感情と道理 ③
「…………どうして、そう思う?」
一瞬、目を見開いて驚いたあと口元を緩めて呆けた表情を見せ、沈黙のあとに貴美は聞き返してきた。
何かあったとしか思えない反応だ。
「単純にリリーは言葉でも行動でも人を傷付ける性格じゃないからね。なのに、俺が貴美さんを見つけた時は結構な怪我だったからさ。うちのオモチャみたいな銃じゃ、貴美さんにあんな怪我をさせれないから、リリーが力を使ったのかなって思うんだけど。
でも、リリーがそういう行動をするんだとしたら、余程のことがあったんだろうなって思うから」
智明が予想や憶測を並べていくほど貴美の表情は沈んでいくのが見ていて分かる。
しかし、智明が優里のことと貴美のことを理解するためにも、貴美の目的やそこに至った理由を知っておかねばとも思う。
真を知る人物として新宮に現れ、貴美が優里と対峙した理由や原因は、智明と優里と真の関係に少なからず影響するだろうと思えるからだ。
「……私は、守人として人々の依頼や願いを承る務めがある」
少しの沈黙のあと伏し目がちに貴美が語り始める。
「あの日、恐らくトモアキ殿が暴走したという日に、私は今までに感じたことのない恐怖や絶望を感じ取った。
それこそ何人もの人間が、死の恐怖や生への絶望を悲鳴として叫んだような、おぞまさしさと言えるものだった。
震えや涙がとどまらず、胸が傷むような重大事であった。どうにかこうにか気持ちを落ち着かせ、導かれるようにここまでやってきた時、えぐり取られた大地や消し飛んでしまった木々や生き物たちが、私に沢山の事を語ってくれた」
貴美の言葉に、智明は警察官八人に囲まれた時のことだなと思い至る。
貴美はその時の心情や傷みを思い出したのか、表情を歪めたまま続ける。
「何やら異常なことが起こっていると感じてはいたが、私には積極的に関わっていくことはできなかった。
それから毎日、新居所の様子を見に来るようになるうちに、警察の機動隊が訪れては追い返される様を見て、何かしなければと思い始めていた折、私の元に依頼が舞い込み申した」
「……どんな依頼?」
想像はついたが、あえて智明は貴美を促す。
「病院襲撃犯であり、皇居を違法占拠している高橋智明の確保、または、排除」
真剣な目を智明に向け、貴美は淀みなく答えた。
智明は「やっぱりか……」と呟き、脱力してソファーの背もたれに倒れ込む。
智明の想像や想定の中に様々な障害や攻撃というものは予想していたし、ほぼその通りの展開が現実に起こっていた。
ただ一点、貴美のような隠密行動を取る刺客のような存在は、想定はしても実在しないだろうと思っていた。
「そういうのは創作の中だけだと思ってたんだけどな」
ハッキリと『有り得る』と意識したのは、実は昨夜のことだ。
優里とともにトランス状態となり、夢とも現ともつかない星空の中で藤島貴美という存在と出会った。その時から、なぜこのタイミングで修験者の彼女が現れ、自分たちに関わることになったのかの意味を考えてきた。
しかしこうして目の前で本人から『確保または排除』という依頼があったことを明かされると、それなりのショックを感じる。
そしてその依頼の出どころが気になる。
「それは誰からの依頼なのかな?」
「す、すまない。それは明かすわけにいかぬ」
「そりゃそうか。ごめん」
「いや……」
依頼の対象となっている智明に依頼者のことなど明かせるはずがないと納得し、あっさりと謝った智明に貴美は申し訳なさそうな顔をする。
「でも、だからってリリーと戦う理由にはならないよね?」
「それは、そうだ」
個人情報保護や守秘義務などもあるだろうと考え、智明から話を変えてみると、貴美はあからさまに困惑して視線を泳がせた。
「……少し、長い話になるが、良いか?」
「いいよ。他にやることもないし、こんな機会もあんまりないしね。聞かせてもらえるなら全部聞いておきたい」
貴美を促すように右手を翻すと、貴美は一旦瞑目して深呼吸をし、姿勢を正して話し始める。
「……この依頼を承ってトモアキ殿のことを見ているうち、私は恐怖を感じ、不安や悪寒を払いのけられなくなってしまった。
私はイザナミ信仰の一派として霊力を授かった守人であるから、この依頼は私にしか請け負うことはできない。
しかし、君はあまりにも異質。
私のような自然の気を下支えにしていない。
武道家が体内で練る気功とも違う。
陰陽師や黒術師の使う、式や呪いでもない。
私はまだ出会ったことはないが、エスパーと呼ばれる超越者の力とも違う、気がする……」
智明に合わせていたはずの視線はいつの間にか腿の上の両手を見下ろしてい、貴美は言いようのない不安からか、両手を小さく素早く動かして印を切った。
「ともあれ、そうした不安を打ち消すために私は大阪へと向かった。
大阪にいる先代の守人から、トモアキ殿との対し方を学ぼうと思ったのだ」
貴美は一定のリズムで話を進めていくが、智明は少しずつ微妙な気持ちになってくる。
今、貴美が話していることは智明を討ち取る算段なのだから、楽しい話としては聞けない。
「無事に教えを会得した私は訓練の場を求めた。
そこに丁度都合よく同行していた友人から、『仲間が修行している場所がある』と明かされ、そこでマコトと出会い申した」
「そこで真かぁ……」
思わず智明は腕組みをして唸った。
真の目的と貴美の務めが近いことを考えると、二人が接点を持つことで色々なことに合点がいく。
「そう。
……私は先代の守人からトモアキ殿と戦う術を学んだけれど、人と争ったり戦ったりという経験を持たぬ。
その不安は友人にも打ち明けられなんだ。
けれどマコトは私を理解し、心配し、励ましてくれ、守ると言ってくれた。
私がトモアキ殿を討てぬのであれば、自分が成し遂げると、言ってくれたのだ」
切なげに拳を握りしめて語る貴美を見て、智明にはその時の真の行動や言動が手に取るように見えた。
真は惚れっぽく女子の前でチャラく振る舞うのだが、一対一でシリアスな話の時には妙にキザになる男だ。
膝に手を置いて涙を流す女子の肩を抱いて格好つけたセリフを言ったに違いない。
――まあ、貴美さんがそんな状態なら大抵の男はそうするだろうけどさ――
体を起こして貴美の方へ右手を伸ばしかけた智明は、真を糾弾しつつ弁護もして己の反射的な行動を自重する。
貴美の話がまだ本題に達していないから。
「……そういう繋がりがあったわけか。その、真との約束というか、打ち合わせというか、話はそれだけ?」
我ながらドライで冷たい言い方だとは思いつつ、なんとか優里との対決に至った経緯を聞き出そうとしてみる。
「約束は、あと一つ、ある」
「どんな?」
「……鬼頭優里を連れ出してほしい、と」
恐る恐る紡ぎ出された貴美の言葉を聞いて、智明は「ああ……」とソファーに倒れ込んだ。
――そっちも行き違っちゃったのか――
正しく『悔恨』の一語に尽きた。
真が智明と優里のやり取りを知らなかったとはいえ、智明と真と優里の関係を把握していない貴美にそんなことを頼むなど真の考えが浅いと言わねばならない。
真を思う貴美の気持ちを大切にするならば、なおのこと二人がぶつかり合うキッカケを作るべきではない。
「……ごめん」
「なぜ、トモアキが謝るのだ?」
小首を傾げ訝しむ貴美に答える。
「真の代わりに謝らなきゃいけないから。ごめん」
智明はソファーに倒していた体を起こして床まで滑り降り、膝を付いて土下座のように深く頭を下げた。
「ど、どうしたのだ? まだ全てを話していないが?」
「いや! 真とリリーがどんなやり取りしたのかは知らないけど、真が貴美さんにリリーを救い出してほしいなんて頼むこと自体、おかしいことなんだよ。それはホントにダメなことだから、真に代わって謝るよ。ゴメン!」
もう一度頭を下げた智明に、貴美は明らかな困惑を見せた。
「よく、分からない。まだちゃんと話していないぞ」
ソファーから降りて智明の謝罪をやめさせようとする貴美は、智明のそばで膝を付く。
「いや、もう、その時の状況が分かるんだよ」
「そうなのか?」
「貴美さんはきっと真に言われたまま『連れ戻しに来た』とか言ったはずだ。
そうしたらリリーは『自分の意志でここに居る』と答える。
言いにくいけど、貴美さんは自分の気持ちを抑えて『真の気持ちを考えろ』って言うはずだよ。
気の強いリリーは『今更、真の気持ちは関係ない』とか言ったはずだよ。
真は、俺ともすれ違ってるけど、リリーとも間違った感情で貴美さんにお願いしちゃってるんだ」
「…………そんなこと……」
智明の口にしたことはただの予想でしかない。しかし貴美が言葉を詰まらせたということは事実に近いものだったのだろう。
「だから、ゴメン! 貴美さんは真のことが好きなのに、真が変な頼み事をしたから、真の余計な拘りで貴美さんを傷付けてしまってる……」
「……うっ、……く……」
頭を下げていた智明の耳に、何かを押し込めて耐えるような声が漏れ聞こえた。
「やっぱり……そうなんだ、な……」
震える声で小さく呟かれた声に智明が顔を上げると、貴美の両頬に大粒の涙が流れていた。
「うん。ごめん。……でも、真は気付いてないだけだと、思う。真がリリーに拘ってるのは、幼馴染みだからとか関係が近かったからとか、そういう慣れにすがってるだけだと思う。もしかしたら焦りとか欲なのかもしれないけど……。
でも、アイツは貴美さんのことを本気で好きになったから、信用してるからそんな頼みごとをしたんだと思う。
今のアイツにとっては、俺をぶん殴るのと同じレベルでリリーを連れ戻したいって思ってるはずだから――」
「グッ……! うぅっ!」
なんとか貴美の涙を途切れさせようと言葉を並べてみたが、智明の努力のかいなく貴美はとうとう嗚咽を漏らして泣き崩れてしまった。 女の子の泣きべそは優里で慣れているはずだが、やはり智明は何もしてやることができず、優里の時と同じように抱き寄せて泣き止むまでそばにいることしか思い付かない。
――真。リリーを連れて行ったことと、貴美さんをなだめたことで、貸し二つだからな――
貴美の背中や頭を撫でてやりながら、智明は幼馴染みに恨み言を投げかけておいた。




