錯綜 ①
「――へえ、幼馴染みなんだ」
「そうなんです。ていうても小学校入ってから知り合ったんですけどね」
「へえ。……あ、タメ口でいいよ? 畏まってたら疲れるでしょ」
「でも三輪さんは年上やし……」
「一人くらい気を使わない同性がいた方が楽だと思うわよ。それにユリちゃんと話してたら私も十五歳に戻れそうだし。それでなくても男ばっかりで華がないでしょ」
「あはは。そうですね」
智明が川崎らとの密談を終えて会議室に戻ると、優里と三輪和美が談笑している光景に出くわした。
智明は飲み干して空になった紙コップに麦茶を注ぎ足し、優里と三輪の話の切れ目を狙って席に戻る。
「なにげに盛り上がってるね」
「あ。モアおかえり。三輪さんが『経理や総務で頻繁に顔を合わせるだろうから』って挨拶に来てくれててん」
「ああ、確かに。そこまで気が回らなかったよ、ありがとう」
川崎の席に腰掛けている三輪に礼を言いつつ、淡路暴走団の特攻服姿の美女を見る。
智明より年かさの女性は他にも数人居るが、その中でも三輪の容姿は目を引くし、特攻服という身なりに違和感のある女性だ。オフィスでカッチリとしたビジネススーツ姿の方が似合いそう。
「いいのよ。たまには女だけのお茶会も気晴らしになるから」
「そういうのも必要だよね。そういやメンバー個々人としっかり顔を合わせる機会って、作ってこなかったなぁ」
川崎とのやり取りで全体的な組織作りばかりに意識が向いてしまい、演説を行ったり班割りをしたりと、全体に対してばかりで末端や個人を見知ってはいないと気付く。
そこへ川崎が戻ってきた。
「何の話ぜ?」
「ああ。クイーンを囲むお茶会とかいいよねって」
「あと、俺らと各班のメンバーが話す機会もあってもいいかもなって話してたんだよ」
「私は本宮に籠もってばかりやから」
紙コップをテーブルに置いた川崎は、腕組みをして智明ら三人の説明に聞き入る。
「まあ、息抜きは必要やけどの。お茶会は女だけでけ? ほれやと班割りがあるさかい難しいけんど、キングとクイーンが班ごとに面談するみたいなんは出来んこともない」
腕組みを解いて腰に手を当てながら答え、川崎は「訓練に組み込んだらいつでん出来っけどの」と付け足した。
「じゃあやろう。こっちから一方的に指揮するだけなのは違うと思うし」
「川崎さん、ありがとうございます」
「いやまあ、言うても百人程度の組織やからの。自衛隊とどうなるや分からんタイミングやし、戦意高揚でも必要なこととも言えるよっての」
やや呆れ気味の川崎はそれでも智明と三輪の意向には寄り添ってくれた。
「ああ、奥野君! ちょう、ちょう来て」
「何ですか?」
「今の今思い付いた案があるんだよ」
気安い川崎の手招きと反するような智明の切り出しに、奥野は微妙な表情ながら「何です?」と繰り返した。
話の流れを読んだのか、三輪が立ち上がって川崎に椅子を譲る。
「クイーンと女メンバーでお茶会しょーかぁ言うてな」
「あと、俺らと各班のメンバーで話をするような時間を持ちたいんだ」
「はあ。……ディスカッションとか親睦みたいなやつですか」
「ほお。詳しいな」
ある程度の企業や組織では、事案やテーマに添った議論や雑談の時間を持つことがある。十代の奥野がそうした仕組みや手法を知識として持っていることを川崎は誉めた。
「学校にそういうのがあっただけです。やって悪い事はないでしょうね」
「だね。ついでに言うと、そろそろ買い出し部隊を稼働させる予定だけど、少額だけど予算を出して個人の趣向品も買えるようにしたいとかも思うんだけど、どうかな?」
「いいんじゃないですか」
「おん。ええんちゃう」
突然の智明の提案に奥野と川崎は驚き半分ながら同意してくれた。ただ一人、三輪は渋い顔をする。
「経理としては出費は面倒ね。それに急なメンタルケアね。なにか狙いがあるの?」
「その辺は迷惑かけるね、ゴメン。ケアとか狙いなんかじゃなくて、リリーが幹部会に出席するのに服を着替えたのと、三輪さんの服を見て直感的に思っただけなんだよ。俺とリリーは、ここから抜け出して買い物しようと思えばいつでも出来るけど、メンバーのみんなはそうもいかない。この先、一週間二週間と籠もる期間が長くなるほど不自由になるなら、何かしらの気晴らしは必要でしょ? その程度の思い付きだよ」
「まあ確かに、女は色々と物入りだからね。着替えくらいは欲しいわね」
智明の返答に三輪は居住まいを直すように特攻服に触れ、グラビア撮影を受けるモデルのようにポーズを取る。
「ちょっと、どこ見てるの? 奥野くんまでやーね」
三輪は自分のポージングに周りの視線が集まったことに気付き、川崎の肩を叩いてから胸元と下腹部を隠すようにして注意の言葉を漏らす。
「すいません。つい」
「シバかんでええがな」
三輪の肢体に見とれていた奥野は素直に謝り、近くに立っていた川崎は三輪に容赦のない叩き方に抗議した。
「オホン。もうちょっと予算があれば制服とかも統一したいんだけど、それはさすがにもっと後の話かな」
「そうね。事務の女の子はユリちゃんみたいなのにしてくれるなら、その案に乗るわよ」
「え! これ、モアの趣味やけどええの?」
「そうなの? キングもやるじゃない」
年上の女性から誉められて智明は照れてしまい、なんと答えてよいかわからず頭をかいてごまかした。その隙きに川崎は椅子へと腰掛け、休憩が終わったことを伝えてくる。
「その辺もまた幹部会で進めていかなあかんの。さて、会議の続きじゃ」
川崎に促されて奥野と三輪は自席に戻り、その様子を見て他の幹部達もそれぞれの席に着く。
「じゃあ、再開しようか」
一同を見回した智明はゆったりと再開を告げると、最後の議題を念の為におさらいし、一つ一つを検証する前に通しで読み上げるように促した。
これを受けて中村が読み上げを買って出てくれ、静まった会議室にヤクザ風のネーミングやヤンキー風の名称が読み上げられていった。
百に近いアイデアを中村一人で読み上げるのは大変なので、途中で鈴木が交代を申し出て三十分ほどの時間をかけて読み終えた。
「――以上がメンバーのアイデアっすね」
「ご苦労さま。ありがとう」
読み上げを締めくくった鈴木と前半を担当した中村を労い、智明は顔を上げて一同を見回した。
「全体を見直してみて何か相応しいものはあったかな」
うつむき加減であったり頬杖をついたり、腕組みをしたり唸っている面々を見れば結果は明らかだったが、そう問うた。智明の制限が厳しいのもあるが、智明自身が『コレ!』と推せる物がなかったのだから他者に委ねるしかない。
だが会議室には沈黙が横たわるだけで誰からの発言もなかった。休憩前の議論で打ち消されてしまったのかもしれない。
「……逆にキングはどないで? クイーンもなんかないけ?」
このまま沈黙が続く事を危険視したのか、川崎がそう問いかけてきた。
「この中から選べなさそうなら、また時間を開けて決めるというのでも構わないと思ってるよ。こっちの思い付きを押し付けるんじゃなくて、しっくりくるものを採用したいんだよね」
そもそもこの議題を全体への宿題としたのは智明で、組織を一つにするための意図も含んだつもりだったから、なるべくならメンバーのアイデアから採用したい。
と、優里が控え目に手を挙げた。
「『君が代』ってあかんのかな? 少し前に夢で見てから、なんか頭から離れへんねん」
「君が代か……」
優里の口にした『夢』については智明も内容を共有しているので、『頭から離れない』という優里の気持ちは理解でき、咀嚼するように復唱した。
しかし他のメンバーはそうではない。やはり日本の国歌として存在する『君が代』を思い浮かべ、室内には苦笑とも冷笑ともつかない声が起こった。
「それはさすがに」
「名称としても合わんかも」
奥野や川崎が優里を庇うようにやんわりと否定したのだが、その事でなんとも言えない笑いが大きくなった。
智明は右手を挙げてそれを制する。
「これは説明しないと分からないよね。
まあ日本の国歌だから組織や団体の名前には使えないのは分かってはいるんだけど、リリーの見た『夢』っていうのが大事でね。
『君が代』の歌詞そのものでもあるんだけど、人と人の結び付きと交わりが子孫を生み、子孫が世代となって永遠に続く繁栄を望み祝う、そういう夢を見たんだよ。
こういう理念って言うのかな? 意識とか思想っていうのを相手や他人や周囲に向けて与えあえたらっていうのを、俺とリリーは話してたりしたんだ。
俺やリリーの力。皆が手にしたHD。そしてそうじゃない人々。持ってる力に関係なく、互いの繁栄とか幸せを喜び合ったり讃えあえたら、それが一番望ましい状態になっていけるんじゃないかなって。
そういう『夢』を見たんだ」
優里の持ち出した『夢』の内容を大雑把に説いた智明を笑う者はいない。
が、一応注目してくれていた幹部からは「どういうこと?」「堅くね?」「わっかんね」と、理解よりも不理解をささやく声が聞こえた。
智明には当然そうなるだろうという予感もあったのだが、優里と共に見たビジョンを伝えきれなかったからだろうと口をすぼめてしまい、慌てて右手で覆って隠す。
「ほりゃ国歌になるくらいじゃよってん、ほーゆー崇高な精神を持つんは悪いたぁ思わん。ほやけど、独立を唱えるモンにしたぁジジクサイのぅ」
「でも大事なことちゃいます? 独立の先には生活とか暮らしとか、命ってなるやないですか」
「それはそうです」
苦笑いで評した川崎に珍しく優里が詰めたが、奥野がやんわりと肯定しつつも反対の意思を示した。
これに言葉を継いだのは由良。
「俺らはまだ若ぇんだし、収まった名前は似合わねーべ」
「そうだね。そう思う」
増井が賛成の声を上げると他の幹部達も追随の声を上げる。
徐々に騒がしくなる会議室で、智明の頭の中には川崎と奥野と由良の意見から『君が代』に似た言葉が想起された。
「……ユズリハ。ユズリハっていうのはどうかな?」
「……どんな意味?」
喧騒の中で呟かれた智明の言葉に周囲が気付いて静まるのを待って、三輪が問うた。
答える智明。
「意味とか内容は『君が代』と変わらないよ。
諭鶴羽山の由来の一つらしいんだけど、古い葉っぱの根本から新しい葉っぱが生えてくる木があってね。
新しい葉が一人前に育つのを見届けてから古い葉が落ち葉になるそうだよ。
まるで我が子に世代を譲るみたいにね。
だから『譲る葉』から変化して『ユズリハ』っていう名前になったらしい。
これなら堅苦しくなくて若いんじゃない?」
指を揃えた右手を旧葉に見立てて、同じく指を揃えた左手を新葉の様に右手の下から生やすジェスチャーをして、智明は幹部たちを見回す。
「それええやんか」
「ふふ。素敵ね」
まず優里が智明の方に体を向けて賛同し、続いて三輪が女性らしい含みで同意してくれた。
三輪の色っぽい声を聞いたから、ではないだろうが川崎の背筋が伸びた。
「新しい葉、新しい世代か。『譲り』っちゅーのは独立っぽいねーか。なあ?」
「お? おお、おお! ほれでええだぁ」
「ユズリハの会、と括りましょうか」
「いいじゃん」
「やるな、ダック」
川崎が隣の中村を小突くとすぐに賛成の声が上がり、奥野が『会』の字を足して鈴木と勝浦が奥野の提案を後押しした。
どのタイミングかは見定められなかったが、いつしか会議室には拍手が起こり満場一致の賛成となった。
智明は「よし」と立ち上がり、優里の手を取って自分の隣に立たせる。
自然と拍手が止む。
「本日この時より、俺たちは『ユズリハの会』として始動する!
淡路暴走団と空留橘頭の垣根は取り払われ、『ユズリハの会』として一つに成った!
皆、依存はないか?」
智明はなるべく声を張って宣言し、幹部に問いかけて優里を見、それから川崎を起点に反時計回りで全員と目を合わせる。
「……異論なき方は起立して下さい」
静寂の中に優里の声が響き、間を開けずに全ての椅子から音がして全員が気を付けの姿勢を取る。
「すぐに命懸けの大舞台が控えている。気を引き締めて準備に当たってもらいたい。
よろしくっ!!」
「「ウィッス!!」」
智明の気合の声に、その数倍の声が応え、再び会議室は拍手で埋め尽くされた。




