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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第八章 嗅覚と勘
230/485

胸騒ぎ ②

   ※


 藤島貴美(ふじしまきみ)川崎実(かわさきみのる)の案内のかいあって、昨日の不本意な暴力の詫びを言って回ることが叶った。


「お手間をおかけした。感謝する」

「こんくらい、なんちゃない」


 深々と頭を下げた貴美に対して川崎も頭に手をやって偉ぶった素振りなく応じた。


 高橋智明同席の食堂から始まり、メンバー達の寮やガレージスペース・迎賓館や装備の保管場所などを巡り、なんやかんやで貴美は新皇居のほとんどの施設を見て回った形になる。

 先の戦闘時に貴美は気付いていなかったのだが、十人ほどの一隊の中に女性も混じっていて、貴美はより丁寧に謝罪をした。


「これからどないしますか? いっそ他の施設も見て回っけ?」


 終始顔を赤らめたままの川崎が敬語と淡路弁の混じったおかしな言葉で問うてきた。


 二人がいる場所は『目』の字の南側の区画で、中央を貫く大路とその両脇の庭園や芝生が見渡せる位置にいる。

 川崎がどういった意図でガイドのようなことを言ったのか貴美には分からなかったが、現時点で目的や用事がないので戸惑ってしまう。


 どうしたものかと辺りを見回し、新皇居の正門が目に止まった。

 木材で(やぐら)か足場のようなものが組まれ、防具とオモチャの鉄砲で身を固めた数人が外壁の向こうを監視しているようだ。


「あれは?」

「うん? ああ、あそこから自衛隊を見張っとるんよ。撃ち合いとかしてへんけど戦闘状態やよっての。お互いに変なことせぇへんか見張っとかなあかんさかいの」


 川崎の説明を受け、貴美は漠然と不穏な雰囲気を感じる。

 智明の介抱を受けて目覚めてから一日だが、戦いや争いのひり付くような緊張や重くのしかかるような空気は感じていなかったので、あの壁一枚を挟んで睨み合っているということが信じられなかった。


「そんなに近くに居るのか」

「いやあ、距離で言えば二十メートル程は開いとるよ。ほこまでバチバチやないわ」

「……なるほど」


 貴美は自分自身が新皇居の中に居て戦禍の中心に近いことを自覚したつぶやきだったのだが、文字通りの距離を教えられ当たり障りない返事しか出来なかった。

 だから、というわけではないが自分の目で確かめたくなった。


「見てみてもよろしいか?」

「別にかまんけんど……。変な動作だけはせんといてもろたら」

「無論だ」


 川崎の神経質な注意に頷くと、川崎に促されるまま正門の方へと進む。

 途中、川崎は立番をしている仲間からヘルメットを借り、貴美に渡して被るように指示した。


「あまり長くは居座れんど?」

「承知」


 急ごしらえに見える簡易の階段の前で再度たしかめ、「邪魔するぞ」と見張りに声をかけて川崎が先に足場へと上がり、手摺の無い階段を登り始めた貴美に手を伸べてくれた。


「ありがとう」


 半ば川崎に引き上げてもらうようにして足場に立った貴美は礼を述べ、皇居正門の瓦屋根越しに諭鶴羽山の森を見る。


「指は差せんけど分かっけ?」

「大丈夫」


 七月の太陽を反射し活力を示すように青々とした木々と下草に紛れ、独特な染色の衣服は違和感となってすぐ目についたので、指し示されずとも見付けられた。


 木の幹の影や枝葉のかげりが濃い草間、むき出しになった地面の反射の奥、日除けのように張られたシートの後ろなど、間隔を開けて人の息遣いと存在感があった。

 ただ、先程の川崎との会話で感じた一触即発の極まった印象は薄れ、比較的『穏やかである』と感じた。


 出来事の状態を『動』と『静』として受け止めるならば、現状は『静』なのだなと感じる。


「静かだな」

「ん。色々あってな、あと二日はこんな感じのにらめっこやわ。ほれでも挑発的な動作一つで急変しかねん」

「なるほど」

「さあ、降りよう。あんま長いこと見つめとったら自衛隊がキミさんに惚れてまうわ」

「どういう意味だ?」


 川崎の言った言葉の筋が通っていないように思って聞き直すと、川崎は貴美に困ったような顔をしてすぐに返事をしなかった。

 返答に困る川崎を見かねたのか、見張りの一人が「惚れてるのは大将やろ」と言うと、慌てて川崎が「じゃかまし! 笑うな!」と真っ赤な顔で怒鳴った。


「それはあのぅ、キミさんが可愛らしゅーて、そのぅ、女神様か巫女さんみたいやっていう例え話でやな。そんな人に見つめられたら自衛隊の兄ちゃんらも恋してしまうでっていう、じょ、冗談やから気にせんとって。はよ降りよう」

「え、あ、はい」


 なぜかしどろもどろになった川崎とそんな川崎を笑う見張りを見回し、貴美はいまいち話の内容が分からないながら見張り台から降りた。

 貴美はヘルメットを返却し、怒ったように歩みを進めていた川崎を追いかけて並びかける。


「貴重な時間を割いていただいた。ありがとう」


 歩調を合わせながら川崎の方を見上げて感謝を伝えると、川崎は歩く速さを落として頬をかきながら答えた。


「まあ、キングのお客さん扱いでやっとることやから。誰にでも同じことをするわけやない」

「そうなのか」


 自分が特別な扱いをされていると知らされ問い返すと、川崎は元の真面目な姿勢に戻って答えた。


「もちろんや。軍隊の真似事やないが、これでも淡路島を独立させようとしとる組織なんや。一致団結の障害になる物事に対してそれぞれに合わせた対応をせなあかん」

「淡路島の独立? 初耳なのだが?」


 不穏な一語に貴美は眉根を寄せる。


「なんや、キングとはそういう話はしてへんのか」

「……全くない」


 貴美が智明と話を重ねるとどうしても真と優里を含めた私的な話になってしまい、独立やバイクチームが集った理由などは話題に上がらなかった。


 唯一、智明が真の元へ出向けない理由として現状新皇居に人が集まってしまったからという言い訳の中に、『独立を目指さなければならなくなった』とあったくらいだ。


 川崎は白けた表情をしたがすぐに前を向いて真剣な表情で続ける。


「ワシらは都会化していく淡路島を喜ぶ反面、今まで以上に『置いてけぼり』にされる不安を感じとる。人が増える分だけ齟齬や軋轢や摩擦っちゅーもんが増えて、問答無用に排除される気がしとるんや。特にキングみたいな特殊な人間が腫れ物みたいに遠巻きにされて、いわれのない陰口や噂を浴びせられる予感とか予想がいっちゃんたち悪い思っとる。そこを主張する組織でもあるんや」


 貴美には川崎の語った内容が真実とは思えなかったが、社会や世間とはそうなのだろうかと考えが向く。


 そのせいかどうかは分からないが、貴美の伯父法章がメディアに取り上げられ、加持祈祷が本物であると囃された結果その立場を失ったことを思い出した。


 ――智明もそうなるということか?――


 貴美が見聞きし体験した智明の能力は、明らかに現代日本人の誰しもが持ち合わせているものではなく、脅威ゆえの迫害は起こりうるとは思う。

 現に自衛隊が新皇居の囲いの外で包囲網を敷いているのだから。

 しかし、と思いとどまる。


「川崎殿、それはHD(ハーディー)にも言えることではあるまいか」


 智明の有する超能力に対抗せんと真が取り込んだナノマシン技術も、現代日本人には広まっていない技術だと聞いている。

 貴美の言葉に歩みを止めた川崎が、数歩行き過ぎた貴美に問い返す。


「……キミさん、HDを知っとるんか?」

「うん。テツオとマコトとその仲間がそうしたモノになったと聞いている。アレも智明と遜色ないほど世間から浮いた存在ではないのか?」


 さらに問い返した貴美をジッと見返す川崎の頬を、汗が一筋流れた。

 だが表情を強張らせていた川崎はすぐに引きつった笑顔になり、歩み始める。


「よう考えたらキミさんはWSSと歩調を合わせて乗り込んできたんやったな。HDを知ってて当たり前やな」


 貴美と並んだ川崎は手で歩くように促しながら続ける。


「あん時の本田らと同じく、ワシらもHD化しとる。キミさんに気絶させられた時もワシだけしぶとかったんはHD化しとったからやと思う。それ以外でもHDは人間離れした能力を与えてくれるさかい、キミさんの言う通りで間違いない。……なるほど確かにHDも普通の人から見たらキングの力と同じように見えるかもしらん」


 並んで歩みを進めながら話していた川崎が貴美の危惧を肯定したので、今度は貴美が立ち止まり、数歩行き過ぎてから歩みを止めた川崎が振り返る。


「……キミさん?」

「……トモアキは独立が成った後、そうした者たちをどうするつもりなのだろう」


 貴美は川崎ではなく智明に問いかけるように呟いたが、答えたのは川崎。


「ある意味で『棲み分け』やというところまで話とるよ」

「棲み分け?」

「ほうじゃ。お互いにどんな力を持っとるかを示し合って、それに沿った法律や規律を設けよう言うてな。その範囲として淡路島っちゅー大きさは丁度ええやろって考えとる。無論、律する力と従うモラルの違いを整えていかなあかんけど、それは独立してみんとなんとも言えん」


 川崎は貴美の知らない言葉や考えたこともない状況を詰まることなく口にしたので、貴美には何がどうなるのかの想像が追いつかなくなった。


――私は、未熟だ――


 世間から逃れるようにして修行を行ってきた無学を嘆いたが、それは貴美のせいではない。


 貴美が修めてきた宗派の教えにも、その宗派の元となった仏教にも、近しい教えであった諭鶴羽神社の神道にも、こうした政治や統治といった理は廃されているのだから。


 と、モヤモヤとした心の内に何者かが呼びかけてくる違和感を感じる。


 どこか見知った者の馴れ馴れしさと強く刺さるような強さは、確実に貴美を名指しで呼んでいる。


「キミさん? 大丈夫け?」


 うつむいて黙り込んでしまった貴美を案じる川崎の声よりも、心に突き刺さる呼び声の方が大きい。


――法章様!――


 そう頭に思い浮かんでしまえば貴美の中で全てが繋がる。

 伯父法章が大阪へと招いている。


「川崎殿、すまぬ。私はこれから向かう所がある。失礼してよろしいか?」

「おお? そりゃかまんけんど……。キングには言わんでええんか?」


 急な貴美の意思表示に慌てる川崎に一礼し、貴美は方角を見定めながら返す。


「トモアキには用事ができたとお伝えくだされば結構。では!」

「あ、おい!?」


 川崎の声に構わず、貴美は北東に向いて駆け出して人の背丈の何倍もある外壁を飛び越え、諭鶴羽山の森の中へ突っ込む。


――大阪へ!――


 その一念を胸に貴美は森の中を駆けた。

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