迷い道 ①
「ちょっとよろしいですか?」
雑誌記者高田雄馬は緊張気味にそう声をかけた。
相手は小さな社の前のベンチに腰掛けた少女。
普段の取材や日常生活において十歳ほど年下の少年少女に声をかけるのに、こんなに緊張することはない。取材内容によっては囲まれたり凄まれたり殴られそうになったりといった場面を想定して身構えることはあるが、雄馬の目の前の少女に対して感じる緊張はそうした身の危険とは別種のものだ。
「何か?」
雄馬の緊張が少女にも伝わってしまったのか、短く問い返してきた少女の返事には警戒の色があった。
「もしかして陰陽師か何かでらっしゃいますか? もしそうなら少しお話を伺いたいです」
言ってしまってから脈略のない質問だと気付き、雄馬は慌てて名刺を差し出した。
もし見当違いだったとしても雑誌記者の取材という建て前があれば何とでもなる。
「……何をお聞きになりたいのでしょう? 事と次第によってはお答えできる事とできない事があり申す」
躊躇いがちに応じてくれた少女に、雄馬は心の内で快哉を叫んだ。
「やっぱり陰陽師だったんですね。
車を運転してたら人間離れした速さで走っている人に追い抜かれて、追いかけてみたら林の中で飛び回っているし、これは追いついて話を聞かなきゃ!って思ったんですよ」
少しわざとらしいが雄馬は声のトーンを明るくしてはしゃぐようにして少女を讃えた。
昼からずっと津名港周辺で聞き込みをしていた雄馬だったが、いまいち収穫を得られず岩屋港近辺へと移動することにした。
それでも記者の嗅覚と直感は発動させたままだったので、車を運転しながら道々で目にした修理工場や塗装屋に立ち寄ってはいた。
何軒もハズレを引きつつ佐野運動公園付近から海沿いを北上しようとした際、西側の山の斜面を何かが通り過ぎるのを目にした。
鳥が横切ったか動物が走り抜けたのかなと思ったが、直後に棚田脇の林を人影が飛び越して行った。
衝動的に正体を突き止めねばと車に飛び乗り、人影が飛び去った方向へと車を走らせたのだが、左手側の山腹を気にしている間に人影は雄馬の眼前を横切って荒波が打ち寄せる岩礁と浜辺を尋常ならざる速度で駆けていった。
この時の雄馬は人影を追うことに夢中で気付いていなかったが、津名岩屋間の比較的交通量の少ない道路であったことと通勤時間帯の少し前という幸運がなければ事故を起こしていただろうし、見逃してしまいそうな小さな社で休憩していた少女を見過ごしていただろう。
車を停め、夕涼みのようにベンチに腰掛けた少女を目にした時、そうした幸運の中で得た特ダネだと喜ぶとともに危険な綱渡りをしたと肝を冷やした。
腰まである黒髪と作務衣という少女の出で立ちは、雄馬に巫女を連想させたが、もしもこの少女が高橋智明のような異能力の者であったならどうなるだろうという不安もよぎった。
「いや、陰陽師とは宗派を違えていますゆえ、正しくはない。私は諭鶴羽の峰に潜む修験者。似て非なるものゆえ混同なさらぬように」
「あ、失礼しました。宗教問題は専門ではないもので」
白装束でいかがわしい法術を行使するのは全て陰陽師だと思っていた無学を指摘され、雄馬は素直に頭を下げた。
十年に一度は神仏に携わる者達の不祥事や覇権争いが報じられたり、海外の宗教問題や紛争がニュースになるが、雄馬はそのどちらにも関わるつもりがないので尚更宗派や関係性には疎くなってしまっている。
それでも冠婚葬祭や初詣や墓参りやクリスマスをやるのだから、日本の風土というのは寛容を通り越して『いいとこ取り』したがるのだなとドライに考えてしまう。
「聞きたいことというのはそれだけでしょうか」
先程より幾分警戒を解いてくれたようだが、それでも少女の平坦な話し方は変わらない。
「いや! 本題はここからです。
僕はちょっと訳あって不思議な事件に首を突っ込んでるんですけどね、なんならこれからそういう研究をしてる人の所に向かうところでもあるんだけど、陰陽師やシュゲンシャさんは何か感じておられるのかなと思いましてね」
率直に『高橋智明』という名詞を言ってしまいたいのだが、初対面の少女に何もかもを話せるものではない。むしろ遠回しな情報から何かしらの反応を拾ってから切り込むのが記者のセオリーでもある。
「不思議なこと? ……それはどういう……。いや、我々から手前味噌な予言めいたことは口にできませぬ」
「いやいや。僕は予言とか神託をくれと言っている訳じゃないんです。こう、何というか、禍々しい気配とか、何かが起こりそうな気運とか。世間の人々が知っておいた方がいいなと思うような事というか――」
「申し訳ない」
少女は雄馬が話している途中に優雅に頭を下げ、すくりと立ち上がってしまった。
そのまま躊躇いなくベンチから離れて車道へ歩み始めたので、雄馬は慌てて両手を広げて引き止めようとする。
「ちょ、ちょっと待って下さい!
これは大事なことなんです! 今淡路島では大変なことが起こっているんです!
いや、この騒ぎは日本の未来に関わると言ってもいいくらいだ。
僕一人の興味じゃないんです。何か感じていませんか?」
立ちはだかる雄馬に少女は困惑して足を止めたが、囲いや柵のない社の前庭から飛び出すことは少女には容易いはずだ。自然と雄馬の言葉には力が入った。
「……淡路島の、日本の危機、ですか?」
先程までの無表情に近かった平坦な顔から何かに迷う少女を見、雄馬は記者の直感を感じ、切り込むことにした。
「……そうです。危機です。
とある少年の起こした騒ぎが日本の未来を変えてしまうかもしれない。
僕はそれを伝える役目にあると思っているし、本当のことを正しく伝えなければならないと思ってるんです。
お力添えいただけませんか?」
殺し文句、と言えるほど大袈裟なものではなかったが、それでもある程度雄馬の本心を込めてぶつけてみた。
そのかいあってか少女はジッと雄馬の顔を見返してきて、言葉の真偽、ひいては心の内を見定められるような時間を耐える。
「……もう少し詳しく話していただきましょう。
私はお役目の途中ゆえ、充分な協力とはならぬやもしれません。
ですが、日本の危機が迫っていると仰られるのならば、無下にお断りするわけにはいきません」
「よ、良かった。ありがとうございます」
どうやら少女の信用を得られたと分かって安堵し、雄馬は上げていた両手を下ろして車を指し示した。
「詳しい話は車でしましょう。もうすぐ日も暮れてしまいますから」
「どこかへ向かわれる途中なのか?」
「ええ、まあ。急ぐ用事ではないんですがね。神戸か伊丹あたりまで出ようかと。先方さん次第では大阪まで行かなきゃいけないんですけどね」
雄馬は少し気を緩めすぎたのか、用件は隠したものの頭の中にあるスケジュールを全て口にしてしまっていた。
「それは奇遇。私も大阪に向かわねばならないのです」
少女の重々しい声音に雄馬は足を止め振り返る。
そこには同じく立ち止まった少女が、両手を体の横に垂らして直立していた。
自然体に見えたが、その表情は引き締まり特に真剣な光を宿した瞳に雄馬は一瞬体を震わせた。
清らかでありながら人を圧倒する力強さを感じた、気がした。
「き、君はいったい……」
雄馬は今までに幾多の取材を行ってきたが、眼力が強い人物や迫力のある猛者や危険な思想の持ち主などを目にしても圧倒されるということはなかった。
目を合わせた瞬間に震えが来るほどの『力』を感じたのは目の前の少女が初めてだ。
禍々しく殺気立った相手に恐怖することはよくある。しかし、絶対的に清らかであると感じる相手に恐怖し萎縮するなど、聞いたことはない。
「私は藤島貴美。諭鶴羽の峰の修験者の一人。守人のお役目を果たす者」
淡々と名乗った少女に雄馬は膝を折ってへたり込み、ただ漠然と少女の姿を拝んだ。




