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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第六章 影響
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少年たち ⑤

「それが取り引きに対する返事でいいんですね?」

「構わんよ。自衛隊が軽々しく任務を放棄することなどない。それは国民の方々への裏切りであり、日本国そのものに唾棄することに等しい。勝ち目がなくとも果たすべきことを果たさねばならん」


 川口は自身の迷いを投げ捨てるように断言した。

 隣りで小さくなってしまった野元には後で謝らねばならないが、彼が選択を誤らなければ川口はこの決心にたどり着けなかったかもしれない。


「では少し譲歩して共闘ということにはなりませんか?」

「食い下がるな。というよりも、拘っている、というべきか? それほどに仲間が大事というのは理解はしても、こちらに不利益しかない以上、この話はこれ以上進展する余地はないぞ」


 変わらぬ川口の断言に、しかし本田の笑みは消えない。


「チームのメンバーを開放したいってのは、智明をぶっ飛ばす意味でも譲れないことなのは違いない。

 でもどうしても自衛隊や政府にやってもらわなきゃならないことがあるんです。

 これは警察やマスコミじゃダメなやつです。 下手をすると政府や政治家が一番ダメかもしれない」


 川口の片眉が一瞬跳ねた。

 先程のHDのあたりから感じていた不穏な雰囲気が、川口にまた迷いを生む。

 隣りに座る野元の方を見ると、野元も緊張気味の視線を返してきた。


「……応じるか応じないかは別として、内容だけ聞くことは可能か?」


 川口も、野元も、本田が警察やマスコミや政府という単語を口にした時点で、自分たちが少年の張った網にかかったことを自覚した。

 それでも体裁を保とうとする大人の醜悪さに嫌気がさす。


「構いませんよ。

 ただ、俺らレベルでもとんでもないことだって分かる話だっていう、そういう前提で最後まで聞いてくださいよ」 


 本田の念押しに川口と野元は顔を合わせて頷き合い、了承する。


「了解だ」

「では、全部話します。

 まずこのHDは、とある人物が俺らのようなちょっとはみ出した少年に配っている、『どぶろくH・B』に紐付けられて起動します。

 とっくに察しがついていると思うけど、HDも『どぶろくH・B』も正式な国の認可を受けていませんし、その製造者も不明です。

 『どぶろくH・B』自体、何気にちまたに溢れてますから、製造者なんてそうそう摘発できないのは仕方ないかもしれません。

 ただ一点、俺達は『どぶろくH・B』をばら撒いている人物を差し置いてHDを手に入れる取り引きをしました。

 それは人体実験同然の行いに参加することでしたが、同時にその企業をHD化のパイオニアへと押し上げる協力をすること。

 そうして俺達は人間以上の力を手に入れました。

 ここで気を付けて欲しいのが、ばら撒いている人物と、HDを認可させ公開したい企業とのスタンスの違いです。

 企業は、やはり商品を販売し流通させて利益を得るのが正攻法ですから、今は闇でさばいていてもいずれは日向で商売がしたいというのが道理です。

 しかし、『どぶろくH・B』をばら撒いている人物にはそうした姿勢や意向がない。むしろ、俺らのような日陰に片足突っ込んでる連中を利用して、何がしかの企みのために操っている気さえ感じるところです。 

 俺らと企業さんでこの人物を介さずに取り引きするに至った理由は、俺らにとっても企業さんにとってもコイツが邪魔だと言えば分かりやすいかな。

 これまで手を打たなかったのは、企業さんも俺らも時間的な猶予は多分にあったから。

 俺らはアワジのバイクチームを掌握してからHDを起動したかったし、企業さんもその間にHDの研究とか商品化をバージョンアップする予定だった。

 ところが、高橋智明の騒動に関わることになって、そのスケジュールに変更が生じたんです。

 結果、俺らが企業さんに計画を早める打診を行ったことが『どぶろくH・B』をばら撒いている人物に嗅ぎ付けられ、高橋智明の手元にもHDが渡る結果を招いてしまいました」


 本田は一旦言葉を切り、川口と野元を見、また話し始める。


「俺らは淡路連合なんてのを作って縄張りの不可侵なんてのをやってたりするんですが、WSS(うち)と同盟関係にある洲本走連との情報交換とか、アワボーやクルキに潜ませたスパイからの情報を組み合わせると、コイツの怪しげな話が山ほど出てきました。

 コイツ、俺らの前ではフランソワーズ=モリシャンと名乗ってるんですが、アワボーの前ではフランク守山、クルキには守山丞太郎(もりやまじょうたろう)、スモソーには能村雅代(のうむらまさよ)と名乗ってます。

 それだけじゃありません。

 細かな経緯は省くけど、元々俺ら四チームは縄張りを主張したり、敵対したり、覇権を争うような関係じゃなかった。

 最初はみんな友達とツルんで走るだけの小チームだったし、そもそもの活動地域が違う。それがいつの間にか淡路島を四つに割る連合なんかを持たなくちゃいけなくなっちまった。

 スモソーのリーダーと腹を割って話してみると、どうもイタリア系ハーフの男に言いくるめられたり、ハメられた結果、俺達は喧嘩やレースを繰り返すように仕向けられたように思う。

 今思うと、俺らに突っかかってきた連中の言い分も、そいつにそそのかされたんじゃないかと思えるしね。

 ともあれ、フランソワーズ=モリシャンが個人的な企みで淡路島のバイクチームを操ったとか、仕向けたんじゃないかという証もあるし、うちのメンバーの分までHDを用意してくるあたり、とんでもないことを考えていそうな気もする。

 俺は、これまでアイツに良いように使われてきたことが我慢ならないし、アイツは俺がこの話を自衛隊に持っていくなんて思ってもいないだろうから、ここで一発やり返したいという気持ちもあるんです。

 高橋智明と違って、俺らの手ではなく、自衛隊や政府っていう正当な道筋で吠え面かかせたいんです」


 長々と語られた本田の論旨は、単純明快な報復や逆襲でしかない。

 しかし川口にはそれだけの問題ではないことが分かる。

 企業が秘密裏に新商品の開発を行うというのは問題ないが、人体実験となると穏やかではない。その一点について企業は責任追及を受けるべきだろう。

 最も業が深いのは、本田の語ったフランソワーズ=モリシャンなる人物で、未成年者に与えてはならない『どぶろくH・B』をばら撒き、それだけにとどまらず若者たちを操って抗争を演出した疑いは、何者のつもりであろうかと腹立たしくなる。

 加えて、一般的なH・Bの流通価格からかんがみるに、HDを二百セット以上もバイクチームのメンバーに与えたとなると、その資金力は個人ではなく組織や団体であろうと考えられた。

 ナノマシンを扱う様な企業とも対等に渡り合い、淡路島の少年たちを利用し何らかの暗躍を想像させるフランソワーズ=モリシャン。

 本田の話を聞くだけでも、放っておけないことは間違いない。


「……フランソワーズとやらの陰謀や暗躍というのは理解した。淡路島の現状がその人物の企てのために不安定であることも、な。しかし自衛隊に何ができる? 私にどういう判断をさせたいのだ?」


 川口は腕組みをして本田に問うた。

 ただ漠然と川口が取り引きに応じる形ではなく、本田の言い分を飲まざるを得なかったことにするためだ。


「三つ、あります。一つは、俺達が高橋智明打倒に関われるようにしてもらうことで、俺達は智明をぶっ飛ばせるし、自衛隊はHD化した戦力が手に入る。

 二つ目は、モリサンを封じることでHDのばら撒きをやめさせて、自衛隊や警察への導入の足がかりにできる。

 三つ目は、多分こういう陰謀めいた企てって政治的な団体とか組織がやってるだろうから、政府がそうした組織に対して優位に立つことで、二つ目の推進に障害がなくなったり、海外への姿勢とかも固めることができるんじゃないかなって思う。

 あ、四つだ! もし、三番目が政府主導の裏側の施策だった場合、自衛隊はそれを暴く形になるから、違う意味で日本を守れると思う」

「よくもそんな理由をくっつけたもんだな」


 本田や瀬名の賢さに感嘆するふうを装い、川口は本田の示したメリット全てを心の中で否定した。


「世の中、想像図や予定表通りに作られてはいないのだよ。完全無欠の理論や政策だと熱弁しても、必ずどこかにしわ寄せがあって、批判や反論が挟まれる余地があるのだ。君らの若さで政治に肝心があることは天晴(あっぱれ)だが、絵空事では政治は動かせんのだ。自衛隊もな!」

「……それ、智明にも言いましたか?」

「なんだと!?」


 会話として繋がらない本田の切り返しに、川口ではなく野元が声を上げた。

 それに答えたのは瀬名。


「だっておかしいでしょ。智明と会談して、俺らにそれを言うってことは、あっちの話も拒否したはずだよなー。なのに、なんでこんなとこに引き下がってんだろー? 通らない理屈をやってんのはどっちなんだろう?」

「黙れ!」


 瀬名のニヤニヤとした笑顔は絶妙に野元の精神を苛立たせたようで、野元の口から不条理な命令が出てしまった。

 しかし瀬名はなおも余計な一言を口にする。


「ニュース見た? 自衛隊さんの一挙手一投足は今日のトピックだよ。あっちの無理を通したんなら、こっちの無理も通して点数稼ぎしてみるのもいいんじゃなぁい? 三方とも『お国のため』って言ってるぜー」

「黙れと言った!」


 立ち上がって再度声を荒げる野元に、本田が駄目を押す。


「日本の害になるのはモリサンだけだ」

「まだ言うか!」

「静まれっ!!」


 野元を睨みつける本田と、殴りかからんばかりに拳を固めて持ち上げた野元を、川口は一遍に黙らせるために一喝した。


「野元。正論に対して怒り、暴力で答えるということはこちらの非を認めるということだ。その時点でこちらの負けだ。座れ」

「……はい」


 野元はまず川口に頭を下げ、続いて本田と瀬名に頭を下げてからパイプ椅子に座り直した。

 それを見てから川口は本田と瀬名に向き直る。


「……高橋智明との会談の内容、その詳細を知っているのか?」

「いいや。これっぽっちも!」

「半分は想像できたけど、残り半分は賭けですよ」


 悪びれもせずに答えた二人に川口は呆れてしまう。


「よくこの場でそんな賭けができるものだ」

「はは。こっちに有利な条件が揃ってるだけですよ。

 こっちもそっちも高橋智明の能力の片鱗ってやつを垣間見た。 

 こっちにはHDという餌とも火種とも言えるネタがある。

 高橋智明の次に共通の敵になるかもしれないモリサンの存在。

 会談でどんなことを話したのか知らないけど、向こうにはアワボーの川崎のオッサンが参謀に付いてる。

 そして何より、今の自衛隊が一番堪えるのは画像付きの速報ニュースでしょ」


 差し出した拳から指を一本ずつ立てて述べる本田に続き、瀬名も痛いところを突いてくる。


「そもそも俺らはメンバーの移送先とか軟禁場所を探してたんだけど、情報が集まれば集まるほど『アレレ?』ってなったんだよなー。

 赤い光が光って、青い光が光って、その後に俺らが退散したんだけど、なんで自衛隊が皇居から離れたんだろう?ってね。

 普通なら『優勢だから捕まえたり降伏した相手を移送したんだろう』ってなるけど、あの現場を見てる俺らがそんなこと思うはずないよな。

 じゃあ、敗北したか戦闘が停止したかになるんだけど、じゃあ部隊の半数を移動させた意味が通らない。

 それでやっと自衛隊の現状が想像とか仮定出来た感じだなー。

 ま、あのニュースが有るのと無いのとじゃ大違いだったなー」 

「ふっ。君もそういう賢さがあるわけか」


 川口はどこかで観念してしまっていて、解いてしまった緊張のせいで思わず笑みが漏れた。


「これでは取り引きではなく恐喝か脅迫じゃないか」

「全部同じでしょ」

「違いない」


 川口のボヤキを本田がひとまとめにしてしまい、瀬名の一言に三人は笑い声を立てた。野元と監視の隊員二人は笑うべきかどうか迷い、微妙な表情だが。


「ここまでやり込められてしまってはその条件に乗らざるを得んな。

 しかし、それもこれも高橋智明関連の防衛任務を達成しなければ要を為さん。

 出来るのか?」 


 パイプ椅子から背を離し、長机に両腕を乗せて川口は前のめりに確認する。

 本田は頼もしく頷いて答えた。


「もちろん」 

「ん。君のチームを臨時の特務隊として使役するという()()だが、彼らの拘束を解いたとして準備にどのくらい必要か?」

「最低二日。三日以上あれば万全かな。ただ、装備が圧倒的に足りていない」

「野元」


 川口と本田の間で進んでいた話を、野元へと振る。


「は。虚偽の報告や申請は発覚すれば厳罰ですが、『演習による破損により交換及び予備の借り出し』という名目は立てられます。実際、赤い光でヘルメットや防護服を損傷していますから、大丈夫です。イケます」


「武器はダメなの?」


 瀬名の甘えた声に川口と野元から失笑がこぼれた。


「さすがに駄目だ」

「司令官と副司令官のクビだけじゃ足りない」


 即答され瀬名は「残念だなー」と変な悔やみ方をした。


「例のオモチャ屋さんから借りればいいだろう?」

「百丁とかエアガンでも無理だよ。それにHDのパワーに負けちゃうよ」

「ああ、そうか。ふむ、考慮しよう」


 川口の思い付きは即座に否定されたが、野元が意外なノリを見せ本田と瀬名を驚かせた。


「助かります」

「ただし、これは今回の取り引きの中での譲歩に過ぎん。この一度きりだ。フランソワーズなんちゃらの案件次第では自衛隊や政府の立場は大きく変わってしまう可能性もあるのだからな」


 本田の殊勝な返事に川口が釘を刺したが、瀬名はそれさえも茶化してくる。


「いいじゃん。防衛軍になったら陸軍大佐なんだし」


 さすがの川口も笑うわけにはいかず、瀬名を睨みつけて言い返しておく。


「そういう問題ではない」


 言い終えると川口はゆっくりと立ち上がり、本田に向けて右手を差し伸べる。


「ハーディーとやらの裏にある陰謀と、高橋智明の打倒。この二点について共闘する。これでいいな?」


 本田と瀬名、少し遅れて野元も立ち上がり、それぞれが握手を交わした。


「充分です。ただ、例の速報ニュースの件、気を付けてくださいよ? ある意味であの記者はフランソワーズ=モリシャンを追っている可能性もありますから」


 右手を引っ込めながら差し出口を聞く本田に野元がたしなめる。


「防衛軍の改正法案までその者の企てだったならば、我々の動きはクーデターものだよ」

「智明と志を共にするってこと?」


 また瀬名が悪質な茶化し方をしたので室内は沈黙に支配された。


「……じ、冗談だよぉ」

「そうであってくれ」


 沈黙の原因を作った瀬名は無事に本田に諭されたので、室内の時間が再始動する。


「私だって定年まであと少しだから命が惜しい。そこは用心する」

「よろしくお願いします」


 深く頭を下げた本田に一つ頷き、川口は部屋を出ようとする。


「これから拘束したメンバーの釈放の手続きをする。少しだけ時間をくれ」

「あい」


 瀬名が緩い動作で敬礼の真似事をしたので、今度ばかりは川口も小さく声を出して笑ってやった。

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