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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
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虚構 ⑥

   ※


 睡眠。

 眠りとは活動時間に対しての休息時間とされ、人間の場合は日中の活動に対して夜間は体を休めるために意識を喪失している状態、となる。ただし、外部からの軽微な刺激に対して容易く覚醒できるものでもある。

 また睡眠中に身体の修復や新陳代謝が活発に行われ、脳内では記憶の整理や再構成も行われるとされている。


『夢』は記憶の再構成の際に垣間見る断片であるとか、記憶から類推された予見だとか仮説されるが、大脳・小脳・間脳・脳幹周辺をナノマシンによって電子機器化する時代になっても、その真偽はまだ明らかではない。


 だからこれは城ヶ崎真の夢であろうとしか説明はできない。


 瞼を閉じ眠っている真に、音も無く暗闇に生まれた小さな光の粒が認識された。

 すぐ隣に同じような粒が生まれ、時間が経つにつれその数は爆発的に増大して視界いっぱいを埋め尽くすまでに大した時間はかからなかった。


 ――これは、なんだ?――


 以前にも真はこれと似た体験をしている。


 ちょうど二十四時間前、智明打倒を誓い滋賀県の琵琶湖畔で訓練をした最終日。真に与えられた部屋で藤島貴美と抱き合い、瞑想に似た世界を垣間見た。


 その時は音も風も温度もない暗闇に光の粒が生まれ始め、視界を埋め尽くした光の粒は航空写真のようでありながら電子基盤の様な整然さと堅さを感じさせた。


 今、真の視界に広がっていく光の粒は、昨夜と同様に地図らしき地形の起伏を描き、やはり電子基盤の様にどこかデジタルで堅く整えられて見える。

 光の粒によって描き出された光景は別物でも、二度目となれば対応は易い。

 光の粒の繁殖は留まらないと見た真はすぐさま自身の視点を高空へと引き上げ、その全容を把握しようとした。


 ――淡路島、か?――


 高度が上がるほど勾玉の様な独特の形が分かるようになり、真は心の中でつぶやく。


 ――そういえば優里のその後とか、貴美の行方ってどうなったんだ?――


 決して彼女らをないがしろにしたわけではない。

 真からすれば優里が意識を取り戻したという連絡が来なかったから他のことに目を向けなければならなかったし、貴美と連絡を取る手段が無いから気になっていても手を出せなかった。


 ――いや、言い訳だな。やれば出来たことだもん――


 頭の中で並べ立てた弁解を否定するように心の顔が浮かび、真は一瞬前の弁解を打ち消した。

 そうしなければ全てを『智明のせい』で片付けるつもりだったのだが、優里の傍に居られなかったのは真の判断ミスだし、貴美と連絡が取れないのも真の準備不足だ。


 ――貴美は、今どこで何をしているんだ?――


 きっと真は何をおいても貴美と一緒に新皇居から立ち去らなければならなかったはずだ。それをしなかったのは真の腕に優里を抱いていたからだし、優里を想うことで貴美を後回しにしてしまった。

 今更そのことを埋め合わせるように貴美の安否を案じても、貴美が真に答えてくれるはずがない。


 と、視界の中の光の粒の一つがクローズアップされ、真に映画館のような少しピンぼけした映像を見せる。


「――そうか。マコトにはそういうところがあるのか」

「長所でもあるけど短所でもあるってやつかな。でも、だからこそ真にしかない発想の豊かさみたいなのが活きるんだけどな」

「そう、確かにそうだった。エアバレットとエアジャイロを一番上手に使えたのはマコトだった」

「だろうね。新しい物を手に入れると、誰よりも早く使いこなして、誰よりも上手に発展させるのが真の良さだから」

「トモアキは、どうなのだ?」

「俺? 俺はどうだろうな。調べて、試して、ふとしたタイミングで閃くのを待つ感じかな。だから、真が飽きた頃にやっとゲームで勝てる感じだな」

「ふふ。両極端だな」

「ああ。だから友達なんだよ」


 どこかの部屋で寄り添う男女二人の映像だとは分かったが、ピンぼけのために顔や服装はちゃんと判別できない。それでも声だけはハッキリと聞こえ、抑揚や息遣いまで分かる。


 ――キミと、智明!?――


 意外な取り合わせに驚いた途端、映像と声は真の意識から遠ざかってしまった。


 どのような経緯で二人が同じ部屋に居て会話しているのか想像だにできないが、二人が自分のことについて話している状況は何なのだろうと戸惑う。それがためにもう一度しっかり見ようと試みてみるが、真の思い通りにはいかなかった。


 ――くそっ!――


 短い映像と声の中に沢山の『なぜ?』が湧いて出てきて、真の意識は戸惑いと混乱と焦りでささくれだってしまい、思わず罵声を吐き捨てる。

 そんな状態では同じ映像など探し当てられるはずはないと理解していながら、同じ試みを成し遂げるまで繰り返そうとするのは真が子供だからであろうか。


 そんな自己分析を遮るように、体を丸めて縮こまっている少女の映像が浮かぶ。


 ――!? 今度は、優里?――


 まるで水中に漂っているように、肩よりも伸びた黒髪をふんわりと広げ物憂げな表情を浮かべている。

 やはりどこかピンぼけしていて、背景はよく見通せず霞がかかったようにおぼろげだ。


「私はモアを助ける。

 クイーンとしてモアの隣に立つんやから、モアがやろうとしていることを全力で支えていく。

 そやけど、今のままの新宮(しんぐう)やとモアが掲げた『独立』は成し遂げれやん。

 モアと私とバイクチームの人らだけやったら、限界があるねん。

 HD(ハーディー)で体を強化しても所詮、人は人やから」


 半ば閉じかけていた瞳を開き、優里は体をクルリと一回転させて四肢を伸ばしてまた霞の中で漂う。

 なにかしらの流れに乗った髪の毛が先程の形に戻るのに合わせ、純白のワンピースも裾を翻らせて軽やかに広がる。


「本当に成功を収めるためには、絶対にコトの協力が必要やねん。

 私も、私なりに協力者を集めて強くならなあかん。

 どういう意味の強さがいいんか分からんけど、モアと、コトと、強くなった私が力を合わせたらええねん。

 きっとそれで災厄は避けられるから」


 優里が誰に向けて誓いを立てたのかは真には分からない。

 しかし唇を引き結び、決意のこもった眼差しで上方を見上げ、飛び上がるように浮上した優里はどこか大人びて見えた。


 ――智明の目的ってなんなんだ? 皇居で戦った時は何も言ってなかった――


 優里が浮上したことで真の視界はまた閉ざされ、機械的な配線を思わせる淡路島の島影に戻る。

 先程の貴美とは異なり、独白のようだった優里の言葉が真に引っ掛かりを覚えさせ、大小様々な動揺が重なり合って真の思考をかき乱した。


 ――あのとき優里は、智明に切り飛ばされた俺の腕を治してくれた。なのに、今は俺を協力者として引き込むようなことを言っていた。これはどういうことなんだ?――


 他にも優里の雰囲気が変わっていることや、智明に味方しているバイクチームがHD化しているような発言もあった。


 ――テツオさんは知ってるんだろうか?――


 田尻の短い説明では、真の憧れの男本田鉄郎(ほんだてつお)は今後の行動のために自衛隊と話し合いをしているらしい。

 テツオの率いるバイクチームWSSウエストサイドストーリーズが自衛隊とどう関わっていくのかは、真には想像すらできないが、智明の周囲にHD化した尖兵が存在するのならば報告しなければならない。


「――テッちゃんの野望は絶対に叶う」


 真の思考が横道にそれた瞬間、頭の中に女の声が響いた。

 その声は一瞬で真を骨抜きにした年上の女性鈴木紗耶香(すずきさやか)のものだ。

 そう認識したと同時にシャワーを浴びる栗色の髪の女性の映像が見えた。


「テッちゃんの家が経済的に豊かだとか関係ない。

 私の父親が市会議員とかもどうでもいい。

 大事なのは、テッちゃんと私の見ている野望は、十五歳の超能力者なんかに邪魔されてやめちゃうような軽いものじゃない。

 私が愛し、従うキングはテッちゃんだけ」


 相変わらずのピンぼけに加えシャワーの湯気らしき靄で映像ははっきりとしない。

 それ以上に真を切り刻んだのは、サヤカの行動理念がテツオの野望のみに極振りされていたことだ。


「真くんには悪いけど、この騒動はテッちゃんの計画を前倒しするのに格好の舞台。 最高のシチュエーション。

 真くんや田尻くんも駒になってもらうしかない。

 ピュアな人は好きだけど、気が多くて惚れっぽい人は恋人候補じゃないのよ。

 女の子を落としたいのなら、そういうところを悟らせちゃダメなんだよ」


 テツオの目論見とサヤカの本音を聞いてしまい、真がこれまで憧れてきたベストカップルのイメージが完全に崩れ去った。

 そして真の本性を言い当て、シャワーを終えてサヤカが立ち去ったバスルームは真の心情以上に一気に冷めた。


「そのとおりだけど……。そんなにバッサリ切り捨てなくてもよくない?」


 高空から見下ろしていた視線を彷徨わせながら真は一人ごちた。

 今までノリや勢いやジョークや虚栄で乗り切ってきた。誰にも本性は悟られせていないつもりだった。


 ――末っ子だからかな? 俺はまだまだガキだってことか――


 瞼などないはずの世界なのに、真は瞑目して自ら招き入れた暗闇の中で『大』の字に横たわるようにする。

 そして自分の愚かさと幼さを痛感し、打ちひしがれ、気分は底なしの井戸に落ちていく。


 この十日ほどの間に出会った様々な人の顔が思い出され、それぞれから賜った叱責や教訓を思い出す。


《真。もうそんな小さなことに拘っているのはお前だけだぞ》


 すごく聞き慣れた親しい人の声に真は目を開いた。

 開いたはずだが、目に映ったのは閉じていた時と変わらない真っ暗な部屋。そしてその天井。

 スマートフォンの通知LEDか何かのお陰で辛うじて自分の部屋の天井だと分かってホッとする。


 ゆっくりと上体を起こした真は、暗闇の中で両手を持ち上げ拳を握ったり開いたりを繰り返す。


「……例え夢でも、お前にそんな大人ぶったこと言われたくねーよ」


 命の奪い合いをしたばかりの幼馴染みに向けて、真は今の自分が吐くことのできる最大限の強がりを返した。

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