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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
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真偽 ③

「ここでいいんですか? 少し戻りましょうか?」

「いや、いい。晩飯を買わにゃならん」


 もっともらしい鯨井の返事に高田も「なるほど」と返し、先程の続きを蒸し返す。


「ともあれ、僕らはそういう建て前の中にも主義や主張や正義なんてものを織り交ぜてやってます。そこは先生も同じだと思いたいんです」


 乗用車を歩道側に寄せて停車させ、車内にハザードの音が響く中で高田は念押しをした。

 鯨井もその執念にはとっくに降参しているのだが、黒田と違ってすんなりと協力関係や共闘という話にしたくはない。


 ようやく野々村穂積(ののむらほづみ)の後継者問題から距離を置くことができたのに、高橋智明の能力の究明の前に政治色の強いスパイごっこに名前を出したくないのだ。


「そこが黒田君と俺とで違うとこだわな。彼は自分の正義感と欲望に素直なんだろう。俺は正義感の前に仕組みを解きたいと思うか思わないかだけなんだよ。今度のことも、誰か黒幕が仕組んだ陰謀にひっかき回されたり踊らされてるだけなんだろって思ったら、食指が動かんのだ」

「黒田さんは、また話が違いますよ」

「そうだな。だからこそ俺を彼と同じように扱って欲しくはない、と言っておこうかの」


 正直なところ鯨井と黒田の繋がりは『高橋智明が何者であるか』という興味が一致しているだけだと鯨井は考えている。恐らく黒田もそうだろう。


 ただ一点、鯨井が黒田に神戸ポートアイランドにある国立遺伝子科学解析室の存在と役割を明かしたことで、黒田の刑事人生に変化をきたしたような感触は受けている。


 それは高田も同じようで、高田が黒田を『革命を起こそうとしている同志』のように扱っていることからも分かる。


「先生は医者を辞めるおつもりではないということですか?」


 この高田の言葉からも黒田の展望や思考が透けて見えるし、高田も黒田が刑事を辞める前提だと捉えていると分かる。

 だが鯨井はそうではないと示さねばならない。


「まだそのつもりはないな。親もそろそろ介護してやらにゃならんし、婚約者もいる。この歳で社会をひっくり返しても、その先の収入は保証されんしな。生憎と師匠の名前を継げるほどの実績もないんじゃ、一生しがない医者をやるしかあるまい」

「それは仕方ないですね」

「君やお姉さんほど自由でもないし若くないからの」


 後部座席に放り込んだバッグを気にかける鯨井に、高田はなんとも言えない表情で同調の言葉を吐いたが、本心からそう言っている感じは受けない。


 高田の恋人の有無などに関心はないが、年齢や立場の違いはしっかりと前置きしなければ部分的な協調も成り立たないだろう。


 シートベルトを外しながら答えた鯨井に、高田は明らかな不満顔をしたが、雑誌記者に他人の人生を弄くり回す権限などない。


「世の中には乗れる話と乗れない話がある。そういっこっちゃ」

「では、高橋智明に関しては乗っていただけるという認識で構わないんですね?」


 助手席側のドアを開けようとした鯨井の動きが止まる。


「……舞彩さんもやたら念押しをしてたが、何かあるのか? いや、何かあるから俺も拘ってるんだが、君らの固執する感じは何かおかしいぞ」


 降車しようと体をドア側に向けたまま鯨井は顔だけ振り向かせると、高田は運転席側のドアではなく鯨井の方へ体を向けて答えた。


「鯨井先生は高橋智明を何者だと思って拘っているんですかね?」

「なんだ、急に?」

「現時点では彼は国有地を不法占拠し、警察と自衛隊に抵抗した犯罪者、という状況です」

「まあ、そういう表現で間違いないな」

「でもそれだけではない。そうでしょう?」


 高田の追撃で鯨井は一定の理解を得た。


 高田の報じた自衛隊に関する速報を出すにあたり、高田も高橋智明の尋常ならざる能力を見たのだなという確証を得た、というところだろう。

 ならば鯨井も高橋智明の話題を遠ざける理由はなくなる。


「……俺の知るところでは、超能力者とか人間の変異体だと思っている」


 しかし高田は鯨井が予想していた反応をしない。


「それはトランスヒューマンとは別物として見ているということですか?」

「おん? それはないよ。俺の調べた限り彼らはそっちじゃない。それなら俺は君らの取材にもっと協力的になってるぞ」


 期待はずれという顔で確認してくる高田に鯨井は少なからず調査が進んでいることを口にしてしまい、心の中で舌打ちしたが遅かった。


「そこまで調査が進んでるんですね? そこ、もっと聞かせてくださいよ!」


 おやつを目にした飼い犬のように高田は一気に表情を明るくして、鯨井に詰め寄ろうとしたので慌ててドアを開けて助手席から逃げた。


「そうはいかん。結果が出るまで内容は明かせん。すまんな」


 鯨井は早口で詫びの言葉を吐き、助手席ドアを閉じて後部座席のバッグを取るべくドアを開く。


「ちょ、ちょっと先生!」


 運転席から助手席へ移ろうとしていた高田は、後部座席から荷物を取ろうとする鯨井に抗議の声をあげたが、高田が鯨井を引き止めようと腕を捕まえる前に鯨井は乗用車から離れる。


「すまんな! 連絡はするから!」

「先生!」


 ひったくりでもしたような駆け足で走り出した鯨井に周囲の通行人は奇異な目を向けたが、鯨井を追おうと慌てて車から飛び出た高田を轢きそうになったトラックからクラションが鳴り響き、周囲の目はそちらに向いた。


 走って逃げたところで住所も連絡先も知られているのだから意味はないが、あのまま顔を突き合わせていては言い逃れできない。

 その一事のみで逃げ出したのだが、鯨井にはどうしても追求されたくないことが二つある。


 一つは神戸ポートアイランドにある遺伝子科学解析室とその主幹である柏木珠江(かしわぎたまえ)の存在。

 もう一つは、高田舞彩に促されたトランスヒューマニズムに関連していそうな医療関係者の身元だ。


 どちらも鯨井との関わりが深いため、刑事である黒田はおろか雑誌記者を近付けるということはしたくない。


 ――アワジに帰ってきたところなのに、また京都にとんぼ返りか――


 自宅マンションのエレベーターに乗り込みながら、鯨井の口からは深いため息が漏れた。

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