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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第八章 嗅覚と勘
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幹部会 ①

 優里を迎えに行った智明は、そのまま二人で約二週間ぶりの外出を楽しみ、夕方に明里新宮(あけさとしんぐう)へと戻ってきた。


 喫茶店でコーヒーを飲みながら他愛ない会話を交わし、小学生時代に遊んでいた思い出の場所を巡ったりして、デートを楽しむ恋人同士か休日を過ごす新婚夫婦のような一日となった。


「モア、晩ご飯どうする? ……どうしたん?」

「今から幹部会があるんだ。先に食べててくれていいよ」


 リビングダイニングに入った智明に弾むような声音で問うてきた優里に告げるのは忍びなかったが、ワイシャツとスラックスに着替えた後では隠しようもない。

 正直にこの後の予定を伝えるしかなかったが、申し訳なさもあって智明の言い回しは少し冷たくなってしまった。


「そう……」

「二時間ほどだから待っててくれたら嬉しいけど、延びたらまたリリーを待たせちゃうから」


 先程の失敗を取り返そうと優里を気遣う言葉を並べてみるが、やはり優里の表情は沈んだままだ。


「ゴメン」


 いたたまれなくなった智明がハグをしようと優里に歩み寄ると、優里は智明の胸に手を当てハグをやめさせる。


「それ、私も出たらあかん?」

「リリーが? いや、別に出ちゃダメってことはないけど……。ただちょっと、内容はあんまり明るいモンじゃないぞ?」


 どちらかといえば暗く堅い雰囲気になる会議だ。

 組織作りとして縦の連絡や横の連携の構築を話し合ったり、戦闘状態になった際の配置やそれまでに整えておくべき体制を共有する予定になっている。


 智明は主軸となって旗を振る立ち位置であり議長役に近いので会議は苦ではないが、優里がそうした男臭い会議の雰囲気に耐えられるかどうかが気になる。


「分かってる。なんていうか、私だけどっかにしまわれてるんは違うと思うねん。クイーンとか呼ばせてるのに、なんか私だけ仲間やない感じもするし」

「そんなことは――」


 言いさして口をつぐむ。

 普段なら冗談半分で笑いながら言いそうなセリフを真剣に伝えてくる優里に、智明は否定の言葉を返したが、言われてみれば優里とバイクチームとの接点はほとんどない。


 智明はまだ川崎と話し合う用事があったり訓練の様子を見に行ったりと、メンバー達と顔を合わせたり姿を見せる機会は多い。それに対して優里が新宮を巡って回るようなことをしてはいない。

 まさか優里がこういった疎外感を持っているとは思わなかったので、智明の中で優里を幹部会に参加させない理由はなくなってしまった。


「……分かった。よく考えたらリリーはクイーンだもんな。皆の前で協力も約束してくれたんだし、リリーの意見も聞かなきゃかもしれない」

「そこでそれを出さんといてよ」


 やはりまだ周囲から『クイーン』と呼ばれることに慣れていないのか、きっちりその一点だけは言い返してきた。


「ごめんごめん。てか、行くならもう少しカッチリしたのに着替えておいでよ。皆は警備とか作業でチームの服ばっかりだから、あんまりヒラヒラしたのだと嫌われちゃうかもだから」

「そうか。そうやね」


 智明と優里は手持ちの衣類を作り変えたり瞬間移動で買いに出たりも出来るが、メンバー達は基本的にバイクで持参した数日分の衣類を洗って着回している状態だ。


 メンバーのほとんどが男であるし雨天の走行や喧嘩などの荒事も辞さない連中は平気だろうとしても、わずかだが参加している女達に優里一人だけが何着も着替えて見えるのは印象として良くない。


 智明と優里が衣服の作り変えが出来ると認識していても、自分との違いを目のあたりにした時に人間の感情がどう動くかは分からないのだから、用心するに越したことはない。


 優里は智明の提案を素直に受け入れ、クローゼットの中身を思い出すようにしながらリビングから出ていった。


 ――買い出し班にはそういう気晴らしも許可しとかなきゃだな――


 陸上自衛隊の検閲を受ける条件だが、衣服や下着の新調にまで自衛隊も口は出すまい。私物の買い物が検閲に引っかかりはしないだろうし、数日にわたって新宮に籠もりきりになっているメンバーらの負荷は発散させなければと思う。


 現に、午前中に優里を迎えに行ったはずなのに智明と優里が新宮に戻ってきたのは夕方なのだ。

 不満や文句を溜め込んでいそうになかった優里でさえこうなのだから、バイクチームの面々も鬱屈し始めていると考えていいだろう。


「……そりゃそうだよな。用事とか調べ物がなかったら俺もずっと寝てたいもんな」


 手近にあったダイニングチェアーに腰掛けながら、智明は一人ぼやいてしまった。


 淡路暴走団は二十代の男が多く数名の女メンバーを擁している。空留橘頭(クールキッズ)は十代後半の男だけのチームだ。

 つまりまだまだ学校帰りや仕事終わりに遊んだり、休日には外出して遊べるエネルギーが全員にある。


 智明にもゲームやマンガや惰眠に時間を割きたい欲求がある。


 独立だなんだと高い思想を掲げても、そうした趣味や遊興への求心は無いことにはできない。

 そこまで考えが回れば尚更ガス抜きは必要だと思えてくる。


「これでええかな?」

「んお? ああ、それ久々だね。うん。いいと思う」


 寝室で着替えてきた優里がリビングに入るなり智明の前で体を一周回して見せた。

 優里が選んだのは学校指定の体操服を作り変えたもので、智明が優里を新皇居へと連れ出すときにあつらえたエンジ色のスカートスーツだ。


 ブレザータイプの制服を模してあるので、会議などに出ても違和感はないと思える。


「ふふ、置いといてよかったぁ」

「けど長丁場になりそうだから上着は脱いでてもいいかもだよ」

「そお? ええわ。暑なったら向こうで脱ぐわ」

「ん、分かった」


 どこか楽しげな優里の機嫌を損ねないようにと智明は優里のしたいようにさせようと考え、それ以上の注意はせずに椅子から立ち上がる。


「幹部会は真ん中のオフィスの会議室でやるから、歩いていこうか」

「そっか、あっちなんや」


 歩み寄って優里の腰に手を回すと、優里は智明に促されるままリビングから玄関へと足を向ける。

 靴を履き、定められた遠回りをして新宮本宮からロータリーへ。


 間もなく日没を迎えるのか、いつの間にか空を埋め尽くした厚い雲のせいで辺りは暗い。

 街灯や通路の誘導灯のおかげで歩くには困らないが、昼間の雑音が止んでしまうと虫の羽音や梢のざわめきが耳につく。


「もう梅雨開けたんかな」

「そのはずだよ。しばらく晴れの予報だったと思う」


 恋人つなぎでくっついて歩く智明と優里は、それきり口をきかずに中門をくぐり、もうしばらく歩いて五階建ての建物に入った。

 智明は前回の幹部会の他に貴美と朝食を摂るために今朝訪れたばかりだが、優里は全くの初めてで、ドラマやテレビCMで目にする企業のオフィスに似た屋内の様子に、視線をあちこちに向けて楽しんでいるようだ。


 本来ならば宮内庁や外交に関わる部局のオフィスとして使用されるのだろうが、現在は一階奥の大食堂と二階までの数部屋を会議やミーティングで使うのみだ。


「リリー、二階だから階段で行こう」

「あ、うん」


 広く取られたエントランスの壁際にあるエレベーターをスルーして智明は優里を階段の方へ誘導する。

 丁度見張りや見回りの交代時間が過ぎたあとのせいか、エントランスを行き来する人の数は多く、智明は彼らの邪魔をしないように立ち止まったり譲ったりを繰り返して階段を上がる。

 二階まで上がると廊下が左右に伸びており、右手側は奥まで素通しで左手玄関方向に人だかりが出来ている。


「おう! キングこっちじゃ。ありゃ、クイーンも会議出るんけ?」


 十人以上が集まり通路を塞いでいる中から目ざとく智明を見付けた川崎から声がかかった。

 川崎の大声のせいか、『キング』『クイーン』という単語のせいか、川崎と智明の間に立っていた人垣が自然と割れた。


「私にも関係あると思うから出席します。ええですか?」

「お? おお、あーそりゃ、べっちゃない。

 いや、ほれよりお前らが変な気を使うなや。キングとクイーンは部下を押しのけて真ん中通る人間ちゃうんじゃ。

 こんなとこで急に上下つけんな」


 川崎は優里の言葉を肯定しつつ、道を開けたメンバー達を叱った。

 智明としても、組織としての縦の連携と横の繋がりは尊重したはずだが、ことさらに自分と優里を上げ奉るような配慮を求めたつもりはない。 川崎の困り顔での叱責もおかしかったが、そんな注意を受けたメンバー達の困り顔も様々で面白い。


「うん。立場上タメグチを使わせてもらうけど、皆のことは同志だと思ってるからね。廊下は急ぐ人優先でいいと思ってるよ」


 なるべく笑顔で川崎の考えに追認したつもりだがメンバー達の半信半疑な表情は晴れなかった。

 組織というものを形やルール・役割りなどで固めていったところでそれは組織図の上での『キング』なだけであると思い知る。結局、智明が彼らのためになる行動を示さなけれなばならない段階になった、ということなのだろう。

 口先だけで信頼は得られないのだ。


「ほれ、キングもあない言うとられ。

 今かぁ幹部会やってほのへんもキャーっとやっさかい、後でそれぞれの班長とミーティングしてくれ。

 キング、残りの班長連れてくっさかい入って待っちょって」


 川崎は言葉で智明と優里に会議室で待っているように促しつつ、目線と手振りで周囲のメンバー達を解散するように促し、智明に宣言したとおり幹部会に参加するメンバーを呼びに行こうと歩き始める。


 人だかりの中心であった川崎が移動してしまうので周囲のメンバー達も追随せねばならず、立ち止まっている智明と優里の前をぞろぞろと通り過ぎていく。


「キング、こっちです」

「ああ、ありがとう」


 会議室にしている部屋の前から人だかりがなくなると、小柄な男が一人残っていドアを開いて智明と優里を室内に誘ってくれた。


「こっちでええの?」

「あ、椅子が足りませんね。これをそっちへ」

「すんません。一応上座に座らなきゃだから」


 既にセッティングされていたテーブルと椅子は優里の分がなかったので椅子を一脚追加し、優里を座らせてから智明も腰を落ち着けた。


「奥野さんでしたよね? ありがとう」

「いえ。うちの山場からこれからのことは聞かされてます。山場がそんなことを言うのは初めてなんで、うちの連中も信じようって気持ちになってます。よろしく頼みます」


 要点を言葉にはしなかったが、言わんとすることは智明には伝わったのでお辞儀をして了承の旨を示しておく。

 智明にならって頭を下げた優里が直ると、奥野は幹部会の参加者を呼び込むために一旦退室した。


 それを見届けてから優里が小声でささやく。


「……いい人やね」

「うん? ああ、アワボーもクルキも仕切ってる人らは人格者が多いよ。でもまだ一つにまとまった感じはないからね。色々やっていかないとだよ」

「ふーん」


 智明は奥野がまだバイクチーム優先の考え方をしていることを気にして幹部会などを行う目的を口にしたつもりだったが、優里にはそこまでは伝わらなかったようで、気のない返事が返ってきた。

 もしかすると別の話をしたかったのかもしれないが、智明が目の前の幹部会の話にしてしまったのかもしれない。


 会話の途切れた二人の間を埋めるように会議室のドアが開き、川崎が入ってきた。

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