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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第八章 嗅覚と勘
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針路 ①

 31号淡路サンセットラインの一宮―五色間は割合のどかな風景の続く区間だが、それは昼間のドライブでの話と言えよう。

 夜間の、しかも黒田と舞彩(まあや)のように何者かからの追跡を受けている状況では、右手に広がる瀬戸内海も左手に広がる丘陵や田畑を眺めている余裕はない。


「……バイクか」


 サイドミラーに映る追跡者を注視し、黒田はボツリと声に出した。

 ヘッドライトの形や位置から中型のバイクということまでは考えが及んだが、それ以上は夜の暗さのせいで情報を得られない。


「ダーリン」

「ああ、頼む」


 舞彩が交差点が近付いたことを知らせてくれたので、先程の『信号待ちで五秒遅れて発進』を改めて頼んでおく。

 舞彩の予測通りに二台前の車が赤信号で停車し、流れに乗って舞彩も自然な停車を行う。

 この隙きに黒田は、車間が詰まってテールランプに照らされる追跡者を観察しておく。


「――二、三、四、五っ!」


 黒田の指示どおりに舞彩は五秒をカウントし、急加速になりすぎないように車を発進させた。


「どう?」

「250くらいのオフロードバイクやな」


 観察できた範囲を端的に答え、黒田はカーナビを操作して周辺のマップを検索していく。


「……マーヤ。都志(つし)あたりでコンビニに寄って、ほこで運転代わってくれ」

「いいけど……」


 舞彩の返事にどこか不安が混じる。


「大丈夫や。一応免許は持っとるし、壊したりぶつけたりするつもりはない」

「スパイ映画みたいなことするの?」


 チラチラと黒田の方を伺いながら意外な方向に話が飛んだので、黒田は苦笑して答えた。


「一応そういう訓練も受けとるけどな。俺は今休暇中やし、犯人追跡中でもないのに一般道でそんな無茶はでけへんよ」


 白バイ隊はもちろんのことパトカーでの警らにあたる警察官は、暴走車や逃走車両の追跡と拿捕のために運転技術を身につける訓練を受けている。

 しかしそうした危険を伴う運転は赤色灯を灯した緊急時のみに限られたもので、無闇やたらに行えば警察関係者であれ道路交通法違反で検挙される。


「そうじゃなくて、捲くの? 逃げるの?」

「その判断のために揺さぶる方やな。どんくらい気合い入れてついてくるんかで相手の状況を確かめる感じやな」


 舞彩の質問に答えながら、あらかたの経路を決めた黒田はカーナビから視線を外し、一度だけ追跡者を振り返った。

 一定の車間を保って追走してくるオフロードバイクは、先程までと何一つ変化はない。


「ダーリン、コンビニ入るよ」

「うん」


 緩やかなカーブから交差点角地のコンビニエンスストアの駐車場へ、ウインカーの明滅音の合間に聞こえた舞彩の声は緊張気味だ。

 それでも落ち着いた運転で空いている駐車スペースへと駐車させている舞彩に感心しつつ、黒田は追跡してきていたバイクの動向を確かめておく。

 幸いにも駐車スペースに停まっている車は二台ほどと混雑しておらず、一旦コンビニエンスストア前を通り過ぎたバイクがすぐに左折のウインカーを出したところまで確認できた。


「マーヤ、飲み物買うてきて。コンビニ来て何もせんのは不自然やから」

「何がいい?」

「任せ……微糖のコーヒー」


 追跡者に気を取られていたせいか、なおざりな返事をしかけた黒田は慌てて言い直した。

 黒田に向けている舞彩の顔が、半分演技で半分プライベートだと気付いたからだ。


「分かった」


 パッと明るい笑顔になった舞彩は素早い動作で黒田に顔を寄せ、短く頬に口付けをして車から降り、黒田に手を振りながら店内へと入っていった。


 ――あいつ、演技より本音の方が勝ってきてないか?――


 軽く右手を上げて返事をしつつも、舞彩の『新婚の強めのイチャイチャ』に呆れつつ、度を越しているのは舞彩だけではなかったなと黒田は自嘲した。


 舞彩の姿が店内に消えると、黒田は「さて」と意識を切り替える。


 舞彩所有の国産の乗用車の中で、助手席から運転席へと身を移し、追跡者の姿を探す。

 交差点角地にあるコンビニエンスストアに侵入した黒田達に対し、追跡者はそのまま交差点に進んで左折し、コンビニエンスストア前を通り過ぎ様に左折のウインカーを明滅させていた。

 となると、コンビニエンスストア左の出口付近で待ち伏せているか、ぐるりと回り込んで交差点の前で待機しているかのどちらかになる。

 黒田達がどの方向に進む場合も追跡を再開できるのはこの二箇所しかない。

 黒田は運転席の位置を調節してシートベルトを締め、瞑目して頭の中に叩き込んだ地図をなぞる。

 再び目を開いた黒田は、サイドブレーキとシフトレバーの位置を確かめ、舞彩が戻るのを待つ。


「お待たせ!」

「おつかれ。何買ったんだ?」


 助手席に乗り込んできた舞彩は、黒田の問いに現物を示して答えた。


「期間限定の紅茶。毎年この時期しか出ないんだよ」

「へえ。成功したら一口ちょーだい」

「いいよ」

「んじゃ、行きますかね」


 舞彩の準備が整ったことを確かめ、黒田はゆっくりと車を発進させた。

 31号淡路サンセットラインと46号五色洲本線の交差点角地にあるコンビニエンスストアから、46号五色洲本線に進み、南東方向へと車を走らせる。

 黒田の読んだ通り五色から西淡へと向かう流れよりも交通量が少ないため、追跡者のオフロードバイクが現れたのはすぐに気付けた。


「コンビニに寄ったのにすぐだったね」

「あんま振り返るなよ」

「分かってます」

「けど、これで向こうも素人なんは間違いないな。車間とったくらいで誤魔化せるもんやないからな」


 舞彩のご機嫌取りではないが、先程より広めの車間を保ってついてくる追跡者を揶揄する。


「雄馬が勘繰ってたみたいな組織じゃないってこと?」

「まだ分からんけどな。オフロードバイクみたいな目立つモンで尾行とか追跡なんか、普通はやらんやろうからな。深読みしたら、囮とか目くらましとかまで考えてまうけど、そこまで映画みたいなことは起こらんと思いたいな」

「そうね、そうよね。まだ核心に迫った気がしてないもの」


 少しズレた舞彩の受け答えに『そうやない』と言いかけたが、峠を越え黒田が目印にしていた小学校に近付いたので舞彩に注意を促す。


「あの辺でやらかすから、体を固定して舌噛まんようにな」

「んっ」


 すぐさま舞彩は助手席ドア脇の安全バーを左手で掴み、ダッシュボードに右手を伸ばして突っ張り棒にした。

 舞彩の準備が整ったことを見定め、峠を下り小学校を通り過ぎてすぐの信号が赤に変わるのを待つように減速していく。


 追跡してきているオフロードバイクも減速したのをミラー越しに確かめ、青から黄、黄から赤に変わった瞬間に黒田はアクセルを踏み込む。

 車内にエンジンの唸りが響くほどの急加速に舞彩の短い悲鳴が混じったが、構わずに黒田は車を交差点に突っ込ませて右にハンドルを切った。

 激しいスキール音を上げながら横滑りしそうになる車体を操作し、66号大谷鮎原(あいはら)神代線を西進する。


「やりよるな」


 ルームミラーの中で、二輪ドリフトで滑っていくバイクを右足で地面を蹴ることで立て直した追跡者を認め、黒田は賛辞を送りながら速度を落とし、左手の住宅街へと続く脇道へ飛び込む。

 一気に道幅が狭くなったのでミラーを見る余裕はなくなり、事故回避のために短くクラクションを鳴らしながら住宅の合間を通り抜ける。

 右へ左へとジクザグに曲がったり、交差点を幾つか直進して北側の本線へ戻ったりを繰り返して予測のつかない進路をとる。


「なかなかやな!」


 広範囲の分譲地なのか整備された住宅地は単純なあみだくじのようで、追跡者は背後ではなく左手側からヘッドライトを浴びせてきた。

 追いつかれたと認識した瞬間に黒田の手足は反応しており、広めの交差点の真ん中でアクセルを踏み込みながら半クラッチでサイドブレーキを引いてハンドルを切って車体をターンさせ、後輪が空転して路面を滑るドリフト状態に持っていき、交差点で円書き――定常旋回――を続けていつどのタイミングでどこに向かうかを分かりにくくさせ、追跡者に急ブレーキをかけさせる。


「せぇのっ!!」


 追跡者の態勢が崩れたことを目の端に捉え、黒田は掛け声とともにアクセルを踏み込んで猛烈な加速で直進してまたジグザグの進路を取ったが、先程とは違って住宅地の南東に抜けることを意識して高速のまま次々に交差点を曲がっていく。


 バイクのヘッドライトが追いかけてこない事が確実になった頃に減速し、住宅地を東へと抜ける。

 そのまま46号線に戻って洲本市街地まで戻ろうかと考えていたが、もっと前からつけられていたならば洲本に戻るのは危険ではないかと思い付いた。


「マーヤ、しれっと大通りに紛れてどっかに泊まろか」

「うちには戻らないってこと?」

「プロやったらマーヤのマンションはもうバレとるかもしれん」


 黒田はまだ針路が決まっていないにも関わらず、二速にまでギアを下げて46号線に戻って北進し、66号線を東へと折れた。


「津名ならホテルとか旅館あるかな? 探してみるね」

「出来たらラブホの方がええわ。駐車場が目隠しされとるさかい、入るのも出るのも見つかり難い」


 犯人追跡の際に面倒なのがこうしたプライバシー保護が行き過ぎた施設を利用されることだ。

 ラブホテルに限らず出入りを確認できない構造は気を抜くことができず、非常に難儀する。

 よもやこんな形で刑事の経験を活用するとは思わなかったが、追われる身になってしまえばそんなことも言っていられない。


「う、うん。分かった」


 舞彩のはにかんだ返事に気付き助手席に目をやると、照れ笑いを浮かべながら上目遣いで見つめている舞彩と目が合った。


 黒田が『しまった』と思った瞬間にはカーナビの道案内が始まっていた。

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