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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第六章 影響
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誤解と展望 ③

「……一つだけ、一佐にお詫びしなければならないことを思い出しました」


 また顔を伏せて野元が呟く。

 川口は気に留めていた話題に及びそうだったので、察しが付いていたが知らないふりをする。


「詫び? 何のことだ?」

「お気付きだと思いますが、トランスヒューマンとやらの話の途中で、私が冷静さを失ってしまったことです」


 やはり、と川口は野元を見つめる。

 それまでは任務の遂行について川口に反論を示したり、高橋智明に対して異を唱えるといった場面でも、野元の思考や信念が通っているものだとして理解はできることだった。

 しかし、トランスヒューマンの一端である硬骨や筋肉のすげ替えの話に至った際、野元の高橋智明への追求は少し感情的であった。

 その一点を明かしたくて、川口がこのような席を設けたと言っても過言ではない。


「ああ、あの件か。確かに君らしくなかったな。……ああ、ありがとう。……何か事情があるのだろうとは思ったが、詫びるほどではないだろう」


 お茶のお代わりを持ってきた小浜に礼を言いつつ、川口は野元の謝罪をいなすように話す。

 任務に影響していなければプライベートな事情は深入りすべきではない。


「いえ、少し今回の事と関わりがあるのかもしれません」

「ほお?」


 野元に話の続きを促し、川口はお茶をふくむ。


「実は、私事で恐縮なのですが、自分の家系に先天性の前腕欠損で産まれた者がおりまして。トランスヒューマンの件でその者が義手に苦労していた姿がよぎり、悔しさというか私情が働いてしまいました」


 顔を伏せているとはいえ、なんとも言えない表情で語る野元に、川口も鎮痛な面持ちになってしまう。

 野元のみならず川口も五十余年の人生を送ってきたのだ。重病や難病に罹った親類を何人も見てきたし、自衛隊の活動の中で後天的に四肢の欠損に見舞われた人物とも巡り会ってきた。


「なるほどな」


 同情の念が湧いたが、表面的な慰めはかけることはできない。安易な慰めは失礼でありその人を尊重していないように捉えられてはいけない。


「その者はなんとか社会にも適応してやっているのですが、なんの因果か、自分の娘にも先天性の難病が降りかかってしまったのです」

「それは……。大変だな」


 今度こそ川口は言葉を失った。

 野元に子供がいることは知っていたが、難病を患っているという話は初耳だ。


「その娘も昨年、亡くなってしまいました」

「そうか。そんなことがあったのか……」


 こればかりは川口から野元にかけてやれる言葉はなかった。

 川口にも息子と娘が居るが、幸いなことに病気や事故に見舞われずに育ち、息子も娘も家庭を築いて元気にやっている。

 親戚に義手を必要とする者を持ち、難病を背負って他界してしまった子供が居たとなれば、トランスヒューマンの思想を聞くことで野元の心中は乱れて当然だろう。


「……しかし話はここからです」


 娘の死を悼む表情であったが、野元は声のトーンを変えて川口に訴えた。


「どういうことだ?」

「ある日、娘の担当医が私にトランスヒューマンと取れる治療法を勧めてきたのです」


 野元の言葉に川口の背筋が伸びた。


「医者が? はっきりとトランスヒューマンと口にしたのか?」


 高橋智明との会談でも、野元は明確な反応を示していなかったので確認の言葉を投げかける。

 確か高橋智明もトランスヒューマニズムという思想は一部で囁かれる程度のものだと言っていたはずだ。


「いえ、そこまでは言っていませんでした。ただ、今にして思えばそちらに寄った内容だったと思えるのです。担当医がその話を持ちかけてきた時、見慣れないスーツの男も同席していましたから」

「なんだと? いつ頃のことだ?」


 川口は前のめりに問いただす。


「二年から三年前のことです。自分も妻も、娘もこの話を受けるかで随分と悩み、何度も話し合いを持ちました。結局は『自然のままでいたい』という娘の意思を尊重してこの話は断ったのですが……」

「そうか。そんなことが……」


 川口は腕を組み、ソファーに背を預けて唸る。野元の気持ちや自分が野元の立場であったならと考えてしまう一方で、野元の窮状にすり寄る怪しい影に良からぬ想像が膨らんでしまう。


「……いや、そうした背景があるのならば、野元が私に詫びることなど何一つないではないか。むしろ口にしにくい事を言わせてしまった私が詫びなければならないくらいだ」


 頭の中で膨らみ始めた疑惑や疑念を振り払い、川口は体を起こして野元へ向き直る。

 実際、会談の場で野元が感情を乱した部分は、任務とは外れた余談の一場面に過ぎない。事情が事情でもあるし、彼を責めてどうなるものでもなければ、野元には咎を受ける要素はない。


「そんなことは、ありません。冷静さを欠いてしまったのは事実です。申し訳ありませんでした」

「いや構わんよ。その件はここまでにしよう。君たちも口外はしないようにな」

「ハッ!」


 野元のプライバシーのため川口は話を切り上げて、同席している隊員に他言無用の念押しをした。

 小気味よく踵を合わせて敬礼する隊員たちに頷きかけ、川口はお茶を飲む。

 グラスをテーブルに戻して難しい顔でもう一つ念押しをする。


「……しかしな、その硬骨や筋肉を金属や樹脂にすげ替えるという『切り札』だが、どうも出所に怪しさを感じる。この件についても高橋智明の超能力と同じく、政府の調査や警戒というものが必要なように感じてならない」


 顔を俯けていた野元が驚いた表情で顔をあげる。


「一佐? それはもしや一部企業の違法な研究開発や、政府や政治団体が関係しているやもしれないという意味でありますか?」


 少し声が大きくなった野元に、川口は口の前に人差し指を立てて答える。


「まだ分からない。だから他言は無用だ。分かるな?」


 川口の視線が野元・中山・上野・小浜へと巡り、室内を重い緊張が支配する。


「……了解、しました」


 辛うじて座したまま敬礼を取る野元に対し、背後に立つ隊員からは生唾を飲む音がしたのみだった。

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