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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
223/485

帰るところ ③

   ※


「本当にこんなところでいいの?」


 旧洲本市広田から西に抜けた旧南あわじ市倭文(しとおり)長田にある都営地下鉄しとおり駅前の車中で、播磨玲美(はりまれみ)鬼頭優里(きとうゆり)に確かめた。


「大丈夫です。洲本より三原の方が都合がええんです」


 優里はなるべく明るく答えた。

 実際は用事らしい用事は一つしかないのだが、昨夜のやり取りで玲美とも赤坂恭子(あかさかきょうこ)とも通じ合えなかった()()()を意識したくなかった。


「それならいいんだけど。赤坂さんもいいのね?」

「平気です」


 玲美に問われた恭子もきっぱりと返し、優里と一緒に車外へと出た。


「お世話になりました」

「……じゃあ行くけど、気を付けてね?」

「はい。ありがとうございます」

 どこか不安げで戸惑うような雰囲気ながら、優里の顔色を伺ってから玲美は車を発車させて地下鉄駅前から立ち去った。


「……西路(にしじ)だったよね? 三原(みはら)榎列(えなみ)まで出てバスで帰るの?」


 地下鉄駅前までの車中で優里と恭子の自宅が同じ地区だと判明し、恭子が優里に道順を問うてきた。

 だが優里はやんわりと同道を拒む。


「榎列からバスでって考えてるんですけど、ちょっと寄るところがありますんで。気にせず置いていってもらって大丈夫ですよ」

「そう。……じゃあ」


 恭子も、どこかわだかまりや引っ掛かりを表情に出しながらも、優里の態度に合わせるように地下鉄入り口へ向かおうとする。


「……あ、ねえ。お金持ってる? ちゃんと帰れる?」


 数歩ほど歩んでから恭子が振り返って問うた。

 ワンピース姿になった優里の手荷物は玲美からもらった紙袋一つきりで、その中身は借り物のジャージ一式だ。

 財布もバッグもない。


「ああ、まあ、無一文やけど、なんとかなりますよ」

「そんなわけないじゃない。電車賃くらい持っときなさい」


 実際のところ優里には瞬間移動や飛行の能力があるので移動に関して金銭は決して重要ではないし、恭子に気を遣わせまいと強がったが恭子は優里を否定した。

 恭子は優里の元に戻りながら財布を取り出して千円札を渡してくる。


「はい。直接返せないなら病院に言付けてもらったらいいし、今度会える時に返してくれたらいいから」

「はあ、まあ、ありがとうございます……」

「会えないなら返さなくてもいいよ。それじゃあね」


 やや強引に優里の手元に千円札を押し付け、恭子は投げやりに言いたいことを言い終えると今度こそ地下鉄への階段を下りていった。


 ――気を遣ってくれたというより、まだ私の態度に怒ってるんかな――


 友人になって欲しいと持ちかけたり、それが叶わないと知って『雇う』という方向転換をしたため、尚更恭子と距離が出来てしまった。

 もしかすると自宅が近いために、地下鉄とバスを乗り継ぐ中で互いの距離を詰めようとしてくれていたのかもしれないと思い至り、優里は恭子が下りていった地下鉄入り口を見返した。

 当然恭子の姿はなく、優里は手元に残った千円札を見る。


 ――それはないか。お金貸してくれたんやから、あと一回は会ってくれるってことやろうし――


 恭子の意図を推し量ると『もう一度会うための口実かも』と受け止められた。


 これ以上は今は考えることではないと気持ちを切り替え、通勤や通学の人通りが収まり始めた地下鉄入り口の方へペコリと頭を下げ、とりあえずの目的地へと意識を向ける。


 ――えっと、頼りないけどこれやんね――


 優里は以前に智明と練習した探査(サーチ)の能力で、明里新宮から運ばれ着替えをしてくれた場所を探していく。

 恐らく埃や血で汚れているであろうワンピースは、捨てられているにしろ洗ってくれているにしろ、現在ある場所が病院で着ていたジャージの出所のはずだ。


「あった。モアの言うた通り、自分でデザインしといて正解やわ。イメージが追いやすい」


 探査の対象が生き物や記憶にある場所ではないため、手掛かりは優里がカーテンからあつらえたドレス風ワンピースの色とデザインだけ。

 それも方角と距離が分かる程度なので、印象や記憶で裏付けなければ瞬間移動で近寄るのは危険だ。


「――よし」


 優里は周囲の通行人から隠れるように歩道脇の自動販売機とマンションの植え込みの隙間に体を滑り込ませ、探査で得た目的地へと瞬間移動を試みる。


 一瞬の暗転と共に優里はその身を移動させ、鉄筋コンクリート造の平屋の店舗裏に現れた。恐らくその店舗のオーナーの住居であろう瓦屋根の二階建ての民家の庭先には、隣の雑居ビルの影にも負けずミニトマトやバジルやパセリが背を伸ばしていた。


「こういうのもやってみたいな。……ごめんください」


 何かの雑誌の広告で見た節約術を思い出しながら、プランターの数を数えるように通り過ぎて玄関で声を上げる。

 しばらく待っていると開き戸のガラスに人影が写り、「はいはい」という女性の返事も付いてくる。


「ありゃ! 昨日の女の子やね?」

「どうもお世話になりました」

「もう良くなったん? すっかり顔色が良くなったねぇ」

「お陰様で命拾いしました。あ、これを返しに来たんです」

「わざわざおおきに。ジュンのお古やよってんほってもうて良かったんに、あろてくれとるやん。丁寧にしてもうて大義なの。ちょー待っとってな。あんたの服、乾いとるさかい持って来るわ」

「すいませぇん。お手間かけますぅ」


 人の良さそうな四十そこそこの女性は優里からジャージの入った紙袋を受け取ると、ツッカケを土間に脱ぎ捨てて家の奥へと消えていく。

 早すぎず遅すぎない絶妙な淡路弁に和んでしまい、優里の語尾が自然に延びた。


 ぽつねんと待つ間に優里は手持ち無沙汰で玄関周りを見回すと、先程の女性のツッカケの他に男物のスリッパや若めの女物のサンダルが土間に揃ってい、年季の入った下駄箱の天板にはオイル落としのスプレー缶や潤滑剤が数本立っている。


 それらスプレー類に隠されるように壁のコルクボードの写真が目に止まる。


 少し褪せた色合いからかなり古い写真だと思われ、倉庫か修理工場の前で取られた集合写真が一枚。その隣には少しだけ新しい色合いで鉄筋コンクリートのバイクショップぽい写真がある。


「はいはい、お待たせ。これ、あんたの服ね。ちゃあんとあろといたで」


 廊下を早歩きする足音に振り返ると、先程の女性が紙袋を開きながら戻ってきた。

 どうやら優里が待ってきた紙袋の中身を入れ替えてくれたようだ。


「わざわざすみません。助かりますぅ」


 青のジャージが抜かれ元着ていた白のワンピースであることを確かめて優里は頭を下げる。


「つけ置きしてんけど血ぃ取れへんかってん。ごめんやで」

「気にせんといてください。お手間かけました。ありがとうございます。ところで、この写真は表のお店のですか?」


 優里はもう一度頭を下げてからコルクボードの写真を指す。

 女性は優里の指先を追い、懐かしそうに笑う。


「ほやで。きちゃない倉庫の方が修理工場やった時のんで、ショールームの方は建て替えた記念で撮ったやつなんよ。ていうてもわたし写ってへんねけどの」

「え、そうなん?」


 女性の言葉に驚き優里はコルクボードに顔を近付ける。新しい方の写真には家族らしい四人の男女と作業服姿の男が数人、端っこにスーツの男が写っている。


「主人のお義父さんが建て替えを決めたんやけど、この時分はまだわたしと主人は学生やったよってん、付き合うてもなかったんよ」

「そうなんや。お店とか家督を継ぐって、なんかええなぁ。羨ましい」

「若い子が何言うてんの。まだまだこれからやんか」


 優里の事情を知らない女性が朗らかに笑ったので、優里も調子を合わせて愛想笑いを返し、紙袋を持ち直して女性に向き直る。


「そうですね。……長居してしまいました。色々ありがとうございました。そろそろ失礼します」

「もうええの? 大したことしてないし、またなんかあったら声かけや。これもなんかの縁やさかいな」

「はい、ありがとうございます」


 なるべく笑顔を作って頭を下げ、優里は玄関から出て開き戸を閉じた。


 昏倒していたとはいえ、この家の住人には面倒をかけたのは間違いないのでもっと丁重なお礼をしなければと思っていたのだが、応対してくれた女性の人の良さと家業を守ってきた家族愛に不意打ちされ、お礼どころではなくなってしまった。


 家庭菜園もどきのプランターも見ずに玄関から店舗脇まで歩んだ優里は、中身の入れ替わった紙袋を抱くようにして一気に高空へと飛び上がる。

 青く澄み渡った空はどこまでも遠くが望め、眼下に目を向けると地上の建物があちこちで朝の太陽を反射している。

 ざっと地形と道路を見回した優里は、大体の目星をつけて西へと飛んだ。


「……今は、ええわ!」


 どれほどの速さで移動しようとは決めていなかったが、飛行によって顔に当たる風圧で目が乾き涙が滲んできたが頬から流れ飛ぶままにした。


 自分の意志で智明についていったはずなのに、いつの間にか実家や家族に対する寂しさや申し訳なさが募っていたのが、先程の訪問で痛切に表面化した。

 だから涙を拭く気にはなれず風圧で流れ飛ばした。

 父母や母のアシスタントに会いたい気持ちがよぎっても、それはほんの一瞬だけで涙とともになかったことにする。


――今はもう、モアとやらなあかんことがあるんやから――


 その一念を繰り返すことで優里の心はなんとか落ち着き、飛行の速度を落として再び地上に目を向けることができた。


「モアの家、やっぱり誰もおらんみたい……」


 小指の爪より小さいマンションの屋上を見つめ、優里はあえて声に出した。優里の目には貯水タンクや浄化槽や太陽光発電パネルの並んだ屋上ではなく、智明の暮らしていたはずの室内が見えているのだが、智明の部屋以外は空き家のように家具も衣服もない。

 なんとも言えない気持ちになって、優里は視線をまた西に向け、ゆっくりと飛行を再開する。


――私のとこも色々あったけど、モアのとこも何かあるんやね……――


 優里が智明と新皇居に住み着いて二週間近くになるが、智明が優里の前で両親や実家の事を口にした瞬間はない。


 小学生時代に何度も訪れたことがある智明の自宅では、智明の両親が共働きのせいかあまり顔を合わせたことはなく、たまに顔を合わせても当たり前のお愛想を交わす程度だった。

 そうした印象の薄さと智明のこだわりのなさが優里を少し不安にさせ、何に対してか心配な気持ちが生まれる。


「…………」


 そうこうしているうちに優里の自宅の真上まで飛んできた。

 先程生まれた心配事のせいか、上空から見下ろしている自宅は静かに見えて、変哲がなさすぎてどこか空虚に見える。


 きっと両親は親なりの心配や不安を感じてくれているだろうと想像はするが、それでも父は議員の仕事に参じたり後援会や会派を回ることに忙殺されているだろう。母もブログや雑誌に寄稿するために新メニューを考えたり、父の手伝いで忙しくしているはずだ。


――きっと私のためにお休みもらったりしてへんよね――


 真偽の程は見極めようがないし、両親の心を読むなど身投げ同然の行いに思えて恐怖心がよぎり、そんなことのために心を読もうという考えに嫌悪と吐き気がした。


 会話や態度で通じ合えないことを、テレパシーで知っても意味はない。優里が知りたいのは両親の本心ではあっても、それは言葉と態度で知らしめて欲しい事だから。


「……アホやね。……私、アホやわ」


 また滲んで視界を曇らせる涙を、今度は右手の甲と親指で拭い、鼻をすすって優里は更に西を見た。


 真っ直ぐに飛べば真の自宅がある方向。


「…………もうええわ」


 少し迷って、優里はため息混じりに視線を外す。

 ふわりっと七月の空に溶け込み、いつも時間つぶしに使っていた喫茶店の前に瞬間移動する。

 駐車場の車の影から辺りに人気がないことを確かめて店内へ。


「アイスコーヒーください」


 窓際の席に座って注文を済ませ、川沿いの道を三原IC(インターチェンジ)方向へ走っていく車列を眺める。

 ほどなくアイスコーヒーが運ばれてきて、シュガーシロップは加えずにフレッシュミルクだけを加える。


《リリー? 起きてる? 帰ってこれそう? 迎えに行こうか?》


 コーヒーをかき混ぜていたストローを止めた時、優里の頭の中に智明の声が響いた。

 優里は率直な気持ちを返す。


《遅い!》

《ごめん。お客さんが居たから》

《テレパシーにお客さんは関係ないやろ。女の人やったからやろ。モアのすーけーべー》

《女やけどそんなんちゃうし。スケベちゃうし。遅れたのは謝るから、その、迎えに行っていい?》

《んー? どうしょーかなー。……任せるわ》


 優里はアイスコーヒーを一口分吸い上げ、ミルクのまろやかさとスッキリしたコーヒーの苦味に少しだけ気分が良くなった。

 だから、智明がどんな顔で優里の前に現れるかが見たくなって許す気になった。


《そか。……『アリス』だろ? すぐに行く》

《ん。でもアイスコーヒー飲み終わるまで帰らへんで》


 ストローでブロックアイスを弄びながら応じたが、智明からの返事はない。

 と、喫茶店の入り口が開いてお客さんが入ってきた。


「俺もアイスコーヒーで」

「早っ!」


 優里の向かいの席に座りながら注文を告げた智明に、優里は笑いながらツッコミを入れた。

お読みいただきあらがとうございます!

本話にて章が切り替わります。


評価やブックマークなどいただけると励みになります!

今後ともお付き合いよろしくお願いいたします!

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