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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第一章 三つの仔
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覚醒 ⑤

   ※


 智明が冷静さを取り戻したのは、とんでもない速さで周囲の景色を流れ飛ばしながら、真上に上昇しているところだった。

 リニア線の高架下で、気絶から目覚め立ち上がった自分に対して警戒を強めた警察官は、とても攻撃的だと感じた。

 警察官たちの表情や動作は明らかに犯罪者に接する警戒態勢だったし、彼らの思考も智明への攻撃を示していたのが聞こえた。

 その瞬間に発した智明の拒絶の意思は、突風ないし衝撃波となって警察官達を弾き飛ばしていた。

 智明は目の前で起こった事態に驚き、恐怖し、絶叫して『飛んで逃げたい』と強く祈った。

 瞬間に視界は大きく歪み、高架下の日陰から建築現場を経て広大に広がる街並みを遠ざけるように上昇し続け、雲を越えて真昼の太陽が輝く高空へと上り詰めたのだ。


「飛んでる、のか?」


 自分がどうやってここまで移動したかを思い出し、目にした光景に思わず言葉が出ていた。だがそのために集中が途切れ、意識を別のことに向けた途端に体と視界が智明に落下していることを教えた。


「ヤバイ、ヤバイ! 飛ぶ! 違う、浮く! 浮かぶ!」


 慌てて声に出して意識を集中すると、落下のスピードは収まっていき、体は中空で静止した。

「飛べる、のか?」

 両手を広げて視線を落としながら、やんわりと光る自身の手と体を見回す。

 雲海に降り注ぐ太陽に照らされて体が光っているのかと思ったが、どうやら智明自身が微弱な光を放っているようだ。

 その証拠に、太陽を背にして腹側に影を作っても、腹や手の輝きは損なわれない。

「前へ進む……。うん? 前へ飛ぶ……。違うか? アッチへ進む。アッチへ早く進む。アッチへ超早く進む!」

 自分の行いたい動作を言葉に出して、空中を移動してみた。

 何度か言葉や言い回しを変えることで操作のコツを理解し、初めてバイクを運転したような楽しさに酔いしれる。


「……もしかしたら!」


 智明は思い付きで操作の仕方を変えてみる。

 口に出さず、頭で念じてみた。

《キリモミして後ろに二回宙返り》

 だがキリモミ飛行の明確な動きや映像やイメージが足りなかったのか、中途半端にフラフラと体が揺れただけに終わった。

「ゲームか映画のイメージって使えるのかな……」

 しばらくイメージと集中の時間を持ってから、智明はもう一度同じ操作に挑む。


「……! イイッヤッホォォォォォイィ!!」


 何度も何度もイメージしては飛行し、スピードや操作を試して雲の上をずっと飛び回り続けた。

「っお? ……なんか、光が弱くなってきたな? ……腹も減ってきた……」

 どうやら空腹と体力がこの力に影響するらしいと予想した智明は、光が尽きないうちに地上に降りなければ、地面に叩きつけられてしまうと判断した。

「……さすがに永遠にずっと使えるわけじゃないってことか……」

 少し残念に感じた智明だったが、それは欲張りだとすぐに思い直した。

 満腹を維持するなり体力がもつうちは、人間離れした能力を行使できること自体が素晴らしいことのはずだ。


 ゆっくりゆっくりと雲を通り抜けながら、智明は我知れずほくそ笑んだ。

 あんなに羨ましかった真のH・Bよりも、希少で強力な力を手に入れたのだ。

 記録(メモリー)や模写(コピー)は出来ないかもしれないが、恐らくサイキックと呼ばれる超能力ならばイメージさえ明確であれば実現し得ると確信できた。


「へへ。ノロノロ降りててもつまんないしな。()()、やってみるかな……」


 瞬間移動(テレポーテーション)を試してみようとして、智明はちょっと考え込む。

 一瞬で別の場所に移動すると言葉にしてみても、イメージが判然としなかったからだ。

 空をゆっくりと降下している状態から、一瞬後に自宅のベッドの上へ移動する。そこまではイメージ出来た。

 しかし、どうしても距離と時間という概念が邪魔をして、なおかつどうやって物体を離れた場所に移動させるかという理屈を考えてしまう。

 一瞬と思えるほどの高速で動く、と考えてしまうと室内まで辿り着くまでにたくさんの障害があるし、物体を早く動かすためにはエネルギーも食ってしまう。

 ではSFっぽく空間を切ったり穴を開けるなりして、今居る高空の空間と自宅のベッドの上の空間を繋いで移動するというのはどうだろう?

 さっきの高速移動よりは映像としてイメージできそうだったが、空間という言葉の曖昧さがイメージを破壊した。

 ならばと、一瞬という時間を一秒に定め分解と再構築で転送させると考えてみる。

「これならどうだ」

 細かな事を言ってしまえば、人間の構造や衣服の構造なども把握していなければ、分解と再構築などという芸当は行えないが、そこは中学生のノリと勢いで押し通してしまう。

 細胞や骨や服を分子レベルまで分解して――という細かさは智明の頭脳や知識では追いつかないので、アニメやパラパラ漫画の様に考えたのだ。

 瞬間移動前のAという空間に居る自分と、まだ自分の居ないBという空間。

 瞬間移動を開始し、Aの空間にもBの空間にも自分が居ない。

 瞬間移動後にはBの空間に移動し終わった自分と、自分の居なくなったAという空間。

 キッカケ作りにスリーカウントを行って、自宅の自室のベッドを強く思い描く。

 瞬きほどの短いブラックアウトの直後に、何者かに投げ飛ばされたような勢いでクッションらしきものの上に倒れ込む。

「…………マジか」

 視界が回復してくると、見慣れた天井が知覚できた。

 体を起こして見回してみても、間違いなく何度も寝起きしている自分の部屋のベッドに居る。


「へ、へへ。イメージ出来れば大抵のことが出来る、こんなことが起こるなんてな」


 昨夜までの平凡で満たされなかった中学生の自分は、もう全く別の存在になったと思うと、自然と笑いがこみ上げてきた。

 含んだ笑いは自然と大きくなり、哄笑はあっという間に自室を埋め尽くす。

 だがはたと口をつぐみ、智明は自分の手をかざしてジッと掌を見つめる。


「……アレは何だったんだ?」


 昨夜、真とともにバイクを走らせていた際、どんどん悪くなっていく体調と原因不明の嘔吐など、これまでに経験したことのないことがたくさん起こった。

 病院らしき室内で目覚めた時は、自身の体は血に塗れ、目で捉えた範囲では筋肉や骨や臓器まで露出していたと記憶している。加えるならば、リニア線の高架下の溜池に写した自身の顔は、眼球が片方はみ出ていて、まるでゲームに登場するゾンビや怪物のようだった。

 智明は自分の掌を眺めつつ体を起こして、ベッドに腰掛ける。

 自然と掌だけでなく下腹部や足も視界に入ってくる。


「? なんだ?」


 肌が白っぽくなり血色が悪い気がするのは先程から感じていたが、体型や筋肉の付き方や膝の形が変わっているように感じた。

 わずかに生まれた不安を払拭するため、智明は全裸のまま風呂場へ向かう。

 風呂場までのドアというドアを念じて開閉することで、手に入れたばかりの能力を試したり練習しながらその習熟に満足しつつ、電灯を点けて鏡の前に立つ。

「……やっぱどっか違うな……」

 鏡に映してみると、昨日までの自分とは明らかに体の状態は変わっていた。

 少し背が高くなったような気もするし、アバラの本数や筋肉の付き方も違うように思う。

 一番の変化は額と首の後ろの二箇所にコブのようなシコリが出来ていて、頭髪で分かりにくいが頭骨も変形して見える。


「……まあ、外見なんかどうでもいいさ。骨格は変わっちゃっても、顔はあんまり変わってないから、鏡見ても違和感ないしな」


 独り言を呟きながら、智明は鏡に向かって睨んだり笑ったりふざけたりと表情を作ってみて、自分の考えが正しいと信じ込んだ。

 人間が持ち得ない能力を得たにしろ、外見が少し変わったにしろ、自分は自分なのだ。

 それよりも今はシャワーで気分を変え、腹ごしらえをしようと決める。

 どうやら能力を使おうとすると腹が減るようだし、能力の行使には体力や集中力を要するようだ。

 六月末の暑気と湿気た雰囲気を洗い流すように熱めのシャワーを浴び、相変わらず母親のクセだらけのキッチンを物色する。

 ものの数分で冷蔵庫からウインナーとスライスチーズを見つけ、それから食器棚の上棚からお客様用の高いクッキーと、キッチンワゴンに無造作に置かれていた食パンを抱え込み、自室へと運び込む。

「うんめ」

 昨夜、真の自宅近所の『くにちゃん』で夜食を摂ったが、ツーリング途中で吐いてしまったので智明にとっては丸一日ぶりの食事になる。

「ヤベ。飲み物がねーや」

 再びキッチンまで取りに行こうと腰を浮かせかけ、あることを思い付いて座り直す。


「そんな煩わしいことしなくてよくなったんだったな」


 独りごちてから目を閉じて意識を集中すると、闇色だった瞼の裏に冷蔵庫の内部が映像となって浮かび上がって来て、意識の手でコーラのペットボトルを取り上げ手元に転送させる。

 心の中で行ったスリーカウントに合わせて、軽く開いた左手の平に重みが生まれる。

「上出来だ」

 一人ほくそ笑んで智明は食事を続けた。

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