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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
222/485

帰るところ ②

   ※


 真が玄関のドアを開けると、工具のラチェット音がして工具箱をまさぐる音が耳についた。


きよし兄ちゃん?」

「おお、来たか」


 玄関脇のガレージでTシャツとジャージ姿で屈み込んでいた背中が振り向き、すぐに向き直った。

 (こころ)の激高を聞き付けて仲裁に入った清から呼ばれたのだから、真からすれば来たかもクソもない。


「バイクのメンテしてんの?」

「ああ。俺が車買ってから放ったらかしだったからって思ってな、見てみたんだけど。……お前、意外とキレイに乗ってんだな」


 どうやらメンテナンス作業は終わりかけのようで、シート下のサイドパネルを組み付けているところのようだ。


「ああ、うん、いや。それチームの人らから教えてもらったり手伝ってもらって、この前メンテしたとこなんだよ」

「なるほどな。そりゃキレイなわけだ」


 清は納得して笑いながらも、手振りで真をバイクの反対側に来るように指示した。


「そっちやってくれ」

「あ、うん」


 真が回り込むとバイクの下からレンチがヌッと出てきた。

 真は清の指示通りにシート下のサイドパネルを取り付け始める。田尻や紀夫・ジンべの手並みを思い出しながらなので少々おぼつかない。


「……しかし、なんだなぁ。お前がバイクに興味持つとはなぁ」


 清が工具をガチャガチャとやりながらぼやき始めた。バイクで直接は見えないが真の作業が終わればメンテナンス完了なので工具を片付け始めたのだろう。


「なんだよ、兄ちゃんこそクルマクルマ言っててバイク買ったじゃん」

「俺はお前、車買うためにバイトしてたらあっさり目標達成したからだし、そん時の仲間との付き合いとかもあったからだろ。無免で乗り回すほど憧れちゃいない」


 確かに清は高校在学中に中型二輪免許を取得してバイクを乗り回していたが、高校卒業と同時に普通自動車免許を取得してあっさりと車に宗旨替えした。

 事実「だからこのバイクも二年ほど放置だったんだろ」と所有者が宣うほどの放置だった。


「もったいないから俺が乗ってるんだろ」


 真は工具でボルトを締め上げながら反論したが、屁理屈以外のなにものでもなかったので、清がバイクのシートに覆い被さるように真を覗き込みながらからかってくる。


「もしかして兄ちゃんに憧れてたのか?」

「んなアホな。身内に憧れるとかあり得んわ。憧れるどうこう言うならテツオさんレベルじゃなきゃ恥ずかしくて口にできないよ」


 呆れとつまらなさが混ざった顔で兄を見上げ、真は用事の終わった工具を兄へと返す。


「え、何?」


 工具を受け取った清が、工具を片付けずにシートにのしかかったまま真を眺めているので問い正すと、清はニヤニヤしながら答えた。


「そうか、真はホンダテツオに憧れてんのか。なるほどねぇ、だからウエッサイなんだな」

「別にいいだろ。ここら辺はウエッサイのシマだし、テツオさんは武勇伝山ほどあるんだし、でかいチームに入ってるだけで箔もつくんだし」


 どこか小馬鹿にされた気がして視線をそらして言い返す真に、清は手の中で工具を弄びながら少しだけ真面目な顔になる。


「……さっき心と話してた体のこととか、友達をどうこうするって話もテツオの指示でやってんのか?」

「なんでそんなこと兄ちゃんに――」


 脈略のない話題だと思って突っぱねようとした真は、清の真面目な表情を見て口を閉じた。

 真と清は六歳近く歳が離れているので、真が幼い時に何度か清から怒られたり注意されたことがあるのだが、清は今その時と同じ顔をしている。


「――いいや。俺が頼んで手伝ってもらってるよ。体を機械化するってのはテツオさんのツテだけど、そんくらいしないと智明に勝てないから、機械化したんだよ」

「……そうか」


 過去のトラウマのせいか、清から漂う威圧感に負けたからか、自然と口籠ってしまう真の抗弁を聞いて清は一言だけ返事をして体を起こした。


 工具が工具箱に投げ入れられてやたら耳に付く高音が響き、それが収まってから清が腕組みをして口を開く。


「お前の都合でテツオに頼んだのならそれはそれでいい。

 さすがにケンカしろって命令されてたら止めたけど、お前が始めたケンカなら止められねーわ。

 ただな?

 あいつは、テツオはどっかに野心とか野望みたいなもんを持ってるやつだから、気を付けてないと『使い勝手のいい駒』にされちまうかもしれない。

 この騒動が落ち着いたら用心しろよ」


 てっきり昔のように怒鳴られたり殴られたりするのかと萎縮していた真は、真を気遣うようにした清をぽかんと見上げてしまった。

 ただ一点、憧れ尊敬するテツオを野心家のように決めつけられたことに腹が立ち、訂正しなければと思う。


「気にしてくれてありがとうだけど、テツオさんはそんな人じゃないから。なんか、知ってるみたいに野心とか野望とか言わないでよ」

「アホ。知ってるから言ってるんだよ」


 腕組みを解いて腰に両手を当てて見下す清は呆れた顔をしている。


「そーなの? え? なんで?」


 意外な繋がりが語られそうなので真も立ち上がって清に相対する。


「……あんまバラすのは気が進まないんだけどな。

 ウエッサイ――ウエストサイドストーリーズがどういう経緯であんなデカイチームになったか知ってるか?」

「確か、テツオさんがバイク好きの友達何人かと立ち上げて、縄張り争いとか新チーム潰しをレースとかケンカで打ち負かして吸収していった、て聞いてるけど?」


 真は聞いたままの伝説をそのまま口にしたが、清は「それな」と面白くなさそうな顔になる。


「違うの?」

「ちょっと違う」

「知ってるの?」

「当たり前だろ。この流れで知らなかったらおかしいだろ」

「そ、そうか。そうだよね」


 単純で幼稚なやり取りやあっさり論破された真の様を笑い、清は続ける。


「テツオはな、小学校ん時からボーイスカウトとか塾とか道場とか、毎日なんかの習い事に通わせられてたらしい。

 まあ、その中でテツオが興味持って通ってたのはボーイスカウトと格闘技の道場だけらしいんだが、ボーイスカウトは小学生までと中学生からで取り組みや役割りが変わる組織でな。

 ほとんどの参加者が中学進学に合わせて辞めたりしちゃうんだよな。

 テツオもそのうちの一人ってわけだ。

 で、結局塾とかの鬱憤を道場で発散するってのをやってたらしいんだが、その頃に俺らがバイクにハマり始めてな。

 テツオもそれに混ざりたいって言ってきたんだよ」


 清は途中でハーフパンツタイプのジャージのポケットからタバコを取り出し、話の区切りで一本くわえて火を着けた。

 そのタイミングで真が口を挟む。


「兄ちゃんはその頃からテツオさんを知ってたんだ?」

「ああ。

 お前はちっちゃかったから知らないだろうけど、俺もボーイスカウトと道場通ってたんだよ。

 そこでテツオと知り合った。

 知り合ったってか、テツオらが俺らに引っ付いてきた感じだな。

 どっちも俺らが先輩で先に居たからな」


 煙を吐きながら話す清に真は変な尊敬を抱いて「すげっ」と感嘆したが、清からは誇るような態度は感じない。

 むしろどこか悔いている印象がある。


「変に懐かれてたな。

 俺らがボーイスカウト辞めて道場も辞めてバイトに明け暮れてバイク買ったら、アイツ、親にバイク買わせて無免で俺らのツーリング追っかけてきてな。

 チーム組んだわけでもないのに『リーダーリーダー』つってやたら持ち上げられたよ」

「もしかして兄ちゃんがウエッサイ作ったの!?」

「ちょっと違う」


 勢い込んで詰め寄った真をやんわりといなして清は続ける。


「俺の友達四人とテツオの友達四人くらいでツルンでたんだけど、暴走やヤンチャしてたわけでもないのに他のチームから絡まれてな。

 向こうも同じくらいの規模だったからありきたりに勝負して勝っちまったんだ。

 そのへんから変に名前が売れちまってな。

 仲間内でもちゃんとしようってチームになったんだよ。

 ただ、俺達はツーリングとかバイクのカスタムに興味がある集まりだったから、暴走とか派閥みたいなのにならない名前にしたらいいんじゃないかってアイデアでな。

西淡(せいだん)走行会』っていうクソダサい名前にしたんだよ」


 自嘲気味に笑ってタバコの灰を落とした清に、真も「酷い名前だな」と素直な感想をこぼす。


「それが返ってなめられたみたいでな。

 それから毎週勝負だ、レースだ、ケンカだってなってツーリングどころじゃなくなった。

 しかもどっかのバカが変なルール作りやがったお陰で、負けたチームが傘下に入るとかで勝手に人数が増えていってな。

 気付いたら百人を超える大世帯になっちまってた」


 真は疑いもせず人数の多さに驚いた。

 現在、淡路島には大きなバイクチームは四つあり、その中の最大勢力がWSSなのだがそれでも構成員は七十人ほどだ。


 二十世紀から叫ばれている化石燃料の枯渇と環境保護のためにガソリンエンジンの市場が縮小している中、電動モーターを搭載したEVバイクやモーターとエンジンを兼ね備えたハイブリッドバイクが不人気であるにも関わらず、一つのバイクチームにそれだけの人数が集まること自体稀有なことだ。


「それからどうなったの?」


 続きを促す真に、清はタバコをスリッパで踏んでもみ消してから答える。


「分裂したさ」

「ええ! なんで?」


 想像していなかった展開に真の声は大きくなる。


「そもそも俺達はツーリングを楽しみたかったんだから当たり前だろ。

 たまたま格闘技習ってて腕っぷしに自信があったし、根性も鍛えられてたからケンカもレースも断らなかったけど、そもそもの目的はバイクで走ることだったからな。

 そのへんで俺らとテツオの意見が分かれたんだ」


 少し寂しそうに表情を曇らせた清はうつむき加減になりながらしゃがみこみ、工具箱の蓋を閉じてもみ消したタバコの吸い殻をつまみあげる。


「そっから一番つまんないケンカしたなぁ。

 一応、昨日まで仲間だった連中と説得とか説明っていう殴り合いを繰り返したからな。

 ほんと、あんな後味の悪いケンカはあれっきりだな」


 真には想像もできない清の経験に何も言えなくなる。


「結局、そこでテツオの野望とか野心とかが判明したし、俺達も就職とか進学しなきゃっていう時期だったからな。

 引退って形でバイクから離れることでテツオも納得してくれた。

 そうやってテツオの元に残った連中でウエッサイが出来たってわけだな」


 清は工具箱を持って立ち上がり、吹っ切れた表情で真に顔を向ける。


「……そんなことがあったなんて、全然知らなかった」

「そりゃそうだ。お前がまだ中学校に入ったくらいの話だもん。親父もオカンも、心もお前に話すわけないしな」


 なんとか絞り出した真の感想に清は乾いた笑いを漏らしながら答える。

 確かに両親や姉が、清の暴走や暴力沙汰を真に語って聞かせる理由はない。

 加えて、清のそうした過去があるから両親が真に干渉しないというのも、少しだけ理解できた気がした。干渉されなさすぎて真には不満でもあったが、頭ごなしに怒鳴られても従わなかっただろうと思うと、両親の選択は間違いではないのかもしれない。

 ことに智明の現状をどうにかしたいと思って動いている真には、この距離感は有り難い事だから。


「……けどな、一個だけ注意はしとくぞ」


 工具箱を下げて玄関へと向かって歩み去りながら清が真に言う。


「そのトモアキだったか? 友達を止めたいってのは分かるけど、ぶん殴るにしても説得するにしても、ちゃんとそいつの話を聞いてからにしろよ。

 結局、人間てのは自分の都合や願望や主張ってやつを押し付けがちだからな。

 そういうのがどこから出て、どんな気持ちから『止める』だの『殴る』だの『付き合う』『別れる』になるかだからな。

 話さなきゃ分かんないことだぞ」


 真に背を向けて話す清の表情は分からない。

 しかし先程の話でその一言一言には重みがあるように思えた。


「……わかった。なるべくそうする」


 少し気持ちに整理できていない部分はあったが、真は清の注意を受け入れる言葉を返した。

 清もその返事を受け満足したのか、小さく首を頷かせて玄関を開いた。

 と、宅内に入ろうとした清の足が止まる。


「ああ、そうだ。お前、免許取ったらそのバイクに乗るつもりか? それとも新しいの買うつもりか?」

「え? ああ、どうだろ……。金があったら買いたい気もするけど、兄ちゃんが乗っていいって言ってくれるならコイツ使いたい、かな?」


 急な質問に戸惑ったが、なるべく真の本心をそのまま言葉にした。


「そうか。なら免許取ったらお前にやるよ。一人前には一人前の扱いをするのが男だからな」

「う、うん。ありがとう」

()()()()()()だからな。間違えるなよ」

「うえ!? う、うん。分かった」


 清は真がまだ半人前であることを強調して家の中へと入っていった。

 真は頭をかきながらメンテナンスされたバイクを眺める。

 清から聞かされた過去と注意を思い返し、テツオが自分に向けてくれていた好意や寛容な態度の出処がわかり、清が『半人前』を強調した意味が少し分かった気がした。

まだまだ周囲の人々や家族に助けられたり手伝ってもらっている子供だということだろう。


「よろしくな」


 真は借り物のCB400スーパーフォアーのシートに触れ、愛着を込めてつぶやいた。

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