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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第六章 影響
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諭鶴羽の森 ②

   ※


 ようやく落ち着いた藤島貴美(ふじしまきみ)を連れ、高橋智明は瞬間移動で諭鶴羽神社の奥の院周辺へと現れた。

 諭鶴羽神社の裏参道にあたる奥の院は小さなほこらが一つと、更に奥まった箇所に御神木があるのみだが、そこまでに至る小路(こみち)は踏み固められ、七月の初旬にあって下草で荒れることはない。


「おーい。置いてかないでくれよ」

「トモアキ。早う、早う」


 足元を気にしながら早足で追いかける智明を急かしつつ、貴美は生まれ育った庭同然の森を苦もなく駆けていく。

 貴美に貸してあるスウェットは山中で目立つので見失うことはないにしても、智明はやれやれと息を吐く。


 そもそも諭鶴羽山へと瞬間移動で出向いたのは、貴美の夕食の食材を採りに来たのであって、散歩や気晴らしのためではない。


 ――ま、それでも泣かれるよりは笑っててもらった方がいいんだけどね――


 短時間の間に二度も泣き顔を見せた貴美は、恋愛や情愛に対するもろさを感じさせずに森の奥へと入っていく。

 智明が聞き取っただけでも彼女は幼いうちから諭鶴羽山に籠もり、父に教え導かれながら修験道(しゅげんどう)に没頭したらしい。

 そうした気高さや品位・精神的な芯の強さは彼女の佇まいや表情から伺いしれたが、反面、世事に疎く人との関わりについては幼児のごとく繊細で情緒が乱れやすいようだ。


 瞑想の果てに『悟り』に近い精神世界まで上り詰めることが出来ると知っていても、智明より年上という感覚はやはり薄い。


「遅いぞ、トモアキ。はぐれてしまったらどうするのだ」


 踏み固められた小路が森の木々で絶たれた位置に立ち、貴美はやっと追いついた智明に口を尖らせて拗ねた。


「大丈夫だよ。キミさんの波長は覚えてるから、最悪瞬間移動で追いつけるから」


 スウェットを腕まくりした右腕で汗を拭きながら応じると、貴美はいたずらっぽく笑って自身の胸に手を当てて言う。


「では捕まえられるかやってみよう」

「え、なんで?」


 智明の返事が届くかどうかの間合いで貴美は無造作に森の方へ飛び込んだ。

 道端の側溝をまたぐくらいの小さなジャンプだったように見えたが、貴美の姿は木陰に溶け込むように森の中に消え、智明の目の前には静まり返った森が音も立てずに広がるだけになった。


「マジか」


 目と耳では追いきれない速さで貴美が森の中に駆け出したと気付いた時には、智明の視界に貴美の姿は見当たらなくなっており、仕方なく智明は意識の網を周囲に広げる。


 ――そんなのありかよ!――


 現在地を中心にして半球状に展開した捜索の網は、いともたやすく貴美の位置を探し当てた。が、通常の人が走る速さで広げた網が貴美を探知するそばから網の外へと飛び出してしまう。

 広げても広げても捉えきれない貴美の位置に智明は思わず毒づいてしまったが、自分が移動していないことと貴美の行く先が予想できれば対処できると思い直す。


「よいしょっ」


 なんとも格好のつかない号令を発して智明は短距離の瞬間移動で貴美の先回りをしてみる。


「甘い」

「おっとっと」


 木の枝に止まって休む小鳥のような貴美のすぐ目の前に現れてみせたが、即座に貴美は飛び立ってまた智明の視界から消えてしまう。

 すぐさま智明も瞬間移動をかけるが、続けて三度、姿は視認できても捕まえる前に移動されてしまった。


 ――根本的に追いつけない理由があるな――


 尚も短距離の瞬間移動を繰り返して貴美を追いかけながら、智明は打開策を考え始める。


 探索範囲の問題だろうか?

 そう考えて範囲を倍の半径に拡大してみたが変わらない。


 じゃあ、探して姿を現すまでに時間がかかり過ぎなのか?

 ならばとハッキリ探知する前に目測を立てて飛んでみるも不発。瞬間移動にかける時間を一秒から〇.一秒に近い間隔にしても捕らえきれない。


 ――違う! もっとダイレクトに波長を感じればいい!――


 智明は貴美を探知するためにわざわざ頭の中にイメージ上の座標を形成していた事がそもそもの間違いだと気付き、気配や存在感として貴美を感じるように切り替えてみる。


 イメージとしては人間大の楕円形を想定し、その人の色を存在感として着色してみる。

 貴美で言えば光沢を帯びた絹のような純白。

 そしてその色を視覚野ではなく、自身の胸の中心から見て一直線上に圧を示すようにして座標として感じる。

 楕円形の大きさで直線距離を表せば、頭の中に描くイメージよりもより直接的に存在を感じられた。


「そこだ!」


 今まさに大木の幹を蹴って鋭角な切り返しをした楕円形に向かって叫び、智明も貴美の着地点を目指して()()


 この飛び方もA地点からB地点へ物体を書き換える瞬間移動の方法ではなく、二点の最短距離を一直線に流れるように一跨(ひとまた)ぎするイメージで移動する。


「!?」


 次の木の幹を蹴って上昇しようとしていた貴美の眼前に智明が現れ、飛び上がろうとした勢いを殺すように抱き留められて貴美は声にならない悲鳴をあげた。

 智明は貴美を向かい合って抱いたまま空中で浮遊し、目を見開いて驚いた顔のままの貴美に告げてやる。


「捕まえた」

「ど、どうやったのだ? トモアキの『気』はまだ遠くに感じられていたのに……」

「アニメの応用なんだけどね。瞬間移動はコマ送りにしたらA地点に居る自分と、移動中で消えてる瞬間と、B地点に現れた自分とで三コマ使うイメージなんだ。けど今のは、A地点からB地点に飛ぼうとする自分と、A地点から飛んできてB地点に到着した自分っていうイメージだから、ニコマで済む感じかな」

「そ、そうなのか」


 智明の抱擁が不安定なせいか貴美の体がずり下がりかけ、足元を支えるものがない貴美は必然的に智明に抱きつく格好になって複雑な表情になる。


「これだと気配とか存在感とかがボヤける感じになるでしょ? だからキミさんも反応できなかったと思うんだよね」

「確かに、捕まえられるまでトモアキの『気』は消えてなかった、気がする」

「良かった。狙い通りだ。ただ、『移動』っていうより『ちょっとジャンプした』くらいの感覚なんだよね。だから瞬間移動とは違う移動方法になるのかな? 『跳躍(ジャンプ)』とかそんな感じだな。……大丈夫?」


 得意気に新しい能力の解説をしていた智明だが、腕の中の貴美の様子がおかしかったので声をかけた。

 もじもじとした表情で顔を赤らめ、間近にある智明の顔から視線を反らしている。


「ち、ちょっと、恥ずかしい。のだ」


 何の事かと考えた智明だが、左手は貴美の背中を抱き留めているが右手は貴美の臀部(でんぶ)の辺りを持ち上げるようにしていて、お互いの胸から下肢までが密着していた。


「……ごめん。下に降りるよ」

「……うん」


 なんとも照れくさくなった智明が小声でささやき、貴美も智明の首元に息を吹きかけるようにして頷いた。


 ゆっくりと高度を下げてゆき、智明の足が地面に触れたところで浮遊をやめて生い茂った草を踏むと、貴美も地に足をつけて深呼吸を一つ行った。


「ここ、どの辺なのかな?」

「……諭鶴羽神社から山頂を超えて北に回り込んだあたり。もう少し下れば諭鶴羽ダムの辺りに出る」


 軽く辺りを見回した貴美が容易く現在地を言ったので智明は軽く驚いた。


 頭上は木々から伸びた枝葉が陣地取りのように青空を埋めているし、足元はわずかに指す日光を浴びようと膝の高さを超えて草が伸びている。こんな道も広場も標識もない場所で現在地を特定できる理由が分からない。


「そんなに簡単に分かるんだ?」

「私はずっと御山で暮らしてきたのだ。下界の人には分からないかもしれないが、どこにあっても目印はあるし、植物や動物に助けてもらうことも可能なのだ」

「そうなんだ。アニメなんかで動物と話してるのとか見たことあるけど、実際にそんなことができるなんて思わなかったな」


 智明を上目遣いで見上げるようにして話す貴美に、正直な感想を伝えたつもりだが、貴美は相変わらず真っ赤っかの顔で呆れたような表情になる。


「それはこっちの台詞なのだ。超能力こそ作り話だと聞いていたぞ」

「はは、違いないや。てかさ、そろそろ食材集めを済ましちゃおうか。力を使ったから腹が減ってきたよ」

「じ、じゃあまず自由にして欲しい、のだ」


 キレイに貴美からの返り討ちに納得してしまい、智明は話題を変えたのだが、それに対しても貴美はうつむき加減で拗ねたように切り返し、未だ続いている抱擁からの解放を要求してきた。

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