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譲り羽  ―ゆずりは―  作者: 天野鉄心
第一章 三つの仔
17/485

変転 ⑤

   ※


「なんか、様子がおかしくないか?」

「うん? そうか?」

 バイクを停めてすぐ紀夫は田尻に話しかけたが、ヘルメットを脱いでいた田尻は素っ気ない。

 そもそも紀夫のバイクに二人乗りして洲本の海水浴場まで向かい、智明が血を吐いてグショグショにしたバイクを運転して戻ってきたので、田尻が周囲の雰囲気に気を配る余裕はなかった。

 駐車場から病院に向かう間も、紀夫は車の出入りや奥にある駐車場を気にしたりと落ち着かない。

 対して田尻は疲れが出始めたのか、うつむき加減で通路を進む。

「うえ! 何だこりゃ……」

「は? なんだよ?」

 病院の玄関を入ってすぐ、紀夫は二時間ほど前に自分達が居た時と雰囲気が変わっていることに気が付いた。

 外来受け付けのカウンターの前には関係者らしい人影がたむろし、受け付けの奥では電話のやり取りが刺々しい感じで行われていてかなり騒々しい。

 また奥の方では看護師や技師らしき人影が慌ただしく行き来し、壁や床や天井に血飛沫のような汚れが出来ていた。

「なんだコレ?」

「真、大丈夫か?」

 ようやっと周囲の異常に気付いた田尻が声を上げ、紀夫はベンチでボンヤリと座っている真を見つけて声をかけた。

「…………あ、田尻さん。紀夫さん」

 かなり呆けた感じで真が答えたが、その目の焦点は合っていない。

 後ろでたむろしていた大人達が看護師に呼ばれてゾロゾロと歩き出し、真は追いかけるようにその集団を目で追った。

 田尻はその中に見覚えのあるオッサンの顔を見かけたが、こんなところに知り合いがいるはずは無いと思い直し、真に視線を移す。

「おい! しゃんとしろ!」

「何があった? アイツ、トモアキだっけ? どうなったんだ?」

 人形のようにベンチにもたれたままの真に、田尻が怒鳴りつけ、紀夫は気合いを入れるために何度か真の頬を張った。

「……なんか、血、吹いてました。……さっき奥に運ばれて。……そっからはよく分かんないんです」

 淡々とした声音で真が話す。

 要領を得ない説明に、田尻も紀夫も顔を見合わせて対処に困ってしまう。

 どうしたものかと周りを見回すと、奥から看護師が走ってきて、受け付けカウンターに立ち寄る。

「内科の萩原先生からの指示です。通常の外来の診察はしばらく取り掛かれないから、来院された患者さんには待ってもらうようにと」

 少し声を震わせながら伝言を伝えた看護師を見て、紀夫はどこかで見た顔だなと気付く。

「あ、なあなあ。アンタさっき聞き取りに来てくれた人だろ?」

「…………え?」

「やっぱりそうだよ。可愛いから覚えてたんだよ。ちょっとだけ良いかな?」

「あ、はあ、どうも」

 紀夫に声をかけられ、状況とは全く異なる誘い言葉に戸惑いつつ、看護師は真たちのベンチに歩み寄る。

 やたら馴れ馴れしく接していく紀夫に、田尻が若干引いているのは紀夫には見えていない。

「なんかバタバタしてるけど、どうなってんの?」

 紀夫に尋ねられた女性看護師は、少し怯えるような目を病棟の奥に向けてから答える。

「ちょっと、それは……。患者さんのプライバシーがあるので。言えないんですよ……」

「そうなの? まあ、普通じゃないっぽいけどさ。お姉さん、着替えないの?」

「え? ああ、そうですね。ちょっと、時間ができたら着替えるつもり」

 紀夫に指差されてから、看護師は自身の看護服が血塗れなことに気付いたようで、手元のクリップボードで汚れを隠すように持ち直した。

「顔とか手にも付いちゃってる。早めに洗わないと肌が荒れちゃうよ」

 さり気なく女性看護師の手に触れる紀夫を、田尻はポカンと口を開けて眺めている。

 ――なるほど、こうやってセフレ作っていってるのか――

 妙な納得をしつつ、自分には真似できないと思う田尻だった。

「そうね。この格好のままじゃ、何かあったと思われちゃうよね」

「そうそう。さっきまでちょっと震えてたしさ、気になるよ。やっぱり」

「そお? 看護師失格だなぁ」

 紀夫に手を握られながら振り払おうともしない看護師に、田尻はそろそろ口を挟むべきかと、姿勢を変える。

「そんなこたぁないよ。俺にはちゃんと白衣の天使に見えてるぜ」

「ふふ、ありがとう」

 しっかり手に手をとって、とうとう笑顔で見つめ合いだした紀夫と看護師に、田尻の限界が訪れる。

「あのさぁ――」

 しかし田尻が紀夫に意見する前に、病棟の奥で激しくドアが開かれる音が響き、人型の赤黒い生物が飛び出してきて壁にぶち当たった。

「な、なん!?」

 まず轟音に驚いた紀夫だが、壁にぶち当たって廊下に転がった生物らしきものにもう一度驚く。

 赤黒い人型の生物はすぐさま立ち上がり、さっきとは反対側の壁に突進し、ぶつかって再び廊下に倒れてすぐ立ち上がった。

 そして一瞬静止し、頭らしきものをグルリと回してから病棟の玄関へ向けて突進し始める。

「ヒッ!?」

 紀夫と看護師から見ると一直線に自分達の方に向かってくるように見え、看護師は息を詰まらせるような音を出して硬直する。

「こっち来んな、バカ!」

 田尻が真を庇うようにベンチに飛び退くのと同時に、紀夫は看護師の手を引いて抱きとめる。

 獣の咆哮なのか未知の怪物の足音なのか、それとも怪物が走り抜けた風圧なのか、耳が痛くなるような轟音の後にガラスと金属のひしゃげる音がして、待ち合いロビーは静かになった。

「……な、何だよ?」

「イタ、痛いっす。ちょ、田尻さん?」

「うううん……。痛い……」

 田尻を押しのけるようにして真は体を起こし、強烈に痛む額と後頭部をさする。

 押しのけられた田尻も額をさすっている。どうやら赤黒い生物から逃げようと飛び退いた際に、真に頭突きを食らわせてしまったようだ。

 紀夫は、真が押し倒された拍子に真から頭突きをもらったようで、耳の後ろあたりをさすっている。それでも看護師をしっかり抱いているのだから大したものだ。

「なんなんですか?」

「もう、居ない、よな?」

 顔を上げて周りを見回す看護師につられ、紀夫も注意深く周囲を見回す。

「……え? ええ!?」

「なんだよきゅう……うえ!」

 紀夫のあげた大声がうるさかったので、頭をさすっていた田尻がキレてやろうと頭を上げると、待ち合いロビーの様子が一変していた。

「なんじゃこりゃあ?」

 廊下には猛獣が駆け抜けたような足跡がコンクリートをえぐった形でそこここに掘られ、壁には無数のひっかき傷が刻まれ、ロビーに置かれていた観葉植物やブックスタンドはなぎ倒され、天井からは電灯が引き剥がされて垂れ下がっている。

 目線を玄関に向けると、トラックか何かが無理矢理通ったみたいに、玄関の重厚な金属のドアフレームがひしゃげ、飛散防止の針金入りの分厚いガラスは割れて吹き飛んで無くなっている。

「うわああああ!」

「いやああああ!」

「な、なんだ?」

 今度は病棟の奥から複数の叫び声が響き、スーツ姿の男や看護服の男が転がり出てきた。

「……なんなの?」

 紀夫の手から滑り落ちるようにして女性看護師は廊下に座り込んで呟いた。

「何が起こっているの?」

「赤坂ちゃん、大丈夫か?」

 ちゃっかり名札で名前を確認した紀夫が声をかけたが、紀夫の手をしっかり握ってはいたが赤坂恭子はただ震えるだけで何も答えなかった。


   ※


「――さん! 鯨井さん! 鯨井さん! しっかりして下さい!」

「……んん、うあ?」

 頬を叩かれ肩を揺さぶられてようやく鯨井は意識を取り戻した。

「何があった?」

「私にも、よく、分かりません」

 鯨井を覗き込むようにしている播磨医師は心底ホッとしたようで、三十半ばとは思えない可愛らしい笑顔を見せてくれた。

「こいつは……酷いな……」

 頭だけを起こしてMRIのモニター室を見回してみると、モニター室と検査と撮影を行う隣室とのドアが吹き飛ばされていた。その衝撃のオツリなのか、モニター室から検査室を観察するための覗き窓が割れていて、制御盤やテーブルにガラス片が散乱している。

 鯨井の足元や播磨医師の背後には、倒れたりしゃがみこんだ同僚たちが呻いたり痛みを訴えていた。

「なんだか寝心地がいいと思ったら、播磨ちゃんの膝枕だったか」

「不謹慎ですよ」

 播磨医師は鯨井をたしなめたが、表情は怒ってはいないようだ。

「俺だけ特等席じゃ申し訳ないから、皆の手当てといきますかな」

「あ、ちょっと――」

「あいててててて! っ痛ぅ……。左足が折れてるじゃないか」

 自分の体の状態も確認せずに起き上がろうとした鯨井に、さすがの播磨医師も呆れてため息をもらす。

「……萩原先生……」

「……残念です」

「高杉君もか……」

 上体を起こした鯨井の背後で、播磨医師が鼻をすする音がした。

 壁にめり込むほど弾き飛ばされたドアの隙間に、重なるようにして押しつぶされた男性の体が二つあり、服装から察するに萩原医師と高杉医師だ。

 二人とも胸部から上はドアと壁に挟まれ、押しつぶされて人としての姿を留めていない。

 床に溜まった血液は鯨井のズボンを濡らし、現実を受け入れざるを得なくさせる。

「…………。ということは、状況的に犯人はアイツか?」

 故人に向けて合掌し短く念仏を唱えてから、鯨井は膝立ちでドアの無くなった隣室を覗きに行く。

「鯨井さん、安静にしないと」

「いや、気になることがある」

 播磨医師の制止を振り切り、四つん這いで隣室までたどり着くと、鯨井は言葉を失った。

 中島病院で勤務を始めてから何度もMRIを使用した検査でこの部屋には訪れていた。大掛かりな装置で高出力の磁力線を用いるため、室内は広く余分な物のない簡素な部屋だった。

 しかし今鯨井が目にした室内は、壁や天井はおろか床にまで無数の引っかき傷が付き、赤赤とした筋肉を露出させ血を吹いていた患者が拘束されていた検査台はひしゃげて分断されている。

 検査台からドアまで歩いたと思しき経路には足型のような窪みが穿うがたれ、そばには血液が飛び散っている。

「……あれは?」

 痛む足を引きずりながら鯨井は検査台に這いより、引き千切られたベルトを観察する。

「播磨ちゃん! 検体採取してくれ!」

「……鯨井さ、ん?」

「細胞が生きてるうちに! 早く!」

「あ、はい」

 モニター室で鯨井を見守っていた播磨医師は、鯨井の剣幕に戸惑いながらも備品室へ走った。

「拘束ベルトを引き千切るとかありえんぞ……。自分の肉が削がれるのも厭わんとは……。なんなんだ、アレは?」

 鯨井の脳裏に、検査台に拘束され横たわっている人型の生物の映像が蘇る。

 血液らしきものに塗れていたせいか、皮膚の状態は定かではないが、赤黒い表面は露出した筋肉なのではと思える。傍には人間とは少し形の違う骨状のものがさらされていたし、臓器も見えていたように記憶している。

 モニター室で負傷者の手当を始めている清水医師からは、患者をあのような解剖同然の処置をした話は聞かなかった。()()()()()()()()()()()あの状態に変化していったような口ぶりだった。

 そこここに飛び散り溜まっている血液状の物は、恐らく人間の血に近いと思えたが、色や匂いや粘度に若干の違和感を感じる。

 ベルトにこびりついた肉片にも、だ。

「……俺はホラー映画でも見てるんか?」

 だとしたら相棒が播磨ちゃんで良かったと思った。

 野々村美保にはまだこの光景は少しショッキング過ぎるだろうから。

 薄れていく意識の中で、快感に身悶えする美保を思い出しながら鯨井はまた気絶した。

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