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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
202/485

虚構 ②

   ※


「……ふう。まだ外の方がマシだな」


 独特の緑にカラーリングされた物資輸送車から下りた本田鉄郎(ほんだてつお)は、額から頬に浮いた汗を拭って深呼吸をした。


 真の幼馴染み鬼頭優里(きとうゆり)中島(ちゅうとう)病院へ運んだ田尻から電話連絡があり、ジンベがフランソワーズ=モリシャンの正体らしきものを知っていると伝えられ、その子細を陸上自衛隊第三十六普通科連隊司令官川口道心(かわぐちどうしん)へ伝えていたのだ。

 ほんの五分程度の密談だったが、エアコンなど装備されていない物資輸送車の内部は、七月の外気よりも重苦しかった。


「テッちゃん!」

「サヤカ。遅くなって悪かったな」


 賀集スポーツセンターの運動場に現れた鈴木紗耶香(すずきさやか)は、テツオを見つけるなり駆け寄って愛称を呼びながら抱き合う。

 テツオはサヤカの勢いをしっかりと受け止め、汗で少し湿った髪を撫でてやる。

 少し離れた所からバイクチームの仲間からの冷やかしの声が聞こえるが、同時に自衛隊員から乗車を促す声も聞こえた。


 テツオと瀬名の不釣り合いな交渉が成り立ち、自衛隊の進路妨害で拘束されていたWSSウエストサイドストーリーズの面々は開放され、大日川ダムに放置されているバイクの元まで送迎してもらえることになっているためだ。

 その列にサヤカも加わっていたが、テツオの姿を認めて駆けてきた。


「大丈夫。それよりこの後はどうするの?」


 テツオの耳元でささやくサヤカの声に棘はない。

 むしろ恋人同士の再会にカモフラージュした小会議に、洲本走連のクイーンの強かさを感じる。


「一旦は解散だ。明日にはどっか広いとこを押さえて、皆にHDを試してもらう」

「じゃあ、その後にはまたトモアキ君を?」

「ああ。自衛隊とは話がついてる」

「うちも合流すればいいのね?」

「智明はアワボーとクルキを引っ張りこんでHDをかましてる。こっちも数がいる。スモソーも来てくれたら助かる」

「……分かった」


 抱擁したままで声を潜めた会議は一方的にテツオの指示を伝えるだけのものだが、すでにサヤカは洲本走連をWSSの傘下に位置付けて意思統一を済ませてくれている。

 それでもこれまでのチーム間の抗争とは違った雰囲気にサヤカの返事は一拍開いたが、洲本走連の動向に関してテツオが案じる必要はない。


「続きは合流してからだ」

「皆の前じゃ駄目だよ」


 まんざらでもない笑みを浮かべてからサヤカはテツオからの短い口付けを受け入れ、小さく手を振りながら自衛隊の兵員輸送車へ向かって歩いていく。


「瀬名、俺はどれに乗ればいいんだ?」

「ああ、あっちだ。俺はそっちー」


 傍らでニヤニヤ笑いながら待っていた瀬名は、運動場の隅に停められている大型の四輪駆動車を指差した。テツオのバイクは牛内ダムに停めてあるが、瀬名のバイクは大日川ダムの公園にあるので違う車になるようだ。

 瀬名の指差した方を見やると、今しがた密談をしたばかりの川口が立っており、テツオに向けて手招きをしていた。


「すんません」


 早足で川口の元まで近寄って声をかけると、川口は無言のまま乗車するように促し、周囲に命令を下して自身も四輪駆動車に乗り込んできた。


「やってくれ」

「ハッ」


 川口の一声で運転席の若い隊員がエンジンを始動させ、すっかり日の暮れた運動場にヘッドライトを灯した。


 今や一般的となったEV車やハイブリッドエコカーとは違った荒々しいエンジン音を吹き上げ、硬いシートに揺られながら四輪駆動車は運動場から公道へと走り出す。


「ディーゼル車だな」


 ポツリと呟いたテツオの言葉には誰も答えず、車内はひたすら無言のまま二十分も走らないうちに見覚えのある風景が見え始め、諭鶴羽山の麓へと着いたことが知れる。


「この後、我々が退去するまで報道陣を近付けるな。厳命だ」

「ハッ」


 テツオらの知らないうちに牛内ダム下には警察の封鎖に代わって自衛隊の検問が敷かれているらしく、川口は助手席から顔を出して当番に命令を下し、運転席の隊員に手を振って車を進めさせた。


「映画みたいだな」


 自衛隊による本物の道路封鎖や川口が命令を下す様を見て、テツオの口から思わずそんな感想が漏れた。


「映画はわざわざ官姓名を名乗るが、現実はこんなものだ。なあ?」

「左様であります」

「はは、なるほどね」


 坂道を上る車内で冗談めかした川口だったが、運転席の隊員が不必要に堅い返事をしたので川口はテツオに苦笑いを向けた。


 程なく、四輪駆動車は牛内ダムを囲む側道に停車し、川口から降車を促される。


「本田、この後の手はずはぬかりなきようにな?」

「分かってます」


 道路脇の街灯しか明かりのない場所で川口から確認され、いつもの調子で応えたテツオに対し川口は少し雰囲気を厳しくして続ける。


「陸自が動き、その一部となるのだ。暴走族の流儀は通らない。遅刻も予定変更もドタキャンも許されない。分かるな?」

「了解しています。ホットラインは常に開けておくこと。折り返しや緊急連絡は迅速に。間違いませんよ」


 踵を揃え、右手指先をこめかみに当てたテツオに、川口も同じ姿勢になって応える。


「ん。よし」

「しかし、それは司令にも言えることです。俺達の希望に沿っていただける。間違いありませんね?」

「無論だ」


 通常ならば無礼だと叱られそうなテツオの発言に、川口はしっかりと顎を引いて肯定してくれた。


「良かった」

「では、また後日」

「よろしくお願いします」


 今度は川口から敬礼ではなく握手を求められ、テツオは若輩よろしく握り返して丁寧に頭を下げた。


「よしっ! 急いで解散だ! 明日の朝までにメールするからな!」

「ウィーッス」


 川口から離れてすぐ、兵員輸送車から下ろされウロウロするチームメンバー達にテツオは声を張り上げる。

 先程の検問で川口が示唆していた報道各社の存在とその対応は、テツオ以下のチームメンバーにも知らしめておかなければならない。


「オラァ! 検問通ったら家まで一目散だ! 明日また集合かけるぞー! 急げ!」


 テツオに促されてメンバー間でも声を張り上げてダラけているメンバー達を急かしていく。

 恐らく大日川ダムでは瀬名が同じことをしてくれているだろう。


「リーダーお先!」

「また明日」

「オウッ!」


 最初こそダラダラして見えたメンバー達だったが、テツオと幹部連中の声に反応して足を早め、ダムを囲むように停め置かれた自身のバイクへと取り付く。

 簡単なチェックを済ませて次々にエンジンを始動し、テツオに一声かけて夜の坂を下っていく。


「そうだ、川口さん!」

「何だね?」

「伝え忘れてたよ。別行動を取ってるメンバーが三人いるんだ。そいつらのバイクの回収は少し後になると思う」


 中島病院へと出向いている真と田尻と紀夫のことをすっかり失念していた。


「どのくらいかかる?」

「今すぐ電話しても十五分くらいかな。バイク屋のロゴが入った白いワゴンで来ると思うんだけど」

「ん。下の検問には伝えておこう。もう忘れ物はないな?」

「……大丈夫だ」


 一瞬の間を開けて明確に応えたテツオの肩を叩き、川口は車に上半身を突っ込んで無線を取った。

 その後ろ姿に一礼し、テツオも自分のバイクの方へ歩んでいきながら田尻へとメッセージを送っておく。

 簡潔に、やるべきことを綴り、文末に翌日の予定を添えておく。


 送信が終わる頃には愛車HONDAVF750マグナに跨り、ヘルメットを被る。

 その横をサヤカが派手な空吹かしで通り過ぎて行く。

 テツオは片手を上げて見送り、セルスターターでエンジンを始動させてサヤカを追う。

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