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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第七章 水面下
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真偽 ①

 諭鶴羽山の山中から戻った智明と貴美は、智明が白米を炊いている間に貴美には風呂に入ってもらい、入れ替わる形で貴美が野草の調理にかかって智明は風呂を浴び洗濯を済ませた。


 さすがに優里の私服を何着も貸すわけにはいかず、貴美には智明のパーカーを作務衣に仕立て直して着てもらっている。


「なかなか豪勢になったね」


 風呂から上がりリビングダイニングに入ると、ダイニングテーブルには天ぷらやおひたしや小鉢が並び、その全てに先ほど採った野草や山菜が使われているとは思えない料理が出来上がっていた。


「私達は煩悩を持たぬためにスパイスを使わぬゆえ、味は素朴だが、許せ」

「お? ああ、うん」


 天ぷらの衣から透ける青や湯がいて搾られた深い緑のおひたし、冷蔵庫にあった根菜と共に調理されたキンピラ様の小鉢はどれも美味しそうだと思った矢先に、貴美から前置きされてしまった。

 長大なダイニングテーブルに着いて食べ始めると、なるほど前置きの通りに野草の青臭さと苦味や酸味や土色の甘みが口の中に充満した。


「ごちそうさま」


 だがそのぶん白飯の艷やかな香りと蓄えられた甘みが強調され、食べ終わる頃には満腹を覚え、両手を合わせて頂戴した命に感謝できた。


 智明が普段の通り優里を手伝う流れで食器を重ねてキッチンへ向かうと、貴美も智明について流しの前に立った。


「手伝います」

「え、いいよ。お客さんだし」


 料理の手並みで貴美の普段の家事の手慣れは分かっていたが、智明はあえて貴美を客人として扱った。


「修行の身であれば洗い物は見習いの担うことゆえ、私も心得ている。しかしマコトに出会った日に、友人であれば協力して然るべきと教わった。その時は見慣れぬ器ゆえに戸惑ったが、私が取り出した器ならば私が洗わねばとも思う」

「そういえば昼間も洗ってくれてたっけ。それじゃ、お願いするよ」

「承った」


 自衛隊との会談の前、貴美が気絶から回復した折りに軽めの食事を摂った。その際の食器は智明が自衛隊と会談をしている間に貴美が片付けてくれていたことを思い出した。

 優里の時もそうだが、二人分の食器を分担して片付けてしまえば大した時間はかからない。

 キッチンに立ったついでとばかりに智明はホットコーヒーの支度をし、貴美には冷蔵庫のお茶を注いでやる。


「キミさんは毎日あんな感じの食事なの?」

「大体は、そう。時折、諭鶴羽神社への寄進のお裾分けを頂戴することもある」


 諭鶴羽神社と修験道(しゅげんどう)の意外に密な関係に驚きつつ、智明はコーヒーをすする。

 その隣から貴美の質問が飛ぶ。


「帰りに行ったのが跳躍(ジャンプ)という力か?」

「そうだよ」

「そうか。本当に河原やお庭の飛び石を飛んで渡るようであったな」


 ソファーの背もたれに背を付けずにシャンと背筋を伸ばしている貴美を横目に見て、智明は的確な表現だと納得した。

 山中で貴美を追った際は一回きりで追いつくことができたが、明里新宮へと戻ってくる際は一定の距離ごとに何度も跳躍を繰り返して戻ってきた。

 その様は正しく庭石を踏んで歩むようであり、川面に石を投げ入れる水切りや、水面から露出した石の上を飛んで渡る飛び石に似ている。


「上手いこと言うね。やってみてから気付いたんだけど、どうも一回の跳躍で瞬間的に飛べるのは百メートルもないみたいだね。だからここまで帰ってくるのに何度も繰り返して飛び石みたいになっちゃったんだと思う」


 マグカップをセンターテーブルに置き、智明はソファーにもたれて続ける。


「エネルギー消費というか、疲れ具合は瞬間移動より小さいけど、イメージすればどこにでも行ける瞬間移動に比べたら近所への移動手段って感じだな。外国に行くために飛行機に乗るか、すぐそこのコンビニに自転車で行くかみたいなね」


 手振りを加えて宙空に大きな弧を描いたり、小さな弧をいくつか並べて示す智明を横目で見、貴美はやや白けた顔をしている。


「あれ? なんか変なこと言った?」

「いや。なぜトモアキは私に手の内を明かすのだろうと思っただけ。マコトの事を鑑みれば私は敵性であろうにと思うのに」

「そんなことか。キミさんがさっき俺のことを友人だって言ってくれたろ? じゃあ、変な壁はいらないじゃん」


 智明は気を遣った話し方をやめ、真や優里に接するような口調であっさりと貴美の疑念を打ち消した。


「それはトモアキが最初に言ってくれたからではないか。マコトのカノ――関係者なら不当な扱いはしない、と」


 少し照れて『マコトの彼女』と明言できずにつっかえて言い直した貴美を可愛らしく思いつつ、智明は体を起こして貴美と目線を合わせる。


「お互いにそう認識してるなら尚更隠し事はいらないでしょ。それだけだよ」

「むう……」


 一言唸った貴美はそれ以上は反論せず、優雅な動作でグラスを取ってお茶を飲む。


 美しく伸びた背筋とそこに垂れる長い黒髪、伏し目がちな純和風な横顔は幼さを残しているが、貴美の可愛らしさとともに美しさを感じさせ、優雅で淀みのない仕草や振る舞いは貴美の清らかさを魅せる。


 優里と共通する魅力が何箇所もあり、真が『貴美を守る』と見栄を切ったのも分からなくはない。


「なんだ?」

「ああ、いや、なんでもない」


 見とれていた、とは言えずに智明は誤魔化したが、優里のような肉欲的なアピールはなくとも智明の中に少なからず貴美への好意が生まれていることに少し動揺した。


「そういえばさ、帰りにちぎってきた『ユズリハ』だっけ? あの葉っぱって羽みたいな形だよね」

「細長い葉ではあるが、そう見えたか?」

「なんとなくだけどね。細長いのに丸っこくて、ちょっと反ってたから」


 苦し紛れに出した話題だったが、貴美があの低木の名前を知っていたことに思い至って少し興味も湧いた。


「よく名前知ってたね。有名な木なのかな」

「知っている人は知っている程度ではなかろうか。新年の飾りなどに使われる縁起物でもあると聞いたことがある。諭鶴羽山という名称は『ユズリハ』に由来するという話もある」


 少しだけ表情を和らげて貴美が答えてくれた。


「そうなんだ? 俺はてっきりイザナギとイザナミが鶴の羽に乗って遊んだって方が由来だと思ってた」


 字面のせいもあり、何より国産み神話と兼ね合うことですんなりと受け入れられた覚えがある。


「そちらは御山の由来というよりも、諭鶴羽神社の成り立ちに依るところが大きいと思える。

 二柱の神が跨る鶴を猟師が殺してしまい、その後悔と詫びに答えた二柱の神がやしろを建てるように命じたと続くのでな。

 しかし『ユズリハ』由来も意味合いは濃く、御山には広い範囲で『ユズリハ』が繁っていたと聞くし、漢字にすれば『葉を譲る』となるゆえ、この二説が有力と考えられているようだ」


 貴美の解説に智明はなるほどと納得した。


「この『ユズリハ』だが、新葉が育ってから旧葉が落葉するという種類でな。その様が、親が子の成長を見守り子孫へと代々譲っていくように見えることから『ユズリハ』と呼ばれるようになったとも言われている」


 続けて説かれた貴美の説明に、智明は別のことを想起する。


「だから縁起物なわけか。てかさ、なんか『君が代』に似てるな」

「どういうことだ?」


 貴美から問い返されるとは思っていなかったので智明は少し慌てる。


 一応二一〇〇年を目前にした現在でも『君が代』は国歌として定着しているが、貴美のように社会から断絶している人々は知らない可能性を見落としていた。


「君が代は、千代に八千代に――って歌詞の日本の国歌なんだけど、これって『ユズリハ』のげん担ぎと似てるでしょ?

 昨日、キミさんと精神世界で会った時に、優里が『男女の営みが子々孫々へと代を重ね、その積み重なりが巨石となって苔むすほどの繁栄となるように』って、『君が代』の意味を感じ取ったらしいんだよ。

『ユズリハ』は繁栄とかは意味付けされてないけど、そういうことでしょ?」

「そういう意味の歌詞ならば、確かにそうだな」


 言葉では智明の話を肯定しているように聞こえたが、少し貴美の表情が曇って見えた。

 智明は少し体を前屈みに座り直して貴美の顔を覗き込むようにした。


「全部その通りって感じじゃないね?」

「……すまぬ。少しばかり歴史も教わっているので、『君が代』の別の捉え方を思い出してしまったのだ」


 貴美の返事を聞いて智明は「そっちか」と呟いてソファーにもたれる。


「キミさんが謝ることじゃないから大丈夫だよ。日本の国旗と国歌は近代から現代まで様々な意見があることだからね。俺だって『君が代』は天皇崇敬の内容だと思ってたし、そういうふうに捉えている人が多くいるのも事実だからね。だからって国歌斉唱を拒んで口をつぐむってほどじゃなかったけど」


 二十世紀末期から二十一世紀初期にかけて、国旗掲揚と国歌斉唱について自由な思想の元に拒否する論調が激しくなった。

 その背景には自由な思想の元に拒んだ者を否応なく罰したり、価値観を押し付ける問答がされたりといった事案があったからだ。

 他にも第二次世界大戦への出兵と敗戦、諸外国からの印象や糾弾など、複雑な数多の要因がそうした拒否行動や言論へと繋がっていた。


 近年でこそ落ち着きを見せてはいるが、それでも『君が代』を天皇崇敬の歌とする風潮は根強く残っている。


「いや、それだけではない。

 私達は日本仏教や日本神道との関わりを持ちつつも、御山を崇拝し守護する責を負った修験者だ。その目的には戦争という破壊への嫌悪と拒絶があり、自然を維持し保護することと人々の救済を含んでいる。

 戦争や争いというものに対しての嫌悪が先に立ってしまった事を詫びたいのだ」


 智明から少し間を開けるように座り直し、改まって頭を下げた貴美に智明は慌てる。


「それこそ謝ることじゃないってば。戦争関係でいえば国旗に対する外国からの話題の方だし、国歌でいえば天皇の方でしょ。戦争に踏み入ってしまった話と、天皇万歳は少し違う話だよ」


 智明は太ももの上で重ねられた貴美の手に自身の手を重ね、貴美に詫びる必要がないことを強調した。

 しかし同時に貴美に明確にしておかなければならないことがあることに思い至り、重ねた手を引っ込める。


「それに、俺は今回争い事の火種を作ってしまった側だよ。キミさんはそれに巻き込まれたようなもんなんだから、俺はそっちを謝らなきゃいけないかもしれない」


 少しトーンを低くした智明の声に貴美が鋭敏に顔を上げ、慌てたように智明にすがって取り繕う。


「今は、言うな。そんなことを言わないでほしい。立場の違いは承知しているけれど、トモアキと話をすることは今とても重要なことなのだ」

「それはそうかもしれないけど……」


 智明の言葉を打ち消した貴美の言い分も分からなくはない。

 が、智明はどうしたものかと思案する。


 ある意味で優里が暴走し貴美が怪我を負ったために、智明と貴美は会話の機会を得た。しかし貴美が真に向ける好意は純粋で、貴美が明里新宮へと赴いたのも真への好意からくる同調と、もともと受けていた智明打倒の依頼のためだ。

 完全に相反する二人の目的と立ち場を、貴美は縮めようとしている。

 智明は優里が不在の状態でそれに応じて良いものかの判断をしなければならない。


 優里と貴美に感情的な行き違いがあったことは確かで、その修正をしないまま智明が貴美と同調するのは優里への配慮に欠けると思うのだ。


「とりあえず、私はマコトのことをもっと知りたい。トモアキと、ユリのことも知りたい」


 貴美は取りすがった態勢からじんわりと智明に体を預ける形になり、智明の肩に息をかけるような小さな声で訴えた。


「……少し、長い話になるよ?」

「構わない」

「分かった」


 智明は貴美の手を軽く二度叩き、優里と真との出会いを思い出そうとしていた。

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