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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第九章 光のレイライン
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光のレイライン ②

「……何かご存知ではないですか?」


 たまらず呼びかけた雄馬だが、先程まで軽妙だった板井はジッと北野を見つめ、北野も考えにふけるポーズのまま動かない。


「……いや、うーん……」


 歯切れの悪い北野の唸り声に、雄馬の直感は『知ってるのに話せないのか?』と勘繰る。


「北野先生?」

「ちなみに、何を調べててこれに行き着いたん?」


 疑い調子で問い詰めようとした雄馬に答えたのは顔を引つらせた板井。

 その様子から板井も『ヴァイスを知っているのだな』と断定できた。恐らく、北野と板井が知っている真相を明かして良いものかの迷いや葛藤に決着を付けるための時間稼ぎをしているのだろう。そうでなければ編集者が記者に情報の出所を聞くなどという無意味なことをするはずがない。

 雄馬としてもあけすけに全ての事情を話すわけにはいかない。


「ちょっと答えにくいですね。『とある人物を探していて』、という感じでして」

「そう言わんと教えてよ。先生にアポ取るために『日本を揺るがす大事件のため』言うてたやん」

「それは間違いないです。ただ、お二人に危険が及ばないように配慮しないといけませんし――」

「おいおいおい。それってどこまでのこと言うてんの。秘密結社とか闇の組織みたいやな!」

「いやいや、そんなそんな……」


 雄馬をからかうように目を剥いてツッコみ、わざとらしく大笑する板井。

 それを困惑しつついなしていた雄馬だが、ふと板井の頬を伝う一筋の汗に気付いた。


 ――やっぱり何かおかしい――


 押し黙ったままの北野といい、雄馬の意図とは外れた方向へ導こうとするような板井の言動は、雄馬の質問から逃れようとしているからではないか? そう思えてきた。

 追っているネタを明かしたくない記者の心理を逆手に取り、彼らは真実を口にしなくて良いように立ち振る舞っているのであれば、どちらかが相手を巻き込むなり共倒れする覚悟を決めるかの『我慢比べ』をするしかなくなる。


「もしかしてですが――」


 声のトーンを落として切り出すと、北野と板井が雄馬を見る。


「知っているけど話せない、話したくないというやつですか?」

「何を言うてんねん……」


 真顔に戻った板井が即座に否定したが、そのまま口をつぐんで北野に視線を振り、また無言の時間が訪れた。


 たださっきまでと違うのは、板井が明らかに動揺した目を北野に向け、北野もその視線に対して判断に迷う表情を返し腕組みを解いたことだろう。

 これを雄馬は仕掛ける時だと判断する。


「何か迷われてらっしゃるようなのでぶっちゃけてしまいます。

 はっきり言って僕が追っているネタはメチャメチャ大きいです。

 板井さんを口説く時に言った例え話や比喩は、これっぽっちも嘘じゃないし、さっき言った命の危険も有り得る話です。

 現に、うちの社の記者が正体不明のバイクに追跡されたりしてますからね。

 だから撮影もお断りしたし、お二人の興味を引くような取り入り方もさせてもらいました。

 ここまで言えば大体分かってもらえますよね? それを踏まえて、なんとかお知恵をお借りしたいんです」


 なるべく脅しにならない言い回しをしつつ、覚悟めいた言葉と事実を混ぜながら説得を試みる。


 これは雄馬の賭けで、メダル一枚を残して全額ベットしているに等しい大博打だ。

 相手が開き直って雄馬よりも切迫したものを上乗せ(レイズ)して来たら、雄馬は逃げ道がなくなり洗いざらいを明かさなければならなくなる。

 北野と板井は賭けに負けて情報を口にするか、付き合いきれないと言って逃げるか、雄馬の追っているネタに関わって運命共同体となる覚悟で同等の賭け金をベットするかの三つの選択肢がある。


 雄馬が勝ちになる条件はそのくらい辛い。


「……北野さん」

「うん」


 雄馬がもう一歩踏み込もうとする直前に、板井が北野に声をかけ北野がわずかに首をうなずかせた。


「高田君。僕らがなんでこんな落ちぶれた場所で細々と本を出してるか知ってる?」


 改まった態度で切り出した北野の表情にはやや苦いものが混ざっている。


「以前の取材の折りに大体の経歴は調べて知っていますが」

「そう、俗に言う『干された人間』なわけだね。その原因は知っているかい?」

「さすがにそこまでは」


 雄馬が事前情報として頭に入れた北野良和のプロフィールは、サブカルチャーやオタク業界の評論家であり研究者で、テレビやラジオや動画への出演や、雑誌やブログ記事のコラムなどに寄稿も行っていた。しかしある時を境にメディアへの露出が減り、現在はマニアックな研究本を年に数冊出版する程度だ。


 北野の言い様ではメディア露出を控えざるを得なくなったので『干された』、というか制裁や自粛をせねばならなくなったということか。


「自分の話をするのは苦手なんだけど――」


 居心地が悪いのか迷いを打ち消すためか、北野はシャツの裾を直してズボンを上げる仕草を交えながら続ける。


「僕とイタちゃんと何人かで作っていた深夜番組で業界の闇に触れてしまったんだよ。

 もう終わった事だから、今更ナニの何がとは説明しないけど、つまりそういう大きくて強いモノと接した事がある。

 君も記者をしているのだからそういう話は耳にすることがあるはずだ」


 神妙な顔で語る北野に、雄馬は「はい」としか答えられなかった。


 真実報道を心掛けている『テイクアウト』でも、誌面に書けないことがある。


「その上で、例えばこの件の真相がそうした巨大なモノであった場合、君はどうするんだい?」


 雄馬の目をジッと睨んだ北野の言葉に、雄馬の息が詰まり心臓が飛び跳ねた。


「そんなこと、決まってす」


 やけに狭まった気道から声を絞り出したが、急に早くなる鼓動で体が熱くなる反面、頭から血の気が引いて頭痛が起こり寒気を感じ始める。

 ここで雄馬は黒田と鯨井が、自分との取り引きを渋った場面を思い出した。


 ――あの人達はここまで見えていたのか――


 決して雄馬の想像力が乏しかったわけではない。

 しかし黒田刑事と鯨井医師は雄馬よりも現実的に事態の推移を予測出来ていた事に気付く。

 自衛隊と政府。その後ろ盾や黒幕であろう財界。もしかすると海外に軸足を置いている組織などの関与があろうとは思っていた。

 この時点で子供じみた夢想や妄想であるから、もっと深く踏み込んで自分の目で確かめてやろうという驕りがあったのかもしれない。


 ――これが現実か――


 北野と板井の行ったどの発言が何者の秘密に触れたのかは分からないが、北野が雄馬に浴びせてくる迫力は生半可ではなく、雄馬の覚悟や想定した反撃以上のものがあると認識を改めさせようとしている。


「……書きます。僕は書きますよ。もう、その一手は世に放ってますからね」

「そういう事なんです。北野さん、彼は淡路島の自衛隊の記事を書いたんです」

「よろしくお頼み申す」


 乾いた喉を生唾を飲んでなんとか湿らせて決心を口にした雄馬に、板井が擁護するような後押しを付け加えてくれた。

 どこか決意表明が薄められた感はあるが、北野から情報を得られるなら些細な事に拘らなくていいだろう。

 それより驚いたのは、貴美が頭を下げて北野に嘆願してくれたことだ。


 先程は貴美の立場の説明を端折るために『見習い』などと紹介したが、彼女が雄馬の仕事に協力するいわれなどないはずで、空気を読む性格でもないと思っていたので、かなり雄馬を驚かせた。

 北野が少しの思案のあとに溜め息をつき答える。


「……イタちゃんがもう一回こんな事に付き合うって決めてるんなら、僕だけ怯えてるのはアホらしい。知ってることは全部話させてもらうよ」

「ありがとうございます!」

「ただ、少しだけ条件がある。君が逃げ出さないことと、僕にも現場を見せて欲しい。これが守られないなら、僕は一生君を恨みますよ」


 雄馬が問い返す間を与えずに北野は淡々と言い放ったが、『一生恨む』という言葉の重みが雄馬の腹の奥にズシリとめり込んだ。


「無論です。よろしくお願いします」

「うん。少し長い話になるから飲み物を用意するよ。そっちの部屋へ移ろう」


 北野がすぐそばの事務室を示すと板井がガラスドアを開いて誘導してくれたので、雄馬と貴美はそれに従って部屋を移った。

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