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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
215/485

晴れのち曇り ③

   ※


「……涼しい風」


 借り物のスウェット上下で鬼頭優里はベランダに立って早朝の柔らかい風を受けていた。


 播磨玲美の自宅マンションは旧洲本市広田の高台で、東の洲本平野から西の三原平野を結ぶ峠が一望でき、眼下には神戸淡路鳴門高速道の緑パーキングエリアも望める。

 周辺には玲美の自宅マンションと同レベルの小洒落たマンションが立ち並んでいるが、山あいの開発が制限されているために山林の合間には棚田が木々とは違う緑を見せている。


「上手に話せへんかったなぁ……」


 七月の朝の清々しい景色を眺めながら、優里は昨夜の勧誘や交渉の失敗を省みた。

 智明や真と比べて小学校や中学校では友達の多いほうだと思っていたのだが、年上の、それも就業しているほど歳の離れた玲美と恭子には優里の誘いは伝わらなかった。


 ――黒田さんや学校の子達とは違うんやから、仕方ないんかな――


 明里新宮(あけさとしんぐう)で警察機動隊を退けた後、単身訪れた黒田刑事とはとても友好的に話せたのだが、彼女らとはそうではなかった。

 その要因は恐らく性別や年齢の違いといったことではなく、優里や智明の示した()をどう受け止めてもらえたかなのだろうと考える。


 今にして思えば学校生活を通じて出来た友達は、優里から関係を結んだというよりも常に受け身であったようにも思う。

 そうしたことと重ね合わせると、第一印象や相手に与えるイメージの大切さが分かった気もする。


 事実、昨夜の女三人での話し合いのあと、非常に後味の悪いままそれぞれ別室で眠りに就いた。


「……おはよう。よく眠れたかしら?」


 不意にかけられた声に振り向くと、そこにはドアからベランダへと歩み寄る玲美の姿があった。


「はい。色々ありがとうございます」


 風に煽られて顔にかかった髪をどかしながら優里は答え、ベランダまで出てきた玲美を視線で追う。


「いいのよ。この家には滅多にお客さんなんか来ないし、久々に他人とご飯を食べれたから」


 玲美は自嘲気味に笑いながら先程の優里と同じ姿勢で景色に目を向けた。

 優里は玲美の自虐的な言葉に答えねばと返事を探してみたが見つからず、玲美の横顔を眺めただけになってしまった。


「……ごめんなさい。変な言い方をしてしまったわね。気にしないでね」

「いえ、そんな……」


 無言の時間を埋めるように詫びた玲美だったが、やはり優里は上手な返事ができず顔をベランダ正面の景色に向けてやり過ごす。


「今日はこれからどうするの?」


 優里の薄いリアクションに気を遣ったのか、玲美が話題を変えてきた。


「そうですね……。新宮(しんぐう)に、モアのとこに帰ってもいいんですけど、ちょっと考え中です。……播磨先生はどうしはるんですか?」

「私? 私は、一応仕事に行かなければならないわね。余程のことがあれば貴女に付き合うこともできるけど、何かあるのかしら?」


 降って湧いた自由時間に何かをする予定や思い付きは優里にはなく、玲美に問い返してみたがさらに聞き返されてしまった。


 一見嫌味な聞き方に聞こえたが、玲美から悪意や底意地のようなものは感じない。


 ――この人、損な話し方をしはるなぁ――


 よく聞けば優里の用事に付き合ってくれる意向が汲み取れるのだが、字面のまま受け取ると『優里が頼むのなら仕事を休む』という責任転嫁に聞こえてしまう。


 優里の母おかのまりも若々しくて歳より若く見られる方だが、播磨玲美の方が女っぽくて優里から見ても色気を感じる。

 良く言えば妖艶、同性からすれば男ウケの良い色気というやつだろう。先程の言い様も『男がお願いすれば都合してくれる』となる。


 結局、優里は戻りたいが戻りにくいという迷いを玲美に委ねようとしたのに、玲美に『貴女が決めるべき』と一線を引かれた格好になってしまった。


「さすがにお仕事を休んでもらうのは迷惑やから。少しブラブラしてから帰ることにします」

「そお? 分かったわ」


 予想通り玲美は食い下がることもせずにあっさりと優里の決定を受け入れた。


「あ、でもいくつかお願いは、あるんやけど」

 母親におねだりするように上目遣いで付け足した優里に、玲美は微笑みながら答える。


「どんなお願いかしら」

「あの検査のこともあるんで、連絡先を教えてほしいです。それと、近くのバス停か地下鉄まで送って欲しい。あとは、この服、もらってしもて構いませんか?」


 遠慮がちに切り出しておきながら優里は一気にお願いを並べていく。玲美は「そのくらい構わないわよ」と受けつつ、小首を傾げて続ける。


「でも、こんな服で出歩くの?」

「いや、病院で着てたジャージも借り物なので、そっちを返しに行くと裸になっちゃいますから。出歩けるように仕立ててしまおうかなと」


 優里は正直に伝えたつもりだったが、玲美のハテナ顔はより深まってしまった。


 仕方なく玲美から二歩ほど離れ、瞑目してイメージを作り、両手の平に光の粒を宿してスウェットに振りかけるようにする。

 生地に振りかけられた光の粒が肩口から足首まで行き渡ると、グレーの長袖のスウェット上下が優里の意のままに形を変え、太めの肩紐のシェパードチェック柄Aラインマキシワンピースへと変化した。


「どうですか?」

「あら、そういうことなのね」


 ゆっくりと一周回った優里に玲美の驚きの少ない声が届く。

 優里としてはバストと腰回りの生地を厚くして下着のラインを隠したことと、グレーのスウェットを黒白のシェパードチェックに変化させたことを見てほしかったのだが、そこまでは気付いてもらえなかったようだ。


「……あんまり驚かないんですね」

「充分驚いてるわよ。本当に色々なことができる力なのね」


 オーバーなリアクションや仰け反ったり後退ったりといった反応を期待したわけではないが、優里に問われてからようやく玲美の表情は呆けたものから微笑みへと変わった。


「……うん、よく出来てる。いい色ね」

 優里の機嫌を取るように生地に触れ、もう一回りさせて仕立てや柄を褒める玲美の様子は、娘をおだてる母親のものに見えた。


 ――怖がらせてしもたんかな。それか気を遣わせてしもたかも――


 一通り優里の仕立てたワンピースを褒めた玲美は、「使ってないサンダルを履いていくといいわ」とやけに好意的な態度を見せ、突然力を使ったのは良くなかったと優里の反省点となった。


「……ありがとうございます」

「それじゃあ、赤坂さんの支度が出来たら呼びに来るから」

「はい、すいません」


 にこやかに部屋を出ていった玲美を見送り、優里はもう一度ベランダからの景色に目を向ける。


「モア。どのタイミングで帰ったらいい?」


 明里新宮上空で昏倒し病院で治療を受けて一夜が明けたが、智明は伝心(テレパシー)も寄こさなければ瞬間移動(テレポート)で迎えにも来ない。

 こんな機会にパートナーと公言した幼馴染みを試すようなことはしたくはないが、全く何もアクションがないというのは不満しかない。


 真ならばこうした放置は起こり得るのだが、こんな時に放っておかないからこそ智明を選んだのに、随分と待たされている。


「あんまり遅いと私かって怒るんやからね」


 智明が連れ戻そうとするまで優里からはアクションを起こさないと心に決め、遅すぎた場合のお仕置きを考えながら優里は部屋へと戻った。

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