめいて見えたりして、形が定まる前に次の話が始まってしまう。
「これはレイラインと呼ばれている地図上に引くことのできる直線で、意訳すると『光の線』となって、光のように真っ直ぐな直線という捉え方になるわけです。
それで、本来は英国辺りのとある遺跡や遺構が、何キロも離れているのに真っ直ぐな一直線で結べる事から、共通の要素があるランドマークや目印を地図上で結べた時に『レイライン』と呼ぶようになったんですよ」
北野は貴美に伝えようと目を合わせて解説し、言葉を切ったタイミングで可視化しているディスプレイの白線を指差す。
「でね、さっきは英国を例に出したんだけれども、実はね、こうしたレイラインは国境や大陸を越えても結べてしまうこともあって、有名なところでは南ヨーロッパから地中海・インドを通って東南アジアまでの世界遺産を結べてしまうレイラインも見つかってるんです。
そうなるともちろん、日本も例外じゃない訳で。
日本ではありとあらゆる共通点で、様々なランドマークが結ばれたレイラインが無数に、縦横無尽に発見されているんです。
これの面白いところは、単純に何かと何かを直線で結べるというだけじゃなくてですね、この地図のように交差したり、五芒星や三角形が形作られたりしている所なんですよ」
「五芒星……」
持論展開の興奮のせいか説明の止まらない北野の声の影で、貴美の何かを噛みしめるような呟きが起こったが、やはり北野の勢いにかき消されてしまって雄馬が取り上げることは出来ない。
「北野さん! 北野さん! 暴走アニキ、ちょっと落ち着け」
「――ええ、なんで? これからが本題だよ?」
かなり強引に板井が北野の講釈を引き止めると、北野は不思議そうな顔で板井に振り返った。
この隙きに雄馬は話題を転換させる。
「つまり、この地図の四本のレイラインは何を示しているんですか?」
「え? ……ああ、オホン!」
雄馬を振り返った北野は弛緩した表情で間抜けな声を出したが、『ほら見ろ』と言わんばかりに板井に肩をつつかれて、ようやく雄馬の問い掛けに頭が追いついたように咳払いして応じる。
「ええっとね、えっと、はい。
このレイラインの東西と南北で交差している二本は、そのままそれぞれの末端が方角を示しているんですよ。
それで、北東方向の末端は夏至の日の出。
南東方向は冬至の日の出。
南西は冬至の日没で、北西は夏至の日没なんですよ。
ちなみに真東は春分と秋分の日の出で、真西は日没になる。
で、ですよ。 日の出とか日没とか、見る場所によってズレていくじゃないかという指摘は当然なんで、ちゃんと言います。
要はこの四本のレイラインは通称『光のレイライン』や『太陽のレイライン』と呼ばれる唯一無二のもので、日本にここまで美しい交差のレイラインはこれだけだと僕は思ってるんです。
なぜかというと、このココ。四本のラインが交差している点は淡路島なんですが、ただ淡路島にその交点がある訳じゃないんです。
ズバリ、伊弉諾神宮がこのレイラインの起点、または太陽の観測点という事なんです」
「……ああっ」
得意げな顔で雄馬を見つめ地図の一点を指し示した北野だったが、雄馬が相槌を打つべきタイミングで貴美から何かに驚いたような声が発せられた。
「貴美さん?」
背筋を伸ばして畏った姿勢だが、心なしか打ち震えて見える貴美の異変を感じて呼びかけたが答えはない。
雄馬は貴美を落ち着かせようと肩に手を置いたが、貴美の小刻みな震えは収まりそうにない。
「大丈夫ですか?」
「あれやったら横になっとく?」
「ちょっと休憩しましょうか」
雄馬だけでなく板井まで貴美を気遣い、北野は休憩を提案して席を立った。




