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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第六章 影響
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諭鶴羽の森 ①

 旧東京都港区高輪(たかなわ)にあるJR品川駅。

 リニア中央線・山手線・東海道新幹線・京急・京浜など多数の路線が乗り入れしているがために朝夕の通勤ラッシュ時だけでなく、平日と休日の日中も駅構内は人混みが絶えない。

 リニア中央線開業に合わせて建て替えられた新駅舎は、平成・令和時代の混雑を教訓に人流の整備と混雑の緩和を目指していたはずだが、現在も乗降客の交錯と構内の混雑は以前よりも過密な人波を生み出している。


 そんな昼前の人混みを押しのけて進む黒スーツの一団の中心には、現職の総理大臣御手洗清(みたらいきよし)の姿があった。

 六人のいかめしい黒スーツに囲まれ女性秘書と男性秘書で固まって人混みを押し通る様は、乗り換えや観光で行き交っていた人々に異様な雰囲気を覚えさせ、自然と彼らに道を譲り優先的に駅舎を出られた。


「出して下さい。尾行に注意願います」


 事前に党会派の構成員に連絡して待機させていた乗用車へと分乗し、第一秘書加藤彩海(かとうあやみ)の念押しと共に黒塗りの国産乗用車四台は千代田区永田町の首相官邸を目指す。


「何時だ?」

「現在十一時過ぎです。官邸には三十分もあれば着きます」


 御手洗が車中で口にしたのはこの一言だけで、彩海の言いつけを厳格に守っていた。

 車列は渋滞や妨害に合うことなく首相官邸へと滑り込み、一行は執務室へと移る。


「ようやく落ち着いたか」

「お疲れ様でした。午後には大臣の先生方が緊急の招集でお集まりになられます」

「ん。昼食は軽いものにして、情報と状況報告をくれ。他はいつも通りに」

「かしこまりました」


 ジャケットを脱ぎネクタイを緩めた御手洗に一礼し、彩海と第二秘書である御手洗の次男(たかし)は執務室から退いた。

 束の間ではあるが執務室に一人きりとなり、御手洗は革張りの椅子に全体重を預けて長く息を吐いた。


 前日の夕刻に師匠とも恩師とも慕う山路耕介の病状悪化の一報を受け、急遽プライベートジェットを飛ばして佐賀県まで見舞いに訪れた。

 弱々しくやせ細った山路の姿はショックだったが、山路からの弟子とも同士とも捉えられる寵愛は本物であったと確かめることもでき、また山路の後援会や九州の同会派にもメンツを立てたり関係性を持てた夜だった。


 九州新幹線の始発を待って新大阪まで移り、リニア中央線に乗り移った直後、毅から悲鳴にも似た報告を受けた。


『自衛隊の防衛派遣が報道されています』


 脊髄反射で激昂しかけた御手洗だったが、怒りに震える右手を彩海に押さえられてなんとか列車内での醜態は避けることができた。

 しかしさすがは自身の半身と信じる彩海の対処は早く、連結デッキへ飛び込んだかと思うと東京の事務所と党本部に連絡を済ませて戻ってきた。


『品川か?』と問うた御手洗に彩海は頷き、東京駅までの乗車チケットを既に変更した旨を伝え、迎えと警護も手配済みであることを告げた。

 こうした根回しのお陰で鼻の効く報道記者に巻かれるのを避け、問題の対応と答弁の準備をする時間が手に入っている。


 ――しかし、タイミング的には最悪だな。新幹線で神戸を通っている頃合いに、陸自が淡路島でドンパチやらかすとは。狙ってたのなら相当にいやらしい敵っちゅうことやな――


 第一報の時に膨れ上がった怒りが再燃するが、なんとか抑え込んで冷静な考察へと持っていく。


 そもそもを言えば自衛隊の派遣は自治体からの要請を受けてのものであるし、派遣の承認をしたのは御手洗であっても細かな任務のタイムスケジュールまで指示命令を執るわけではなく、御手洗の預かり知らぬことと言える。よもや防衛省や自衛隊が仕組んだはずもあるまい。


 そこに山路の見舞いが絡むならば尚の事『偶然』でしかない。

 分かってはいても何かのせいにしたくなるのが人間のさがで、疑い始めてしまえば誰も彼もが疑わしく見えてしまい、これではいけないと自らを戒める。


 ――疑心暗鬼とはよく言ったものだな。内々はなんとでもなっても、世に出たものは始末のつけようもない。どうしてやろうか――


 腕を組み、体を預けた皮椅子を揺すりながら御手洗は可能な限り思考を巡らせる。

 以前に資料で見た平凡な十五歳の少年の顔写真がよぎり、目論見から外れた現状をどうにか好転させねばと虚空を睨む。


「失礼します。……なんて顔をしてらっしゃるんですか」

「何がだ?」

「シワ、寄ってますよ、眉間に。お食事の時は力を抜いてくださいませ」


 ノックから間を開けずに入室した彩海は、手にしていたトレイを応接セットのテーブルに置き、御手洗をソファーに移るように手で示す。


「女房みたいなことを言うな」


 指摘された眉間の皺をひと撫でし、文句を言いつつもデスクからソファーへと移動する。

 重要な思案をしなければならない時に感情が交じると御手洗の表情はすぐに険しくなり、その度に彩海からこうした注意が飛ぶのだが、これは山路から受けたことのある注意で御手洗が彩海に課した仕事でもある。

 感情任せで横暴になったり客観性を欠いた考えにならないための防御策なのだ。


「そちらのお世話もいたしましょうか?」

「……残念だがそのスクープは火に油だ。こんな時に俺を惑わせるな」

「失礼しました」


 彩海の発言が冗談だと分かるくらいに精神が落ち着いた御手洗は、トレイに用意されたおしぼりで手を清めてから彩海特製のホットドッグに手を伸ばす。

 御手洗の手の平に収まる小さなロールパンに、ソーセージとスライスチーズとレタスというシンプルなホットドッグだが、時間が取れなかったり食の進まない時にはこれで充分だった。


「……何か分かったことはあるか?」


 二個目のホットドッグに取り掛かる前に彩海に着席を促し問う。


「失礼します。……防衛行動を報道したのは『テイクアウト』という雑誌のネット速報でした。ただ、添付された画像は攻撃にしか見えないもので、その辺りにも激しい追求が予想されます」


 彩海の冷静な言葉に御手洗は一つ唸る。


「また厄介なとこが嗅ぎつけたものだな。昭和からやってるような老舗の大手出版社ならこうはならなかったろうに」


 政界は、新聞社や週刊誌・雑誌社に多少のコネクションや約束事があり、報道自体を無かったことには出来ないが、世に出すタイミングを遅らせたり内容や言葉尻を変更させることは出来なくはない。

 もっとも、そうした交渉ややり取りが可能なのは向こうから事前の『お伺い』があったり、取材や問い合わせがあった時のみにしか使えない手段ではある。


 例えば共通の敵が居る場合やより重大事の情報を渡すなど、向こうにもメリットを与えなかった場合はこうした『お伺い』なしに記事が出てしまう。


 また『テイクアウト』は淡路新都を拠点にしている新興の雑誌社で、政界とも財界とも繋がりを作らないスタンスを取っている。こちら側から交渉に持ち込む窓口すらないのだ。


「そう思います。あと、これはまだ報道には載っていない情報ですが、どうやら陸上自衛隊の防衛行動を妨害した集団があったようです」

「なんだと?」


 ホットドッグを食べ終えブラックコーヒーを飲もうとしていた御手洗の手が止まる。


「そんなおかしな話があるものか。雑誌記者なら何日も張り込んで今朝の防衛行動を目にすることは可能だろうから、まだ分かる。だが日程すら定めずに演習と銘打って派遣した自衛隊を妨害しただと? どこのどいつが何の目的でそこに現れたんや?」


 コーヒーカップを置き、また表情を険しくさせた御手洗が彩海に問うた、が、これは明らかな八つ当たりだ。


「さすがにまだそこまでは……。陸幕監部より派遣された第三十六普通科連隊の司令官からの報告です。詳細を確認していただくように防衛省には通達しました」


 やや苦い顔をした彩海の返事に一応の納得をし、御手洗は「そうか」と返して今度こそコーヒーを口へ運ぶ。


「……後は、高橋智明の事が世に出たかどうかと、マスコミがどこまで調べ上げているかだな」

「高橋少年については、まだ病院襲撃事件の報道規制の範疇ではあると思えます。現に『テイクアウト』の記事には自衛隊の行動にしか触れていませんから」

「ある意味、防衛軍に目が行っている。いや、あえてそっちに目を向けてくれたのかもしれんな」


 リニアモーターカーの車内で読んだ記事には確かに高橋智明の名前はなかった。


「現在は官邸にマスコミの姿はありませんが、大臣の方々が来られる頃には相応の人数が集まっているかと……」

「こうなると山路先生の見舞いに出向いたことが響いてくるな」


 悲痛な表情の彩海から視線を外し、御手洗はカップに残ったコーヒーを一気に飲み干し、舌の根元から胸の真ん中へとヒリ付きながら落ちていくコーヒーの熱に耐える。


 速報記事も山路の見舞いも突発的なものであり偶発的なものである。付け加えるなら自衛隊の防衛軍への改変も山路から託された悲願であったが、その改正法案を国会審議にかけた後というタイミングも偶然であろう。

 そうと分かっていても現状はそれらが裏目に出ている事を認めた上で、切り抜ける作戦を考え判断をしなければならない。


「……行くぞ!」


 おもむろに立ち上がった御手洗に遅れず彩海も席を立って御手洗のジャケットを取りに行った。

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