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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第一章 三つの仔
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十五歳の日常 ②

    ※


 滞りなく時間割りを消化し、バスケット部の練習に向かう真を見送って、智明は帰宅するために靴を履き替えて校舎を出た。


 学校の予定を終えるまで三度、靴を履き替えたあと念の為にもう一度通学鞄にお宝が入っていることを確認した。


 校舎から校門へ向かう間に自転車通学の生徒達が智明を追い越していき、テニスコートとサッカーのコートに挟まれたアプローチをひた進む。

 登校時はさほどではないが、下校時はいつもバス通学じゃなく自転車通学にすべきだったと、三年生にして未だに後悔する。

 学区が選べるとはいえ、バス通学しなければならないほど遠い中学校を選んだ両親に、今更ながら腹が立つ。


「モア――!」

「……リリー?」


 校門を出て左に曲がりあと少しでバス停のある大通りというところで優里が走って追いかけてくる。


「はぁ、はぁ……一緒に、帰ろ」

「ああ、いいけど」


 小学生の時は真も交えてこういうやり取りは頻繁にあったが、中学生になってから優里と一緒に下校するのは初めてかもしれない。


 わずかな緊張とかすかな動揺がどっちつかずな言葉を吐き出させるのは、我ながらダサイと感じてしまう。

 そんな智明の後悔やジレンマなどお構いなしに、優里は他愛もない会話をとめどなく投げかけてくる。

 バス停に着いても優里は話しかけ楽しそうに笑い、智明に笑顔を向けてくる。

 そんな優里につられてか、バスに揺られる頃には智明からも話しかけ声を出して笑い、肩や腕が触れたりくっついても動揺はなくなっていた。


〈次は西路(にしじ)一丁目〉


 停車の案内が表示され、智明は楽園的な幸福の終了を知った。


「リリー、次だったよな」

「ううん。モアんちまで行くつもり」

「へ? うちまで? なんだよ、急に……」


 優里が答える前にバスが停車し、何人かが下車してドアが閉じられ、またバスは走り出した。


「……うち、暗なるまで誰もおらんねん」

「……うちも同じだってば」

「そうやったね」


 優里の考えていることが分からず黙ってしまった智明に合わせるように、優里もまた口を閉じてしまった。


〈次は松帆志知川(まつほしちがわ)三丁目〉


 停車の案内が表示されると、優里は一瞬だけ智明と目を合わせ、停車ボタンを押した。

 バスが停車し立ち上がった優里は、座席に座ったままの智明の手を引き、迷いなく定期を示して下車した。


「……いいのか? ホントに誰も居ないぞ? 二人きりだぞ?」

「二人きりやったら、なんかあかんの?」

「あ、アカンことはないけど、なんか緊張する」

「そうなん? 変なの」


 智明の気持ちを置いてけぼりにしたまま、つないでいる手を前後に振って歩き、優里は一直線に智明の自宅があるマンションへ進んでいく。


「なんか久しぶりやなぁ。あんまり変わってへんね、モアの部屋」

「そりゃそうだ。この前来てから二年くらいしか経ってないんだから。……なんか飲む?」

「おーきに。冷たかったら何でもええで」

「はいよ」


 ちょっとはしゃいでベッドに腰掛けた優里を視界に捉えながら、智明は通学鞄を適当に放り出してキッチンへ向かう。


「アイツ、真とイイ感じなんじゃなかったっけ?」


 母親が冷蔵庫に作り置いてあった麦茶をグラスに注ぎつつ、優里に聞こえないことを確かめてから自身の動揺の原因をつぶやいてみた。


 いつだったか、真からそれっぽい話をされた気がするが、今日の優里を見る限り思い違いか聞き間違いかも?と自分の記憶を疑ってみる。

 結果は『そういうふうに聞いた気がする』という一番曖昧なものだった。


「お待たせ」


 グラスを二つ持って部屋に戻ると、優里はベッドに上がってしまっていて、壁に背を預けて膝を立て足を開いてスマートフォンをイジっていた。


「あ、うん」


 ネットで気になる記事でもあったのか、優里の返事は簡潔だった。

 少し日焼けした足に目が行ったが、健康的な太もものボリュームを見てしまって慌てて目線を外した。

 大丈夫。スカートに隠されてて下着は見えなかった。


「モアは、やっぱり優しいなぁ。コトと全然違うわぁ」


 スマートフォンを傍らに置いて、立てていた膝を寝かせて女の子座りになってから、優里は麦茶を数口飲み下した。


「な、何だそりゃ?」

「ふふん。コトの前でさっきみたいに座ってたらスカートめくろうとしてきてん」


 ――アイツならやりかねん!――


 一瞬すごく納得したが、直後にどうなったかが気になった。


「パンツ、見られたのか?」

「そっち先に気にするん? 大丈夫やで。コトの前でそんな無防備なことせえへんよ」

「そっか。いや、もしスカートめくられてパンツ見られてたら、リリーが傷付いたんじゃないかと思っただけで……。他の意味はないよ」

「おーきに。大丈夫やで」


 もう一口麦茶を含んでからグラスをテーブルに戻し、優里はスカートの裾に手をかける。


「こうやってちゃんと対策してるから」


 優里は女の子座りのまま両手で制服のスカートを二十センチほど持ち上げた。

 健康的にうっすら日焼けし、程よく筋肉のある太ももが顕になり、薄いピンク地に白のドット柄の布も顕になった。


「……なるほど、ピンク、だな」


 話の流れ的に学校指定のハーフパンツタイプの赤いジャージが現れると思っていた智明は、まずお目にかかれるとは思っていなかった優里の下着を目の当たりにし、見ちゃいけない!と思いつつも体が硬直してガン見状態だ。


「え、ピンク?」


 智明の言葉をキッカケに自身の下腹部を確かめた優里は、静かにスカートを下ろし、そっとベッドから下りて床に座り直す。


「オホン。……と、こんな感じであらかじめ履いてたジャージしか見られてへんで」

「そうか。……とりあえず今度ジュースおごるわ」


 うっかりミスを取り繕う優里を見て智明もようやっと余裕が戻ってきて、優里から視線を外して麦茶を二口ほど飲み下す。


「え! 私のパンチュはそんな価値なん? ちょっと安すぎへん?」

「いやいや。そもそもリリーが履いてるつもりで履いてないのに勝手にパンツ見せたんだろ。負けても三本だ」

「なんでなん! これ可愛いから気に入ってるんやで。てかパンチュだけやなくて太ももも見たやろ? 十本!」

「ダメ。そんなにおごったら俺の昼飯代が無くなる。四本!」

「ここ来るまでに手つないだやんか。私のこと、ちょっとでも好きやったら八本にして!」

「う! …………しゃーないな。五本だ」


『好き』という単語に過敏に反応してしまい、智明は思わず限界ラインを越えてしまう。


「あ、あ、うん。じゃあそれで」


 優里は優里で『好き』の一言で譲歩した智明に動揺している様子……。


「……モアは、私のこと、好きなんや」

「まあ、うん。恋愛の好きなのか、子供が友達に言う好きなのか、どっちか分かんないけど。好き、だよ」

「まさかこんな話になる思わんかったけど、好きでいてくれたんやったら嬉しいな」


 とっくに智明は優里の顔を直視できない状態なので、優里がどんな顔で言ったのかは分からなかったが、とりあえず否定や拒否されなかったのは嬉しかった。


「リリーは、どうなんだ?」

「ん? モアのこと好きやで。私も恋愛の方か友達の方か分からんけど」


 言ったあと優里が照れ笑いか何かで軽く笑ったので、智明も合わせて小さく笑う。


「まだ中三だしな。高校行ったらハッキリしてくるんじゃねーかな」

「そうやね。まずは高校受験やね」

「リリーはどこ受けるんだ?」


 色恋の話が落ち着いたからか、ようやく智明は優里に顔を向けれた。


「三原西の理数か、国生(こくしょう)大付属の普通かな」


 優里も照れたり焦ったりせず普段通りの顔を智明に見せる。


「やっぱり学年で成績三位の人は違うなー」

「モアはどこ行くん?」

「俺と真は志知のみだな。落ちたら金積んで私立南淡(なんだん)か東淡路学園」

「もったいないなぁ。ちゃんとやったら二人とも頭良いのに」

「いいんだよ。俺と真は緩いとこでバカやってる方が似合ってるんだから」

「そうかなぁ……」


 やたら残念がって納得しない優里をよそに、智明は空気清浄機を作動させてタバコを取り出す。


「モア、タバコ吸うの?」

「あ、言ってなかったっけ?」

「うん」


 会話が止まって気まずくなってしまい、思わず吸ってしまったのは智明のミスだ。普段なら優里が帰ってしまうまで我慢するし、親の居ない夕方にしか吸わないと決めているからだ。

 もちろん未成年者の喫煙は法律違反なのだが、罰則が補導歴がつく程度なので、智明の警戒はかなり甘い。


「匂い、嫌いなら消すけど?」

「ええよ。うちのお父さんも吸うから慣れてる」

「そうか。すぐ終わるから」


 なるべく優里の方に煙が漂わないように体の向きを変えてみる。


「モアのこと好きやから内緒にしとくな」

「ありがとう。ごめん」

「うん。……その代わり、一個だけ内緒の話していい?」


 優里らしくない低いトーンに思わず智明は優里を見た。


「なんだよ?」


 先を促したが、優里は言うのを躊躇っているようで視線が少し泳いでいる。


「……コトってな、H・Bやってるん?」


 ――ああ、そのことか――


 智明は優里の躊躇が当然なので、あまり驚かなかった。むしろ心のどこかで、バレるとしたら親とか教師とか警察ではなく、優里が一番最初に見破るんだろうなという予感がしていたくらいだ。


「そうだよ。よく気付いたな」

「そっかぁ。おかしいと思っててん。あんなにスマホでゲームばっかやってたコトが、最近全然スマホ出さへんねんもん。美術はボロボロやのに休み時間にやたら上手な絵書いてたりするし。やっぱそうなんや……」

「よく見てんな。言われてみれば、アイツ全然スマホ触ってないよな。注意しとかなきゃな」


 真が違法にH・B化していることを知っていた智明は落ち着いているが、優里の落胆はかなり大きい。


 未成年者がいかなる事情や理由にしろH・B化していた場合、警察に逮捕され当人もしくは保護者に罰金刑が課されるとともに医療機関に隔離される。隔離とは世間向けの建前に過ぎず、生まれ持った生の脳がH・Bへと変換されるまでの経過を実験動物のように観察され続ける生活が実情だ。年齢が浅ければ浅いほどその検査や観察は精密かつ多岐に渡り、未成年者の脳が機械化するまでの誤作動や不具合で死亡してしまうよりも、軟禁され実験に繰り返し繰り返し駆り出され、執拗な尋問や聞き取りが昼夜を問わず行われ、精神を病んでしまい植物化や脳死状態になることの方が多いと言われている。


 優里の心中は、そういったことへの心配と、他の者に見つからないで欲しいと願う気持ち、そして真を羨ましく思ってしまうH・B化への興味などが渦巻いているのだろう。

 智明がそうなのだから、きっと優里もそう考えるだろう。


「ホンマはアカンことやけど、バレへんようにホンマに気ぃつけてって、言うといてな。私が言うてたって」

「おいおい。そのまま伝えたら優里まで捕まっちゃうぞ。その気持ちは俺がうまいこと真に言うから、リリーはこのことは忘れた方がいいぞ」


 タバコを消しながら智明が言うと、少し悲しそうな顔をしながら優里がうつむいた。


「そんなん、忘れられへんよ。友達やもん。三人でセットやったやん。こんな仲間はずれは嫌や」

「そんなこと言うなよ。友達だから巻き込みたくないんだよ。真がリリーにあんな態度取るのも、今のうちから俺達と距離を取っておいた方がリリーの将来のためだからだ、と思うぞ」


 後半は智明の勝手な想像を言ってしまった気がしたので、少しブレた。

 黙り込んで完全に顔をうつむかせてしまったので、優里の顔は伺えない。


「モア。……泣きそう……」

「お、おお。……ちょっと、待てよ」


 昔からの優里の泣きべその合図がここで来ると思っていなくて、智明は急いで準備をしなくてはならなくなり、少し慌てた。


 ちなみに、三人で居る時は優里がギャン泣きしながら真をところ構わず叩きまくり智明が叩きすぎないように優里の体を押さえる役だ。

 優里と真だけで居る場合は、とにかく泣きながら真を叩こうとする優里を真が必死に抱きとめて痛みに耐える修行のような時間なのだそう。

 そして智明と優里が二人で居る場合は、優里がこれでもかと智明を抱きしめながら泣き叫びその間ずっと智明が優里の頭をなで続けるヨシヨシタイムだ。

 今回も例にもれず、智明が優里の隣に座った瞬間から優里は泣き叫び、きつくきつく智明を抱きしめながらずっと泣き続けた。


   ― ― ―


「長居してゴメンな。今日ここに来て良かったわ」

「なんかスッキリしたみたいだな」

「最近、受験勉強とか、家のこととか、コトのこととか、モアのことで溜まってたからかもしれへん。やっぱりモアのギューは私に必要やわ」


 俺のこともストレスだったのかよ!とツッコんでやりたかったが、やっと泣き止んだ優里とケンカしたくないので智明は黙っておく。


「まあ、リリーも成長したのが分かって俺も嬉しかったよ」

「なんのこと?」

「ギューってしてみ」

「…………。モアのスーケーベー!」


 体中のアチコチを密着させたまま優里は智明を揶揄してきたが、抱擁を解く気はないようだ。


「スケベだけどね。俺、まだ勃たないからこれ以上悪いことできないし、しないよ」

「…………そうなん?」

「お、おい! ……ほら、な?」

「ホンマや」


 躊躇いなく男性器に手を添えてきた優里に慌てたが、それでも反応しない自分の体に意味不明な自己嫌悪が芽生えて智明は投げやりになる。


「そっかぁ。成長期やからそのうちなんとかなるんちゃう?」

「だったらいいんだけどな」

「……それはそれでなんかイヤやな」

「なんでだ?」

「イヤイヤ、こっちの話。……あ、こんな格好で聞くんもおかしいんやけど、コトって私のこと好きなんかな?」


 抱き合ったままの女子から他の男の名前を言われて智明はちょっと微妙な気持ちになった。


「そりゃあ好きだろ。俺らと一緒で、恋愛か友達かどっちか分からない好きだと思うけど」

「………………そうやんね。おーきに」


 だいぶ間を開けてから優里は体を離して智明に礼を言った。


「ほな、そろそろ帰るな」

「お、うん。気を付けてな」

「うん。あ、モアが成長期になるようにお守り置いていくわ」

「何だそりゃ?」


 智明の言葉には答えずに、一旦離した体を再び密着させ、優里は唇をそっと智明の唇に重ねた。

 驚いて硬直する智明にキスをしたまま、たっぷり二十秒が過ぎてから優里はゆっくりと離れた。


「なん、なん?」

「お守りやからお礼のジュースはいらんで。モアが大人になったらキスで返してくれたらええから」

「え、ちょっと、意味がわからん」

「ほなな!」


 真っ赤っかの顔を笑顔でごまかしながら優里は大仰に手を振って智明の家から去っていった。


「なんで? リリーと、キスしちゃったぞ」


 閉じられた玄関ドアを眺めながら、智明は鼻血が垂れるのも気付かずにしばらく立ち尽くしていた。

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