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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
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七月六日 早朝 ②

   ※


 旧南あわじ市賀集にある寺の前に乗用車を停め、雑誌記者高田雄馬(たかたゆうま)は仮眠から目覚めた。

 昨夜は自宅のある旧洲本市栄町から八木まで鯨井孝一郎(くじらいこういちろう)を送ったあと、編集部からの指示を受けて大日ダム近辺で待機していた。


 雄馬がネットに流した速報記事の影響で大日ダム近辺は数多くの同業者が集まっていたが、編集部の示唆した御手洗(みたらい)総理の会見の影響は薄く、日付が変わって時間が深くなるほど皆仮眠や退去で大日ダムから離れていった。


 雄馬もそれらに倣って大日ダムの入り口から離れ、コンビニエンスストアで食料を買い込んで近くの貯水池の前の寺で夜を明かしたのだ。


「――まずまずだな」


 起き抜けに缶コーヒーを一口あおり、菓子パンを取り出しながらメールとニュースをチェックしながら呟く。


 雄馬が所属する『週刊テイクアウト』及び『月刊テイクアウト』は、様々な雑誌編集社や出版社から流れてきた記者や編集者が立ち上げた新興の雑誌社で、その拠点は遷都目前の淡路島にある。

 政治も経済もメディアもまだ完全な移転を終えていないために情報や娯楽の中心は依然東京にあるが、開発や成長や変化の真っ只中にある淡路島には記者としての面白みは多分にある。

 完成される前の付け入るスキや用意されていない防壁は、言ってしまえば産着一枚で寝ている赤子も同然で、もっと言えば赤子に気を取られて外敵への注意が疎かであるとも言える。

 そうした企業や政治家や団体の一挙手一投足は雑誌のネタにしやすい。


 とはいえ淡路島が日本中の注目を集めたり、まだ何もかもの中心ではないから本拠地ではあっても主戦場ではないし、情報やニュースを得る耳目は日本各地に置いておかなければならない。


 特に淡路島の新皇居で起こった自衛隊の攻撃行動を伝えた雄馬の速報は、東京にいる御手洗内閣の反応を伝えることで序盤の打ち合いが完結する。

『立ち上る煙幕は発煙筒ではないか』という陳腐なはぐらかしには笑ったが、御手洗首相の『既成事実ではなく審議会を通す』との発言は雄馬を奮い立たせた。


 この発言を引き出してくれた記者にはのしを付けて感謝と称賛を送りたいくらいだ。


「しかし、やっぱり杉田さんは上手いなぁ」


 囲み会見の動画を見ながら雄馬は一人で唸る。

『杉田さん』とは雄馬を『テイクアウト』に誘ってくれた先輩記者で、『テイクアウト』に入ってからはひよっこだった雄馬とコンビを組んで記者のノウハウを叩き込んでくれた師匠でもある。

 雄馬の独り立ちを機に東京に戻って取材活動をしているのだが、昨夜、御手洗首相に野次を飛ばしていたのはこの『杉田さん』だ。


 野次というものは単純な悪意や憶測で投げればいいというものではなくて、その野次によって相手の本性や隠し事を露呈させるような誘導が肝になり、余程取材対象の性格や状況を理解していなければ使えないスキルなのだ。


 結果として自衛隊の防衛軍改変は『審議会を通す』と御手洗首相に明言させ、御手洗の恩師山路(やまじ)の見舞いを敢行する言葉も引き出した。


 これにより御手洗首相は三日後の公的なオフに佐賀県へと出向くことが予想され、その往復のどこかで誰かと落ち合うのならば、何かが動いている証拠であろうとの目星がつく。


「そのための準備をどこまで出来るか、でしたよね」


 師匠の言葉を口にしつつ、雄馬はメールとニュースの見出しと地図アプリを並列して考えにふける。


 姉舞彩(まあや)との分担では、雄馬が自衛隊と御手洗首相の動向を追い、舞彩は非合法ナノマシンの実験をしている企業や組織を追うことになっている。


 現状、雄馬には三つの選択肢が有効であると整理できた。

 一つはこのまま大日ダム近辺に張り付き、自衛隊の動きを見ること。

 もう一つは近隣に構えているであろう自衛隊の野営地ないし居留地に張り付くこと。

 別のアングルとして伊丹から神戸周辺に張り付く。


 どの選択肢も自衛隊を主軸に据えて動向に対処する形だが、一つ目よりは二つ目、二つ目よりは三つ目と順に行動範囲を広めて取材の範囲も広げる選択肢となっている。


「最短で三日。最長でも三日。どっちかな?」


 前者は次に自衛隊が行動するまでの最短時間であり、後者は自衛隊も御手洗政権も身動きしない場合に待機しなければならない最長時間だ。


 もし次に自衛隊が高橋智明への攻撃を行うのであれば、その時に雄馬は何処にいて何を取材していなければならないかということだ。

 淡路島に留まって自衛隊の進軍を見るのか。

 自衛隊に指示を下した人物の近くに居るのか、だ。


 と、雑多なメールを読み終えてアプリを閉じた折りに一件のライン通知に気付いた。


「姉さん、何の冗談だい?」


 開いてみると舞彩からのメールで、スタンプも絵文字なくただただ平文で『姉さんはしばらく黒田さんと結婚するから』とだけあった。


 姉弟そろって『テイクアウト』に参加し同じマンションで同居しているくらいなので、これまでの舞彩の恋愛や現状を知る雄馬としては、この一文は電撃発表であると言わざるを得ない。

 さすがに舞彩の好みや恋愛観まで深堀りしたことはないが、これまで結婚の『け』の字にすら至らなかった舞彩から『結婚する』と切り出され、しかもその相手が()()黒田なのだから驚かないはずはない。


 昭和の刑事ドラマよろしく、現場で怒鳴り散らし何かにつけてすぐ走り出すような正義感の塊の黒田も、舞彩同様に結婚の『け』の字もない。


「ある意味で似たもの同士かもだけど、あの人が家族になるのはやりにくいなぁ」


 記者としてやたらに熱情の強い舞彩とドラマのように熱血刑事な黒田は、黙って並んでいれば美男美女のお似合いのカップリングと言えなくはない。しかし一度スイッチが入ってしまえば、どちらも目標を達するまで家庭を顧みずに奔走するタイプで、内から漏れ出す熱情はそのまま言葉や行動にも現れてしまう厄介な人種だ。


 ――そんなはた迷惑な夫婦ごっこは仕事だけにしてくんないかな。……あ、そういうことね――


 心の中で敬遠するうちに『取材時の隠れ蓑として夫婦設定をぶち上げたのだ』と思い至り、不必要に慌てた自分を呪う。


「シスコンやないっちゅーねん」


 六人兄弟の中で幼い頃から舞彩にべったりだった雄馬としてはシスターコンプレックスを自覚しないでもないのだが、子供時分の仲良しを成人しても引きずっているだけに過ぎず、さすがに恋愛対象ではない。『結婚するならば姉のような人と』とは公言しても、舞彩そのものと恋愛しようというものではなくて、他人からのシスコンの誹りは強く否定しなければならない。


 ましてや舞彩と似ている黒田を『兄さん』と呼ぶ準備は全く整っていないのだ。


「……ちょっと気を紛らわせてこようかな」


 脳内で展開していたアプリを全て閉じ、雄馬は安全確認をして乗用車のエンジンをかけた。

 昨夜は逃してしまった鯨井孝一郎の自宅マンションへ向かい、彼の次の一手をフォローしてみるつもりになった。

 優馬が想定した八十四時間が長いか短いかは動き方一つだと肝に銘じる。

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