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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第六章 影響
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女たち ②

   ※


 一方その頃。

 旧洲本市栄町の賃貸マンションの一室では、なんとも奇妙な質疑応答が行われていた。


 高田雄馬(たかたゆうま)の姉にして同じ雑誌社の記者である高田舞彩(たかたまあや)が、鯨井孝一郎から中島病院の噂の真相をなんとか聞き出そうとあの手この手で質問攻めにしているのだが、のらりくらりとはぐらかされて話が進まない。


 ――これだから医者や弁護士って好きになれないのよね――


 左手は仮想ディスプレイにメモを打ち込むべく空中にもたげ、右手はセンターテーブルに置いたICレコーダーに当てている。

 ナンセンスな話だが、本来ならナノマシンで脳をH・B化させているので録音や撮影に機器を用意する必要はないのだが、盗撮や著作権侵害・肖像権侵害・プライバシー侵害・無許可取材などの観点から、マスコミ各社は取材時にカメラやボイスレコーダーなどの機器を取材対象に提示しなければならなくなった。

 ただでさえこうした手順を踏むことで取材対象が構えてしまうのに、医者や弁護士や政治家といった権威を傘に着た手合いは、どうも知性やプライドという一段上からの対応を取る。

 舞彩のような政治から芸能までこなす記者にとっては厄介なことこの上ない。


「――では、鯨井先生は病院側から特別な計らいや権限は提示されなかった、ということですね?」

「そういうことだの。そもそも俺は師匠の説明を了承しただけで、病院の偉いさんとは転院や待遇について話した覚えすらない」


 言い回しや単語を置き換えて問い直してもこの通りだ。


 ――なかなかの難敵ね。というよりこの人はその辺の世事に頓着してないってことなのね――


 舞彩と雄馬の狙いとしては、鯨井孝一郎は中島病院の人材集めに係る不正を暴くキッカケであるだけでなく、彼の師匠野々村穂積(ののむらほづみ)の後継者問題にも迫るキッカケになり得るのだ。

 どんな手を使ってでも糸口らしきらしきものを捕まえられれば、様々な方面にネタが展開することは間違いない。


「では、野々村穂積教授の後継者問題が騒がれている件についても、無関係を主張されるわけですね?」

「そうは言ってない。何を持って『後継者』だとか『後釜』とするかの話だろって言ってるんだがの」


 舞彩の記憶では四度目となる質問だったが、やはり鯨井の主張は変わらない。


「師匠は俺だけでなく、沢山の弟子を育て、脳外科という分野においてその発展と技術向上に寄与され、取り組まれた研究や発表された論文は日本内外で評価を受けられた。俺はそんな師匠の後任を引き受けられるほどの技術や理論を持っていないし、『後継者』と呼ばれるような功績も示していない。そもそも『後釜』になりたい輩は五万といるだろうし、師匠の築き上げた権威や立場を欲しがる脳外科医は山ほどいるだろう。しかしそれは師匠と同等かそれ以上の情熱と実績があって初めて周囲が評価するものだ。本人が自分の口で公言するものではないだろう」


 やや疲れた表情ながら模範的とも取れる回答を述べる鯨井は、一つ息継ぎを挟んでから続けた。


「俺はそのどれにおいても師匠の域には達しておらんよ。師匠の後継に相応しい医者であったなら、有名大学や大病院で忙しくしているはずで、俺みたいに二つ返事で転院などできないはずだからの」

「なるほど。大学や病院側が手放さないということもありえますもんね」


 自嘲気味に笑う鯨井に舞彩も調子を合わせてやる。


「そういうこともあるの。……これはオフレコで頼みたいんだが、俺はつい先日婚約をしてきた。本当にオフレコだが、師匠のお孫さんだ。俺も歳だし、身を固めて親の介護もやっていかなくちゃならん。相応の蓄えがあるとはいえ、落ち着こうって時に後継者争いのような騒動は御免こうむりたいのが本音だよ」

「それはおめでとうございます。ということは、婿に入られたり、野々村貴雄氏からの援助もない、ということですね?」

「そりゃあそうだ。何なら奈良に引っ込んでしまおうってくらいだからの」


 舞彩にとって鯨井のこの宣言はハズレくじに他ならないが、ある意味で狙いを絞れる発言でもある。候補者リストから一名分削られる。

 途中、何度か鯨井が目配せを行い、対面に座る刑事に何かのサインを送ったようだが、中島病院と国生大学の疑惑と野々村穂積の後継者問題について鯨井からこれ以上のネタは出ないことがハッキリした。


「そこまでお考えが進んでいるのであれば、これ以上の追求は無意味ですね。長時間にわたりお付き合い下さいましてありがとうございました」

「まあ、どっかで言わなきゃならんからの。早いか遅いかだけだな」

「そうかもしれませんね。またお心変わりやお話したいことができましたら、『テイクアウト』までご連絡下さい。高田舞彩か高田雄馬をご指名いただければいつでも時間を持たせていただきますので」


 やたらにへりくだった舞彩の売り込みに鯨井はあからさまな嫌悪で苦笑いを浮かべる。


「そうならないようにひっそり暮らしていくつもりだよ。というか、指名していいのならお茶のお代わりが欲しいな」

「ああ、はい。かしこまりました」


 取材の終了を認めたからか、急に鯨井は態度を柔らかくして馴れ馴れしくなる。

 と、舞彩の左側で小さく右手を上げる男からも声がかかる。

「あ、姉さん俺のも頼んます」

「はい、あなた」


 仮想ディスプレイを消しながら振り向いた舞彩は、黒田刑事に了承の笑顔を作って立ち上がる。

 一瞬ぽかんと口を半開きにさせていた黒田だったが、舞彩の冗談を察した黒田は慌て気味にツッコミを入れてくる。


「お姉さん、いや舞彩さん。そういう冗談は体に悪いからやめてくれ」


 すでにキッチンへ向かっていた舞彩は、背後からかかった困惑気味のツッコミに笑ってしまう。


 ――弱点が丸見えな刑事さんの方がおもしろそうね――


 小さな悪戯心で『プロポーズされた』というノリがこんな展開になるとは思っていなかったが、防御一辺倒の鯨井を攻略するよりも、弱点が明らかな黒田の方が接しやすいのは間違いない。


「おい、いい加減にしなさいよ」

「なにがや」

「人が取材受けてる時にどこを見てたんだ」


 冷凍庫から氷を取り出し、グラスに積んでいる舞彩の耳に男共の内緒話が聞こえる。


「顔と脚や。あかんか?」

「あかんことはないが、刑事にしては色欲に素直すぎると言っとるんだ。場の雰囲気を考えてくれんか」

「タイプなんやからしゃーない。これが盗撮や誘惑ならどんな説教も真摯に聞くが、『見ること』を禁じられたら人間は生きていけんやないか」


 聞き耳を立てるまでもない声量に困惑しつつ、舞彩は自身の頬に触れたり、お茶を注ぎながら足元に視線を向けたりと、あからさまな黒田の言い様を気にした。


 ――ちょっとやりすぎたかな。それとも私が術中にハマってるとか? 刑事ってことを忘れちゃダメだな――


 男共との対面時にノーブラのタンクトップ姿だったのは起き抜けの格好だっただけだし、取材を始める前の着替えも意図して太ももを露出したわけではない。

 冬生まれで暑がりな性分に過ぎない。


「相手が記者だってことだけ忘れるなよ」

「当たり前や。こっちもまだ刑事なんは向こうも分かっとるやろ。変なことにはならんよ」


 鯨井と黒田のやり取りに、舞彩はうん?と引っ掛かりを感じた。


 ――そんな軽い女じゃないですよ。失礼しちゃうわね――


 世の中には職務遂行の手段として、女も男も自身を武器や罠として使うことがある。

 舞彩も取材対象の緊張をほぐしたり、場の空気を和らげるために冗談や低俗なノリを多用することはある。

 だが恋愛でも仕事でも、相手がどう思っているにしてもカラダを武器として使ったことはない。取っ掛かりは容姿であっても、そこから先は誠意と情熱であるからこそ、仕事や恋愛が成立するのだ。

 それは記者という仕事だけでなく、接客業や販売員・タレントやモデルやアスリートにだって共通し、女性が働く上で安易な性的アピールは刹那的であるとさえ思う。

 女性に限ったことでもないかもしれないが。


「お待たせしました。どうぞ」


 舞彩はグラスの中で氷を揺らして音を立て、男共の内緒話をやめさせてお茶を配る。


「はい、ダーリンの分」

「そ、そのノリはやめてくれ。俺がハニー呼びとか似合わんやろ」

「そうですか?」

「ああ。似合わないな。黒田君はどちらかといえば『うちのカミさんがね』とか言いそうな男だからな」


 ニヘラニヘラと笑っていた鯨井が、誰かの声真似をしながら言及した。


「古い映画見てるな。令和の復刻版ですら五十年くらい前の映画やぞ」


 二〇〇〇年以前に制作された海外映画は日本語に訳され有料動画配信やDVDでのレンタルがなされていた。

 中でも動いているのが不思議なオンボロ車とヨレヨレのコートで事件現場に現れ、容疑者に雑談を仕向けながらアリバイを崩し殺害方法を推理していく刑事シリーズは、吹き替えを行った声優の言い回しが俳優の印象と合致し、令和時代にリマスターされた復刻版が販売されたほど一定の人気がある。

 さすがの舞彩もシリーズのタイトルは知っていても本編を視聴したことはない。

 また『ハニー』呼びされるほど甘い恋愛の経験もない。


「じゃあ私は『うちのダンナがね』っていえばオアイコですよね」

「そいつはいいな」

「マアヤさん、そういう問題やない」


 舞彩の少しズレたジョークに鯨井が声を上げて笑う一方で、黒田はますます困惑した表情になる。


「いや、面白い。刑事と記者、面白い組み合わせじゃないか。君らはいいコンビだの」


 よほど面白かったのか、囃し立てる鯨井に舞彩も少し冷めて頬をふくらませる。


――私は探偵じゃないし。情報屋でもないし。刑事の助手なんてやんないよ――


 心の中で父親ほど歳の離れた脳外科医を全否定しつつ、舞彩はそっぽを向いた。

 視線の先には舞彩以上に頬を膨らませた黒田の顔があり、鯨井の言葉の意味がわかって変な声が出る。


「やん、もう」

「んあ? ああ、失礼」


 舞彩と同じ顔をしていたことにようやく気付いた黒田を見て、また鯨井が笑った。

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