真偽 ②
※
「よろしくねん」
旧洲本市栄町の賃貸マンションの前に横付けされた乗用車に乗り込み、鯨井孝一郎は運転席に座る雑誌記者に声をかけた。
「28号線で病院のあたりまで出ればいいんですね?」
「ああ。それで大丈夫」
鯨井の返事を聞いてから雑誌記者高田雄馬は乗用車を発車させる。
灘黒岩水仙郷で話した時に高田は自社に小用があると言っていたが、一時間ほどという前置きはあっさりと反故にされていた。
二時間以上に渡って放置され、その間に高田の姉舞彩の取材を受けねばならず、鯨井は一つくらいやり返さねばと考える。
「一時間言うとったのに結構かかったみたいだの。何かあったんかな?」
助手席のドアに肘を乗せて頬杖をつき、暗くなり始めた車外を眺めつつ問うてみた。
通り過ぎていく街灯や商店の明かりで見えにくいが、窓に映る運転席の高田は表情を変えた様子はない。
「ははは。取材の内容や記事の文面は編集長に通してあったんですけどね。どうも上役が及び腰みたいでして。……お説教をくらった上に今後の展開に制限をかけられかけたんですよ」
目線すら動かさずに高田は「老婆心てやつでしょうかね」と付け加え、いわた通りをショッピングモールから新潮橋へ向かい国道28号線に入って西へハンドルを切る。
「さすがの『テイクアウト』も自衛隊はタブーだったんか」
「いえいえ。そんなことはありません。要はどこまで突っ込んで、どこに着地するかの確認ですよ」
「ん? 待て待て。ということはお前さんは、会社の経営陣が及び腰になるくらいのとこまで突っ込むつもりなのか?」
編集長より上の役職となると部長・専務・取締役となってくる。
雑誌『テイクアウト』が新興の雑誌社として発行部数を伸ばしていると説明はされたが、それでも遷都を機に生まれた新しい会社の一つに過ぎない。
『自衛隊』をネタにするということはいわば日本政府を挑発することであり、日本の歴史に切り込むことでもあり、一雑誌社としては限界があるだろう。
慌てる鯨井に高田は涼しい顔で答える。
「もちろん、行けるとこまで行くつもりですよ。裏側や闇なんてものが存在してしまうことは仕方がないかもしれません。しかし、一部の人間だけがニヤニヤするような闇のあり方は利己的で、庶民や貧困層を馬鹿にしたやり口です。そんなものを野放しにしたくないんです」
「分からんでもないがの。しかし行けるところまでと言ってもなぁ……」
高田の報じた速報記事を鯨井も読んだが、自衛隊の攻撃行動を報じることで防衛軍への改変を否とし、ひいては御手洗政権への不信感を煽っていた。
この場合、『行けるところまで』となると御手洗首相の退陣並びに内閣総辞職と解散総選挙、思想や主義が加われば政権交代まで視野に入ることになる。
「はは、安心してください。会社は現行政権の転覆までにしておけと言ってます」
「ってことは、お前さんはもっと踏み込むつもりなのか?」
「そうですね。さすがに政権交代させてしまおうなんて考えていませんけど、時流というのはありますからね。メインディッシュの後にレアリティのあるスイーツが出てくるのなら、別腹でしょう?」
運転を続けながらチラリと鯨井に向けられた高田の表情は、貪欲な猟犬のように鯨井にまで噛みつきそうな顔をしていた。
さすがに窓に映る高田の顔に戸惑い、鯨井は運転席へ向き直らざるを得なかった。
高田の思惑通りのスクープに遭遇したり、今後の報道が首相退陣・内閣解散・政権交代といった時流を生んでしまうと、明日の日本の形が変わってしまうかもしれない。
「なんか、どえらいこと聞いてしまった気がするのぅ」
「そうですか? 近代日本にはこういう前例がないわけじゃありませんよ。汚職事件や違法な献金、不正な人事や怪しい食事会。叩いた分だけ埃が出た結果です。病院と大学が結託した強引な引き抜きも、です」
高田の話題転換に、鯨井は思わず顔をしかめた。
舞彩にしつこく問われた疑惑がここでも糾されるのかとうんざりする。
「そんな顔しないで下さいよ。姉さんからは『白』だと連絡をもらっています。それに、僕と姉さんでネタの振り分けをしましたから、今更僕が鯨井先生を問い詰めるつもりはありません」
「そうだといいがね」
ハンドルを握りながらチラチラと横目で見てくる高田から逃げるように、鯨井は腕組みをしてまた車外へと視線を反らした。
高田の乗用車は旧洲本市から旧南あわじ市八木へと入ったらしく、国道28号線は峠を越えて淡路ファームパークの看板が通り過ぎていった。
「……ちょっと聞いときたいんやが」
日が沈み、街灯と車のヘッドライトに浮かび上がる建設現場の列を眺めながら、鯨井がボソリと問う。
「舞彩さんもそうだったが、黒田君や俺を取り込んでまで真相を暴こうとするその動機はなんだね? 自衛隊の防衛軍への改変や中島病院の強引な引き抜きとかは大衆の興味を引くところだとは思う。だが、アワジの暴走族を操ってる黒幕や体を機械化するナノマシンをばら撒いてる会社を探し出して、世間に晒してなんになる? そいつらが捕まって裁かれても、世間は『そんな事件もあるんだな』程度だろ」
言い終えて鯨井は横目で高田を覗き見たが、高田は黙したまま乗用車を走らせ、すぐには答えない。
「……仕事だからとしか答えられませんね」
先行する車が赤信号で停車したのに合わせて高田も乗用車を停め、ようやく鯨井の問いに答えた。
「そのうちの何%かは社会正義というのもあるかもしれません」
「正義か。建て前にしても格好つけすぎだな」
「建て前無しで仕事なんか続けられないじゃないですか。僕だって他人のあら探しをしたり秘密を暴くようなことはしたくないんです。『テイクアウト』が有名人のゴシップを売上部数の餌にしていても、主軸は政治や事件の真相の詳報に拘るのはそういうことです。知られていないことを伝える、知っておかなければ損をする、そういう情報を大衆に開示するのが使命だと思ってますよ」
信号待ちの間にまくし立てた高田だが、信号が青に変わって前の車が進み始めると、乗用車を進ませるのに合わせて口を閉じた。
確かに、政治家の不届きな行いや有名企業の不正、凄惨な事件への義憤やはた迷惑な騒動の顛末は、非日常や社会の裏側として知るべき部分ではある。
だがかといって万民が知識として持つべきではない情報も含んでいるのではないかと鯨井は思う。
「分かるよ。分かるが、限度と節度の問題じゃないかね」
「そりゃあそうです。僕らも世の中を不安にさせたり、混乱させたい訳じゃありませんから。少しでも世のため人のためになればと思うからこそ、法律スレスレの取り引きや交渉や手段を取るんです。鯨井先生の研究もそういうお気持ちから始まったはずですよね?」
鯨井の顔を見ずに言い放たれた高田の言葉は、構えていなかった鯨井の急所を確実に貫き、鯨井の心臓は音が出るほどに飛び跳ねた。
――雑誌記者に問答なんぞ仕掛けるもんじゃないのぅ――
自らの失策を後悔しつつ、呼吸二つで動揺を抑え込んで鯨井は言い返す。
「俺のはもっと個人的な興味の方が強いな。あ、その川のあたりで止めてくれ」
あえて自宅マンションを通り過ぎてから高田に停車を求める。
今更住所をあやふやにする意味はないだろうが、真剣に話をしていたと思わせる程度の演出として多少の効果があるだろう。
鯨井としては不承不承付き合ってやっているというスタンスは貫かなければならない。




