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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
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七月六日 早朝 ①

「――ん、うん? キミ?」


 明かり取りの小窓から指す朝日で目を覚ました高橋智明(たかはしともあき)は、自分の半身に重なるようにして眠ってしまったはずの藤島貴美(ふじしまきみ)の姿がないことに気付いた。


 智明と真と優里の三人が過ごした小学生時代の思い出を話すうち、そのまま明里新宮(あけさとしんぐう)のリビングのソファーで眠ってしまっていたのだが、普段のベッドと変わりなく目覚められたことは智明にとっては気の緩みを感じなくはない。


 傍らに掛けていたスウェットを身に着けながら、智明の視線は貴美を探してしまう。


「……そこはやっぱり修験者(しゅげんしゃ)なんだな」


 リビングダイニングに貴美の姿はなく、主寝室にも人の気配はない。昨日の山菜取りの追いかけっこの名残なのか、充分な精神集中がなくとも貴美を探し当てられたのは、智明の能力が鋭敏であるというよりは貴美の存在感が大きいというふうに理解する。


 身なりを整えた智明はソファーから離れるように一歩踏み出すと同時に瞬間移動し、新宮の大屋根へと着地する。

 智明が現れたのは南西側の勾配。そこから体の向きに従って北東側に視線が向くと、瓦屋根の棟に貴美の後ろ姿があった。


「おはよう」


 七月の朝日が逆光で貴美の表情を見えにくくしているが、貴美が振り向いて朝の挨拶をしたことは分かる。


「おはよう。ずいぶん早いね」


 智明は応えながら貴美の方へ勾配を上っていくと、大屋根の向こうに諭鶴羽山の姿がせり上がって見え、貴美の姿も見やすくなった。


「修験者は自然とともに暮らすのだ。私は常日頃、この時間に起きている」

「そうだった」


 智明のあつらえた濃紺の作務衣に身を包んだ貴美は、日の出の時間に相応しい爽やかな顔を智明に向ける。

 貴美と同じ格好で棟に腰掛けた智明は、諭鶴羽山の上に広がるよく晴れた青空を見上げ、まだ暑くもなく涼しい朝に雑多な思惑が洗い流される気分を味わう。


「たまの早起きは気分がいいな」

「朝起きて今日の始まりを知る。そこに何者かへの感謝が加われば尚、良し」

「……そうだな」


 内心では複雑な感情がいくつか起き上がったが智明は言い返さないことにした。普段なら説教臭い言葉にはもっと距離を取った受け答えをするのだが、貴美の表情と声音からは押し付けるような圧を感じなかったため、そうした。


「トモアキは、優しいな」

「急になに?」

「比べることではないのだが、マコトの自分本位な激しさも良いが、トモアキの共に駆け上がっていくような導き方や優しさもすごく良い」

「そ、そう。ありがとう」


 早朝の爽やかな雰囲気のために貴美が何の話をしているのか分からなかったが、意味がわかってしまえば冷静すぎる批評に狼狽(うろた)えた。


 ――こういう時、女の方が達観したこと言うのは何なんだろうな――


 優里の時もそうだったと思い返しながら、智明は足の位置を変えてふしだらな反応を隠しておく。


「ところでトモアキ。ユリ殿もそうなのだが、ご両親はこの事を知っておられるのか?」


 貴美の唐突な問いに智明は口篭る。


「うーん、うん、まあ、してないな」

「それは何故?」


 間を開けずに問われ、智明は貴美から少し体を離してしまう。


「そんなに深い理由はないんだけどね。リリーのとこは一過性のものだろうけど、うちは元々家族っぽい感じがなかったからな」


 そのまま顔を背け、朝日とは反対側の南西方向へと体を回す。


 貴美に何を聞かせていいのか分からないという部分もあるが、智明自身でも自分と両親との関係は不自然だと思っているし、どこかで整理をつけなければと思っている。

 その実情を貴美に話すには智明の準備が整っていない、とも言えた。


「そうなのか? それで良いのか?」


 貴美が質問を重ねてきたが、智明はそれには答えず棟を跨いで完全に南西へと向いてしまう。


 なんと答えようかと考えている頭の中に、面倒臭そうな顔をした母と無関心そうな父の顔が浮かんだが、それらが貴美への答えにはなってくれなかった。


「すまない。少し深入りしてしまったのだな」


 智明の背中に身を寄せながら貴美が詫び、智明は小声で「大丈夫」とだけ返す。


 新宮本宮の大屋根からは『目』の字に区切られた敷地が一望でき、貴美の質問から逃れた智明の視界には見張りの交代であろう人の行き来が映った。


「……深入りとかは全然問題ないんだけどね。親の話は本当に何にもないから答えようがなかったんだよ。言ってしまえば、養ってもらってたけど、一緒の家に住んでただけというか、それだけしか感想がないんだ」

「そうなのか」

「でもね、これは変なことだなっていうのは自覚してるんだよ。俺がまともじゃないのは分かってても、親まで道を外れてるってのは納得いかない。だからまあ、ちょっと人を使って調べてみようかなっていう感じだよ」

「ん、そうか」


 背中に顔をくっつけたままの貴美の返事は、息が服を通り抜けて肌に触れ少しくすぐったい。

 その代わりに貴美はそれ以上質問をしてこず、智明も言葉を足さなかったので、大屋根の上で新宮の敷地を眺めながら無言の時間が過ぎた。


 住宅密集地や幹線道路から距離があるせいか新宮の辺りは静かで、鳥の鳴き声や羽ばたき、虫が飛び過ぎる羽音、敷地で行われている掃除や作業の音がかすかに聞こえる。


 ゆったりした時間が流れているが、遠くから複数のエンジン音がし始めた。


「……自衛隊だな」

「荒々しいが、険悪ではない」


 少し声の調子を落として応じた貴美に、智明は笑いながら答える。


「ん。戦いとか攻撃じゃないよ。多分、包囲してる部隊の交代に来たんだと思う」

「なるほど」


 智明の背中から顔を離し南西の方向へ首を伸ばした貴美はすぐに智明の予想に納得したようだ。


「さて、暑くなってきたし朝ごはんにしようか」

「トモアキ。もし可能であれば新宮を守っていた方々と話ができないか? お役目とはいえ、手を加えてしまった詫びがしたい」


 朝食へと導こうとした智明に貴美は背筋を伸ばしてそう訴えた。


 確かに智明が真と戦っている際に、貴美が新宮本宮の正面玄関で防衛についていた一隊を打ちのめし昏倒させている。

 それを詫びたいとは律儀だなと思いつつ、貴美らしい申し出に思えたので方策を考える。


「じゃあ、朝ごはんはうちの同志の食堂で食べるかい? 全員に詫びるとかはできないけど、隊長クラスになら会えると思うけど?」

「それでお頼み申す」

「じゃあ、ちょっと手間だけど俺は着替えないとな。同志は見張りだ警戒だで武装させてるのに、俺がこんなに身軽じゃ申し訳ないから」


 軽く頭を下げた貴美に立つように促し、智明が自嘲するように居室に戻る意思を示すと、「そういうものか」と貴美が応じた。

 智明も「そういうもんだよ」と返して大屋根の勾配を下り始め、造作もなく軒下へ体を投げ出して空を蹴り、新宮三階のベランダへ着地する。


 振り返ると、貴美も同様に軒から体を踊らせ、空中の一点で留まって踏み込み、ベランダへと飛び込んできた。


 ――軽やかで無理がないな――


 貴美の動作に自分とは違う力の働きを感じつつ、智明は貴美を室内へと誘った。

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