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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第六章 影響
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誤解と展望 ①

「――仰ることは理解しております。ですが、申し上げた事実も見過ごすことはできません」


 旧南あわじ市賀集(かしゅう)にある賀集スポーツセンターの管理事務所の応接室に、自衛隊の無線電話を引き込んで川口道心(かわぐちどうしん)一佐は小刻みに頭を下げていた。


「――いえ、それは相違ございません」


 八人も入れば窮屈さを感じる応接室で、野元春正(のもとはるただ)一佐の目も気にせず、川口は額に汗して必死の抗弁を続けている。


 扉一枚壁一枚向こうは公営スポーツセンターの事務所で、日曜の当番出勤している自治体職員の耳目もある。川口を見る野元の目はどこか冷ややかだ。


「――了解しました!」


 厳しい表情で声を張り、数十分に及んだ報告を終えて川口はようやく受話器を置いた。

 川口は無線電話を通信兵の方へ押しやって、重くなった両腕と両肩の凝りをほぐし、受話器を何度も当て直して痛んだ両耳を揉む。


「芳しいご様子ではありませんな」

「ああ。想定通りのお叱りをいただいたよ。こんなに長時間とは思わなかったがね」


 感情のない野元のご機嫌伺いに、川口は自嘲の笑みを漏らしながら応じた。


 数時間前の高橋智明とのやり取りを簡潔なメールにまとめて送信したのが昼前のこと。そこから公務特権で飛び込んだ賀集スポーツセンターと数日間貸し切る申し合わせを行い、捕縛したバイクチームの少年たちの処遇を検討している最中に、陸上幕僚監部から直通回線での聴取が始まってしまった。


 午後二時前から三時にかけ、川口は冷や汗と油汗をかき続けたことになる。


「陸幕はなんと?」


 他人事のように突き放した聞き方をする野元を捨ておき、氷が溶けてぬるくなったお茶を一口煽ってから川口は返事をした。


「どうもこうもない。ひたすらに判断の甘さと徹底抗戦を喚かれて、無能だなんだと罵られて嘆いておられたよ」


 やや捨て鉢な言い草になってしまったが、川口の耳に届いたのはその通りなのだから仕方がない。


 自衛隊の指揮系統は、政府や防衛省から命令ないし要請が出され、防衛省内の統合幕僚監部でより明確な任務内容がまとめられて陸・海・空の幕僚監部へと下る。ここで動員される兵員や部隊・装備や車両が決定され、各方面隊・師団・連隊へと発令される。

 川口の立場からすればいくつか間が抜かれて直接の()()を言われたわけだが、気にはしていない。


 野元は川口の言動や行動に不信感を持ちつつ、川口が責任を取ると明言した以上半ば呆れているように冷めている。それも仕方がない、と理解を示しつつ、川口は川口に出来る仕事を十二分にこなした自負もある。

 だから、『私はお止めしましたよ』という野元の冷めた顔を見ていると、一言かけなければと思ってしまうのも仕方がない。


「……不服そうだな。今、この部屋に居る間は階級も年齢も除外しよう。腹の中を綺麗にしなければ次の任務に支障が出そうだ」


 川口は三人掛けソファーの背もたれにもたれながら、正面に座る野元と、その後ろに立つ普通科中隊長二人、そして入り口脇の小机に着いている通信兵を見回した。


「自分は依存ありません!」

「自分もであります!」


 本部付帯中隊長の中山が真っ先に述べると、隣にいた上野も彼に倣った。

 二人に追従する形で小机から立ち上がった通信兵の小浜だが、少し躊躇ってから口を開く。


「……自分には判断を超えたお話であります。発言を控えたいと思います!」

「ん。分かった。しかし、異論があれば発言してくれて構わない」


 陸曹(りくそう)の小浜からすれば関わりづらく口をはさみにくいのだろうと理解し、川口は責めることはせず、小浜だけではなく中山と上野にも忌憚のない発言を求めた。


「それで、君の意見を聞かせてもらおうか」


 川口は少し表情を堅くして野元を見る。

 指揮を執らせたり会談に同行させたりと、川口の心情や考えを一番近くで見ていた野元だからこそ、内に溜め込んだものがあるはずだ。


「……自分は、陸幕に背こうとも徹底抗戦を貫く気概でおりました。あの局面から一押し加えておれば、あのような会談も意味はなく、こんな状況にはならなかったと考えます」


 何かに耐えるようにして言葉を紡いだ野元を見、川口は嘆息をこぼしながら問う。


「全滅の憂き目を回復され、もう一度全滅を味わったとしてもかね?」

「自衛の信念は誓約の契りの通りです! 退いてはならない局面だったはずです!」


 拳を握りしめ吠えた野元に、川口は黙り込む。


「やり遂げるべきことをやり通せば、どこからも誰からも叱責などされるはずはない」


 付け加えられた野元の言葉に川口の目が細められる。


「それではただのいぬだよ。我々は飼い主に使いを頼まれたわけではない。ましてや命令に従って散るだけの存在ではない。従順であっても愚かであってはならない」

「それは貴方の自己弁護に過ぎない!」


 静かに放たれた川口の言葉に、野元は憤ってソファーから立ち上がった。


「目の前で示された超能力に戦意を折られただけでしょう! 逃げ出す口実にしているだけにしか聞こえませんよ!」


 指を差して唾を飛ばす野元に、しかし川口は慌てない。ソファーに座したまま野元を諌める。


「落ち着きたまえ。戦意を失った、ある意味ではそうかもしれない。しかしそれは正しい表現だとは思えないな。あの場に居た三百名近い隊員を、むざむざ死なせるわけにはいくまい? 彼らが隊員を回復させたということは、高橋智明が口にしたように圧倒的な能力差を知らしめることと、無益な殺傷を避ける意図があると感じたのだ。……それを逃げの口実と見られるのは心外だな」


 川口はあえて自身の信念に合致した理由だけを述べた。

 高橋智明が川口と野元の前で語った理屈には、幾分イレギュラーな過程も含んでいたがそこは川口は省いている。


「そうであったとしても政府への口利きを約束するような素振りや、数日間とはいえ自由を与えるような措置はやりすぎでしょう。いかなる場合であっても線引きというものに甘さがあってはならんはずです」


 少しだけ口調を抑えた野元は、川口を説得するように身振りを加えて言葉を吐くが、言い終わったあとには両手を体の側面に落ち着けている。


「……徹底抗戦を貫かねばならない時は、もちろん私にも手加減しない覚悟というものを持っている。だが彼らには少し違う感覚を持ったのだよ」


 吐き出すものを吐き出したからか、落ち着きを取り戻した野元に手を伸べて着席をすすめ、川口は続ける。


「彼らの旗印は独立という文言ではあったが、それだけの集団ではなかった。

 あれやこれやと理屈付けはしていたが、その辺の動機というのはどこの地域にもあるものだ。

 言ってしまえば世情に見せかけた居酒屋の愚痴のようなものだ。

 だが彼らには口には出なかった三つの都合がある、と私は考えている」

「三つの都合?」


 川口に促されてソファーに座り直した野元が問い返した。

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