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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第一章 三つの仔
21/485

覚醒 ④

   ※


 「こっちです」

 アスファルト舗装されたばかりの側道をやや小走りに進みながら、工事関係者然とした作業服の男が警官二人を誘導している。

「こんなとこですか?」

 出来上がって間もない高架橋は、風雨に傷んだ様子もなく堅牢に見える。

 元は山林と田畑が広がっていた地域に、マンションやビルなどが乱立し始めたことで舗装途中の小道には日が入らず、リニアモーターカーが走る高架下の溜池は昼前なのに薄ら寒い。

「人が倒れてるように見えたんだから、警察に届けないといかんでしょう?」

「確かにそうですが……」

 気が急いているのか恐れのためか、工事関係者は歩みの遅い警官たちを足踏みをして待つ。

彼は知る由もないが、彼の通報で駆け付けた警官二人には近辺で起こった奇妙な病院襲撃事件の情報が入っており、ただでさえ人気の無い場所で『人らしきものが倒れている』と通報されれば、薄気味悪さが先に立ってしまい、警官が慎重になるのは当然の話だ。

「この向こうです」

 工事関係者は鍵の束を探りながら、立入禁止のフェンスのさらに奥を示して警官を前に立たせようとする。

「そこから行けるんですか?」

「ええ。ちょっと待ってくださいよ」

 死体を見たかもしれないという恐怖と、フェンスの潜戸くぐりどを早く開いて身を隠したい焦りで、工事関係者の手元はおぼつかない。

「お願いします!」

 ようやく解錠に成功した工事関係者は、潜戸を開きつつ警官にペコリと頭を下げた。

「じゃあ、確認したらすぐ戻りますから、近くにいてくださいよ。おい」

「はい」

「おねがいしゃす」

 警官達がフェンスの向こうに進むのを、祈るような気持ちで工事関係者は見送る。


 あいにくの曇天のために、高架橋の下は普段よりも影が濃く感じられ、どこかで滴る水漏れの音が、尚更気味悪くさせる。

 と、規則正しく並んだ柱の根元に、人間の足のような白い塊が見えた。

「あれか?」

「……らしいですね」

 薄暗い高架下の不気味さの中に、やたらと白い表面が際立っていて、工事関係者の慌てぶりが少し納得できた。

「こっちから回るから、そっちから」

「分かりました」

 警官達は互いに声を掛け合い、二方向から回り込むように近付いていく。

 自然と手は腰に指してある警棒に伸び、足音も忍ばせて徐々に進む。

 二人の警官が、どちらからもあと五歩くらいで人らしきものにたどり着くというところで立ち止まる。

 やはり異常に肌が白いが、姿形は人のように見える。ただし、衣服を身に着けていない。

 先輩らしき警官から後輩らしき警官にうなずきかけ、後輩はうなずいて一歩前へ進む。

「そこで何をしている? 具合が悪いのか? 寝ているのか? 意識があるなら返事をしなさい」

 一歩を踏みしめながら先輩警官が声をかける、が、人らしきものは返事をしない。

「我々は警察だ。ここは私有地になる。理由は聞くが、直ちに退去しなければ罪になるぞ」

 後輩警官も歩みを進めつつ声をかけるが、対象は身じろぎもしない。

 とうとう反応がないまま、警官二人はそれのすぐそばまで近付いてしまう。

 再び目を合わせてうなずき合い、先輩警官は警棒でそれに触れてみた。

「……よし」

 もはや人であると確信し、あとは生死の確認をしなければならず、先輩警官は警棒を腰に戻してゆっくりとしゃがんでいく。

「寝たふりとかは無しだぞ。趣味の悪い悪戯も罪になるんだからな」

 声に出してから、先輩警官は人らしきものの足に触れた。

 途端――

「うわああああああ!」

「ひい!」

「動くなっ! 警察だ!」

 奇声を発し飛び退くように体を丸めて柱の影に隠れようとする人らしきものに対し、後輩警官は引きつった声を上げながら警棒を構える。

 先輩警官は辛うじて右手を差し伸べ、左手で警棒を探りながら警察であることを告げる。

「なん、だ? 子供、か?」

 警棒を突き出して威嚇する後輩警官とは対象的に、先輩警官は幾分落ち着いて対象を観察できた。

 やたらと肌が白くて粉をかぶったような印象だが、柱の影で身をすくめて怯える様は、小柄で痩せているように見える。

 十代前半、十三〜四歳と見た。

 髪の毛は黒黒と茂っているが、眉やスネ毛は見当たらず、チラチラと覗く陰茎から男子と分かるが、その根元にも毛はない。

「おい、よせ。子供じゃないか」

「ひ、へ? あ、はい」

 先輩の注意に少し冷静になれたのか、後輩警官は警棒を下げて警戒を緩める。

 先輩警官も帽子のツバを上げ、顔が見えやすいようにして話しかける。

「ここで何をしていたんだね? 警察は怖くないよ。話はできるかい?」

 笑顔を作り手を差し伸べる警官に、それも警戒を解いたようで、すくませた体から少し力がぬける。

 そして粉をかぶったような白い肌がボンヤリと薄く光るように見えた。

《ツルンとしてうす気味悪りぃな》

《なんかあったら警棒でぶっ叩く。なんかあったら警棒でぶっ叩く》

 警官二人の思惑をそれが感じた瞬間、突風に吹き飛ばされたように警官二人の体が弾き飛ばされ、近くの柱にぶつかり、玉子を握りつぶしたような音を立てて張り付いてしまった。

「ひぃぃ!?」

 潜戸のそばでフェンスに隠れて覗き込んでいた工事関係者は、警官達が吹き飛ばされたことに驚いて悲鳴とも呼吸ともつかない音を出しながら尻もちをつき、身を隠そうとフェンスに這い寄って体を丸めた。

「うわああああああ!!」

「助けてください!助けてください!助けてください!」

 誰が発したか分からない嬌声に、工事関係者は更に怯える。

 死体を見たかもしれないという怖れから、死体が警官を弾き飛ばしたという驚きと、次は自分が攻撃されるのではという恐怖で体中が震え何度も命乞いを口にした。


「助けて! 助けて。助けてください。助けて……。へ? あれ?」


 どのくらいの時間が経ったか分からないが、周囲が静まり返っていることに気付いて工事関係者は口をつぐみ、恐る恐る顔を上げる。

 相変わらずどこかで雫の垂れ落ちる音がする他に、目立った音もしなければ人の気配もない。

「……お、お巡りさん?」

 悪い予感を感じながらフェンスから奥を覗くと、死体のように転がっていた白い肌の人型のものは姿を消しており、自分が連れてきた警官の足が柱の途中から生えているだけになっていた。

「…………ひえ!」

 柱には亀裂が走り、よく見ると別の柱からは手が生えているのも見えた。

 辺りに血が流れているのを見て、工事関係者は再び腰を抜かし、もう一度110番するために後ずさりながらスマートフォンを取り出した。


   ※


「鯨井先生はどちらかな?」

 中島病院新館脳外科病棟二階の病室にスーツ姿の四人組が入ってきて、鯨井の所在を聞いてきたので、野々村美保は緊張で身を固くした。

「……はい。何でしょうか」

 美保は鯨井が寝かされているベッドサイドの丸椅子からゆっくり立ち上がり、声が上ずらないようにひと呼吸おいてから答えた。

「ああ、こちらの御仁でしたか」

「貴女は、鯨井氏の関係者?」

 周囲の人々に気を配らない態度にムッときたが、場所をわきまえて美保は小声でやり返す。

「ここは病室です。ご配慮下さい」

「そんなに無礼なことはしていないつもりだけどな」

 先頭の濃紺のスーツの男が慇懃無礼に返してきたので、美保は徹底抗戦を決意する。

「あなた方は、どちらから来られた何者なんですか」

「ああ、失礼。こういう者だ」

 先頭の男をはじめ、後に続く三人が順に警察手帳を開いて身分を明かすが、美保はジッと先頭の男を見据える。

 美保の祖父野々村穂積は学会や財界の著名人との親交が厚いため、初見の人物との礼儀に関して厳しく、名刺交換などで身分を表す際は必ず口頭で名乗るまで応じるなと美保に教え込んでいた。

 特に、任意の聴取や同行を求める警察関係者には必ず名乗らせなさいと念押しされていた。

 実際、警察関係者は所属と姓名を明かさずに公務を行うことが多く、警ら中のやり取りがトラブルに発展した際に、一般庶民が警察関係者側を特定できずに泣き寝入りさせられるケースは少なからずあるし、とかく警察権力は所属や姓名を伏せて頭ごなしな態度を取ることが多い。

 明らかな犯罪者にはそれでいいかもしれないが、公務であっても任意の時点で礼を欠く態度を野々村穂積は認めなかった。

「……国生警察仮設署捜査一課の黒田だ」

「同じく増井です」

「南あわじ署捜査一課の長尾といいます」

「同じく、南あわじ署の加藤です」

「……鯨井先生の、婚約者で、野々村美保です」

 一瞬の逡巡があったが、教え子や知人では関係性が薄弱に感じられたので、美保は少しだけ()()()

 言ってしまってから『交際相手でも良かったかな?』と思ったが、鯨井に指輪のサイズを聞かれたことだし、嘘ではないと心の中で舌を出した。

「鯨井先生の婚約者? 事情聴取の名簿にはなかったと思うんやが?」

「……有りませんね」

 先頭の黒田が一つ後ろの長尾に振り返って確認を求めると、長尾は警察手帳をめくって答えた。

 美保は当然だと言わんばかりに肩をすくめて答える。

「ニュースを見て駆けつけたんです。その場に居なかった私も事情を話さないといけませんか?」

「なるほど。そんな道理はないわな。……ちょっと確認したいことがあって鯨井先生を訪ねたんやが、今、話はできるんかな?」

 美保に合わせるように黒田も肩をすくめ、先程よりやんわりと問いかける。

 美保はチラッと鯨井に目をやり、しっかりと黒田の目を見て答える。

「骨折の処置をして今は眠っています。しばらくは点滴を続けて、体調が回復するまではご遠慮下さると助かります」

「事件解決のために急ぎたいんやが、怪我をされてるからしゃあないか」

「……ですね」

 困った様子で頭をかく黒田に、増井が同意を示す。

「あー、野々村さんは医療の知識があるんかな?」

「は? はあ、まあ、鯨井とは職場で出会いましたから、多少は」

「なるほど、職場で出会ってお付き合いされていると何かと大変でしょう。私ゃ独身なんやが、同僚にも似たようなのが居ましてね。周りから冷やかされたりやっかまれたりで、苦労してるのをよく見たもんでね」

 急な話題の転換に美保は戸惑ったが、怪しまれないように口を合わせる。

「どこも似たようなものなんですね」

「ははは、いや全く。では我々は一旦引き下がりますわ。お大事に」

「ありがとうございます」

 振り返って手を振りながら愛想を言う黒田に、美保は丁寧にお辞儀を返す。

「……ああ、そうそう。鯨井先生が目覚めた時に、我々と話がしたいと仰られたら、国生警察の黒田宛に一報下さい。飛んできまっさかい」

「は? はあ、分かりました」

「では」

 今度こそ黒田は出入り口に向かって歩き出し、とっくに病室から出ていた同僚たちと共に去っていった。

「…………変な言い方。バレてたのかな?」

 刑事たちが居なくなって、たっぷり三十秒ほど間を開けてから美保は鯨井にささやいた。

 鯨井から、警察が来たら寝たふりをするから適当にあしらって帰ってもらってくれと頼まれていたぶん、一つ役目を終えて美保はゆっくりと息をついた。

「かもしれんな。なかなかの曲者か、キレ者なのかもな」

 たぬき寝入りをやめて鯨井も小声で答えた。

「そうなの? クジラさん、何か知ってるの? 事件のこと」

「いいや。……けど、この後、俺がしようとしてることに興味があるんやないかな、あの刑事さんは」

 いつも以上に真面目な顔を見せる鯨井に違和感を覚えつつ、美保は丸椅子に座り直して元の通り鯨井の手を握る。

「ふうん。……怪我してるんだから無理しないでね」

 心配そうに見つめてる美保に鯨井はニカッと笑顔を返す。

「なに、俺は医者だから調べるのと治すのが仕事だ。危険なことは警察がやってくれるよ」

 祖父の警察嫌いが刷り込まれているせいか、さっきの黒田達の態度のせいか、美保は微妙な笑顔を作って鯨井を見つめた。

「それより、婚約者とは大きく出たなぁ。指輪もしてないのに」

「あら、違った? 指輪はもらってないけど、プロポーズされたと思ってるんだけど」

「いや、そのつもりだよ。俺は美保ちゃんのもんだよ」

「逆でしょ? 婚約したんなら『お前は俺のモノだ』くらい、言ってあげなさいな」

 美保が言い返すより早く別の女が鯨井を叱った。

「…………播磨先生、聞いてらしたんですか?」

「播磨ちゃんも人が悪いの」

 美保が握り合っていた手を離そうとしたのを、鯨井は逆にしっかりと繋ぎ直してシーツの上に晒す。

 一瞬だけ強張った播磨医師の表情を美保は見逃さなかったが、嫉妬や怒りを感じなかったので、播磨医師の心境を察知すべくなおのこと播磨医師を注視した。

「二人だけの世界を作っておいてずいぶんな言われようね。警察の監視から逃れて動くのって大変なんですよ?」

「お! さすがやな。準備は整っとるわけやな?」

「クジラさん、まだダメよ」

 起き上がろうとする鯨井を、すかさず美保が押し止める。

「んあ? 一刻を争うかもしれんのやが……」

「いいえ、ダメよ。あと一本点滴を打って、警察が引き上げてからよ」

「クジラさんは怪我人なんだからね。お医者さんの言うことは聞かなきゃだよ」

 できたばかりの婚約者と昔関係を持ったことのある女から同時にたしなめられ、鯨井は仕方なく従うことにした。

「しゃあないな。けど、メシはいいもん食わせてくれよ?」

「「入院食で我慢なさい」」

「うげ……」

 二人の女性が全く同じ間で全く同じ事を口にしたので、互いにバツが悪い顔をしたが、真ん中で鯨井が子供っぽくすねた顔をしたので女性達は一瞬で笑顔に変わった。

 ――違うとこで神経使いそうやな――

 鯨井は脇を伝う気持ち悪い汗をこっそり拭った。

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