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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第一章 三つの仔
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覚醒 ②

   ※


 中島病院に新しく設けられた新館は二棟あり、一棟は国生大学の研究室と講堂で、もう一棟は脳外科や神経科の診察室と待ち合いロビーとリハビリ施設に加え、入院患者の病室となっている。

 だがまだ新設されたばかりで入院患者は少なく、今は空いているベッドに今朝の騒動の怪我人が寝かされている。

「……ん、んん? ……んお?」

「気が付きましたか?」

「起きてすぐ播磨ちゃんの顔が見れて良かったのか、悪かったのか」

 鯨井は体を起こそうとしたが、じんわりと痛みがあることと思い通りに体が動かないことでそれを諦めた。まだ麻酔が効いていると分かったからだ。

 対してベッド脇で小さく微笑む播磨医師は、鯨井の減らず口に少し困った顔をする。

「そんなことばかり言っていると、また私みたいに女を不幸にしちゃいますよ」

「それを言われると辛いなぁ」

「……冗談ですよ」

 播磨医師は鯨井の左肩にそっと手を置く。

「未練はあっても恨みはありませんから」

「勘弁してよ……」

 今度こそ満面の笑みで言い切った播磨医師に、鯨井は笑顔を引きつらせる。

 旦那との不仲が原因で消沈していた播磨医師と関係を持ってしまったのは、もう何年も前の話だ。

「……それより今何時かな?」

「もうすぐお昼よ」

「そうか」

 播磨医師の返事に答えて鯨井は一度深呼吸をする。どうにも昔の逢瀬が頭をよぎって思考の邪魔をしてくる。

「クジラさん!」

 病院には似つかわしくない女の声に、また鯨井の思考はキャンセルされた。

「お、よお!」

 顔だけを入り口に向けた鯨井の視線の先には、少し早い夏っぽい服装の野々村美保の姿があった。

「よ、と。……ああ、すまない」

 播磨医師に体を起こしてもらった鯨井に、美保は文字通り飛びつくように抱きついた。

「どうしたの? なんで怪我してるの?」

「野々村さん。術後だから落ち着いて」

「あ、播磨先生。でも……。はい、失礼しました」

「美保ちゃん、ごめんよ。播磨先生。こういうことだから。そのう……」

「ええ、私は大丈夫です」

 美保には分からなかったが、鯨井の意思表示を察して播磨医師はベッド脇の椅子から立ち上がった。

 恐らく世界最短の決別の言葉だったろう。

 そして笑顔で美保に椅子をすすめる。

「もうニュースになってるかもだけど、今朝、病院内で騒動があったの。鯨井先生はそれに巻き込まれて左足を骨折されたわ。さっきその手術が終わったところだから、数日は安静にしていなければいけないのと、あと二回点滴をしなければならないから、介抱をお願いしますね?」

「はい」

 美保と入れ替わりながら播磨医師は必要なことをスラスラと説いていく。

 美保は真剣に聞き、キチンとした返事を返す。

「それじゃあ、私は他の先生方と話してきますから」

「ああ、播磨先生!」

 そのまま立ち去ろうとする播磨医師を鯨井が呼び止める。

「例の検体は、あとで見に行くからよろしく頼んます」

「え? ああ、はいはい。……安置だけでよろしいのかしら? 培養は?」

「いや、結構。まずは観察してから培養の方が危険はないと思う」

「そうね、分かりました」

 いつもどおりの笑顔を見せて播磨医師は病室から去っていった。

「ふう。……心配かけたみたいやな」

「あ、うん」

 鯨井が話しかけるまで出入り口を凝視していた美保は、少し落ち着いたのか、場所をわきまえたのか、いつも研究室で見せる表情で答えた。

「ビックリしたよ。朝からパトカーや消防車が走り回ってて、ニュース見たら中島病院で強盗騒ぎみたいな見出しなんだもん。来てみたらニュースより物々しいし、本館の玄関壊れてるし、クジラさんが巻き込まれたかと思って心配だったよ」

「ありがとよ。そうか、強盗騒ぎとなってたか」

 誰のどの判断かは分からないが、真実をそのまま伝えることは難しいし、伝えるにしても正確な言葉は見つからないだろう。

 もし、本当に鯨井が経験したままを世間に公表するとなると、世間は混乱と動揺と(あざけ)りの言葉で溢れかえるだろう。

 妙な納得をして鯨井は腕を組んでうなずいた。

「え、違うの?」

「いや、違うというよりも、他に言いようがないって感じだな。例えば、銀行強盗の犯人が宇宙人でしたなんてニュースは信じられないし、報道しようにもしにくいだろ?」

「本当であっても信じないわね。都市伝説系の動画なら見ちゃうかもだけど」

「そういうレベルってことだわな。……まだ何が本当か分からないから尚更な」

 鯨井の話がとりとめなくて、美保はやや困惑した表情になる。

「ふうん……。とりあえず怪我もしてるんだし、私がそばに居るからゆっくり休んでていいよ」

「そうだな。点滴の交換だけ見といてちょうだい」

「はいはい」

 軽口を言いながら体を寝かせていく鯨井を支えてやり、シーツをかけてから美保はそっと鯨井の手を握った。

「美保ちゃん、指のサイズいくつだっけ?」

「服も指も七号だよ」

「ん。分かりやすいな」

 一度キュッと美保の手を握ってから、鯨井は目を閉じた。

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