帰るところ ①
明里新宮の大屋根から朝日を眺めている時、バイクチームの面々と顔を合わせたいと貴美が申し出たため、寝室に戻った智明は部屋着にしているスウェットからカーキの綿パンと白無地のTシャツに着替えデニム調のボタンシャツを着重ねた。
「準備できたよ。行こうか」
「了解した」
智明がリビングに待たせていた貴美に声をかけると、相変わらずソファーに正座して瞑目していた貴美が応じて立ち上がった。
貴美も一応準備を整えていたようで、前髪を額の真ん中で分けて一房ずつを胸の前に垂らし、残りは後ろに流して背中の中ほどで一つに束ねてある。
純和風な幼い面立ちに紺の作務衣ということもあり、それだけのことで巫女のような神秘的な雰囲気をまとって見える。
貴美を連れた智明は手順通りに二階へと下りて迂回し、一階玄関ホールへと向かう。
と、二歩ほど開けてついてきていたはずの貴美の足音が途絶えた。
「……あれ? どうかした?」
「……いや、何でもない。平気」
平静を装う貴美だが、一瞬だけ伏せた瞼でそうではない事が分かる。
――リリーと戦った場所だもんな。戦いたくて戦った訳じゃないからなぁ。なんともないはずがないよな――
貴美から聞き取った昨日の出来事が原因だとすぐに察することができたが、智明の立場で何か声をかけるにも、なんと言っていいか分からずに智明も立ち止まったままになってしまった。
「ええっとね……」
「トモアキ、何か不自然なのだが」
「ふえっ?」
何か言わねばと言葉を探していると、不意に貴美が右手を持ち上げて指を差した。
その先を見ると新宮本宮正面玄関のやや上を示している。
智明が能力を使って修復した壁や明かり取りは見た目には不自然な点はないように思えるが、他の壁面と比べて何の飾りもないのは確かに違和感がある。
「そういうことか。……うん、あそこにも何点か絵が飾られてたんだけどね。破損してしまったから飾れなかったんだよ」
「なるほど」
なるべく優里と貴美の戦いのことを言わずに説明すると、貴美は残りの三方の壁を見回して納得したようだ。
と、貴美のその様子を見ていて智明はある事を思い付く。
「そうだ。貴美ならもしかしたら分かるんじゃないか?」
「何がだ?」
「こっちにイザナギとイザナミが居て、あっちが天津神と国津神、そっちがオオクニヌシや天孫降臨やヤマトタケル。じゃあ、正面には誰の絵がくるかな?」
「……ふむ」
智明が背後の壁面に飾られた絵画を指し、続いて左右の壁面に掛けられた絵画を指してから貴美に問うと、貴美はもう一度ぐるりを見回して思案を始めた。
おとがいに指先を当てた貴美はしかしすぐに智明の方を向く。
「何かの理や繋がりを理解出来ているわけではないが、なくてはならないもの、あって当然のものならば分かる気がする」
「マジで? え、何だろ?」
「三貴子しかあるまい」
「なるほど! 言われてみればだな」
貴美の言葉にこれ以上ない合点がいき、智明は手を打つほど素直に感情を表した。
『三貴子』とは、イザナギがイザナミと訣別した後に沐浴しその際にイザナギから生まれた三柱の神のことを指す。
古事記によれば、イザナギの右目からアマテラスが生まれ、左目からツクヨミ、鼻からスサノオが生まれたとされている。
新宮玄関ホールに掛けられた絵画の中に『あって当然・なくてはならないもの』に間違いない。
「貴美さんに聞いてよかったよ。ありがとう」
「役に立ったならば良かった」
実際のところ、絵画に描かれていた内容が分かったからといって損壊した絵画が復元できるわけではないのだが、このまま玄関ホールの壁一面を手つかずにするわけにもいかず、代わりを誂えるために絵画のモチーフだけでも判明したことは智明にとっては意味がある。
少しだけ心の引っ掛かりが取れたせいか、智明は貴美の手を引くほどの勢いで仲間たちの食堂へと誘う。
「見事なものだな」
新宮本宮を出ると切り出した石が敷かれた通路が北に向かって伸び、ゆったりとカーブして『目』の字の真ん中の区画へと繋がっている。
通路の左右には植樹され整えられた植え込みなどがあり、特に中央のマツは立派な枝ぶりで、貴美が一言感嘆の声をこぼしたほどだ。
区画を仕切っている中門をくぐると通路はアスファルト舗装へと切り替わり、本宮の区画とは逆にカーブしてから中央を貫き、本宮とは打って変わって本筋から周囲の施設へといくつにも枝分かれしている。
本来ならば天皇陛下が移動に使われる公用車のガレージ施設には、智明の元に集ったバイクチームのバイクや車が停められ、寮と思しきマンション風の建物や洋風の館を模した迎賓館が並ぶ。
それらをやり過ごし智明は貴美を連れて変哲のない低層のビルへと入る。
高さこそ五階建てと低いが建坪は広大で、都心の役所や大企業のオフィスを連想させた。
「こんな感じだけど、平気?」
一階奥の大食堂へ貴美を導き、一応尋ねる。
カウンターで仕切られた奥の厨房まで長机が列になって並び、それぞれに六脚ずつ椅子が刺さっている様は広さ以上の異様さがある。
「平気。前に友達と大阪に出向いたことがある。広い建物に臆するなどないぞ」
「そりゃ失礼しました」
少しだけ口先を尖らせた貴美に詫びて智明はカウンターへと歩んでいく。
基本的にレトルトや冷凍食品しかないメニューから貴美が食べられそうなものを選び、トレイに乗せて空いている席を探す。
時間帯としては四交代の見張りが入れ替わったあとなので、食堂は空いているのだが、まばらに人が居るために席決めは少し気を使う。
「よお、キング! 朝飯け? めんざしいの」
不意に声をかけられて振り向くと、食堂の入り口から川崎実がニヤついた顔で歩み寄ってきていた。
相変わらずの淡路暴走団の特攻服姿だが、上着はズボンのポケットに突っ込んだ左手に引っ掛け、黒のタンクトップ姿だ。川崎にしては珍しく寝癖と無精髭をそのままにしている。
「やあ、ちょっと気が向いたからね」
トレイを手にしているので手は挙げられなかったが、智明も気さくに返事を返す。
「んあ? 誰か思たら陰陽師ちゃんやん。そういうことけ?」
かなり近寄ってから貴美に気付いたような口ぶりをされたので、智明は苦笑混じりに答える。
「何を言い出してるのさ。俺が朝食を作るのを手抜きしただけだよ。川崎さんは? 今からなら一緒に食べる?」
「お? おん。ええんか? わしはかまんけんど、この子はアレやろ?」
川崎は言葉を濁したが、言いたいことは智明には分かりきっていた。
『この子は敵だろ』
川崎を始めバイクチームのメンバーはそう思っているはずだ。
実際、貴美は川崎を含めた十人ほどの一隊を昏倒させているのだから、川崎のように気を遣わない者からはもっと厳しい目で見られているかもしれない。
ましてや智明と川崎が顔を合わせれば、話題は自然と明里新宮の現状と将来の話になるため、そこも含めて川崎は言葉を濁したのかもしれない。
「そこはちょっと訳ありなんだよ」
「……ほうか。キングが正気なら文句ないわ」
やり返す、というわけではないが智明も言葉を濁すと、川崎は『訳あり』の真意を汲んでから「メシ取ってくるわ」と答え食堂のカウンターへと歩いていった。
「……大丈夫なのか?」
川崎が一時的に去ったのを見計らってから貴美に問われ、智明は手近な空席にトレイを置きながら答える。
「大丈夫だよ。俺と貴美さんが男女の関係になったんじゃないかって疑ってたから、違うって言っといたから」
貴美が別のことを聞いたのは分かっていたが、智明ははぐらかして貴美に椅子を引いてやる。
貴美は頬を膨らませて「むぅ」と唸ってから着席し、智明を見上げながら続ける。
「並んで立っていただけで恋仲だと決めつけるとは、少々下賤ではないか」
「場を和ませようとして冗談を言ったんだよ。そこまで本気で勘違いしたりしてないってば」
少々品が無いのは川崎の元よりの気性でもあるが、この場に関しては智明にも半分責任がある。貴美の言いように嫌悪が混じっていたので簡単なフォローだけして天ぷらそばが冷めないうちに二人で食べ始める。
「よいしょっと。混んでて遅なってもたわ」
智明と貴美が半分がた食べ進んだ頃に川崎が戻ってきて、二人の向かいに座った。
「ご苦労さま。首尾はどうだい?」
早速内部事情を問うた智明に川崎は微妙な顔になり、一拍空けてから答えた。
「……ぼちぼちじゃの。どないしてもHDのインストールに二日かかるさかいの。交代でなんとか回しても、その次の訓練とかが時間取れへなれ」
「まあ、そこは分かってた事だからね。無理に早められないんだし、明後日までの猶予を上手に使うしかないよ」
「まあの。しかし身体能力が上がったとこでそれだけっちゃそれだけじゃ。一人一人の兵力が良ぉなっても全体の戦力が上がっとんとちゃわれ。どないする気で?」
「そりゃそうだよ。……何が言いたいの?」
智明は箸ですくい上げたそばを器に戻して川崎に問い返す。川崎にしては遠回しな言い方が気になった。
「……正味な話、あんなオモチャやこ通じへんぞ」
川崎は箸も置いて真剣に訴えかけてきた。
先の戦闘で城ヶ崎真とWSSの数人と戦った際に、彼らがHDを使用しているという報告は川崎からされたもので、彼らが殺傷力の高い空気砲のような武装をしていたことも聞いている。
一方川崎たちバイクチームのメンバーが携帯しているのは強力なスプリングでゴム弾を撃ち出すチャチな武器しかなく、川崎を含めたメンバー全員がこの差に不安を感じているのだろう。
「確かにね。
ただ、強化したり殺傷力を高めることは簡単な話だと思う。弾を尖らせた金属にしたり、フランク守山からゴム弾が撃てる小銃をもらうこともできる。
でも、うちのメンバーが相手の力量を見極めて武器を扱えるのかな? 戦うから人を殺しても仕方ないっていう集団にはしたくないし、なって欲しくないんだよ」
智明も箸を置き、以前の演説にもあげた前提を口にした。
これには智明自身が人を殺めた反省や後悔が元になっており、パートナーとして寄り添ってくれている優里との約束でもある。
川崎にも大まかな理由や経緯は申し合わせたはずだが、どうやら別の理由があるらしく、川崎は智明に向けた視線を外さない。
「キング、状況が変わったら条件も変わるんじょれ。
生身の人間相手やったぁの、ほんな手加減とか余裕とかかましとれっけんど、ウエッサイがHDやっとるっちゅうことはスモソーもやるやろっちゅーことや。
ほしたら今ワシらが考えなあかんのは、敵を殺さんことより味方を死なさへんことや。
どないに訓練したって本格的な戦闘になったぁ死んでまうし殺してまう。ほれは使う武器の問題とちゃう思われ。
おまはんかて殺ってまう気ぃちゃうかっただぁの?」
話しているうちに興奮してきたのか、川崎の声は大きくなり早口になっていた。
ただ言い過ぎた自覚はあるようで「すまん。おまはん言うてもた。言い過ぎた」と声を小さくして詫びた。
「いや、いいよ。川崎さんの言うことも正しいのは分かってるし、世の中には不可抗力とか埒外って要素もあるからね。
でもそこまで押してくるってことは、それなりの代案も見繕ってるってことでしょ?」
「……そこは、まあの……」
川崎を許し受け入れた智明が話の続きを促すと、川崎は言葉を濁して視線を傍らの貴美へと流した。
そこでようやく智明も貴美を置いてけぼりにしていることを思い出し、川崎の意図も理解した。
「……ん。この続きは幹部会でしよう」
「了解じゃ」
「すまぬ。私が居るから話を中断させてしまったな」
智明と川崎のやり取りが一区切りついたのを見計らい貴美が詫びた。
こんな時でもしゃんと背筋の伸びている貴美は、天ぷらそばはとうに食べ終わっていて器の端に箸を揃えて乗せている。
「こんなの、秘密でもなんでもないから気にしなくていいよ。それより貴美さんは謝りたいんだったよね?」
「謝る?」
川崎は智明の言葉や態度に顔をしかめたが、それよりも突然出た『謝る』という単語が気になったようだ。
「そのとおり。格闘を長引かせず傷付けないために私が昏倒させた方々に謝罪がしたい」
「ワシらに?」
川崎と目を合わせて話す貴美に、川崎は驚きながら自分を指す。
「そういや新宮本宮の玄関あたりに居たのは川崎さんだったよね」
「うむ。見覚えがある。確か延髄を打っても意識があったので、鳩尾にもう一打打たねばならなかった。あの時は申し訳なかった」
「確かにそうやが。いや、その、そんな丁寧に謝られても。参ったな……」
頭を下げた貴美に、なぜか川崎は顔を赤らめてしどろもどろに狼狽し始め、頭をかきながらヘコヘコと何度も小さく頭を下げる。
珍しい物を意外なタイミングで見たので智明はしばらく笑って眺めていたが、この話をまとめるのは自分しかいないと気付く。
「まあ、あの状況で遭遇して戦闘になっちゃっただけだからね。謝るとか謝られるとかは不必要かなとは思うけど、これで一応貴美さんの要望は叶えれたかな?」
「……あの場にはあと何人か居たはず。可能なら全員に侘びたいのだが……」
少し申し訳なさそうに智明を見る貴美に、智明も少し困ってしまう。
「それは、現場の状況次第だな。川崎さん?」
「ああ、おん。ほら別にべっちゃないけんど……」
「じゃあ、案内がてら川崎さんに貴美さんの相手をお願いするよ。俺もちょっとやりたいことがあるから」
川崎なら余程のことがない限り『問題ない』と答えることを見越して、智明は貴美の相手を川崎へと委ねた。
明里新宮に集まったバイクチームの面々の面倒を川崎に丸投げしているが、智明も智明なりに用事や勉強に時間を割かねばならず、貴美だけにかまけてはいられない。
「そりゃかまんけんど……。あんたもほれでかまんのけ?」
「お手間かけ申すが、よろしくお頼み申す」
智明に受領を示したあと、川崎が貴美へと視線を振って追認を求めると貴美は恭しく頭を垂れた。
「う、承りました」
川崎がやたら丁寧に返事をしたのだが、三十前の会社社長が耳まで赤くなりながらモジモジしだしたのが智明には面白く、二人きりになってからどんなやり取りをするのか覗き見てやろうかとニヤついてしまう。
さすがに悪趣味だと察してやめておくことにしたが、『クマゴリラ』と『小柄な巫女風美少女』の取り合わせはニヤつきが止まらない。
「幹部会は夕食前に済ませたいから、それまでよろしく頼む」
改めて川崎に貴美の相手を命じて智明はそばをすすった。




