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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
205/485

虚構 ⑤

   ※


 田尻がテツオに連絡を取った結果、三十分後に簡潔なメールが返ってきて新しい指示が出された。

 可視化されたメールを読んだ真・田尻・紀夫・ジンベの四人は、即座にファミリーレストランを出てジンベの車に乗り込み、賀集生子(かしゅうせいご)へと向かった。


 大日川ダムへと至る周辺道路には、三日前には見る影もなかった人だかりが出来ており、テレビカメラや照明やマイクらしきものが人影の中に垣間見えた。


 警察がパトカーと規制線で封鎖していた進入路は、自衛隊の隊員とカラーコーンで物々しく封鎖し直されていたが、ジンベの車が近付くとあっさりと道を開けてくれた。

 テツオが根回しをしてくれているからだと分かってはいても、自衛隊という特殊で大きな組織がこういった小回りの効いた対応をしてくれることに、若干の戸惑いを覚える。


 それは大日川ダム記念公園で更に沢山の自衛隊員に囲まれたことで倍加した。

 咎められることもなく、かといって完全な無視でもなく、あちこちから向けられる隊員達の視線を受けながら真・田尻・紀夫はバイクの状態を確認してエンジンを始動させた。


 そこからは門前払いを食らった営業マンのように、ジンベの車を先頭にして急いで坂を下り、また開け放たれた封鎖からジンベのショップまで逃げ帰ってきた。


「なんにも悪いことしてないのにな」

「いや、してないことはない」

「ガス代、ツケとくからな。踏み倒したら『悪い事』だからな!」


 自衛隊の本来の任務を妨害した意識がない紀夫がボヤき、田尻が即座に間違いを正す。

 その裏では真らのバイクにガソリンを給油していたジンベがタダではない事を念押ししてくる。


「分かってるよ。そりゃそうと、これからどうするんだ?」

「普通に家帰って明日連絡があるまで寝るんだろ?」

「何時に連絡あるか分からないから、当然そうッスよね!」


 田尻とジンベが紀夫をイジる前に真は口調を強めておく。


 紀夫が赤坂恭子に拘って連絡を取ろうとするのは間違いないのだが、ここで田尻やジンベがその件に触れるとやたらに時間を食うのは間違いない。


 鬼頭優里と藤島貴美の安否が気になる真としては早く帰宅したいのだ。


「お前なぁ――」

「いや、今ウダウダやってても仕方ねーよ。とっとと解散しよう」


 真の強引な『帰りたいアピール』を注意しようとした田尻を紀夫が大声で抑え込む。

 珍しく真と紀夫の利害が一致した瞬間かもしれない。


「田尻。時間も時間だし、ここでもめるな。明日の集合ん時に洗濯した服とか持ってってやるから、そん時までちょっと控えとけ」


 真と紀夫に同調したというよりも、揉め事を避けたい雰囲気でジンべが田尻をたしなめた。このあたりは年長者らしい態度だ。


「……じゃあ、明日な」


 物言いたげにした田尻だったが、大人しくヘルメットを被って別れを告げる。

 紀夫と真もヘルメットを被るが、田尻はバイクを押して先に出ていこうとしている。


「おい、一緒に帰らないのか?」

「紀夫は西路(にしじ)に寄り道するだろ。イライラしてんのをスッキリさせてから帰るから、別ルートだ」


 田尻の、紀夫が赤坂恭子の自宅を訪ねるのを見越した発言に紀夫は黙ってしまう。


「田尻さん!」

「あ? 何だよ」


 エンジンをかけようとした田尻を真が呼び止める。

「あの、こんなことにまで付き合わせてすんません! 明日からまたよろしくお願いします!」


 精一杯の声で伝えて深々と頭を下げた真に、田尻は弟を見るような目で答えた。


「嫌で付き合ったわけじゃねーよ。もう、チームで動いてることだからな。気にすんな」

「ありがとうございます!」


 真がもう一度頭を下げると、田尻は右手を軽く上げて応え、エンジンを吹かして車道へと走り出た。

 田尻を見送った真は紀夫とジンべに振り返る。


「紀夫さんも、ジンべさんも、助けてもらってばかりです。ありがとうございます!」

「アホ。田尻と同じ台詞を言わせる気か?」


 ヘルメット越しでも分かるくらいの笑顔で答え、紀夫は真の肩を叩いて自分のバイクにまたがる。


「真。お前はまだメンバーじゃないからコイツらみたいな気持ちにはなれないが、バイク乗ってる奴は仲間か友達だと思ってる。人に感謝すんのも大事だけど、バイクにも感謝しとけよ」


 紀夫とは反対側の肩を叩いたジンベは、真のバイクを親指で指す。


 塗装がくすみ傷の付いたワインレッドのタンク。オイルに埃がまとわりついて汚れているサスペンション。鉄クズと道路の砂が張り付いたホイール。

 借り物のHONDACB400スーパーフォアだが、ジンべに指摘されなくとも真はこのバイクに愛着が湧いているし、時間が取れればもっと奇麗にしてやらねばとも思っている。

 しかし確かに感謝という気持ちで見てはいなかったかもしれない。


「そう、ッスよね。その通りにします。ありがとうございます!」

「よし。明日からの予定に時間があったらメンテしてやるよ」

「マジすか!? ありがとうございます!」


 ジンベの申し出に今日一番深く頭を下げた真だったが、「メンテ代もツケとくからな」というジンベの一言にズッコケた。


「ジンベはプロだからな。金払って当然だ。そん代わり走りが見違えるからな」


 紀夫のフォローになっていないフォローにも礼を言って、真と紀夫はジンベのショップから帰路へとついた。


 国道28号線を西進し、自動車教習所を越えた所で北に進路を変え31号淡路サンセットラインを走る。

 通勤時間を大きく過ぎた時間帯のせいか、乗用車やスクーターは少なく、代わりにこの先の三原IC(インターチェンジ)から島外を目指すであろう大型トラックが目立つ。

 街灯や道路脇の看板や商店やマンションから射す明かりがあっても、夜闇は視界のほとんどを黒に塗りつぶし、車列のテールランプとすれ違うヘッドライトしか印象に残らない。


 と、前を走っていた紀夫が477号うずしおラインとの交差点の赤信号で停車したタイミングで、真に手招きする。


「なんスカ?」

「俺、西路に寄り道するから!」

「ウッス!」


 ヘルメット越しかつ周囲のエンジン音に負けない声で、紀夫は田尻が予見した通りの行動を宣言した。

 真は紀夫が適当な交差点か脇道で左折するのだなと察し、了解した旨を返した。


 一瞬だけ真の脳裏に鬼頭家へ立ち寄るという考えがよぎったが、優里を中島病院に預けたままだし、意識が戻ったという連絡もない状態で優里の家族になんと説明して良いか分からずやめておくことにした。

 程なく、青信号に変わって車列が動き出した。


「ウッス」


 車の流れに沿って紀夫を追っていた真だが、紀夫が三原ICの交差点で左折後すぐの脇道を右折しようとしたので右手を上げて挨拶を送っておく。


 そこからは淡路サンセットラインに沿って湊交差点まで進み、左折して25号阿万福良線で自宅まで走る。

 川沿いの側道から路地へ入り自宅の門を通った途端にどっと疲れが押し寄せたようで、ヘルメットを脱いだ真の口から自然とため息がもれた。


「……ふう。ただいま」


 ため息の延長のようなボリュームで帰宅を告げ、真は重い足取りで二階の部屋へと向かう。

 ヘルメットを適当に床に転がし、着替えもせずにベッドへと倒れ込む。


 ――なんか、疲れた――


 ベッドにうつ伏せになった真は薄らいでいく意識の中で誰にともなく疲労を訴えた。


 脳裏にここ数日間の印象的な出来事が浮かんでは消える。

 初めて走る淡路島以外の道路。

 白色蛍光灯に照らされた倉庫の一室でHD(ハーディー)を授けてくれた、篠崎と木村の含みのある顔。

 滋賀県の比良山でエアバレットとエアジャイロを授けてくれた大佐・大尉・軍曹の立ち姿。

 雨の中、滋賀県から淡路島への大返し。

 真を褒めたり、励ましたり、叱ってくれた瀬名・田尻・紀夫・ジンベの顔。

 真の尊敬と憧れを凝集したテツオとサヤカの姿。

 ボロボロの姿で空中を落下する優里。見たこともない形相で真を睨む智明。

 そして真にすがりついて泣いたあと、真の腕に抱かれ官能の声を漏らす藤島貴美……。


 脈略なく場面の切り替わる夢のように、記憶が映像となって真の頭に浮かび上がってくる。


 と、それが唐突に中断された。

 いつの間にか閉じていた瞼の向こうに、何かの温かみを感じる。


「……姉ちゃん?」


 意識がはっきりとしないながらも普段通りに呼びかけると、小さな衣擦れの音がした後に猛烈な痛みが背中に走り、鼓膜にも背中を叩かれた音と体内に伝わった衝撃音が届いた。


「いっっっっったっ! なに、何すんだよ!?」

「……ご飯は?」


 予想外の攻撃で跳ね起きて傍らの人物を確認すると、間違いなく姉の(こころ)だった。ただしいつもの金切り声ではなく、晩御飯の要不要を聞かれ真は対処に困る。


「……食べてきた、けど?」

「そう……」


 心は小さく応じ、感情のない顔で突っ立ったままだ。


「姉ちゃん?」


 普段とは違う心の反応に動揺し、ベッドの上で座り直した真は改めて姉に声をかけた。


「なんか、様子が変だぞ?」

「それはアンタでしょ。何日も帰ってこないし、学校もしばらく行ってないんだってね。どうしたの? どうしたいの? 何をしてるの?」


 感情のない一本調子で尋ねる心は、やはり無表情のまま突っ立っている。


「ごめん」

「謝らなくていい。何をしているの? 私に言えないことをしてるの? それだけはっきりして」


 雰囲気の違う心に真は正直に話すべきかためらってしまった。

 馬鹿な事をしていると言われたくはないし、心ならば協力を申し出かねない。それよりも両親や兄のように、真に呆れ果てて感心をなくされてしまうかもしれない。

 これまで真は家族間の関わりなど無くても構わないと思っていたが、いざ心の怒りとも呆れともつかない無表情な顔を見ると、人との繋がりがたれるという寂しさを感じてしまった。


「……明日からまた家を開けることになる、と思う。それまでに、言う」


 心の問いには答えられていないが、顔を俯けて伝えた文言に一応の納得はしてくれたようだ。


「明日ね? 分かった」


 真の口から出た言葉に脈略がなくとも心はあっさりと了承して、真の部屋から立ち去ろうとする。


「疲れたから寝るよ」

「そう。おやすみ」


 抑揚のない挨拶をして心は退室し、真は部屋の照明を消してベッドに仰向けで寝転んだ。


――姉ちゃんには分かってもらえないかもしれない。そしたらもうこの家に居る意味はなくなる。それでもやらなきゃって思うってことは、俺が一人で勝手に盛り上がってるだけなのかもしれない――


 家族と決別し孤独を選ぶのが自分の本望なのか、それとも家族が真を切り離すことで平穏で不足のない生活を手にしようとするのか。

 そんなろくでもないことを考えているうちにいつの間にか真は眠りに落ちていた。

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