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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第一章 三つの仔
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六月の雨 ①

 智明の自宅がある松帆志知川地区から西北西へ進み、淡路サンセットラインをしばらく西進して南に下った松帆西路地区の西部に、赤坂恭子が住むマンションがあった。

 背の低い山裾にあたるこの地域は、遷都が決まる以前は緩やかな階段状に田畑が広がっていたが、最近一部上場企業の直営工場の建設が決まり、それに追従するように賃貸マンションなどの建設予定地が増え始めた。


「ごめんなさい。こんなのしかなくて」

 ベランダから田んぼとマンション建設予定地の更地を眺めていた紀夫に、恭子が声をかけ、テーブルにアイスティーとクッキーを置いた。

「ああ、気を遣わなくていいよ。俺が押しかけた側だし、何だったらややこしいことに恭子を巻き込んだんだし」

「そうは思ってないけど」

 明らかに病院で話していた時より表情の暗い恭子がテーブル脇に座ったので、紀夫も部屋に戻り恭子と向かい合う位置に座った。

 新築らしい室内は壁紙も真っ白で、テーブルやキャビネット上にも灰皿が見当たらない。

「家では吸わないのか?」

「え? ああ、そうだね。仕事中に疲れたり集中力が途切れた時だけだから。家では吸わない」

「そうか。じゃあ、病院で喫煙所を教えてもらったことも謝らないとだな」

 言いおいて紀夫は音を立ててアイスティーをすすった。

 だが紀夫の言葉に恭子はパッと顔をあげ、両手を小さく振りながら答える。

「それは全然平気だよ。そりゃあ、十代のうちからタバコを吸うのは良くないことの方が多いけど、習慣化してしまってるなら注意してどうなるものじゃないもん」

「恭子は優しいな」

「そんなことは、ないよ」

 またうつむき加減になった恭子を目にし、さすがの紀夫も黙ってしまう。

 恭子の表情が曇っている原因は、真を含めた紀夫達のH・B化に対して、看護師としての通報の義務や未成年者へ危険性を説かなければならない義務があるためだろう。

 紀夫が知人からH・Bを提供された時、警察や医療関係者に見つからないようにと念押しされ、彼らがそういった通報の義務を負っていることも知らされていた。

 智明の自宅近くのコンビニでのやり取りで、紀夫は薄々気付いているのだが、紀夫は紀夫で恭子にどう話していいかを思案していた。

 酒も、タバコも、バイクも、セックスも、H・Bも、少年たちが抱く大人への憧憬であり、反発なのだ。これを抑え付け消し去ることなど何者にも出来ない。

 なぜならば、大人達も憧憬や反発を抱く時期を経て大人になり、それらを目標や夢にすり替えて今の生活に至っているのだし、憧れも反抗も持たない者は無味乾燥した感情に埋もれてしまいがちだ。

 恭子も紀夫と同じように背伸びしたい時期があったし、看護師という職に就いたのも少女時代の憧れや使命感があったからだ。

「……これ、美味いな」

 手持ち無沙汰で紀夫が手に取ったクッキーは、柑橘系のグミが混ぜ込まれたものだった。

「それ、私の出身地の名菓なんだ」

「へえ。出身どこなの?」

「愛媛。看護学校から関西なんだけど、学校を卒業してあの病院に就職した時に配った余りなんだ。ノリクンの口に合ったのなら嬉しいな」

 この部屋に来てから、初めて恭子が笑顔を見せる。

「あ、じゃあ、これ伊予柑なんだ? 本当に美味いよ」

「良かった。よく知ってるね。伊予柑であってるよ」

「俺、結構社会得意なんだぜ」

「そうなんだ。悪ぶってるから勉強してないのかと思った」

「ひでぇーなぁ。バイクのチームに入ってるけど、不良じゃないよ」

 心外だと表情を歪めつつ、紀夫は足を崩して片ヒザを立てお尻の横に両手でつっかえ棒をして楽な態勢になる。

「見た目がまんま不良じゃん。金髪より黒か茶色の方が似合うと思う」

「そうか? 結構評判いいんだけどな。恭子がいいって言うなら染めようかな」

「絶対そっちがいいよ」

「ん、分かった」

 恭子の表情が良くなったので紀夫もリラックスし始め、片手をもたげて小さく恭子に手招きする。

 紀夫の意図を察した恭子は、一瞬表情を強張らせたがすぐに照れ笑いを浮かべながら席を移した。

「……なんか、軽い女じゃないからね?」

「相性でしょ?」

「そうだけど」

 紀夫の左隣に女の子座りで身を寄せた恭子の肩を、紀夫はそっと左手を回して抱き寄せる。

「私の方がお姉さんなんだから」

「そりゃあ間違いないな」

 右手も恭子の体に添え、紀夫から恭子の方へ顔を寄せる。

「一つだけ、話してほしいことがある」

 キスまで十センチもないタイミングで、しっかりとした視線を紀夫に向けて恭子が言った。

「なんで十代のうちにハベったの?」

「…………やっぱり気になる?」

「半分くらいは想像つくけど、やっぱり悪影響とか不安とか危険性を知ってるから。安易な理由だったらイヤだなって思う」

「まあ、安易といえば安易だよなぁ。いや、タバコとか酒より全然悩んだけどな」

 不安げな恭子の視線に気付いて、紀夫は慌てて言い直し、恭子へ向けていた視線を外してレースのカーテン越しに外の景色を見る。

 先程より幾分雲が厚くなってきて昼過ぎにしては少し暗い。

「説明とか解説を聞いてから、一週間くらい迷ったなぁ。スマホとH・Bって、手に持ってるか頭の中かの違いくらいにしか思ってなかったのに、聞けば聞くほど分からなすぎて怖いとも思ったよ」

「……そうだね」

 恭子は自身がH・B化した時のことを思い出し、素直に同意した。


 恭子は今年二十一歳になる。

 看護学校の二年間の履修科目の中にH・Bに関わる講習もあり、使用に伴う危険性と利便性についてかなりの時間を割いて講習を受けさせられた。

 看護師という職種では、スマートフォンやタブレットの携帯は業務の支障になり得るが、院内の必要な情報を授受する手段は必須となる。即ち看護師や医師や医療関係者のH・B化は必然的に行わなければならないものとなり、恭子も在学中に済ませた一人だ。

 だが講師から期限を切られたり、看護学生を一同に集めて一斉に行うわけではなく、卒業までのどこかしらで自己判断に任されているため、紀夫同様に恭子も長い期間迷ってからH・B化を行った。


「ただな、俺はやっぱりバイクが好きで、ずっと憧れてたバイクチームに入ることが出来て、そこのスタンダードには(なら)いたいって思ったんだな。別にハベってないから仲間外れにされるとかないし、下に見られるとかもないけど、チームっていう統率とか連携とかに一拍遅れるわけよ、スマホだとな。そこはやっぱり、一番大事にしなきゃいけないトコだろって思ったな。男としてな」

「そっか」

 正直、恭子には紀夫の言うバイクチーム内の統率や連携というものがすんなりとは理解できなかった。『男として』なんていう古臭いセリフに吹き出しそうにもなった。

 だが、何か一つ芯や核になる思想があるというのは感心する部分ではあった。

 紀夫の言うチーム内の連携や統率を看護師の業務に当てはめれば、伝達事項を一つ見落とすだけで患者の一命に関わる重大事に繋がるのだから、少しは理解出来た気もする。

 しかし、気がかりなこともある。

「もう一つだけいいかな。別に警察の回し者ってわけじゃないんだけど、どこから『タネ』をもらったの?」

「……ハッキリと核心をついてくるな」

 恭子の遠慮のない問いに紀夫は苦笑するしかなかった。


 『タネ』とは、生身の脳をH・Bへと作り替えるためのナノマシンを封じ込めたカプセル錠だ。一般的には身元と年齢をを証明する書類を申請書とともに保健機関へ提出し、発行された許可証を持って専門医が常駐する通信事業者の配布店で購入する。

 通信と医療のどちらにも関わるうえに、事故や生命に関わる場合もあるためにその手続きは回りくどく手間がかかるようになっている。


「そこは看護師だもん。粗悪な『タネ』は社会問題にもなっているし、闇取引はれっきとした犯罪だし。付き合うかもしれない男の子が犯罪者だったら、私は泣くしかないじゃない?」

「そこまで気に入ってもらえてるとうっかり言っちゃいそうになるけど。さすがに言えないな」

 紀夫一人のことであれば躊躇なく真実を告げて恭子に襲いかかっただろうが、所属するバイクチームWSS全体に関わる内部事情はさすがに明かすことは出来ない。

 ましてや、今朝中島病院を出発する際に恭子は女医らしき人物と連携するふうなやり取りをしていた。

 本題は智明の行方や現状把握であっても、違法なH・B化が話題に出ないとは限らない。

 恭子を抱いて捨てるだけの女にするならば適当にあしらうことも出来ただろうが、どうやら紀夫以上に恭子の気持ちは大きいらしい。

「ん。分かった」

「え、いいのか?」

 あっさりとした恭子の引き際に、紀夫の方が動揺してしまった。

「良くはないよ。でも、言えないことなんか誰にでもあるよ。私だって言ってないことがあるもん」

「そりゃ、そうだけど」

「言えるようになったら言ってくれればいいよ」

 少し緩んでいた紀夫の抱擁をやり直させるため、今度は恭子から紀夫に寄りかかって体に手を回す。

 紀夫は男の条件反射でしっかりと恭子を抱きしめ、数秒見つめ合ったあとに目を閉じた恭子とキスを交わした。

 年上のはずの恭子の照れ笑いに、紀夫は今までに経験した女の子との違いを感じ、すぐさま恭子の唇を奪う。

 何度かついばみあったあと、唇の隙間に滑り込んだ紀夫の舌先を恭子は吸い上げ、やり返して絡みつく恭子の舌先を紀夫も吸い上げた。

「ベッド、行こうか」

「ふふ。うん」

 とてもスマートとは言えない紀夫の誘い言葉に、彼の少年の部分を感じて恭子は笑ってしまったが、これまでの自身の恋愛を省みた中では一番自然なやり取りに思えた。

 カーテンを閉める恭子の後ろで、慌てることもなく淡々と服を脱ぐ紀夫は、女を抱き慣れているのは分かったのでこの後も身を委ねて問題ないと思えた。

 無論、一夜限りで終わってしまう可能性も考えたが、それは恭子自身の気持ちとセックス後の紀夫の態度次第とも思った。

 先に服を脱ぎ終わった紀夫は、遅れてベッドに腰掛けて服を脱ぎ始めた恭子に、愛撫を交えながら衣服を取り去っていく。

「手慣れてるね」

「少しは経験あるよ」

「少しかなぁ?」

「少しだよ」

「ん。……あん……」

 キスをしながらゆっくりと恭子を横たえ、紀夫は黙って体を重ねる。

 そのまま紀夫は恭子の身体を隅々まで検分するように貪り、恭子もまた感ずるままに声をあげる。

 窓ガラスに当たる雨粒を気にもせず、少年の荒々しい勢いは徐々に昂ぶりを見せ、女の中で暴れ狂い、女もまた与えられる快楽に身を任せて、少年の全てを受け止めた。


「……年上って、最高だな」

「年上が良いの? 私が良かったの?」

「もちろん、恭子は最高の女だ」

「……私は、軽い女じゃないよ?」

「付き合わなきゃ二度目はないとか?」

「うん」

「じゃあ、俺と付き合って」

「それ、逆に軽いなぁ」

「ええ!? かなり真剣なんだけど。こんなこと今まで言ったことないよ」

「…………。今は信じとく」

 今までセックスをしてきた女性達との違いに動揺した紀夫は、恭子の耳元に口を近付け小さな声でささやく。

「真剣な証拠にちょっとだけ秘密を言うよ」

「ヒミツ?」

「まあ、都市伝説みたいなもんだな。俺らみたいなはみ出し者がハベれるのは、どっかのマッドサイエンティストが新しいH・Bの実験台にしてるとかなんとか。……聞いたことない?」

「無くはないけど……」

 紀夫のささやきに恭子は曖昧な返事しかできなかった。


 H・Bに関する噂や都市伝説は山ほどある。国家が人民を洗脳したり操作するための布石であるとか。

 ナノマシンを製造販売する企業が自社の製品に指向が向くようにプログラミングしているとか。

 秘密結社が不特定多数の個人情報を吸い上げているとか。

 反社会勢力が電子マネーを隠し口座へ移しているなど、真実味のあるものから失笑ものまであげればキリがない。

 紀夫が話した内容も恭子の耳には入っていたが、他の噂同様信憑性は低い。

「そんなことをする理由が分からないんだよなぁ」

「まあ、俺らに渡される時にカマされてるだけかもしんないけどな。そんなのでビビる奴はどのみち後悔するだけなんだし」

「そうだけど」

 未成年者のH・B化が引き起こした悲劇はそんなものではないと恭子は知っているが、今それを紀夫に言っても聞き流されるだけだろう。

「なんにせよ、まだ何も起こってないから……。なんだ? 雷か?」

「なんか光ったね?」

 カーテンを閉め切っていても分かるような激しい光が瞬いたように思ったが、今はまた雨音が聞こえるだけの暗い部屋に戻っている。

「気のせいかな……」

 恭子の頭を腕枕から下ろして、紀夫が身体を起こした直後、地震のような大きな縦揺れが起こりビリビリと壁を震わせるような轟音が鳴り響いた。

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