報道と反応 ③
※
『今のうちに食事を済ませてきなさいな』
打ち合わせや会議を終えた播磨玲美は、間もなく日没という時刻にそう言って赤坂恭子を院外へと出るように仕向けた。
中島病院には職員や入院患者や見舞い客も利用できる売店があるし、職員専用の食堂も備えられているが、今夜のシフトを休んだ恭子に利用させるわけにいかなかった。
また、玲美は恭子には内緒にしなければならない作業がある。
オフィスのドアに鍵をかけ、窓にもブラインドで目隠しをして簡易ベッドに歩み寄る。
白い間仕切りのカーテンを開けると、穏やかな寝息を立てる少女は数時間前と変わらず安定していて、逆に激しい活動がないことが不気味でもあるくらい静かに横たわっている。
鬼頭優里に触れようとした玲美だが、一旦体を戻して辺りを見回して深呼吸を一つ済ませる。
室内には自分と彼女だけだ。
誰にも見られていない。
赤坂恭子は一時間は戻ってこないだろう。
やるべきことは数分で済む。
これはきっと必要なことのはずだ。
この子を傷付けるものではない。
後ろめたさなのか、この行為が発覚した後の末路を想像してしまったのか、不安や罪悪感が湧き出してとめどなくなり、玲美はもう一度深呼吸をする。
そしてゆっくりと少女に被さるように腰を折り、呼吸と体温を確かめる。
続いて彼女の右腕を取り、ゴムで血流を止めてから聴診器を当てて血圧を診る。
やたらと主張する自身の心音にイライラしながら、少女の正常なバイタルを確かめ、いつの間にか詰めていた息を逃がす。
そこからは心を消し、ロボットのライン作業よろしく少女の左腕を消毒し、採血用の注射針を動脈へと刺す。採血管三本分を抜き取り、止血テープを貼って針を抜き、数分間指で圧迫してやって止血する。
このあたりでようやく玲美の緊張や後ろめたさが解消され始めたのか、手元を注視していた視線は外され、使用した注射器や傍らの点滴スタンドや簡易ベッドわきのキャビネットへと移り、オフィスの中をぐるっと一周見回して少女の注射跡を圧迫する自身の手元へと戻ってきた。
なんの気無しに少女の様子を窺おうと彼女の腕から肩、肩から首、首から顔へと視線を向けた時、視線があった。
――っ!?――
正面から胸を殴られたような衝撃で玲美の心臓が大きく一回跳ね、声にならない悲鳴をあげて上半身を引き瞬きをして見直した時には、先程と変わらぬ静かな寝顔があった。
「……まさか、ね」
一度引っ込んだはずの不安は数倍になって玲美に襲いかかったが、心を落ち着けるために錯覚だと思いこ込むとにして玲美は少女の顔から視線を外した。
まだうるさく跳ね回る心音を無視して玲美は用意しておいたシャーレとピンセットを取り出し、少女の手足をまさぐって皮膚のささくれを切り取る。
別のシャーレには枕に落ちていた毛髪を取り上げた。
そこからの後片付けは手順通りに注射針を処分し、予め用意しておいたバッグに採血管とシャーレを詰めて足早にオフィスを出た。
――急がなきゃ。早く、急がなきゃ――
血液の凝固や採取した細胞の保存は、後の検査や培養のために急いで適切な処置を施さなければならないのだが、さすがに玲美のオフィスに製剤や機器を持ち込むことは叶わず、玲美の駆け足で補わなければならなかった。
しかし、玲美を急がせたのはそうした時間的猶予が少ないことだけではないだろう。
鬼頭優里と目が合ったような感覚を感じて以降、玲美は少女の顔を見ずに作業を済ませている。
今の玲美を急かしているのは、時間的な意味合いよりも出所不明の焦燥や動揺といえる。
その証拠に、玲美はオフィスを出る際に電灯も消さず、鍵も掛けていなかった。
※
それから三十分後。
玲美のオフィスに戻った赤坂恭子は、玲美が不在であることを訝しみ簡易ベッドへと歩み寄った。
「播磨先生?」
間仕切りの赤黒いカーテンを開くと、壁もベッドも赤く染まった中に半身を起こした生物が居た。
皮膚を取り払われ筋肉を露出させた人体模型のような生物の目玉がギロリと動き、目が合った瞬間に恭子は意識を失った。




