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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第六章 影響
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少年たち ④

「そういうことですね」


 今更ながら川口は本田の肝の座り方と変わらぬ態度に舌を巻く。

 自衛隊という国家に属した大きな組織と対峙しているとは思えない落ち着きに加え、川口と野元に対して対等に接しようとする構え方は、とても十八歳には見えない。


「皆さんはH・B(ハーヴェー)化されてますか?」


 本田は室内でことの成り行きを見守っている自衛隊員も含めて問うていた。


「無論だ。今、この施設内はジャミングを張り巡らせているから、専用無線や伝令を主としているが、任務中はそうした妨害がなければH・Bでの通信と連携は必須になっているからな」

「それは話が早い。

 H・Bはナノマシンで脳を機械化する技術で、世界中に広まってしまってもはや誰でもが持っているツールって感じですよね。

 ではもし、そのナノマシンで肉体も強化することができるとしたらどうでしょう?

 もちろんH・Bの様な通信や記録に特化したものじゃなく――」

「ちょ、ちょっと待て! 何の話をしているんだ!?」


 淀みなく話を続けようとする本田に掴みかかるように、野元は慌てて立ち上がろうとしてパイプ椅子をガタつかせてテーブルに乗るような格好になる。

 本来なら川口は野元を制止すべきところだが、本田の解禁した情報に狼狽(うろた)えてしまって声が出ない。


「まだ世間に出ていない新しい技術の話です」

「そうじゃない! いや、そうなんだが、なんでお前たちが知っている? なぜそんなことになっているんだ?」


 泰然とした本田に詰め寄ろうとする野元は正しい文脈で話せないほどの狼狽ぶりだ。

 それをどう感じたのか、瀬名が本田にヒソヒソ声で話しかけた。


「おい、テツオ。なんか様子がおかしいぞ」

「みたいだな。……落ち着いて下さい。もしかしてだけど自衛隊はHD(ハーディー)の事を知ってるんですか?」


 再び怪訝な顔で問いかけてきた本田に野元の自制が効かなくなる。


「その情報、どこのものだ!」

「落ち着け。野元! 落ち着かんか!」


 長机を乗り越えてでも詰め寄ろうとする野元の上着を掴み、なんとか川口は野元を引き止める。


「川崎はそんなことを言ってなかったぞ!」

「いい加減にせんか!」


 本田と瀬名を監視させている隊員は銃を携えているために野元を抑えさせる命を出せず、川口は仕方なく掴まえている野元の上着を強引に引いて、パイプ椅子ごと野元を引き倒した。

 倒れ際に野元の体は川口の足にぶつかり、そのまま背後の壁にぶつかって床に倒れた。

「ぐぅ」と野元のくぐもった声がしたが、流血もなくすぐに立ち上がろうとしたので、川口はそのまま野元を捨ておいた。


「……見苦しい所を見せた。すまない」

「いえ。大丈夫なんですか?」


 足元の野元を目の端に捉えながら川口が詫びると、本田はパイプ椅子から少し腰を浮かせて覗き込み、瀬名は体をよじって長机の下を覗き見るようにした。


「だ、大丈夫、だ。……失礼しました」


 川口の荒療治で理性を取り戻したのか、頭や背中を庇うようにゆっくりと立ち上がった野元は、その場の全員に謝罪した。

 野元がパイプ椅子を起こして座するのを待ち、本田が話を再開する。


「……どうやらそちらにも少し情報があるみたいですね。川崎っていうのは、アワボーの川崎のこと、かな?」


 川口は野元の失言を取り消そうかと考えたが、アワボーこと淡路暴走団の名前まで出てしまっては無意味だと悟り、本田の問いに素直に答えることにした。


「そうだ。淡路暴走団の川崎に違いない。これはもう隠す意味がなくなったからバラしてしまうと、我々は高橋智明及び川崎実と会談を持った経緯がある。その中でナノマシンを使用した身体の機械化について言及する場面があった。ハーディーという呼称までは明かされなかったがな」

「なるほど」


 川口の吐き出した事実に本田は一言呟き、パイプ椅子に背を預けて少し思案にふける。


「ちょっと確認なんですけど、アイツらはHDを使用している様な素振りはあった?」


 口元を手で覆い、やや上目遣いで尋ねた本田の口調には年齢にそぐわない慎重さが垣間見えた。


「……一部の者、といった表現だったな」

「なるほど」


 再び黙った本田を、瀬名は体を斜に構えて見ている。


「……川崎ってのはアワボーのリーダー格なんだけど、見た目通りの熊かゴリラみたいな奴でしょ?

 あの体格のままの怪力の通り身体能力が高くて、会社の取締役もしてるから頭もそれなりにキレる奴なんですよ。

 だから、チーム間の関係をひっくり返したいのに中々思うようにいかない相手だったんです。

 そこでたまたま、俺達はHDを手に入れた。これでアワボーもクルキも取り込んで、アワジのバイクチームを一つにまとめられると思ってたんですけどね……」

「そうはいかなかった?」


 含みをもたせた本田の言葉尻を、川口が拾ってやる。


「新皇居に乗り込んで驚きましたよ。川崎の強さに変化が無かったんです。

 そこでピンと来たんですよ。

 ああ、こりゃあ川崎のオッサンもHDやってるな、てね」


 肩をすくめて両手を広げた本田に対し、川口はどのような感情で答えていいか迷ったが、思ったことを率直にぶつけることにした。


「我々自衛隊が一番対処に困っているよ。そこここでサイボーグみたいな特殊部隊が現れたら、現代の兵器じゃ追いつかん」


 言い終えた川口を見て本田が嬉しそうに笑う。


「それじゃあ、ここからが取り引きの始まりですね。

 簡単な話です。

 このHDの入手ルートを明かす代わりに、俺達のやりたいようにさせて欲しい。

 それだけです」


 右手を差し伸べ少額の小遣いをせびるようにウインクする本田に、野元の機嫌が悪くなる。


「はいそうですかと了承できるものか! バカタレが!」


 野元ほど口悪く罵るつもりはないが、川口も同意見だ。


「やりたいようにやる。この状況下でまかり通ると思うかね? よしんば我々が了解したとして、君達に高橋智明打倒を成し遂げる勝算があるとでも言うのか?」


 さすがの川口も淡路島のバイクチームに好きに言わせておくつもりはない。

 HDというトランスヒューマンがどれほどの身体的強化をもたらすのかは知らないが、自衛隊が任務として下された使命を少年たちに委ねる真似はしないし、したくないし、させてはならない。

 国防の信念とは、覚悟であり使命であり、信念でもあるのだ。


「もちろん、俺と瀬名の二人でやるというわけじゃない。

 今、俺達の他に三人がHD化を済ませてるんだけど、俺の手元には百二十人分のキットが届いてる。

 こいつをうちのメンバーで使用して、作戦とか戦略さえ整えればなんとかなる、と考えてるよ」


 やたらと自信満々な本田の笑顔を眺めつつ、川口は口を引き結んでポーカーフェイスを装うが、内心では驚きと迷いでいっぱいだった。

 本田がすでにメンバーの分まで数を揃えていること。

 未成年の本田が人知を超えた高橋智明の対策を固めていること。

 そして何よりも自分が成そうとすることに絶対の自信を持っていること。


 ――若さゆえ……などとは思ってやれんがな――


 押し負けてしまいそうな心に喝を入れ、川口は反論を仕向ける。


「自信は買おう。しかしな、たかだか身体能力が上がった程度で打ち勝てる相手ではなかろう? 向こうにもハーディーとやらが準備されているやもしれんぞ」

「でしょうね。

 取り引きの条件に含んでるんだけど、智明の手元にHDを渡したヤツの正体も分かってる。

 そいつなら間違いなくアワボーとクルキの人数分のHDを送ってるに違いない。

 けどね、そうなれば尚のこと策は組みやすくなる。だってそうでしょ? 同じ能力から同じだけパワーアップしたら、あとは同じ土俵だからね。

 そこから先は自衛隊とか国がどう考えるかだし、誰か適任の機関とか部署が仕事をするだけでしょ」


 新しい保険のプランを勧めるような本田のポーズに、川口は軽率なことは言えないなとまた口をつぐむ。

 対して野元は沸騰して赤黒くなった顔で怒鳴ろうとする。


「それならば自衛隊が――!!」

「よさんか! バカ者! その先を口にするということは、この取り引きに乗ることになる! 頭を冷やせ!」


 川口は野元の声をかき消すほどに吠えて、辛うじて少年たちの目論見を阻止した。

 瀬名が指を弾いてあからさまに悔しがる。


「惜しいなぁ。もうちょっとだったのに」 「おい、よせよ」


 本田は瀬名の腕を小突いてたしなめたが、まだまだ余裕のある表情だ。


「しかし、一佐……」

「いいか。『自衛隊員を機械化すればいい』などと言おうものなら、全ての責任が自衛隊と政府に向くことになる。それだけで済めばいいが、我々はハーディーとやらの性質や仕様を知らないままだ。何かを得たために何かを失う可能性だってある。さっきのやり取りを忘れたのか?」


 野元を突き放すように言いつのる川口は、野元に弁解の隙きを与えずに続ける。


「私もお前も『相手に利益を与える取り引きはない』と断じたはずだ。彼らがチラつかせている条件は全て我々を陥れる餌も同然なのだ」

「……そうでした。申し訳ありません」


 先程の勢いや怒声などすっかり取り払われた野元の弱々しい謝罪を、本田と瀬名はまだ余裕の笑みで眺めている。

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